冥王来訪
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ソ連の長い手
ミンスクハイヴ攻略 その2
前書き
今回は5000字越えの長文です
極東の果てにあるハバロフスクより遠く離れたドイツ・ベルリン
そこにある議長公邸で、男達が密議をしている最中であった
「何、GRUの連中が我々に協力を求めて来ただと……」
背広姿の男は、正面に立つ40がらみの軍人の顔を見つめる
「この期に及んで、どう言う積りかね。
無論、断るのであろう、シュトラハヴィッツ君」
折襟の勤務服に朱色の将官用階級章を付けたシュトラハヴィッツ少将
彼は、軍帽を右脇に挟み、立ったまま男の意見に頷く
「同志議長、小官も同意見です」
灰色がかった髪と綺麗に整えられた口髭
アイデンティティーの一つであった蓄えていた顎髭は、綺麗に剃り上げられていた
「居丈高に振舞っておきながら、都合が悪くなると平伏して泣きついて来る……。
あまりにも身勝手な話ではないか」
窓際より、降り頻る雨を眺める
「我々は今、西側に入ろうと努力している矢先に、水を掛けるような真似をするとは……」
ソ連支配下の東側は、困窮に喘ぐ暮らしを余儀なくされていた
社会主義という実情を無視した経済政策により、貧困状態に長く留め置かれざるを得なかった
国民の間にある怨嗟は凄まじく、其の事を各国の指導部は薄々感づいてはいた
だが、国家体制維持の為、無視する施策を取り続けてきた
今、ソ連の弱体化によって東欧諸国の政治的態度は変化しつつある
GRUは、その点を読み間違えていたのだ……
雨は次第に強くなり、吹き付ける様に降り続く
まるで独ソの関係を表すかの様に、男には見えた
「国家保安省の所にはKGBから連絡もないし、外交ルートを通じての話も一切ない。
アベールの所に、ソ連外務省関係者が出入りしているが……」
男の言葉に、彼は驚愕した
ソ連経済圏の一翼を担う東ドイツの経済官僚が、ソ連政府関係者と連絡を取り合うのは珍しい話ではない
外交ルートの他に、ソ連外務省と個人的な関係を結んでいるアベール・ブレーメ
女婿ユルゲン・ベルンハルトとの縁で敵対関係にはならなかった
一介の経済官僚とはいえ、そのような人脈を持つ男
考えるだけで空恐ろしくなる……
その娘に、禽獣が如く飼いならされているベルンハルト……
未だ真意を量りかねる面も多い男、末恐ろしさを感じた
「西との初顔合わせ……、誰を行かせたのかね」
男の言葉に、我に返ったシュトラハヴィッツ少将
少し間を置いた後、ゆっくり答えた
「同志ベルンハルト中尉、同志ヤウク少尉です」
何時もの如く、タバコを差し出して来る
青色の『ゴロワーズ』の紙箱を受け取ると、一本抜きだす
「何故、同志ハンニバル大尉にしなかった……」
軽く会釈をして、箱を男の手元に返す
両切りタバコを口に挟み、火を点ける
「彼は、元々地対空ミサイルの専門家で、専門的な知識が足りぬ点もあります。
それに年齢も年齢です。妙に警戒されても困ります」
男も同様に紙箱より、タバコを取り出す
窓の方へ、再び向き直る
「分かった。何かあれば、俺の所に持ち込んで来い」
紫煙を燻らせながら、応じた
「話は変わるが、嬢ちゃん、来年の正月で12歳になるんだろう」
男の言葉を耳にして、彼は血が引くような気がした
この人物の底知れぬ深さに、恐怖を感じた
「御存じでしたか……」
彼の言葉に、不敵の笑みを浮かべた
「君は、今回の出征に関して責任を感じている様だが……、生き急ぐ必要もあるまい。
花嫁姿を一目見てから、泉下の待ち人の元へ行くのは遅くはあるまい……」
そう言うと、タバコを灰皿に押し付ける
「内々で決まった事だが……、今年の9月にブル選と住民投票をやる事になった。
恐らく大敗する……。
SEDは、所詮占領政策の忌み子だ……。ひっそりと役割を終えられれば良いと思っている」
男はそう漏らすと、再び部屋の中を歩き始める
「遠からぬ内に、総辞職。俺は政治局から降りることに、成るであろう」
窓辺で立ち止まると、屋外に視線を移す
「任期中に、壁を取り払う手続きだけはしておいてやるよ……」
窓外の景色を見た侭、振り返らず応じる
その言葉を聞いた後、彼は、敬礼して部屋を後にした
ポツダムの参謀本部への帰路、一人悩む
愛娘、ウルスラの事をふと思い描く
この数年来、彼女は妻の実家にほぼ預けたままで暮らしていた
軍務で昼夜を問わず働いているのも大きかったが、国家保安省の目から守るために隠していたのも事実
自分を執拗につけ狙ったクレムリンの茶坊主・シュミットの死
それを持っても、未だ恐怖心が拭えない
今回の作戦は、是が非でも成功させねばなるまい
地上に残る最後のハイヴとはいえ、白ロシアの首都ミンスク
東欧の最前線ポーランドの目と鼻の先なのだ
唇亡歯寒の間柄である、東欧諸国へのBETA侵略……
今、まさに古のドイツ騎士団の姿と自身の立場を重ねる
蒙古の侵略軍にワールシュタットの戦場で打ち破られた後、その災禍に苦しめられた
遠い極東の日本では、勇敢な戦士達によって水際で侵略を防ぎ切ったと聞く
10万の軍勢を一度の海戦で消滅させた猛者
国力盛んなロシア帝国と相対しても、怯まず打ち破った
その彼等が、先次大戦の時と同じように我等に力添えをしてくれているのだ
あの頼もしいゼオライマーという、超兵器
木原という青年が、そのマシンを持って欧州に来なければどうであったろうか……
美しい山河や、満々と湛えるバルト海、今暮れようとしている夕日も拝む事すら出来なかったであろう
暫し感傷に浸っていると、車はポツダムに着いた
公用車から降りて、歩いていると声を掛けられた
振り向くとハイム少将であった
驚いた顔をして、此方の顔を伺う
「どうした、アルフレート」
盟友の滂沱の涙に、不安を感じた
「ふと、古の戦士たちを思い起こしていただけさ」
彼は懐中より、官給品のハンカチを取り出す
涙の溜まった目頭を、静かに押さえる
「貴様らしくないな……」
再び、ハンカチを懐中に入れる
「否定はしない……」
茶色い紙箱のタバコを差し出す
赤い線に白抜きの文字で『CASINO』と書かれた東ドイツ製の口付きタバコ
「気分転換に、一本吸うか」
タバコを抜き出し、吸い口を潰す
胸ポケットより紙マッチを取り出すと、火を点ける
目を瞑り、深く吸い込む
「作戦まで2か月を切ったのに、今更顔合わせとは……」
「呆れて、ものも言えんだろう」
ハイム少将は、紫煙を燻らせながら答える
「出征する兵士どころか、その父兄や妻迄心配しているほどだ」
彼は、男の横顔を見る
「急にどうしたのだ」
男は苦笑する
「ベルンハルトの妻が、参謀本部に来たのだ」
思わず絶句した
唖然とする彼を、尻目に続けた
「いや、驚いたよ……。
士官学校の制服の侭、参謀総長に直談判しようと来たのだからな」
右の親指と食指で、紫煙の立ち昇る煙草を唇より遠ざける
ゆっくりと吐き出しながら、深く呼吸をする
「詳しく聞かせてくれないか」
「良かろう」
そう言うと、男は数時間前の出来事を語り始めた
朝より雨の降りしきるポツダムの参謀本部に一人の士官候補生が尋ねた
婦人兵用の雨衣外套を着て、衛兵と言い合いになっている人物がいる
執務室で、今後の作戦計画を練っているときに従卒がそう連絡してきたのだ
気分転換を兼ねて、彼が確認に行くことに成った
「しかし、連絡も無しに乗り付けるとは、どの様な人物なのかね」
彼は、脇を歩く従卒に尋ねた
「ベルンハルトと名乗っています」
思わず目を見開く
「例の『戦術機マフィア』の……」
「年は、18,9の娘ですが……」
深い溜息をつく
奴の妹であろうか……
幾ら議長の秘蔵っ子とは言え、つくづく先が思いやられる男だ
弟妹の扱いすら、満足に出来ぬとは……
「私が会って、諭して来る。
それと、同志ハイゼンベルクを呼べ」
従卒の方を振り向く
「大急ぎで、熱い茶と菓子を持ってくるように伝えてな」
彼は、ハンニバル大尉の愛人との噂の有るマライ・ハイゼンベルク少尉を呼び寄せた
若い娘と話す際には、年の近い彼女を呼んでおいたほうが良かろう
左目の下にある泣き黒子の魅力的な美女
左の泣き黒子は、一説によると情が深く、母性本能が強いという
その様な所に、ハンニバル大尉は惚れたのであろう
妻子の有る男の心の隙間に入り込む、魔性の女という見方も出来るかもしれない
そう考えながら、衛門へ進んだ
衛門に近づくと、女の話声と衛兵のやり取りが聞こえる
マント型の外套を羽織り、そちらへ足早に進む
「何度言ったら分かってくれるのかしら、私は参謀総長に話を聞きに来ただけ」
カーキ色の雨衣を着た衛兵が、目の前の婦人兵に丁寧に説明して居る
「困ります、同志ベルンハルト……。正式な書類が無ければ、御通しすることは出来ません」
件の婦人兵は、軍帽の縁から雨が零れ、漆黒の髪を濡らしている
白磁の様な透き通った肌色の顔が動き、宝玉のような赤い瞳で、此方を見る
「ブレーメ嬢……、如何したのだね」
思わず、言葉が飛び出した
その言葉を聞いた衛兵は、顔を動かさず返答した
「同志将軍、ご存じなのですか……」
幾ら雨衣を着ているからとはいっても、春先の冷たい雨……
風邪でも引いて返したら、どうした物か
彼は、一計を案じた
「彼女は、急用で招いた。別室に通しなさい」
空いている一室に招くと、タオルを渡し、髪を拭かせた
ストーブを点け、ハイゼンベルク少尉が持ってきた熱い茶を進める
灰皿を引き寄せると、タバコに火を点けた
「君らしくないではないか……、同志ブレーメ」
彼女は怪訝な表情を浮かべる
「失礼ですが、同志将軍。既にベルンハルトに嫁した身です」
ドイツに在って、姓は一般的に夫の姓を名乗る慣習があった
1794年に施行されたプロイセン一般ラント法は、婚姻した男女が夫の姓を名乗ることが定められた
1900年のドイツ帝国・民法典に在ってもその慣習を引き継いだ
家族姓は、夫の姓を名乗る事が義務付けられた
西ドイツで1976年に合同姓を名乗る事が法律で許可されたが、依然として9割以上が、家族姓で夫の姓を選んだ
社会主義下の東ドイツでも、そのプロイセン王国以来の慣習は尊重された
「それは、大変失礼な事をした……、では本題とやらを聞こうではないか」
ゆっくりとソファーへ腰を下ろし、彼女と対坐する
ハイゼンベルク少尉が急須より熱い茶を入れる
「既に、地上にあるハイヴはミンスクを除いて攻略済みと伺っております。
ミンスクハイヴ攻略の軍事的意義、政治的意義も理解している積りです。
この期に及んで、ソ連との友好関係を続ける必要があるのでしょうか」
紫煙を燻らせながら、応じた
「難しい問題だ……」
彼女は無言のまま、彼を見続けた
「君の父君の関係もあるから知っていよう。
国家保安省のシュミット保安少将はソ連との核密約を通じて、ソ連を引き込もうとしていた。
当人は核弾道弾で、ソ連をコントロールできると考えていたが、甘かった。
ソ連を引き込むと言う事は、ロシア人に全てを握られ、奴隷の暮らしに身を窶すことを意味する」
タバコを、灰皿に押し付ける
「我が国の産業構造上、石油、天然ガス、鉄鉱石、食料品……、あらゆる物資をソ連圏に依存してきた。
1973年のBETA飛来以後も、根本的な問題は解決していない」
彼女は、顔を上げる
「それに関しては私も長らく疑問には思っていました。
本当に西側社会に民主共和国を引き入れても、その構造を変えない限り、無理ではないかと……。
今のソ連圏への資源依存体制の維持、それはそれとして余りにも危殆が高すぎますので」
彼は、彼女の顔を見つめながら続けた
「方策は無いわけではない……、例えば、最新型の軽水炉型原子力発電所。
数基作れば電力事情は劇的に改善出来よう。
だが、それ以上は既に政治の問題だ」
そう話していると、ドアをノックする音が聞こえる
「入り給え」
入室を許可し、ハイゼンベルク少尉にドアを開けさせる
勤務服姿の軍曹が敬礼し、呼びかける
「同志将軍、参謀総長がお呼びです」
返礼すると、立ち上がって軍帽を掴む
「直ぐに向かう」
部屋を後にする軍曹を、見送りながら告げた
「同志ハイゼンベルク、着替えを用意してやったら車を手配しなさい。
適当な時間で返してやりなさい」
右手で、軍帽を被りながら答える
「電話をお貸しいただければ、迎えの物を呼びますから、そこまでの手数は結構です」
彼女はブレーメ家付の護衛を呼ぶつもりであった
幼い頃より、彼女の身辺警護をしていたヨハン・デュルク
彼もまた若い頃、国家人民軍に籍を置いた身であり、第40降下猟兵大隊で勤務した
特殊部隊の狙撃手として、名を馳せた彼ならば、迎えに来させても揉め事にはならぬであろう
その様に考えていたのだ
「では、夫君に宜しく頼むと言伝して置いてくれ」
そう言うと、部屋を後にした
一通り室内で、話を聞いていたシュトラハヴィッツは呆れ果てていた
愛する夫の為とは言え、参謀本部に乗り込むとは……
士官学校主席の地位を入学以来保っているとは聞くが、些か常識外れではないか
「なあ、このじゃじゃ馬、何処の部署が面倒見るんだ……。
第一戦車軍団では見切れんぞ」
彼は、額に右手を添えた
「下手に頭が良いからなあ、参謀本部で庶務か、通信課にでも放り込むしか有るまい」
紫煙を燻らせながら、男の問いに答える
「既婚者だから、正直扱いに困るだろう。一層の事、ハンニバルの情婦に投げるか」
「参謀本部で雑務をやってるが、確かにいい娘だ。
奴が心底から惚れ込むのも分かる気がする」
彼を、軽く睨む
「否定はしない」
その時、室内の電話がけたたましく鳴り響く
彼は、受話器を取ると黙って頷いていた
「こんな時間に……」
静かに受話器を置くと、深い溜息をつく
「情報部から連絡だ。
未確認ではあるが、ソ連船籍と思われるタンカー数隻がケーニヒスベルクより出港したらしい」
「ポーランドに、何かするつもりか」
彼は、頭を横に振る
「まだ分からん。そのまさかでは無い事を祈ろうではないか」
後書き
マライ・ハイゼンベルクは「シュヴァルツェス・マーケン」(以下、柴犬)の時点で、国家人民軍陸軍中尉ですが、年齢が明記されていなかったように記憶しています
「柴犬」の5年前ですが、本作に登場させました
ご意見、ご感想、よろしくお願いいたします
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