冥王来訪
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第二部 1978年
影の政府
熱砂の王 その1
前書き
1970年代と言えば中東危機なので、ちょっとばかり中東の小難しい話が出ます。
全世界の熱い視線は、ニューヨークの国連本部から中近東のアラビア半島北部に向けられた。
BETAの侵攻をすんでで防いだ聖地エルサレムは、再び不穏な空気に包まれる。
同一の神を信仰し、兄弟の関係にある三大宗教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教。
BETAの危機が去った今、固い結束を見せていた中近東の政治情勢は、分裂の兆しを見せ始めていた。
ここは、中東の小国レバノン。
地中海沿いに豊かな港を持つこの地は、数千年の古い歴史を有する。
古代フェニキア人がエジプトやギリシャとの交易をして、富を集めたこの地は、常に大国の影響を伺わざるを得なかった。
隣国アッシリアや、バビロニア、セレウコス朝シリアやローマ帝国の支配下に置かれた。
その際、多種多様な宗教や文化が流入し、アラブ人の支配を受けてもキリスト教文化が根強く残った。
この地の運命は19世紀のオスマン帝国衰退以降、変化を見せ始める。
中東の権益を狙う英仏や、ユダヤ人によるイスラエル国家の再建を願うシオニズム勢力によって、パレスチナに隣接するこの地域は、トルコやシリアより分割された。
戦時中の1943年、レバノンは、宗派対立という根深い問題を残したまま、フランスより独立を果たす。
首都ベイルートは、1958年のレバノン危機を乗り越え、石油取引や金融業を通じて、中東のパリと呼ばれる近代的な都市へと変化した。
しかし、ヨルダンを追放されたパレスチナ移民の流入により、レバノン情勢は不安定化した。
パレスチナ解放を掲げる極左暴力集団がレバノン国内南部に秘密基地を建設したことで、隣国イスラエルとの一触即発の事態が続いた。
1975年の武力衝突よりレバノン全土は、米ソとその影響下にあるシリア、イスラエルなどの各国の勢力が競い合う草刈り場となった。
しかし、この世界の辿った中近東の運命は、我々の知る歴史とは違う道をたどる事となる。
1973年のBETA侵攻の翌年、イランのマシュハドにハイヴが建設されると、数年の間にイラン全土を荒らし回った。
アラビア半島への侵攻を恐れた中東諸国は、中東最古の王室を擁するヨルダンや大国シリアの呼びかけもあって、聖戦連合軍を結成する。
エジプトのナセルやバース党の掲げてきた汎アラブ主義によるアラブ民族の結束という悲願が、BETAの危機を前にして、為されたのであった。
そして、この亡国の関頭に際して、思わぬ天祐が訪れる。
突如として現れた無敵のマシン、天のゼオライマーと、木原マサキという男の存在である。
重金属の雲の中より、降臨し、光線級のレーザーを浴びながらも、必殺のメイオウ攻撃で、一撃の下、ハイヴを灰燼に帰してしまった。
これにより、中近東の石油資源喪失と世界経済への損失拡大は免れた。
だが、それを良しとしない人間たちが居たのだ。
ソ連をはじめとする共産主義勢力であり、また国際金融資本の面々であった。
1973年のBETA戦争により結束をした中近東を分裂させ、紛争による漁夫の利を得るために、宗教的、民族的に不安定なレバノンが狙われたのだ。
中近東に関するソ連と国際金融資本の動きを察知したマサキは、単身、ゼオライマーで動く。
東ドイツに乗り込んで、ベルリンの共和国宮殿で、議長や政治局の幹部達と面会をしていた。
マサキは、開口一番、議長に向かって驚くべき発言をした。
「貴様の力を貸してほしい。中東の大国、シリアの大統領と連絡を取りたい」
マサキの無体な要求に、議長は凍り付いた。
会議室に居ならんでいる顔、顔、顔……のすべては、みな、にがりきってマサキを見すえていた。
無茶にも程がある。
シリアと友好関係がある東ドイツの議長に対して、こんなにまで無遠慮に頼み込む者がほかにあるだろうか。
幹部達は、マサキの正気をさえ疑って、ただあきれるのみだった。
このとき、ついにたまりかねたように、幹部のうちから、アベール・ブレーメが、
「君は、自分がしようとしている事が判っているのかね。
本当に、西側の人間とは思えないようなことをいうのだな」と、言った。いや叱った。
マサキは、ほんのこころもち、その体を、SED幹部たちのほうへ向けかえて。
「BETAの影響が薄まった今、西側の資本家の狙いは、中近東でのソ連の影響力を削ぐことにある。
アラブ民族主義で大分油田などを国有化されてしまったからな。
奴等はこのBETA戦争の復興の名目でアラビア半島に乗り込むのは必至」
そう言って、妖しく光る眼差しを議長に向けた。
1946年にフランスから独立したシリア共和国は、数度の政変の後、東側陣営に近づいた。
1950年代のスターリン時代の末期からソ連の親アラブ政策によって、資金援助を受け、社会主義政党のアラブ社会主義復興党(通称:バース党)が実権を握った。
東側陣営であるシリアは、対トルコ、対イスラエルの要として軍隊の近代化を図り、一定の影響力を持つ大国でもあった。
マサキは、パレスチナ・ゲリラを支援しているシリアに近づく姿勢を見せれば、必ずイスラエルが動くと踏んで、敢て東ドイツの首脳部に頼み込んだのだ。
だが、東ドイツ首脳部も馬鹿ではなかった。
前議長のホーネッカー時代に、KGBを通じてシュタージが、中東のテロ集団を支援していた事実が明るみに出れば、アベールが苦心して考えた経済開発の計画も、EC加盟の道筋も水泡に帰す恐れがあった。
「どちらにしても、中東におけるソ連の影響力を削ぐのに、まずエジプトか、シリアを西に引き込む必要がある。
西側資本による、シリアの経済開発が始まるのは時間の問題さ。
そうなると、中近東に植民地を持たない日米のどちらかが、金を出すことになる。
だから、俺もすこしばかり小銭稼ぎがしたくて、シリア大統領にアポを取りたくなったのさ」
憤懣遣る方無い表情のアベールを、じろりと睨み返したマサキは、意味ありげな哄笑する。
「フフフ、俺の頼みを、嫌とは言わせん。
貴様等が、ドレスデンでパレスチナ解放人民戦線の幹部を訓練していたことを俺は知っている。
KGBの命令で、シュタージが関わった国際テロ事件の全貌を、白日の下に晒してやる」
満面に喜色をたぎらせ、興奮する面持ちのアベールを嘲笑って見せた。
パレスチナ解放人民戦線とは、1967年に「パレスチナ解放機構」(PLO)の傘下として、パレスチナ・ゲリラ極左組織を統合して作った団体である。
シリアとレバノンに拠点を置き、暴力によってパレスチナ解放を進める極左テロ集団。
彼等の目的は、「破壊活動によってパレスチナ問題を世界の関心を集める」という過激な物であった。
ソ連KGBの支援を受けたテロリストによって引き起こされたエル・アル航空426便ハイジャック事件や同時ハイジャック事件が夙に有名であろう。
さすが議長も、カッと逆上するのではないかと、みな、目をこらして、議長を見まもっていた。
けれど、議長は、マサキの嘲笑を浴びると、自分も共に、その面に、うっすらと苦笑を持って、
「貴様……何故その様な事を」
「そんなに秘密が聞きたいのか……いいのか、俺の心ひとつでゼオライマーは自在に動かせる。
ベルリンの共和国宮殿はおろか、東ドイツを廃墟にすることも簡単だ。
そんな力を持つ、この俺を止めているのは、はかない少女の真情だけだと言う事を忘れるな」
「脅しているのかね」
「取引だ。そんなちゃちな革命野郎の件で、俺の夢を道草させるわけにはいかんからな」
マサキは、怯みもなく言った。
「まあ、よい。シュトラハヴィッツでもいい。
あの空軍出身のハーフィズ・アル=アサド大統領とコンタクトを取りたいと、シリアに伝えてくれ」
シュトラハヴィッツは、やや重たげに、マサキに返した
「俺も、アサド将軍とは知らぬ仲ではないが……」
その声は、低すぎるくらいで、声の表に感情は出ていなかった。
話は、1956年のスエズ動乱の頃にまでさかのぼる。
エジプトで、1952年に軍事クーデターで政権掌握した自由将校団は、親ソ容共思想を前面に押し出す団体であった。
1953年の革命以来、米軍からの武器援助を断られたエジプト軍は、チェコスロバキアから最新の自動小銃を、ソ連から最新鋭のジェット戦闘機の貸与と訓練を受けた。
当時、エジプトとの合邦を進めていたシリアも、また、1957年に訪ソ将校団を結成し、最新鋭ジェット戦闘機、MiG-17の操縦訓練を受けさせていた。
その折、若かりし頃のアサド空軍大尉は、ソ連でジェット戦闘機への機種転換訓練を受けた。
留学先のソ連で、高等士官の教育を受けていたシュトラハヴィッツと、知己を得たのである。
「さすが参謀本部作戦部長だけあって、顔が広いな。シュトラハヴィッツ。
じゃあ、帰らせてもらうぜ」
立ち去ろうとするマサキの事を、アベールは呼び止めた。
「待ち給え、それで、我等は何を得ようというのだね」
マサキは、満面の笑みで振り返り、
「俺が、東ドイツにラタキア経由で、シリア産原油の融通を聞かせるよう伝えてやるよ。
ロシア産の粗悪な石油より、中近東産の甘い原油の方が、質はずっと上だ」
甘い原油とは石油系硫黄化合物の割合の少ない原油の事である。
一応、ソ連国内でもバクー油田の石油は硫黄分が数百分の一と高品質であったが、ウラル・ボルガ地方の油田やシベリアの油田ではその割合は6パーセント近くあり、高度な精製技術が必要だった。
硫黄化合物の割合の多い石油は、化学的安定性や燃焼効率を低下させ、不快な臭いを放ち、エンジンの腐食の原因となる。
ガソリンでは、抗爆発性を低下させ、硫黄酸化物を放出して大気を汚染する原因になった。
通産官僚のアベールには、その話は魅力的だった。
ソ連製原油が手に入っているとはいえ、BETA戦争で、その割合は大幅に低下した。
西ドイツにも秘密裏に転売している分もあり、東ドイツ国内では、どうしても産業用の原油や石油が不足している。
そして一番の問題は西ドイツにも、東ドイツにも大規模な石油精製コンビナートを兼ね備えた港がないと言う事だった。
全てを海上輸送で賄う日本とは違い、石油パイプラインで融通していた東西ドイツにしてみれば湾港整備の方がかえって費用がかかる為であった。
「貴様等にも悪くない話であるまい」
と、告げると、足早に共和国宮殿を後にした。
マサキが、東ドイツを介して、シリアと接触した事は、すぐさまダマスカスに居る工作員を通じて、イスラエルに漏れ伝わった。
世にモサドとして知られる、防諜機関、イスラエル諜報特務庁は、同国の対アラブ政策の盾である。
元ナチス幹部の誘拐やシリア首脳部へのスパイ工作、要人暗殺などの荒々しい事をすることで有名であろう。
シリアとのコンタクトの件は、モサドを通じて、即座に情報省に照会が成された。
ニューヨークの総領事館に居た鎧衣は、本省の情報員と接触した後、動く。
国連総会出席の後、中東問題の交渉で訪米中だったイスラエル外相と接触を図る。
翌日、ブロンクスのファーストフード店に白銀と出かけていたマサキの所に、鎧衣が大童で現れ、
「木原君、急ぎで悪いが、ザ・ペニンシュラに行ってくれないか」
マサキは、食事する手を止めて。
「ほう、俺をそんな高級ホテルに呼ぶとは。ダンスパーティでもするのか」
「イスラエルの外相が会いたいそうだ」
鎧衣を振り向かずに、椅子から立ち上がって、
「フフフ、よかろう。制服に着替えたら、直ぐにでも行く」
ホテルの一室に着くと、そこには頭を綺麗に刈り上げ、左目に眼帯をした屈強な壮年の男がいた。
彼こそは、中東戦争でその名をはせた片目のモシェ・ダヤン、その人であった。
「おまたせしました」
深々と頭を下げた鎧衣をみるなり、ダヤン将軍は相好を崩した。
「ミスター鎧衣、お久しいですな。貴殿も随分逞しく成られましたな」
「ダヤン将軍、私的訪日の折、護衛を兼ねた通訳を務めさせて頂いて以来ですが、お変わりなく……」
マサキに向かって、ダヤン将軍は一礼をした後、
「挨拶は抜きにして、話に入りましょう。
木原博士、シリアとの接触の狙いは何でしょうか。
シナイ半島の帰属問題ですか、我が国の核武装に関するうわさでしょうか……」
1978年当時、エジプトのシナイ半島は、第三次中東戦争の結果、イスラエルに占領された領土であった。
「シリアの件は、貴様等を呼び出す方便さ。
俺は、ゴラン高原の問題やエルサレム問題、シナイ半島の帰属などどうでもいい。
本当の狙いは、英国のユダヤ人男爵に話をつけたい。
その為に貴様を頼った。男爵は元情報将校と聞く。
モサドを通じてMI6との伝手を使えば、簡単に会えると聞いてな」
「男爵?」
不敵の笑みを湛えたマサキは、ドイツ語で、
「赤色表札」と短く答えた。
マサキのことばは、その場にいたすべての者の肺腑をドキッとさせたようだった。
「ユダヤ人男爵は、イスラエル建国の真の立役者。
オスマン・トルコ時代からパレスチナの農地を買い集めた大地主と連絡を取るのは、この俺では役不足でな……」
ダヤン将軍は、さすが何か、ただ事ならじと察したらしく、不安そうなまなざしでマサキを見つめていた。
「安心しろ。俺は、黒人もユダヤ人も差別はせん。
世界征服の暁には、等しく、この俺の奴隷になるのだから。ハハハハハ」
キョトンとするダヤンと鎧衣を後にして、マサキは美久の手を引っ張って帰ってしまった。
後書き
中近東のお話なので、へんにオリキャラ出すより史実の人物に頼りました。
その方が、読者の皆様も想像がしやすいと思いまして。
一応現実と混同することを避けるために、出てくる政治家や軍人は既に鬼籍に入られた方のみにしました。
ご意見、ご感想、よろしくお願いします。
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