絶撃の浜風
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02 マッドでサイコな女
(2020年1月20日 2021年1月8日 1月13日 執筆)
浜風は大淀に連れられ、演習場地下にある工廠に向かっていた
大淀の話によると、この後簡単な面接と身体検査を行い、問題がなければ午後に行われる【始まりの艤装展開】と実技研修を受ける事になるらしい
とはいえ、つい先程自分が艦娘である事を知らされたばかりの浜風にとっては、何もかもが唐突すぎて、正直、困惑するばかりだった
(2021年1月15日 執筆)
ただ、自分を引率してくれている人が大淀であった事は、浜風にとっては僥倖であった
罵声や理不尽なシゴキばかり浴びせてくる人間しか知らなかった浜風にとって、自分を気遣ってくれる大淀の人柄はとても新鮮で、ちょっとしたカルチャーショックであった
浜風にとって驚きだったのはそれだけではない
大淀は、これまで浜風が祖母から聞かされていなかった重大な事実を教えてくれた
二年前のあの日、両親を事故で亡くしたその時から、自分は艦娘として生まれ変わっていたという事実・・・・
そしてそれを今の今まで知らずに過ごしてきたという事が、何よりも浜風を驚かせた
しかも・・・・・
そう・・・・浜風は、第二世代以降の艦娘としては、史上最年少の五歳で覚醒した、希有な艦娘だったのである
両親がつけてくれた「濱乃」という名前さえ(名付け親は祖母である)、「浜風」という聞き慣れない名前に変えられてしまった・・・・
だがそれは、艦娘としての濱乃の艦名・・・・・・《浜風》こそが、本当の名前であることを知った事・・・・
加えて言うならば・・・・本来であれば艦娘は軍艦時代と、艦娘時代、そして人として過ごしてきた全ての記憶を有しているのが普通であること・・・・
そして・・・・浜風は、軍艦として・・・そして艦娘としての記憶を失っている事・・・・
理不尽に慣れている浜風であっても、今日初めて知った事実は、その小さな胸に受け止めるには、あまりにも大き過ぎた・・・・・・・はずだった
普通なら・・・
2021年1月18日 7月29日 執筆
地下工廠へ向かう階段を降りていくと、地下三階からは広大な空間が広がっていた
眼下には、某鎮守府所属全艦娘の艤装が収められている艤装格納ブースが見下ろせた
それはまるで敷き詰められた石畳のように、縦横に広がっていた
「・・・・すごい・・・・」
「これ、全部ここの艦娘の艤装なんですよ。壮観でしょう?」
「・・・ソウカン?」
「あぁ・・・ごめんなさい、とても広くて・・・なんかこう、すごいって感じですかね?」
「・・・うん・・・すごい・・・・」
眼下に広がる景観に圧倒され、浜風は少しばかりはしゃいでいた
日頃あの屋敷から出た事のなかった浜風にとって、鎮守府で見るもの全てが珍しかった
先程受けた衝撃的な事実など、もう忘れているかのように傍からは見えた
いや・・・・・
気にしていないはずがない・・・・・
日頃御婆様から受けている理不尽な仕打ちに押し潰されてしまわないように、浜風は自分の身に降りかかる出来事を、心で受け止める事をやめてしまっていただけだった・・・
本人は自覚していないが、浜風の心は・・・・歯車の欠けた時計のように、少しずつ何かが狂い始めていた・・・・
浜風は、今自分が置かれているこの状況を、さしたる動揺もせず冷静に観察していた。状況に対応するための情報を、無自覚に集めていた
それが、浜風の習い性になっていた
最初に浜風の目を引いたのは、やはり大淀の存在であった。浜風にとって、普段目にする事象との大きな相違点・・・・それが彼女だった
どうやらこの人は、自分が困惑している様子を見て気遣ってくれているらしかった。それは浜風にとっては、とても新鮮な体験だった
濱乃屋という、《閉ざされた》環境で育った浜風にとって、大人とは、理不尽で恐ろしいだけの存在だった
それが、あの屋敷を一歩出た途端、大淀のような優しい大人の女性に出逢ったのである
外の世界は・・・・ひょっとして濱乃屋とは違うのだろうか?
浜風にとって好意的に手を差し伸べているように映って見えるのは何故だろう?
浜風は、その幼い年とは不相応に賢かった。目の前で起こっている事象を、客観的に認識していた・・・・・
にもかかわらず、それを現実のものとして受け入れる事が出来なかった
それは・・・・浜風が知っているものとは、あまりにもかけ離れていた為、現実感がなかったのである
それでも、浜風にも一つだけわかる事がある
「・・・大淀さんは、やさしいです」
「・・えっ?・・・・・・えっ??・・・えと、何がでしょうか???」
突然振られた浜風の言葉の意味がわからず、大淀は思わず間抜けな返答をしてしまった
だが、それこそが浜風が大淀に抱いた印象であった
大淀は、普段はあまり感情をおもてに表さない
鎮守府内でも、事務的に仕事をこなすクールな艦娘で知られていた。大淀本人も、自分はそういう人間だと認識していた
そのせいか、自分の本質・・・在り方に無自覚だった
だが・・・
今回、浜風を迎えるに当たって、秘書官という立場上、色々と事情を知ってしまっていた
そのためか、浜風に対して本人も気付かないうちに感情移入してしまい、今の大淀は隙だらけだった
その結果、図らずも大淀という人となりが、まるでガラス箱のように透けて見えていた
そう・・・・大淀という人は、本質的には、やさしい人であった
「・・・濱乃・・・・・浜風は・・・大淀さんのこと・・・好きです・・・」
「・・えっ?・・あ、はい、ありがとうございます。」
突然目の前の幼い子供から向けられた好意に大淀は戸惑いつつも、何だか暖かい気持ちになっていた
大本営で特務機関付となり、紆余曲折を経て某鎮守府秘書官となってからというもの、大淀は日々の業務に忙殺されていた
上司だった前川と主計課勤めをしていた頃は、まだ穏やかな日々を過ごしていたような気がする・・・・
それだけに、素直に嬉しかった・・・・こういう気持ちになるのは、何だか久しぶりな気がする
だが、
「・・・浜風ね・・・・人に・・・やさしくされたの・・・・はじめて・・・・」
その言葉に、大淀は凍り付く
「・・・・はじめて・・・・・・・・え?」
それは・・・かわいい盛りの、まだ七歳になったばかりの子供が言う台詞ではなかった
あどけないその少女は、素直な気持ちを大淀に返しているだけだった
そこにはいささかの誇張や強がりなどなく、ただ事実のみを語る少女がいた
それは・・・裏を返せば、この二年間、人間らしい人と関わり合いを持ってこなかった言っているも同然だった
2021年1月19日執筆
《・・・・・・》
大淀は、言葉に詰まった
彼女が知っている《浜風》の事情・・・・
この二年間、濱乃屋の現当主は浜風がまだ幼子であることを理由に、鎮守府からの出頭要請を拒否していた
確かに、僅か五歳で就役したという事例は過去になく、普通に考えて、当主が懸念するのも無理からぬ事であった
そこで某提督は、当面の間浜風には演習等の戦闘行為には従事させず、他の艦娘との交流を通して少しずつ慣らしていく旨を通達していた
だが、半年が過ぎても、当主は頑として孫娘の出頭を拒否。本来ならば事前に受けなければならない定期検査や面談さえも突っぱねたため、鎮守府関係者の誰も、浜風を見た者がいないという有様であった
いくら子供とは言え、浜風は艦娘である。深海棲艦に唯一対抗出来るその存在自体が、人類にとって掛け替えのない貴重な戦力なのである。いち個人の主張や権利を容認していては、国防が立ち行かなくなる・・・
流石にこれは捨て置けぬと、大本営が重い腰を上げた
公安に働きかけ、浜風を取り巻く濱乃屋の内情調査に乗り出したのである
公安が調査を開始して二週間が過ぎた頃、この濱乃屋で起きている異常な事態が、徐々に明らかになりつつあった
調査の間、浜風は濱乃屋の敷地の外に一歩も出ていなかった。それどころか庭はおろか、エントランスやホールにすら、姿を見せなかった
少なくとも、宿泊客として潜入調査をした程度では、浜風に遭遇する事はなかった
五歳の子供が一切人目に触れない・・・・泣き声さえ聞こえる事はない・・・いくらなんでもこんなことは通常あり得ない
この位の年頃の子供は、自我の芽生えと共に、自身の存在を強烈にアピールするものである。大声を上げて騒いだり、暴れたり、泣いたり笑ったりするものだ
だが、ここ《濱乃屋》には、そのような気配が全く感じられなかった
このような場合、職業柄、公安職員はつい《最悪》の事態を想起してしまう・・・・
ひょっとして浜風は既に亡くなっているのではないかと懸念を持たれたとしても無理からぬ事であった
だが、地下格納庫の艤装ブースには浜風の艤装が厳然としてあった。艤装と艦娘とは一心同体・・・・
艦娘が絶命すれば、艤装も消えてなくなる・・・・
故に浜風がまだ生きて何処かにいるのは間違いなかった
理由はわからない・・・・が、濱乃屋では、徹底した浜風の隠蔽が行われていた・・・・それは間違いない
しかし・・・
公安としても、平時においてこれ以上の調査は法に抵触する部分が多く、潜入調査にも限界があり、情報収集は難航を極めた
深海棲艦出現から数えて70年・・・・この国では未だに悪しき慣習と法がまかり通っていた
他国ではあまりみられない、親権者の、あまりにも強い権限が、未だに提督や一部の艦娘たちを悩ませていたのである
かつて大東亜戦争の果てに海の藻屑と消えた大日本帝国海軍の軍艦たち・・・・その化身たる初代艦娘は突然、何の前触れもなく現世に現れた・・・
だが、第二世代以降の艦娘は生殖機能を有し、人とまぐわい、そして人の子としてこの世に生を受け、そして《人》から覚醒した
覚醒した艦娘は一部の例外を除き、その大半が《人》と、《艦娘》と、《軍艦》時代の記憶をその身に内包している
人から覚醒した艦娘は、人として過ごした日々の記憶に、艦時代と艦娘時代の記憶が割り込んでくる・・・・
そしてそれぞれの記憶が融和し、艦娘の人格が形成されていく・・・・
故に
彼女たちは、人の親から受けた情を持ちながら、軍艦時代の無念さと、艦娘時代の使命感を同時に持ち合わせているのが普通であった
第一世代の艦娘は、人ではない
あくまでも軍艦の化身である。故にUNEI神の加護の元、明石の手によってクローン体を形成する事が可能となった。最盛期には億を超える艦娘が地球上の全ての海域を哨戒していた時期さえあった
だが、人から生まれた第二世代以降の艦娘は建造による分身・・・クローン体の建造が出来ない・・・
一つの艦種に対し、それに対応し覚醒する艦娘はただ一人しかいないのである
一時の勢力を失い弱体化しているとはいえ、未だに深海棲艦は滅んではおらず、散発的ではあるが、その残党が襲撃してくることがある
にもかかわらず、この全地球の守りを、たかだか数百の艦娘で担わなければならない・・・・・それが第二世代以降の艦娘の置かれている状況であった
なればこそ、人は、彼女たちが人から艦娘へと覚醒した後も人権を継続的に認め、兵役に就く事と引き換えに手厚い保護をし、決して少なくない恩賞も付与してきた
未だ人類は、艦娘なしでは深海棲艦に太刀打ちできないが故の必然であった
だが、自分の娘が艦娘として戦場に赴くとなると、いささか話が違ってくるのが人の親の情というものである。そのような事を許容できる親は希であろう
第二世代と呼ばれる、最初に人から覚醒した艦娘の時代は、鎮守府に娘を差し出すなど以ての外と、法を盾になりふり構わず拒否する親が後を絶たなかった
なまじ人権を認めた事が、かえって艦娘の召集を困難にしてしまうとは、皮肉なものであった
それでも、親と子とは別人格であるという、ごく当たり前の考え方を持つ西欧諸国では、比較的早期に騒動が収束していた
現実問題として、艦娘なしで深海棲艦に対抗する術もない上に、何よりも艦娘自身が戦場に赴く事を由としている以上、最終的には認めるしかなかったのである。欧州の艦娘が、日本に比べその数が少なかった事も無関係ではないだろう
その一方、我が国ではそのような動きは殆ど見られなかった。日本人にありがちな、潜在的に子供を所有物と考えている親が、どの階層においても一定数いたため、未成年を理由に娘が兵役に就く事を拒否する親が大半を占めた
その結果は、悲惨の一言に尽きる
国防の担い手である艦娘を禄に招集出来ず、圧倒的戦力不足を露呈した我が国の不明をあざ笑うが如く、深海棲艦の残党が大挙して押し寄せてきたのである
これに対抗すべく各地から集結した艦娘たちはたったの8人・・・・最盛期に比べれば決して多くはない深海棲艦軍に対し、劣勢に追い込まれた
国はまだ鎮守府に所属していない艦娘に出撃要請を出すが、この状況にあって親たちは娘の兵役を拒否。結果、深海棲艦により日本近海の制海権を数年ぶりに失う事となり、我が国は再び孤立した
その間、民間人にも多数の死者が出て、8名の艦娘が力及ばず全て撃沈され、殉職した。外交・貿易手段を失った我が国の経済は急速に衰え、正に国家存亡の危機を迎えていた
2020年1月20日執筆
ここに至り、政府は非常事態宣言を発令、有事立法により、艦娘たちの親権を強制的に剥奪し国家へと移譲、その上で改めて艦娘たちに出撃要請を行った
要請に応じた艦娘(実際は全ての艦娘が要請に応じている)は縁の鎮守府へと配属され、順次戦場へと赴いた。結果深海棲艦軍は壊滅し、制海権を回復、復興への足がかりを掴んだ
問題はその後だった
実に馬鹿げた話であるが、親族たちの多くが、強制的に親権を取り上げた国家に対して訴訟を起こしたのである。訴状は不当に親権を剥奪し、娘を戦場へ送り込んだ事と、親権の返還に関する二点であった
裁判そのものは親族側に優位に運んでいたが、個人的な感情を優先して国を危うくしたとして、国民の多くがこれに反発。裁判の行方を巡り、世論を巻き込む大論争が全国規模で起こった
何より、当の艦娘たちが国側に付いた事が大きかった。必要以上に強すぎる親の権限が、国家を滅亡に導きかねないという事実を、多くの国民が認識せざるを得なくなったのである
当時の判決は、以下の通りであった
『そも、現代の艦娘が人から覚醒した存在であるとは言え、艦娘である事に変わりはない。艦娘とは、国家を守る軍艦の化身であり、一般国民の人権と同列に語るべきではない。
また、政府は深海棲艦の襲来という国難にあっても、艦娘親族側に対し出頭要請という穏当な手順を踏んでおり、それを拒否された為、国益を鑑みて強制的に親権を取り上げたものである。
しかもその後の艦娘たちへの出撃要請は艦娘たちの自由意志によって参加の可否がなされており、強制ではなかった。未成年とはいえ、有事における艦娘の決断は親子の情を越えた使命感から発するものであり、何人たりともこれを妨げる事は出来ない。
故に、政府が行った一連の行為は、国家として当然の対応であり、違法性はない。
しかしながら、突然我が娘を戦場へとかり出された親の心情は察してあまりあるものであり、非常事態宣言が解除された後、速やかに親権を返還するものとする。
ただし、艦娘本人の意思を尊重するものとする。』
非常事態宣言が解除されたのは、深海棲艦軍壊滅から数えて四年後であった
最初の年に艦娘の約半数が成人を迎え、更に四年後には全ての艦娘が成人してしまった為、この件についてはうやむやのうちに収束した
だが、これだけでは終わらなかった
多くの艦娘が兵役に就かないでいた開戦当初、少ない兵力で最後まで奮戦し殉職した艦娘たちの遺族が、すぐに要請に応じなかった艦娘の親族と、国を相手取り訴訟を起こした
訴状は言うまでもなかった
決して多くはなかった深海棲艦軍に対し、もし全ての艦娘が最初から兵役に就き、防衛線を展開していたならば、制海権を奪われ国の経済が破綻することもなければ、多くの国民や、僅か8名で深海棲艦軍に立ち向かった艦娘たちが、その命を散らす事はなかった。
また、国は艦娘の親族に配慮するあまり、招集に迅速かつ十分な対応努力を怠った。故にもし生きていれば、当然もらえたであろう報償額として、推定数億円を国に、賠償金を親族に要求する、というものであった。
この件は、双方の心に消えない傷跡を残した。我が子かわいさのあまり艦娘の義務である国防を放棄させた者たちが、率先して戦った艦娘達に図らずも守られる形となった。その彼女たちがその煽りを受け命を落とすという、極めて理不尽な構図であった
事実、全ての艦娘が戦場に赴いてから後に、殉職者が一人も出ていないのである。この点は強く追求され、人々は今後の事も勘案し、現実に目を向けざるを得なくなったのである
我が国は法治国家である。本来であれば、出頭拒否をした親族には法的責任を問う事は出来ない・・・・
しかし・・・・
極限状態において、国家は法ではなく治安の維持を優先する。この騒動は、通常の判決ではもはや収集がつかないところまで来ていたのである
それ程までに、人類は艦娘に依存していた・・・せざるを得なかったのである
判決は以下の通りであった
艦娘の出頭を拒否した親族には、通常法的責任を問う事は出来ない。しかしながら、極めて自己中心的な感情から艦娘の兵役を拒否した結果、国家国民や一部の艦娘に拭いきれない傷跡を残す結果となった事について、道義的、倫理的に著しく問題があったとし、超法規的措置として、親族には賠償金の支払い命令を、国には推定報奨金の支払いを命じた。
一応の決着がついた事により、騒動は沈静に向かった
だが、この裁判では、事の発端となった強すぎる親権の緩和についてはなおざりにされ、結局はなにも変わらなかった
ただ、一つの社会風潮として、艦娘の兵役拒否に親族が口を出す事は、その後の社会的制裁を考えるとなかなか難しくなった為、この手の問題は激減した
・・・・が、そういった社会風潮などおかまいなしに、というか、そういったものから隔絶された《社会》というものが、一部存在している。そして、浜風の実家も、そのうちの一つだった
浜風の両親が亡くなって、御婆様のところに引き取られてまもなく、某鎮守府の艤装格納ブースに甲型陽炎型13番艦の艤装が召喚された。そして程なく、濱乃屋当主の元へ、《浜風覚醒》の報が届いた
だが、当の本人が《浜風》としての記憶がないことに気付いた当主は、まだ5歳の幼子であることを理由に面談や検査のための出頭を拒否した
その後二年にわたり、濱乃家当主は法に抵触しない範囲で、可能な限り浜風の鎮守府赴任の障害として働きかけている
しかも、かつての事件のように親族が我が娘を戦場に送り出したくないという親の情からくるものではなく、単純に、息子が亡くなった事で、浜風に対して愛憎が裏返り、八つ当たりのはけ口にされているに過ぎなかった
それも相当に質の悪いものである事は、大淀も知っていた
一応は平時である現在、濱乃屋に対して強制捜査に超法規的措置を適用する事も出来ず、事実上これ以上は手が出せなかったのである
「大淀さんは・・・おかあさん・・・みたい・・・・やさしいです・・」
「・・・・っつ・・・」
大淀は、堪らずその場に泣き崩れてしまった
この、あまりにも不憫な幼子の言葉に、不覚にも感情を抑えられなくなっていた
こんな事は、初めてだった
それよりも浜風の方が大変だった
浜風は、大の大人が泣き出すのを見るのは初めてだった。しかも自分の発した言葉が原因らしいと思い、大変な事をしてしまったと、今までにない程に動揺していた
普通の人間の感情の営みを知らない浜風にとってみれば、それはその後一体何が起きるのかわからない未知の出来事であった・・・・
それは浜風にとって恐怖以外の何物でもなかった・・・・
「大淀さん、どうして泣いているの? 浜風がいけないの? 浜風、謝るから・・・・・・ごめんなさい、ごめんなさい、ごめ・・・・」
動揺してパニックに陥る浜風・・・・
大淀は、ふいに浜風を抱きしめたい衝動にかられる・・・・・
だが・・・そんなことをすれば、また浜風を怖がらせてしまうと気付き、思いとどまる
そして・・・・その手を・・・・ゆっくりと浜風の頬に触れた
「・・・違うの、浜風ちゃんは何も悪くないのよ・・・ごめんなさい、急に泣いたりして・・・びっくりさせてしまいましたね・・・・」
浜風は、大淀が何を言っているのか、また、どうして泣いているのか理解できなかった。だが、自分の為に泣いてくれているらしいという事だけは、何となく察していた
「・・・大淀さん、泣かないで・・・・・」
「・・・ええ、もう大丈夫ですよ・・・ありがとうございます」
「・・・・よかった・・・」
2021年1月21日執筆
実の所、自分に優しくしてくれた女性は、亡くなった母親以外に思いつかなかったため、そう言ったに過ぎなかった・・・・
とにかく、自分が何か酷い事を言って大淀を泣かせた訳ではないとわかり、ホッとしていた
そして、幾分冷静さを取り戻した浜風は、自分の置かれている立場を思い出していた
いずれにせよ、大淀がどうあろうと浜風にとっては何の意味も・・・関係もない事だった
ひとたびあの家に帰れば、またいつもの《日常》に戻らされるだけ・・・・
この二年の間に浜風が覚えた事・・・・それは、《あまり感情をゆらさない事》だった
感情を大きくゆさぶられると、心身共に疲弊する
そうなると、御婆様の要求に応える事が難しくなる
御婆様の機嫌を損ねると、食事にもありつけなくなる
それが・・・・浜風の《日常》だった・・・
そう、浜風が最も危惧しているのは、生命として最も原初の本能である、《飢え》なのである
21世紀も後半に差し掛かっているこの時代において、飢え死にを危惧している〈艦娘〉が存在していること事態、常軌を逸していた
そんな浜風だから、大淀が涙ながらに自分にやさしく語りかけてくれたとしても、別段何も感じてはいなかった
浜風が、大淀の想いに気付けるようになるまで、まだしばらく時間が必要だった
地下の艤装格納ブースを抜け、最奥にある工廠に訪れると、検査用の機材の調整を終え、一息ついている夕張の姿があった
「おつかれさまです、夕張さん。浜風ちゃんをお連れしました。」
「あ、うん、ありがと・・・・って・・・えっ?・・どうしたの大淀さん?」
夕張は、真っ赤に瞳を泣き腫らした大淀を見て驚いた
どんな時でも決して取り乱さず、淡々と職務をこなす・・・それが夕張の知っている大淀という艦娘であった
「・・・・・・・・・・・・・」
70年前のウェーク島攻略作戦の折、某鎮守府に合流していた金剛が、当時の提督に一目惚れし熱を上げていた次期があった
当時も秘書官を務めていた大淀は、いつも提督の傍にいるという理由だけで、何かにつけて金剛に絡まれていた
だが、抱きつかれようが罵倒されようが、大淀は顔色一つ変えずに淡々と事務的に金剛をあしらっていた
どんなに揺さぶりを掛けても一向にテンションの変わらない大淀に、
「Oh! Yodoにはミーも Hold Up デスネー!」
と、あの金剛が、最終的には観念して白旗を掲げる程であった
当時、某鎮守府で艤装の整備を担当していた夕張は、その時の事をよく憶えていた。業務連絡のやりとりも事務的で、大淀とはあまりコミュニケーションを交わした記憶がない
あの、知的でクールな大淀がこんな姿を人前に晒すなんてこと自体、普段の彼女を知る者なら、想像も出来ない事であった
「ううん、なんでもないのですよ。ちょっとセンチになっただけですから・・・」
「・・・センチって、いつの時代の言葉よソレ」
「私、古い女ですから・・・ふふっ」
「まぁ、そんな軽口を叩けるなら大丈夫そうね。もう準備は出来てるから。そっちの子が浜風ね」
正直、大淀が何故瞳を泣き腫らしていたのか気になるところではあった
・・・が、今日はあの、《浜風》のお披露目である。なので夕張の中でその事はすぐにどうでもよくなった
なにしろ、今では他にお目にかかる事が出来ない《遅れてやってきた最後の艦娘》、現存する唯一の第Ⅱ世代、それが浜風だったからである
夕張にとって、艦娘は研究と実験の対象でしかない・・・・いや、数年前まではそうだったかも知れない・・・・
ポーラとの出逢いが、ほんの少しだけ夕張に人間らしさを芽生えさせていた
とはいえ、やはり本質的には、夕張はマッドでサイコな女である事に変わりはなかった
彼女は、自らの欲望に忠実である
それは昔も今も変わらなかった
第Ⅱ世代以降の夕張は、機会がある毎に艦娘とその艤装を徹底的に解析しまくった
自らを被検体として、ヤバい実験も行った
あまりにヤバすぎて明石に破門され、第二海上護衛隊に左遷された事さえあった
だがその甲斐あってか、今や夕張にとって、全ての艦娘は丸裸も同然だった
唯一の例外、《浜風》を除いては・・・・
(2021年8月4日 ここまで大幅加筆修正)
「あの、はじめまして・・・浜・・風です・・・よろしくお願いします・・・」
「私がここ、技術研究開発工廠の統括責任者、夕張よ。よろしくね浜風。早速だけど、そこへかけてくれる? これからいくつか質問をするから、それに答えてちょうだい。いいかしら?」
「・・はい・・」
要件だけをたたみかけるように話す夕張の対応を、大淀ははらはらしながら見ていた。だが、大淀の心配を余所に、浜風は何事もなかったかのように落ち着いて席についた
「それじゃ、最初に確認しておきたいんだけど、あなたがここに来たって事は、深海棲艦と戦う覚悟は出来ているって事でいい? まだ子供とは言え、艦娘なんだから、その辺の所をはっきりさせておきたいの」
「・・・あの・・・・・」
「ん?・・何かしら?」
「・・・・シンカイセイカンって、何ですか?」
「・・・・・え・・・?」
「・・・?」
2021年1月22日執筆
「あ、あなた、深海棲艦よ!深海棲艦っ! 知らないわけないでしょ!!」
「・・・あの・・・ごめんなさい・・・浜風、知らなくて・・・」
俗世から隔絶され、軟禁生活を送っていた浜風は、人類共通の敵として誰もが知っているはずの深海棲艦の事さえ知らなかった
「夕張さん、ちょっと待って! 浜風ちゃんは、多分本当に知らないのですよ」
「大淀さん・・・・でも、そんな事ってある?」
「・・・ありうるんですよ、この子の家庭環境なら・・・」
大淀は、浜風に聞こえないように、小さく耳打ちをした。・・・が、その時浜風の肩が小さく動いた事に、二人は気付かなかった
「・・・まぁ・・詳しい事情は、後で教えて。続けるわね・・・浜風、深海棲艦というのは、わかりやすく言うと、人類の敵よ。私たち艦娘は、深海棲艦の脅威から世界を守る為に戦っているの・・・・ここまではいい?」
「・・・・はい・・・何となく・・・」
「よろしい。そしてそれはあなたも、なのよ、浜風。あなたも艦娘なのだから」
「・・・それって、浜風もしなきゃいけないの?」
「そうよ、その覚悟は・・・・って、ごめん、ちょっと性急すぎたわね」
「・・あの、それって、すぐに終わりますか? 早く帰れるなら、浜風、やってもいいです」
「早くって・・・あのね、これはとっても危険な事なの!もっとちゃんと考えて答えなさい!」
「・・・早く帰れるなら、やってもいいです・・・・」
「だからっ!」
「・・・早く帰れないなら、やらないです。もう、帰ってもいいですか?」
押し問答の末、浜風はこう言い切って話を打ち切った
この時の夕張はまだ気付いていなかった
恐らく浜風は、《やりなさい!》と命令すれば、渋々でも従ったに違いなかった
いつもの夕張だったなら、気付けたかも知れなかった・・・
《・・・お~い・・・七歳と聞いているのに、何だろうかこの感じ。素直かと思えば、妙に頑なな所もある・・・・どうにも掴み所のない子ね・・・》
「・・・・え~と・・・・大淀さん、これってどういう事か、教えてくれます?」
「・・・・事情は後で説明しますから、夕張さんはこの子の適正だけ見てもらえますか?」
「いや、こんなおかしな受け答えする子の適正なんて、どう見ればいいっての?」
「それは夕張さんの言い方に問題があると思いますよ? 何をそんなに焦っているのですか?」
「何をって・・・それは・・・・」
図星だった。一刻も早く浜風の検査と研修をやりたくて、面談を端折り、手っ取り早く切り上げようとしていたのである
「・・・・ごめん、私が悪かったわ。ちょっと舞い上がってたみたい。ここからはきちんとやるから、心配しないで」
夕張は頭の回転が早い
既に浜風が何やら訳ありの艦娘であること・・・・大淀が何やら含みを持たせている事に気付いていた
「でもさ、何で前もって訳ありだって言ってくれなかったの? 言ってくれれば話が早かったでしょうに?」
「・・・そうなんだけど、提督がね、出来れば先入観無しで夕張さんに見てもらいたかったみたいで・・・」
「・・・あぁ、そういう事・・・・・了解」
《・・・なるほどね、流石は『遅れてきた最後の第二世代』だけのことはあるわ》
などと一人合点し、気持ちを切り替える
「わかった。浜風の身も心も、この夕張さんが丸裸にしてあげるわっ!」
「だから、そういう言い方やめてくださいってば!!」
「ごめんごめん、ちょっと気合い入っちゃった!」
「本当にお願いしますね・・・もう・・」
心配そうに浜風の肩に手をそえる大淀の様子を見て、
《・・・随分と浜風に感情移入しているわね・・・今日の大淀は何だか面白いわ》
「んじゃ、浜風いい? 早く帰れるかどうかは、相手次第だから、その時になってみないと何とも言えないわね。だから約束は出来ない。どう?」
「・・えと、それじゃあ・・・遅くなる前に帰ってもいいですか?」
「う~ん、それは提督に聞いてみないと何とも言えないわね。あなたの希望は確認しておいてあげる」
「・・ありがとう・・ございます・・・」
「いいえ。 それよりも、どうしてそんなに早く帰りたいわけ?一応言わせてもらうけど、私たち艦娘は、深海棲艦からみんなの命を守る為に戦ってるワケ。それよりも大事なことってあるのかな?」
「・・・早く帰らないと、浜風・・・死んじゃうから・・・」
その穏やかでない浜風の発言に、流石の夕張も眉をひそめる
「・・・・どうして死んじゃうのかな? 教えてもらえる?」
「・・・お家の事は、言ってはダメだって、御婆様が・・・・だから言えません・・・」
《いやいや、それって言ってるのと同じだよね・・・ばばぁが元凶ってワケね・・・》
大人びているようで、こういう所は年齢相応だなと夕張は思う
「わかった。じゃあこの話は一端終わりね。それじゃあ、ええと・・・」
「・・・?」
「早く帰れれば、協力してくれるのね?」
「早く帰れるなら、やってもいいです。」
「わかった。それと、ねえ浜風・・・・深海棲艦から人々を守るのって、どう思う?」
「・・・?」
「あ~、ちょっと抽象的すぎたか・・・。深海棲艦から、守りたい人っているでしょう?そのために、ちょっと危険だけど、頑張って戦おうって思えるかな?」
「・・・あの・・・守りたい人は、いません。でも、やるなら頑張ります・・・」
「うそ・・・守りたい人いないの? 本当に?」
「・・・今は・・・いません・・・・」
「・・・う~ん、そこ、大事なんだけどなぁ・・・・困ったわねぇ・・・」
武勲艦「浜風」の、ステータスに計上されない資質・・・・・
浜風は、戦時下における人命救助でも名を馳せた艦であった
蒼龍、赤城、飛鷹、白露、武蔵、金剛、信濃、照川丸・・・・・
蒼々たる多くの僚艦たちの最後を看取り、砲弾の飛び交う戦場で、命がけでその乗員たちの救助にあたった
ガダルカナル島撤退で救助した人員を含めると、実に5000名にも及ぶ生命を救ってきたのである
これらの事実は、浜風の護衛艦としての重要な資質でもあった
《・・・艦時代の記憶がない事といい、これは何か意味があるのかしら?》
「・・・あの、夕張さん・・・」
「ん? 何かしら?」
「浜風ね、おうちの手伝いしてるの。お料理作ってるの・・・」
「そう、えらいわね・・・・・・それで?」
「浜風、お料理作るの嫌いなの・・・いっぱい怒られるし、叩かれるし、つらいの・・・味見もさせてもらえないからどんな味だか知らないしつまらないの・・・・でもね・・・」
「・・・お客さんがね、浜風の作ったお料理おいしいって言ってたのを聞いたの・・・だから・・・」
「だから・・・・・守りたい人はいないけど、浜風、頑張れると思うの・・・」
《・・・あ~、そういう事・・・・大淀が泣くわけだ・・・・》
《・・・・守ってあげたくなっちゃうじゃない!・・・・もうっ!》
不覚にも、夕張も目頭が熱くなるのを感じた。自分にまだこんな感情が残っているとは、正直意外だった
傍で見ていた大淀は、もう涙がぽろぽろ零れて止まらなくなっていた
《大淀って、こんなにも涙もろい人だったんだ・・・いいもの見れたわ》
《・・・それにしても・・・不憫だわ、この子・・・・・・・てゆうか、貴重な第Ⅱ世代に何て事するのかしら、この子のババァは!》
(2021年12月25日 加筆)
つい、本音が頭をよぎる・・・・何故このような家庭環境において覚醒したのかはわからないが、下手をしたら浜風と邂逅を果たせなかった可能性がある・・・・
夕張からしてみれば、とんでもない話であった
艦娘は、人知を超えた存在である
第一世代の・・・・・つまり最初にこの世に現れた艦娘は、文字通り人ではない。その多くが旧大日本帝国海軍属の軍艦の化身である
人を・・・・この世界を・・・・・深海棲艦から守るという、崇高な使命に準ずる高位の存在であった
だが、第二世代以降の艦娘は、人から生まれ、ランダムに覚醒する・・・・・・元は人間なのである
故に、その生まれ育った環境の影響を少なからず受ける・・・・・純粋な艦娘である第一世代と比べると・・・・・・言い方は悪いが、人の手で汚された存在でもあった
艦娘として覚醒したからと言って、必ずしもその適性があるとは限らない・・・・
その確率は極めて低いものの、人類には到底太刀打ちできない驚異的なその力を、私欲のために振い、最悪、人に向け行使するものが現れないとも限らない・・・・
いや・・・・・一般には秘匿されているが、実際にそのような事例が欧州で起こっていた
人としての側面・・・・人の心を持ってしまったが故に、諸刃の剣のような存在になってしまった・・・・・それが、第二世代以降の艦娘の現実であった
そういったリスクを水際で阻止する為に、人として・・・・艦娘としてその使命に準ずるだけの倫理観と強い心がなければ、艦娘としての能力を解放するための儀式、【始まりの艤装展開】を受ける事が出来なかった
そして、某鎮守府においては、その成否判定という重要な役割を担っていたのが夕張だったのである
何故、夕張なのか? マッドサイエンティストと囁かれる、ある意味人間らしさとは対極な存在である彼女が、艦娘の倫理観の度合いを判定する立場に置かれているのか?
それは、彼女が自分を含めた艦娘に対し、同情や憐みなどの感情を、然程抱いていないからであった
元より生粋の技術者である夕張は、目の前の事実を客観的に評価、分析する事にかけては右に出るものがいない程であった。そして適正に欠ける者に対する成否判定には一切の感情移入や手心などなくバッサリと切り捨てる・・・・少なくとも、先代の提督以降の適性検査における夕張の裁定はそうであった
だが・・・・・
《成程ね・・・まぁ、劣悪な環境で育っている事を鑑みると、この子は十分まともに育ってると言えるわね・・・・でも、この子の行動原理には不可解な点がある・・・そこはもっと掘り下げる必要はあるけど・・・・・・・・・・まぁ、合格かな》
実の所、この【浜風】の裁定に限って言えば、夕張は初めから落とす気など更々なかったのである。夕張にとって、浜風は貴重な第二世代、《研究材料》だから、と夕張本人はそう自認していたのだが・・・・・・
夕張自身は自覚していなかったのだが、彼女はポーラと出逢い、毎日のように世話を焼き続けている内にすっかり人間らしい感情に目覚めてしまっていた。浜風に合格判定を下したのも、直観的にこの子を放ってはおけないと感じたからに他ならなかった
「浜風、面談はこれで終了です。この後15分休憩してから、身体検査をするから時間になったらここで待ってて。大淀さんは、ちょっといい?」
「・・・あの・・・」
「ん? まだ何かあった?」
「・・・どこか、お水の出るとこありませんか? 浜風、喉が渇いたので・・・・」
「あぁ、そこにドリンクバーがあるから使って」
「あの・・・浜風、お金持ってないので・・・・」
「ソレ、タダだから大丈夫よ。てか、お財布忘れたの?」
「・・・お財布は持ってません・・」
「・・・? まぁいいわ。ソレ、好きなの飲んでいいから」
「はい・・・ありがとうございます・・・」
「あんた、まだ子供なんだから、そんなにかしこまらなくたっていいのよ?」
「・・・はい・・・」
《・・・忘れた、じゃなくて、《持ってない》ねえ・・・・はぁ~、まったく!》
7歳の子供を付き添いも付けずに知らない場所に放置して、財布すら持たせていないとは・・・・一体、この子の祖母はどんだけ屑野郎なんだろうと、夕張は思わずにいられなかった
「・・・オレンジジュース・・・ これ・・・本当に飲んでいいの?」
ほんの少しだけ、やっと子供らしい顔を見せた浜風に・・・夕張は少しだけホッとしていた
「・・・いいわよ。おかわり自由だし、他のも飲んでいいから」
「・・・ありがとうございます・・・・すごい・・・」
「・・・そんなにうれしいの?」
「・・・だって・・・前におかあさんと一緒に飲んだことあるの・・・美味しかったの・・・」
「・・・・そう・・・・それは、よかったわね・・・」
「あのね、お外にはいろんな種類のジュースがあるんだって。給仕長が言ってたの」
「お外?」
2021年1月29日執筆
最初は変な言い回しをする子だな、と思っていた夕張だったが、ここまで振り返ってみると、浜風の言葉はおおよそ正鵠を射ている
この子はありのままの事実を口にしているだけなのだろう。つまり・・・・・・
「・・・この子、これまで本家の敷地の外に出た事がなかったんですよ・・・だから・・」
大淀がぽつりと呟く
「・・・・えっと・・・・それってつまり、ババァが外に出さなかったって事?」
「・・・ええ・・・そもそも、あの一帯は濱乃屋の敷地ですから・・・民家もありませんし・・・あの街の人は誰も浜風の事は知らないんじゃないでしょうか・・・」
「呆れた・・・完全に児童虐待じゃない!」
「それと・・・浜風ちゃん、自分が艦娘だって事、私が伝えるまで知りませんでした。無論、今日ここに何の為に来させられたのかも、全く知らなくて、大分困惑してましたね・・・」
「・・・マジですかそれ?」
「浜風ちゃんの祖母は、中々に聡い人物のようですね。この子が過去の記憶を持っていないとかなり早い段階で気付いていたようでして」
「・・・で、この子にはその事実を教えなかったと? 何の為に?」
「さぁ、そこまではご本人に伺ってみないと本当のところはわかりませんけれども・・・」
「まぁ、何となく察しはつくけどね・・・浜風が自分の事を艦娘だと知ったら、どこかの段階でやり返されるとでも思ったんじゃない? 絶対逆らえないように教育してたんでしょ、多分・・・・」
流石の夕張も、自分の語気が徐々に荒くなっていくのを感じていた
「・・・ただ、この方の息子さん、浜風ちゃんのお父様が事故で亡くなってから、態度が豹変したようですね。それ以前は、多少厳しいところはあっても、大分目にかけていたようですし」
「・・・なるほどね。それにしても、大淀さんやけに詳しいわね?」
「浜風ちゃんの動向は、大分前から公安経由で伝わってきてましたから。人目に付くところに出さないから、調査は難航したようですけど」
「とにかく、めんどくさいババァが保護者になってるって事ね・・・了解。 ところで、提督はこの件についてどうするつもりなワケ?」
「私もそうですけど・・・できれば、ここの鎮守府で引き取りたいみたいです。でも、現状あの子を引き取れるだけの法的材料が不足しているので、難航しています」
「まぁ、そこら辺はあなたたちにお願いするしかないわね?」
「先方が何かやらかしてくれると、こちらも動きやすいんですが・・・・」
「何かやらかした時って・・・・間違っても浜風に何かあったなんて事にならないようにしてよね!」
「・・・ええ、わかっています・・・」
「私、ちょっとあの子が気に入ったみたい。うんと肩入れするけどいい?」
「立場的には賛同しかねますけど、私個人としては、是非そうしていただけるとうれしいです」
「・・・まぁ、悪いようにはしないわよ・・・多分・・・」
「それじゃ、私は執務がありますので、あとは宜しくお願いします」
そういうと、大淀は工廠を後にした。後ろ髪引かれるのか、何度かこちらを振り返っていた
「・・・まったく・・・・浜風が心配なら執務を誰かに代わってもらえばいいのに・・・」
大淀も難儀な性格だな・・・・と、夕張はそう思った
(2021年5月21日 加筆)
「・・・あの・・・15分経ちました・・・」
ジュースを飲み終えて幾分落ち着いたのか、ほんのりと笑みを浮かべた浜風がそこにいた。こういう子供らしい姿は、かわいらしくて夕張をほっこりした気持ちにさせた。だが、そんな態度や素振りはおくびにも出さなかった
「あぁ、もう時間ね。 こっちへ来て、ここに座って!」
休憩を終えた浜風は、夕張に連れられ工廠のテストベンチに座らせられた。これは、艤装を使わずにステータスを調べる事が出来る、夕張オリジナルの計測器である。〈始まりの艤装展開〉を受ける前の艦娘は、ここでステータスを計測し、オリジナルデータと比較し、異常がないか確認するのである
原則として、初期ステータスの計測は義務化されてはいるが強制ではない。ただ、過去の記憶がない艦娘の中には、時折ステータスに変動が見られるケースが数件確認されている。艤装の調整や、研修の方向性を決めていく関係上、浜風の初期ステータスは計測される運びとなった
もっとも、そういう事情があろうがなかろうが、夕張は浜風を徹底解析するつもりであったのだが
浜風オリジナル(Lv1)のステータスと、現在の浜風とのステータス評価は以下の通りである
スロット 2
オリジナル 現行浜風
HP 10 7
耐久 16 12
装甲 6 4
回避 44 47
搭載 0 0
速力 高速 高速
射程 短 短
火力 10 8
雷装 24 22
対空 13 14
対潜 24 24
索敵 6 8
運 15 8
燃料 15 12
弾薬 20 17
「・・・・何これ・・・軒並みステータスが下がってるじゃない!」
流石の夕張も、この結果は想定外であった
浜風のステータス計測の結果、体力やパワーに関するステータスは軒並みオリジナルを下回っていた。特にHP、耐久、装甲の落ち込みがかなり顕著であった。耐久は神風型と、そして装甲は海防艦と同等にまで下がっており、もはや陽炎型とはとても言えない水準であった
そして15もあるはずの運が僅かに8しかなく、浜風ならではの重要な武勲補正の一つがが失われていた(因みにパワーがない分燃費は向上している)
ただ、対潜値は据え置きで、武勲艦浜風の生命線である回避、対空、索敵は上回っており、オリジナルよりも、よりピーキーな特性となっていた。完全に護衛に特化した存在とは言えた・・・・しかし・・・・
「・・・確かに、対空と索敵が1から2伸びているのは大きいけど、それでも失ったものが大きすぎる・・・・これじゃあ《防空海防艦》だわ・・・。」
索敵や対空が高いという事は、防空艦として随伴させる価値が高まるものの、流石に海防艦並の紙装甲では、いかに回避が3伸びているとはいえ、早々に戦線離脱になりやすく、作戦行動の継続性という点で考えると、いかにも脆弱すぎた。それならせめて、秋月型クラスの防空能力があればよかったのだが、Lv1で装備込みで対空値100を超えるのがザラな彼女達とは、比較にもならなかった
つまり、現状浜風の使いどころは、はっきり言って難しいと言わざるを得なかった
《・・・ネガティブ要素が大きすぎて、正直どうにもならないわね・・・・》
長年待ち焦がれていた浜風のステータスが思いの他悪かったため、夕張としては落胆を隠せなかった
テンションだだ下がりの夕張であったが、そこはリアリストの彼女である。まだ身体測定と裏ステータスの発見と検証が残っている。諦めるにはまだ早かった
「浜風! こっちへいらっしゃい。身体測定をするから、これに着替えて」
「・・はい・・」
「・・・てゆーか、何で制服着て来なかったの? 支給されてるでしょ?」
「・・・?」
「・・・あぁ、聞かされてなかったのね・・・・まったく・・・」
よく見ると、浜風は灰色の、もう大分くたびれたスウェット姿で来ていた。かわいい盛りの幼女にさせる服装ではない。ここまでくると、もう悪意以外の何物でもなかった
そして・・・
言われるままにこちらに来て服を脱ぎ始める浜風。何気なくその様子を見ていた夕張だが、途中で、自分の目を疑った。粗末な長袖のスウェットを脱いだその下から、ガラガラに痩せ細った四肢と、仄かに肋が浮き出た胸が露わになる
「・・・えっ・・・ちょっ・・・!! 何これ・・・・・・・ひどい・・・っ!!」
夕張はすぐに大鯨に連絡を入れ、至急工廠まで来るように伝えた。彼女はこの鎮守府の嘱託医である
程なくして大鯨がやってきた。彼女は浜風の姿を見るなり、眉を潜めた。そしてすぐに満面の笑顔になり、やさしく浜風に話しかけた
「こんにちは、浜風ちゃん。 私はこの鎮守府でお医者さんをしている大鯨です。よろしくね?」
「・・・こんにちは・・・タイゲイさん・・・・・・あの、誰か病気なんですか?」
「ううん、これから浜風ちゃんの身体検査だから、私が呼ばれたの。ちょっと見させてね?」
「・・・はい・・・よろしくおねがいします・・・」
「あら、どうもご丁寧に・・・」
大鯨は、終始笑顔で問診しながら体の状態を調べた。そして・・・
(2021年6月21日 大幅加筆修正)
「浜風ちゃん、少しお風邪を引きかけているみたいなので、ちょっとお薬飲んでおきましょうね。それと、念のために点滴をしておきますね」
「・・・浜風・・・病気・・・なの?」
「ただの風邪ですよ。でも、大事な検査の前だから、大事を取って・・・ね?」
「・・・・はい・・・・」
大鯨は、浜風にクッキー状の経口栄養剤を食べさせ、その間に点滴の準備をする
「・・・甘い・・・このお薬、おいしい・・・」
「・・・ゆっくりよく噛んで食べてね・・・慌てないで・・」
「・・はい・・・」
栄養剤の摂取後、疲れていたのか浜風はうつらうつらし始めたため、大鯨は浜風を抱いてベッドに横にならせた。そのまますやすやと寝息を立てて眠ってしまったため、そのまま高カロリー輸液による点滴を施した
大鯨は、浜風が寝付いたのを見計らって、ようやく口を開いた
「浜風ちゃんなんですけど、お察しの通り、末期の栄養失調状態にありますね・・・・死にかけてます・・・」
「・・末期!? だって、あの子ちゃんと歩いて・・・・」
「・・・それは浜風ちゃんが《艦娘》だからですよ。人間のままだったら、大分前に亡くなっているはずです・・・・」
「・・・・そんな・・・!?・・・・あぁ、だからスウェットか・・・あの体を隠すためか・・・道理で制服を着せなかったわけね・・・・」
「・・・体中から、飢餓浮腫の傾向が見られます・・・でも、艦娘だから、無意識に浸透圧を制御して、何とか生きている状態です。
それと、
手足の筋肉が、見た目はあんなに痩せ細ってますけど、かなり鍛えられています。あんな栄養状態で、どれだけ酷使されていたのか・・・・・」
流石の夕張も言葉が出なかった。自他ともに認めるマッドサイエンティストの彼女であっても、子供をいたぶる趣味はない・・・夕張から見ても、浜風は愛らしい少女だった・・・それを、どうしてこんな酷い事が出来るのか・・・・祖母とやらの正気を疑った
「・・・夕張さん、あの子のステータス、異常がありませんでしたか?」
「・・・体力とか、パワー系のステータスが軒並み落ち込んでいたわ・・・・あと、運も半分くらいになってた・・・」
「・・・・生命を維持する為に、ステータスを削ったんですね・・・・。それでも足りなくて、運も大分すり減らしたのでしょうね・・・」
「・・・・なんてこと・・・・」
流石の夕張も、あまりの事に涙が零れそうになった。大鯨に来てもらって、本当に良かった。的確に浜風の状態を診断してくれていた
《・・・・的確に・・・?・・・・・・え?・・》
何かが夕張の中で引っかかった
「・・あの、大鯨さん、浜風のステータスなんですけど、回避に、防空と索敵が逆に増えてたんですけど、これってどういう事かわかる?」
「・・・増えた・・・んですか・・・?・・・」
それを聞いて大鯨は考え込む
「・・・防空・・・・索敵・・・・・・・・あぁ・・・・そういう・・・・」
何かに合点したのか、大鯨がゆっくり口を開く
「・・・普通なら、どのステータスも減るはずなんです、普通なら・・・・でも・・・・」
「・・増えたっていう事は、それは・・・・その三つは、どうしても減らすわけにはいかなかったんだと思います・・・・・」
「・・浜風ちゃんが置かれている状況で、どうしても減らせない・・・むしろ高めなければならなかった回避に防空と索敵・・・・・どういう事か、想像してみて下さい・・・・」
大鯨の言いように、夕張はすごく不快なモノが込められているような気がすると感じる・・・そういえば、今日浜風が妙な事を言っていたような気がする・・・・アレは確か・・・・・
《・・・早く帰らないと、浜風・・・〇んじゃうから・・・》
「・・・・・あ・・・!」
《・・あれは・・・言葉通りの意味だったんだ・・・つまり・・・》
そう、浜風の生命維持を危うくするような《何か》が、恐らくは背後から音もなく、ふいに飛んでくる・・・・としたら!?
・・・・例えば・・・・刃物・・・・とか・・・・・・・
夕張は、背筋が凍る思いがした
信じられなかった。実の孫娘の命を奪いかねないような事をする祖母がいるとは・・・
浜風は、ろくに食べさせてもらえない環境で、いつ命を落とすとも限らない修羅の国で日々を過ごしているんだ・・・・
《だから、回避、防空と索敵は、どうしても削れなかった》
・・・という事、なのだろう・・・・・か・・・・そんなことが・・・・
(2021年6月21日 執筆)
「・・・夕張さん、提督はこの事・・・・」
「・・・知ってるみたい。この鎮守府で浜風を引き取れるよう動いてるらしいけど・・・」
「・・・うまくいってないんですね・・・親権問題って、本当に厄介ですよね・・・・今更ながら、人間って本当に面倒ですね・・・」
「ね、大鯨さん、あなたが浜風の診断書を書いて、それで何とかならない?」
大鯨は、少し考えてゆっくり答える
「・・・多分、無理でしょうね・・・提督が・・・鎮守府が動いているのに難航しているという事は、浜風ちゃん自身が虐待の事実を否定しているのだと思います」
「浜風が!?・・・どうしてっ?」
「子供にとって親は絶対なんです・・・逆らえるわけないですよ・・・本当の事なんて、言えるわけありません」
「・・へぇ・・・そういう・・・ものなんだ・・・・」
「・・・夕張さんて、そういうの無縁ぽいですよね、親御さんの心中お察しします・・・」
「ちょ、私を親不孝者みたいに言わないでくださいよっ!」
「・・・え・・・・違うんですか?」
「違いますってばぁ~!!!」
(2021年5月21日 執筆)
「夕張さん、浜風ちゃんが目を覚ましたら、とりあえず身体測定の方もしてみませんか?」
「・・・ええ、そうね、そうしましょう・・」
大鯨の言いたい事はわかっていた
身体能力にも、何かの兆候が見られるかも知れない・・・・そう思ったのであろう
「・・・・ん・・・・」
「目を覚ましたのかしら? 浜風ちゃん、起きられますか?」
「・・ん~・・・ん・・・・あふ・・・・・・」
「あらあら・・・・んもう・・・かわいいですね~」
大鯨は浜風をそっと抱き起こし、背中をさすった・・・掌に、浮き出た肋の感触が伝わるのが、痛々しかった
「・・・この子が鎮守府に訪れた時は、私も出来るだけ立ち会いますね・・・・リフィーディング症候群を起こさないよう、あまり沢山の食べ物は与えないようにして下さい・・・」
そういうと、大鯨は浜風をそっと抱きしめた
「うん・・・・わかってる・・・」
夕張は、口惜しかった
第Ⅱ世代以降、夕張は徹底して艦娘の解析をしてきた。その成果もあり、艦娘の身体構造、そのメカニズムも、ほぼ解明している。艤装とコア、そして艦娘との繋がり・・・・高速修復材の有用性・・・など・・・
高速修復材は、それらのメカニズムの解析の結果生み出されたものである。艤装とコアが無事ならば、艦娘の外傷は高速修復材で瞬時に直す事が出来る
だが、飢餓は別だった
人と交わる事によって生まれる第Ⅱ世代以降の艦娘は、元は人である。故に第Ⅰ世代にはなかった概念、飢餓が存在する。存在はするが、常識的に考えて現代の艦娘がそのような状況に陥る可能性は通常あり得ない
故に、深刻なエネルギー不足を解消する手立てを、夕張も、明石も、これまで研究してこなかった・・・・いや、そのような可能性を想定もしていなければ気付きさえしなかった
《高速修復材は外傷は直せても、深刻なエネルギー不足を解消する事は出来ない・・・・私の・・・見識が甘かった・・・・》
先程の大鯨の言葉通り、急速なエネルギーの補充はリフィーディング症候群を引き起こし、最悪死に至る危険性がある。単純に補給すればいいという問題ではなかった
・・・だが・・・
《・・・なんとかする・・・いや、してみせる!・・・この夕張が・・・!》
大鯨の胸の中でむずかっていた浜風は、やわらかくて暖かいぬくもりの中でまどろんでいた。ほんの一時のやすらぎであった
「・・・・・あ・・・浜風・・・眠ってたの?」
瞼を擦りながら、浜風は目を覚ます
「ええ、よく眠ってましたよ? うふ」
そう言うと、大鯨は浜風の髪をやさしく撫でる
「・・・・ごめんなさい・・・」
「いいんですよ。お眠なのも、子供の仕事なんですから」
「・・・そう・・・なの?」
「ええ、お医者さんの私が言うのですから、間違いありません」
「・・・うん・・・」
「それじゃ、浜風ちゃん・・・身体測定をしましょうね?」
「・・・はい・・・・」
夕張は浜風を呼び、身長や体重、握力、背筋、視力、聴力などの計測を行った。浜風の体力を考え、今回は検査項目を最小限に留めた
そして・・・・
測定の結果、わかった事がいくつかあった
一つは、身長も体重も、オリジナルよりも一回りも二回りも小さく、少なかった。禄に栄養も取れずに酷使され続けていたためであろう。これについては一目でわかる事ではある
二つ目は、その貧相な体に似合わず、オリジナルと変わらぬ筋力を有している事であった。これは日頃から相当に酷使され続けていたためと思われた
三つ目は、聴力と視力が異様に優れていた事である
聴力に関して言えば、殆ど猫に近い聴力があった。これは、浜風の近くでひそひそ話をしても、ほぼ丸聞こえであることを意味する。既にレーダーに近い機能が、発現しつつあった
「あちゃ~、さっきの大淀との会話、多分聞かれてたわね・・・・」
「すごいですね、これなら音だけで周りの状況がかなり掴めますよ。」
「・・・艦娘の体に、こんな可能性が秘められているとは・・・皮肉なものね・・・」
夕張は、こんな能力を身につけざるを得なかった浜風の身の上を本当に不憫に感じていた。出来る事なら、今すぐ自分がこの子を引き取りたい位の衝動にかられていた
そして・・・・
何よりも驚くべきは、その《視力》の方であった
単純な視力だけでも、その異様さが現れていた。通常の視力検査板では浜風の視力を計測出来なかったため、夕張が以前作成してお蔵入りしていたデジタル表示式の検査板を使用してみたところ、なんと7.0を超えていた。それ以上の設定がなかったため、視力7.0以上としかわからなかった。マサイ族を遙かに超えた視力である事は間違いなかった
だが、本当に凄かったのは《動体視力》の方である
これも夕張お手製の《動体視力検査装置》である。こちらは艦娘の能力検査に有用であると判断されたため、新艦娘の身体測定で現在も使用中の機材である。検査機の接眼部を覗き込み、中で動き回るマーカーを目で追う動きをリアルタイムで計測し、能力判定をするシステムである
レベルの上限がLv.7まで設定されているが、最上限については、これまでは実際に使用された事はなかった
通常の艦娘でLv.4~5位が一般的で、索敵や射撃に優れた艦娘の中には、希にLv.6に到達するものがいる。某鎮守府ではただ一人、ポーラだけがそれに該当し、それが艦娘の能力の上限とされていた
ところが、である
浜風はこのLv.6のマーカーを目で追える二人目の艦娘となった。それもかなりの余裕を持って追っていた
夕張は、この事実に驚きつつ、ほんの戯れのつもりでマーカーをLv.7に設定して浜風にやらせてみた
やはり、というか、夕張の予想通り、浜風はマーカーの動きを目で追いきれなくなっていた。僅かずつ反応が遅れ、マーカーを捉えるポイントにズレが生じていた・・・・・
だが・・・・
浜風のアイポイントが、夕張の想定外の動きをはじめる
マーカーを追い切れず遅れたと思ったアイポイントが、マーカーの動きを先取りして待ち構えるような動きを見せ始めた。遅れては、先取りし、を繰り返し、その間隔が徐々に短くなってゆく
「・・・うそ・・・なんで・・?・・・・すごい・・・・だんだん、合い始めている?」
その間隔が殆どなくなり、点を結ぼうとした瞬間・・・・・
アイポイントが消失した。
「・・え?・・・・・なんで?・・・・・」
「夕張さんっ! 浜風ちゃんがっ!!」
「・・・あ・・・ちょっと、どうしたの!?」
浜風は、座席から崩れ落ちるように倒れていた・・・・
二人は浜風を抱き起こし、診察用のベッドに寝かせる。そして脈を取り、呼吸が正常に行われているか確認する
「大丈夫です。脈拍も正常ですし、呼吸の乱れもありません・・・・でも・・・・」
「・・・意識を・・・失ってる・・・どうして?」
(2021年5月22日 執筆)
二人は浜風の脳波を計測する
「・・・・フリーズ・・・してますね・・・・どういう事かわかりますか夕張さん?」
「・・・フリーズ・・・ですって?」
そういうと、夕張は黙り込んでしまった
「・・・あの、夕張さん?」
「・・・あ、ああ、ごめんなさい・・・・ちょっと、あまりの事に驚いちゃって・・・」
「・・・何か・・・わかったんですか?」
「ええ・・まぁ、わかったというよりは、あまりにわかりやすすぎて・・・・フリーズした原因ははっきりしてるから・・・・演算処理にリソースが追いつかなかったって、ただそれだけなんだけど・・・・」
「・・それが、何か問題なんですか?」
「あの子・・・さっきLv.7のマーカーを目で追いきれなくなってから、目で追うのをやめて、演算でマーカーの動きを予測していたのよ・・・・
Lv.7マーカーは物理法則を逸脱しない範囲で可能な限り追従不可能な動きを再現しているの・・・・それをあの子はもう少しで演算で捉えるところだった・・・・・
この子・・・・演算能力が尋常じゃない・・・第一機動部隊まるごと使っても演算出来ない仕様なのよコレ・・・・」
何故、そんな馬鹿げた設定を施したのかは言うまい。それが夕張という女だからとしか、言いようがなかった。だが、まさか第一機動部隊を超える演算能力を持つ艦娘、それも駆逐艦がいるとは、完全に夕張の想定の外にあった
「それって、すごい事じゃないですか! 浜風ちゃんも、これならちゃんと戦えますよね?」
色めき立つ大鯨とは裏腹に、夕張は浮かない様子であった
「・・・う~ん・・・ところが、そう簡単じゃないのよね・・・本来は演算能力とリソースとは対のモノだから・・・それに艦の規模と演算能力とリソースは比例関係にあるの・・・なのに浜風の演算能力は、本来駆逐艦が・・・・いや、艦娘が有する事が出来る規模を大きく超えている・・・・なのにリソースは駆逐艦と同等の器しかない・・・これでは演算処理の度にフリーズするのは避けられない・・・・まったく、どうしてこんな事に・・・・・」
ほとほと困り顔の夕張を、にこにこしながら大鯨は見ていた
「・・・・何?・・人が困ってるのに何笑ってるの?」
「うふん・・・だって、何とかしちゃうんでしょ? 夕張さん的には?」
「だ~か~ら~っ! そんな簡単じゃないんだってば!」
「ポーラさんの事は、何とかしたじゃないですか」
「・・・まだ継続中よ・・・終わってないし、終わりなんて多分ないもの・・・それに・・・」
「それに・・・ポーラの時とは状況がまるで違う・・・・浜風に関しては、やるべき事ははっきりしている・・・それだけにそれがどんなに難しいかもわかってしまう・・・」
「でも、やめたり、途中で諦めたりしないじゃないですか。浜風ちゃんは運が良かったですよね、夕張さんの目に止まるなんて・・・・・で、どうするんです?」
「とりあえず、2スロットに拡張ユニット入れて様子見かなぁ・・・あと、補強増設も開けちゃうかな・・・提督の許可がいるわね・・・」
「いえ、そうじゃなくて、今日の予定、どうするんですか?」
「今日はもう無理でしょ。どのみちリソースを確保しないと研修どころじゃないしね。それに、この事を提督に報告しないと」
「・・・ですね。私からも提督に口添えしておきますね。 それと、アレも何とかした方がいいかも知れませんね」
「アレって何?」
「もうっ! 浜風ちゃんの制服に決まってるじゃないですか! あの露出度の高い制服で、あの体をみんなの前に出す気ですか! 可哀想じゃないですか! 女の子なんですからっ!」
「・・・あぁ・・・確かに・・・ちょっと、マズいかも・・・どーしよ?」
「ねっ!? 私たちで浜風ちゃんの制服作ってあげません? 私、ちょっと考えがあるんですけど?」
「そおねぇ・・・あの子のコスチュームチェンジって、浴衣かエプロンしかないもんね・・・・話・・・聞こうじゃないの!」
「えへへ・・・実はですね・・・ごにょごにょ・・・・」
「ええ~~~~っ!? ちょっとそれはないんじゃない?」
「ぜぇ~~~~~ったい、かわいいですって! 手足も隠せるし、一石二鳥じゃないですか!」
「そおかなぁ?」
「私、ガーデニングで着ているの今持ってるんで、浜風ちゃんにちょっと着せてみません?」
「いやいや、大鯨さんのじゃ大きすぎでしょ。 てか、持ってるのかよ・・・」
「イメージを見てみるだけですよ! ね?」
「ん~~~~、まぁいいか・・・ちょっとだけ・・・」
気を失っている浜風で着せ替えごっこを始める大鯨と夕張であった
「・・・なっ!?・・・・おお~~っ! マジか!?」
「ねっ? かわいいでしょ?」
「・・・まさか・・・モンペがこんなに似合うとは・・・・マジかわいい・・・」
「じゃ、決まりですね! 私がデザインしますんで、夕張さんが製作とコスチューム登録、お願いしますね?」
「・・・これも提督の許可がいるわね・・・・・」
「そっちは私が説得しますので、任せて下さいっ!(ふんすっ!)」
《・・大鯨さんて、こ~ゆ~人だったんだ・・・(汗)》
(2021年6月3日 執筆)
「・・・そうか、浜風にそんな事が・・・」
夕張から、浜風に起きている異変について報告を受けた某提督は、ポーラや、海外遠征中の不知火の事を思い出していた
ポーラは、アルテミスの加護をその身に宿して生まれてきた。アンサルド社の協力の元で開発されたFase砲弾システムその他との組み合わせにより、ポーラの砲撃能力は神の領域に到達した
不知火は、いち駆逐艦という小さな器の中に、ステータス以外の全てが高濃度で詰め込まれたような艦娘だった。優れた戦闘センスに留まるところを知らない戦術的思考、どこまでも純粋で真っ直ぐな心と不屈の闘志・・・阿武隈に見出された事で、その才能を開花させていた
いずれも通常の艦娘の枠を大きく超えた、突然変異的な規格外の艦娘であった
だが、浜風の場合はいずれとも違う
そもそも、浜風は初代の没後、この70年の間ただの一度も覚醒していなかった。まるで艦娘として覚醒する事を拒むかのように・・・・。それが何故今頃になって、それも記憶を失い、そして僅か5歳の幼子の姿で現れたのか・・・・
両親を失い、更に追い打ちをかけるように唯一の肉親である祖母から、おおよそ2年間に渡り虐待を受け続け、その果てに多くのステータスを失い、そして極めてアンバランスな・・・これまで誰も得た事のないような、桁外れの演算能力を、図らずも手に入れてしまっていた
祖母の虐待がなければ、恐らくはこのような能力が発現する事はなかったであろう・・・だが、夕張からの報告を聞く限りでは、現状、浜風はこの強力な演算能力を生かせる器がない・・・・・
「一応、君にも言っておくけど、浜風の要望は受け入れられない。これは大本営の決定だ。無論、演習辞退も許可出来ない」
無下もない提督の言葉に、夕張は別段腹を立てる様子もなく、普通に質問を帰す。実際、浜風の要望は軍組織が容認できるようなものでもないし、ポーラや、不知火の件を通して、提督の人柄はわかっている
「じゃあ、どうするんです? 多分このままだと、浜風にしわ寄せが行く事になるけど?」
「うん・・・・どうも、大本営としてはそれが狙いのようだね。出来るだけ早い段階で浜風をこちらに引き入れたい意向のようだ・・・・因みに、この件に関しては赤城さん達の耳には入れたくない・・・らしい・・・」
「・・・でしょうね・・・・相変わらず発想が糞ですねあの人達は! 浜風の身にもなってほしいわっ!」
歯に衣着せぬ夕張らしい本音であった
「立場上、僕の口からはどうこうは言えない・・・・ポーラの面倒も見ている君には申し訳ないが、浜風の事は、君にお願いしたい。必要な手続きとか、他に何か入り用なら言って欲しい。あと、君が浜風に何をしているか、いちいち報告しなくてもいいから・・・・君の裁量に任せる」
《・・・・それって、私の好きにやれって事だよね・・・?》
いぶかしそうに提督の顔色を伺う夕張に対し、提督の斜め後ろで大淀がウインクしていた。恐らく大鯨から色々聞かされているのだろう
《・・・まったく、この二人は・・・・いい根性してるわ》
「言っておきますけど、本当に好きにさせてもらいますよ?」
「・・・よく聞こえなかった・・・・何か言ったか?」
「・・・いいえ・・・・・・・浜風の事、確かに任されました」
「ああ、宜しく頼む」
「では、早速お願いがあるんですけど、演算領域拡張ユニットの開発と、補強増設解放の許可を願います」
「拡張ユニットと・・・・あぁ、成る程・・・・いいだろう、許可しよう。他には?」
「浜風の初期装備を変更してもいいかしら? あと、コスチュームも変更したいんだけど?」
「かまわないよ。その辺は君に任せる」
「今から取りかかれば・・・そうですね、さしあたり明日のマルキュウマルマル時には《始まりの艤装展開》を受けられる程度には出来ます」
「助かる・・・では、明日のヒトマルマルマル時に、今日来れなかった清霜と一緒に受けさせるとしよう。問題は教導艦を誰にするかだが・・・・・」
「あぶぅが適任なんですけどね・・・・生憎北方海域に遠征中でいないから・・・・相変わらず間の悪い子だわホント」
「そうだな・・・・平賀整備長に立ち会ってもらうか・・・艤装展開と進水だけなら、彼に任せられる。それに彼は口が堅い。何も言わずとも、察してくれるだろう」
「あぁ、確かに! でも、あとで絶対何か言われますよ?」
「その辺はこっちでうまくやっておくから、君は気にせず進めてくれ」
「了解!」
浜風 03 始まりの艤装展開 に続く
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