竜のもうひとつの瞳
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第九話
雪深い道を、走って行った小十郎を追って私も走っている。
馬は途中で置いてきちゃったし、どちらにせよこの村に来るには雪が深くて馬を走らせられない。
城から村の途中までは街道を使うから見回りの為に定期的に雪かきなんかして
道が使えるようにしてるんだけど、とにかく東北地方の雪ってのは半端じゃない。
北海道ほどじゃないとは思うけど、豪雪地帯だからねぇ……。
そんなわけで、伊達軍もこの村へは徒歩で来ているし、何処かに纏めて馬を置いてあるんだと思うけど……
まぁ、それはさておいて、どんだけの速さで歩いてんのか知らないけど全然さっきから追いつく気配が無い。
小十郎は雷だから空を飛ぶなんてことも出来ないし、きっちり足跡も残ってる。
それを辿ってるわけだけど、すぐに追いかけたんだから後姿くらい見えてもいいじゃない?
……ったく、余程ショックだったのか。だったら鬼だ、なんて言って脅しかけるようなことするんじゃないっての。
理知的に動くアンタらしくもない。
こりゃこのまま走ってても埒が明かないと思い、空を飛んでいくことにする。
空を飛べば早いもので、全然姿が見えなかった小十郎の姿が見えてきた。
小十郎ってば、雪の上だってのを微塵も感じさせないようなスピードで走ってて、流石にこれには私も呆れたもんだ。
とりあえずすーっと近寄っていて、いきなり背後から思いきり抱きついてやった。
「うわっ!!」
バランスを崩して小十郎が思いきり雪の中にのめり込む。
私はさっさと小十郎から退いて、何事も無かったかのように立ち上がった。
小十郎は勢いよく身体を起こして、一体何なんだとばかりに殺気立った目を私に向けてきた。
「姉上!! いきなり背後から飛びつかないでいただきたい!! いくら雪の上とはいえ、危ないでしょうが!!」
「だってさぁ、折角後を追って来たってのに、とっとと行っちゃうんだもん。寒かったよ、本当」
そう言ってあげると、小十郎は随分と渋い顔をして俯いてしまった。
睨んだ目は若干赤く、でも泣いた跡がないところを見ると泣きたいのを必死に堪えて走って来たんだろう。
この子は泣きそうな顔をすることはあっても、実際に涙を零すことはほとんど無くなった。
昔は本当に泣き虫だったけど、今は可愛くないくらいに泣かない。
泣きゃあ良いのに。泣いてばっかりでも困るけど、本当に泣きたい時くらい泣けば良いのに。
「……小十郎も、具足を置いてきたので寒くてなりません」
「だから全力で走ってたって? 心臓の調子も良くないんでしょ? 無茶な力の使い方してさ。
そんなんで走ったら自殺行為だよ。アンタ、死ぬつもり?」
「……死のうと思ったことは一度もございません」
死ぬ覚悟は出来ておりますが、なんて続けたら引っ叩いてやるところだったけど、小十郎は空気を読んだのかそれは言わなかった。
「何でさぁ、自分が鬼だ、なんて言ったのよ」
あんなことを言えば、また迫害される対象になる。下手をすれば村に出向けば石だってぶつけられるようにもなるだろう。
噂が広まって、竜の右目は災いを齎す鬼だった、なんて言われるようにもなるかもしれない。
政宗様の評価にも……まぁ、これはいいや。
「……間違ったことは言っておりません。小十郎は鬼です。人の皮を被った鬼ですから」
何処か拗ねた表情でそんなことを言う小十郎は、左手をぐっと握り締めている。
馬鹿だね、この子は。いくつになっても、そういう不器用なところが改善されないんだから。
いや、歳を重ねるごとに不器用さに磨きが掛かってるかな?
「じゃ、私も人の皮を被った鬼だね」
「姉上は」
「違わないでしょ。だってさぁ、婆娑羅の力だって大体は炎や雷、風、氷、あと光と闇でしょ?
なのに私に宿ったのは重力の力。まぁ、風に近いっちゃ近いけど、異質なものだもん。
それに双子だし、鬼だって言われるには十分よねー」
そう、異質なんだ。神様が転生前にチート並に強くしてあげる、なんて言ってたけど、それで私にくれた力が重力だもん。
結構応用が利くからお陰でオールマイティに使いこなしてはいるけど、この世界じゃ異質な力だから、
婆娑羅者としては異端として見られている。左利きで双子の弟である小十郎と同じようにね。
「……この小十郎の中には、鬼がおります。
人の血に狂い、真剣勝負に命を懸け、その瞬間に喜びを見出す飢えた獣のような鬼が。
皆の言うような天災こそ起こしませぬが、これは災いを齎すものです。……鬼と呼ばれて蔑まれるには十分過ぎる程の」
しっかりと小十郎を抱きしめて、髪を撫でてやる。
私よりもずっと大きい小十郎を抱きしめるのは結構大変なんだけど、
それでもこの馬鹿を抱きしめてやらないわけにはいかなかった。
小十郎は人よりも狂気が濃く、いつも正気の近くにある。
それは他人が見ていても良く分かるもので、戦場であの子が単体で出ると伊達の兵達は寄り付こうとしない。
むしろ勝手に近づくな、という命令を出してるくらいだから困っちゃうものでさ。
草木一本残らない、なんて言われてるけど、それがマジだからフォローの仕様が無い。
でも、人間ってのはどんなに狂気を抱えていても、そればっかりにはなれないのよね。
そんな狂気の裏側で、人の死を悲しむ優しい心があることを私は知ってる。
「馬鹿過ぎて言葉にならないわ。人間ってのは誰でも腹の中に鬼を飼ってるのよ。
たった今、見てきたでしょう? あの村人の腹の中にも鬼がいた。
鬼がいたから婆娑羅の力を持つ子供を利用して一揆衆を作って、伊達を攻めようとしたし、アンタを化け物扱いもした。
……アンタは鬼じゃないわよ。大体、自分が鬼だなんて本気で思っちゃいないんでしょ?」
本当に自分が鬼だと思ってるのなら、あんなに悲しそうな顔はしなかっただろう。甘んじて雪玉を食らうことも無かったと思う。
結果的に悪い方向に転がっちゃったけど、いつきちゃんを助けようとした行動だし、もっと言えば奥州を守りたくてやったことだ。
鬼ならそんなことは思わない。
「俺は」
すっと小十郎の手が私のおなかに伸びてくる。
ちょっと何処触ってんのよ、と言いたかったけれど、触れられた場所がかつて小十郎が私を刺した場所だったものだから、
ついつい言葉に詰まってしまった。
私のおなかに残る傷は、かつて狂気に飲み込まれかけて暴走した小十郎がつけたもの。
小十郎の左頬についた傷は、そんな小十郎を止める為に私がつけたもの。
互いに互いの身体を傷つけあって出来てしまったこの傷を、小十郎は酷く気にしている。
受傷した直後に小十郎が酷く混乱してたってのは知ってるし、私が寝込んでる間に小十郎が心配して泣いてたぞ、
なんて政宗様から聞かされた覚えもある。
「馬鹿ね。いつまで気にしてるの。こんなのとっくに治ってるんだから、気にしなくていいのよ。
大体戦に出ている以上は手傷の一つや二つ負うことくらい覚悟してるんだからさ。
……小十郎、もう自分を傷つけるようなことは止めなさいよ。
アンタが自分は人間じゃないなんてそんなこと考えてると思うと、胸が痛い。
泣きたいんなら泣きなよ。側にいるからさ」
私の肩に小十郎の頭を押し付ける。ゆっくりと背に回された手は冷たくて、随分と冷えている。
本当に馬鹿な弟で困っちゃうわね。頭がいいくせして、どうして気付けないのかしら。
こんな私達の様子を見ていたのは、いつの間にか追って来ていた伊達軍の面々といつきちゃんだった。
やれやれ、ちょっと協力してもらおうかしら。
「皆、この馬鹿に言ってやれ。自分のこと、人じゃないって言ってんだ」
私の放った声に小十郎が顔を上げる。そして涙を零さないでいる目のまま驚いた顔で連中を見ていた。
「兄ちゃんは人間だべ! 本当に鬼だったら、村の子達に囲まれてあんなに優しく笑ったりしねぇだ!
それに、おらの……いや、おら達のことも助けようなんてしねぇだよ!」
「そうっすよ! 確かに小十郎様、鬼みてぇに怖ぇけど、立派に人間じゃないっすか!」
「あんな農民達の言葉なんか信じる必要ないっすよ! それに双子だからなんて迷信じゃないっすか!」
「俺らが戦で勝ちが取れるのも、小十郎様がいるおかげじゃないっすか。ね、筆頭」
こんな風に話を振られて、政宗様が苦笑している。
「そうだ。小十郎、お前は俺の右目だろ? 鬼なんかじゃねぇ、お前は竜だ。
竜ってのは力の化身、人に恵みを齎すばかりのものじゃねぇ。荒ぶるお前も慈悲深いお前も同じお前だろう?
いちいち気に病むんじゃねえよ。お前は俺の右目だ。そいつを忘れるな」
こんな言葉を本当に泣きたそうな顔をして聞いているから呆れてしまう。
ほら、アンタにはこんなにも認めてくれる人がいる。受け入れてくれる人がいるのよ?
だから、鬼だなんて思う必要は無いのよ。
「兄ちゃんは竜の目玉だか?」
「目玉って言い方は……ちょっとなぁ……。せめて、目とか瞳とかにしてあげて」
「兄ちゃんが竜の瞳なら、姉ちゃんも竜の瞳なんだな」
いつきちゃんのこんな言葉に私が目を丸くしてしまった。今の今までそんなこと言われたこと無かったんだもん。
「だって、兄ちゃんと姉ちゃんは双子なんだべ? 兄ちゃんが竜の瞳なら、姉ちゃんも竜のもうひとつの瞳だべ?」
なるほど、その発想は無かった! 言われてみればそういう解釈も出来るわよねぇ~。
子供の発想って凄ぇ。まさか双子だからお前も竜の右目だろう、なんて言われるとは思わなかったわ。
「竜のもうひとつの瞳、か……そうだ、アイツは俺のもうひとつの右目だ」
おおっと、政宗様まで認めちゃったよ。うわお、竜の右目が二人揃ったことになっちゃったわ、これで。
じゃあ、少しは禄が上がるって期待してもいいかしら。役職も上がるとか。
「そっか、だから兄ちゃんは雷を使えて、姉ちゃんは空が飛べるだな。おら、そういう風に村のみんなに話をする!
兄ちゃん、おらのこと、助けてくれてありがとな! 村も助けてくれてありがと!」
「俺は……」
戸惑う小十郎に、いつきちゃんは笑って言葉を続ける。
「兄ちゃん、おらもな、鬼の子だって言われてただ。おらの髪の色、ちょっと変わってるべ?
おら、元は捨て子でいろんなところを点々としてきただよ。
婆娑羅の力も持ってたし、だから、鬼の子だって言われて嫌われてきただ。
でもな、この村でおっとうとおっかあに出会って、村のみんなにも出会って……初めて人として扱ってくれただ」
「お前」
「おらはみんなが大事だ! みんなもおらのこと大事にしてくれる!
誰に何を言われても、おらはみんなの言ってくれた言葉を信じるだよ!
……村のみんなは兄ちゃんのこと誤解してるだ。それは悲しいけど、おらがきちんと話をして誤解を解いてく。
伊達のおさむらい達は、みんな兄ちゃんのことが好きだよ! おらも兄ちゃんが好きだ!
兄ちゃんは……嫌いだか? 信用出来ないだか?」
こんな真っ直ぐな言葉をかけられて、それに伊達の連中も揃って笑ってるしさ。
冬の寒さも忘れるほどの温かさに、小十郎の目から涙が零れていく。
「信用してるに決まってるだろう……初めて俺を人として扱ってくれた連中なんだ」
「だったら、兄ちゃんは鬼じゃねぇ。きちんと人だ。……えっと、竜だったか?」
いつきちゃん、何かマジで私達を竜だと思ってるっぽいぞ。でもまぁ、いいか。
信心深い山の民だし、そのくらい信じて貰った方がかえってややこしくなくて済むかも。
「人でいいよ、人で。小十郎、きっちり泣いちゃいな。付き合ってあげるから」
しっかりと抱きしめてあげれば、あの子もしっかりと私に手を回して肩に顔を埋めて泣いていた。
これで小十郎は大丈夫だろう。鬼だ、なんて言って一人で傷つくことはない。
こんな様子を見ていた政宗様に向かってにやりと笑っておけば、向こうもにやりと笑って答えてくれる。
もう小十郎は大丈夫だ、そんなサインを私達はこっそりと交わしていた。
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