絶撃の浜風
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01 プロローグ 濱乃の憂鬱
ーーーーー 某鎮守府、ロビーにて
「・・・はぁ・・・どうしよう、このままだとまた遅くなってしまうの・・・」
大人の女性たちに阻まれた電光掲示板、そこに表示される本日の演習の対戦表を見ようと、七歳になったばかりの幼いその少女は、その小さな体をせいいっぱい背伸びさせていた。
そして人込みの隙間から垣間見えた対戦表を見て、その少女「浜風」はため息交じりにそう呟いていた
彼女にとっては二度目の演習参加である
そう、演習とはいえ、まだ一度しか戦闘経験のない者の態度としては、随分とうらびれたものだった
その言葉や表情には、緊張や不安といった様子は全くなく、あるのはただ、希望通りに事が運ばない事に対する落胆であった
浜風が気にかけていたもの・・・・・
それは・・・今日の対戦の組み合わせにあった
相手陣営は再編二航戦と五水戦による空母機動部隊編成に対し、こちらは第六戦隊及び四水戦による水上打撃部隊の編成であった
研修生の浜風は、後者の末席に加えられていた
戦力的には、軽空母を三隻擁する相手陣営に分があった。こちらに勝機があるとすれば、昼戦を何とかやり過ごし、航空戦力を投入出来ない夜戦に持ち込むしかなさそうである
だが・・・・・
夜戦・・・・・それは、浜風にとって、決して許容できるものではなかった・・・・それだけは何としても避けたかった・・・・・
「・・・・夕張さんの言う通り・・・・・やるしか・・・ない・・・のかな?・・・・・・アレ・・・・・」
浜風の演習における戦術指南は、技術開発工廠の統括責任者の夕張に一任されていた。一介の技術者に過ぎない夕張が何故浜風の戦術指南役を仰せつかっているのかは不明だが、とにかくそういう事になっていた。
そして夕張からは対戦相手と自軍の編成によってどのように立ち回るのかが詳細に指示が出されていた。そして本日の演習における夕張からの指示は、浜風を困惑させるものであった。
「・・・やりたくない・・・でも・・・・」
夕張の指示に従うより他の選択肢はない・・・・それは浜風にもわかっていた
とにかく彼女は早く帰りたかった。早く帰らなければならない理由があった
「浜風」とは、旧大日本帝国海軍の駆逐艦の一つである
大東亜戦争(世に言う太平洋戦争の事)勃発前夜、旧大日本帝国海軍はロンドン軍縮条約を破棄、制限に縛られない、艦隊決戦を想定した水雷戦特化型の最新鋭艦を就役させた。それは甲型駆逐艦と呼ばれ、「陽炎型」19隻、「夕雲型」19隻の、計38隻が投入された
だが、蓋を開けてみれば、既に艦隊決戦の時代は終焉を告げていた
航空戦こそが戦場の花形として君臨し、この地球上の数多の戦場を支配した
戦艦による艦隊決戦もなく、大艦巨砲主義は幻想と消えた
そして・・・
甲型駆逐艦の主戦場であるお家芸の水雷戦も、伝統の夜戦も・・・レーダー照準射撃の実用化の前に無力化された
彼女たちが戦場で直面した現実・・・・それは、度重なる空襲から僚艦を守るための防空戦と、海底から忍び寄る潜水艦との戦いであった
元々想定外である防空戦や対潜水艦戦闘を余儀なくされ、不慣れな戦闘に苦しい戦いを余儀なくされた
そして・・・
生粋の防空戦特化型である「秋月型」の登場により、甲型駆逐艦は、完全に時代に取り残された
終戦まで生き残った甲型駆逐艦は、「雪風」ただ一隻のみという、悲惨な有様であった
浜風とは、そんな甲型駆逐艦にあって、最も苛烈な運命を辿った駆逐艦の一つであった
相方の「磯風」と共に、開戦を告げる真珠湾から、大日本帝国海軍の事実上の壊滅を告げたレイテ、そして坊ノ岬沖海戦まで、大戦の殆どの主要な戦場を戦い抜き、そして沈んでいった・・・・
そして時は過ぎ、浜風が大和と共に坊ノ岬の海に沈んでから70年後・・・・・
人類は、存亡の危機を迎えていた
突如として現れた謎の軍艦とも生命体ともつかない存在・・・・「深海棲艦」が、全地球規模で出現・・・・
瞬く間に制海権を奪われた人類は、海から追われ、丘へと追い込まれ、生活圏を陸上のみに縮小せざるを得なくなっていた
そして四方を海に囲まれた我が国、日本は・・・世界から完全に孤立した
エネルギー資源に乏しい我が国は、70年前の開戦前夜の時のように、危急存亡の時を迎えていた
そんな我が国を救ったのは、「艦娘」であった
艦娘は、旧大日本帝国海軍時代の軍艦が、現代において人型に実体化した「戦姫」(いくさひめ)であった
その力は凄まじく、深海棲艦と対等以上の力を有し、これを駆逐
瞬く間に人類存亡の危機を救った、いわば救世主的存在である
そして時代は皇紀2745年。大東亜戦争終結から140年、深海棲艦と艦娘が出現してから実に70年が経過していた
未だ深海棲艦との雌雄は決しておらず、戦いは膠着状態に陥っていた
これは、甲型駆逐艦、陽炎型の13番艦に当たる艦娘、「浜風」の物語である
それは、一ヶ月前の事
その少女は、途方に暮れていた
御婆様に言われるままに「家の者」に連れてこられた某鎮守府の演習場の前に、少女は一人置き去りにされていた
まだ7歳になったばかりの濱乃(はまの)は、自分の置かれている状況を理解出来ず困惑するばかりだった
何故自分はこのような所に連れてこられたのだろう?
そこは、濱乃の知らない場所だった
濱乃は・・・自分が何者であるかさえ知らなかった
ただ目の前で繰り広げられている光景を目の当たりにして、目を白黒させるばかりだった
それは・・・・
それは、様々な艤装を施した、年の頃にして十代半ばから二十代半ば位と思われる若い女性たちの戦装束姿・・・・
それは、濱乃が生まれて初めて目にする光景だった
鉄と火薬の焼けた匂いのする雷管と、眩いばかりに輝くうら若き乙女という、似ても似つかぬミスマッチな取り合わせ・・・
その凛々しくも美しい姿に、幼い濱乃は、自分が見知らぬ場所に置き去りにされたことも忘れ、ほんの一時、心を奪われていた
「みんなきれい・・・・何か・・・・・すてき・・・」
濱乃は、その女性たちが艦娘である事を知らなかった
艦娘たちの自信に満ち溢れた表情と、勇んで戦場へ赴く後ろ姿・・・・・
見ているだけで、心が震えた
何故だかわからない
けど・・・何かが胸の奥底から込み上げてくるのを感じる・・・・
とにかく、居ても立っても居られない・・・そんな気持ちになっていた。
でも・・・・ふと我に返る
眩いステージの傍らで背伸びをして魅入っている自分の姿を思う・・・振り返る・・・
何とも言えない、居心地の悪さを感じていた
まだ幼い濱乃は、その気持ちを形容する言葉を持ち合わせていなかった
《自分は、何と場違いな存在だろう・・・・》
それが・・・・濱乃が言葉に出来ない気持ちの正体であった
そもそも・・・
「・・・どうして・・・・・濱乃はここにいるの・・・?・・・御婆様・・・」
つい一時間前の事
某鎮守府の所在地である某市浜崎町の少し外れた山奥に濱乃の生家があり、地元ではちょっと名の通った料亭旅館「濱之屋」がそれであった。
濱乃の亡き父方の祖母が当主としてその一切を取り仕切っていた
そしてこの祖母・・・当主はどういうわけか実の孫である濱乃に対し辛く当たっていた
まるで奉公に来た給仕さながらに
お客様にお出しする朝食の仕込みで目が回る位に忙しく働いていた
食事を取る暇もなく、下働きでいつも着ている粗末なスウェット姿のまま、ここに連れてこられていた。
お腹が空いて、力が出ない・・・・いや、お腹を空かせているのはいつもの事だった
ふと、演習場のスタンドにある時計に目をやる
丁度、午前十時を少し回った所だった
「・・・どうしよう・・・・」
濱乃は、御婆様から何も聞かされていなかった
ただ、一言
「ここにいなさい」
とだけ、言い残して先に帰ってしまった
こんな事は、初めてだった
いつもの御婆様は、濱乃の行うべき行為を明確に《命令》してくる
それに従いさえすればよかった
それが
こんなにも不明瞭な扱いを受けるのは、本当に初めてだった
どうしていいのか、本当にわからなくなっていた
ただ、一つだけ濱乃にもわかっている事がある
濱乃の実家は、ここ某市で有名な料亭旅館《濱乃屋》である。
御婆様はそこの現・当主であり、その一切を取り仕切っている・・・そして・・・
当主の孫である濱乃には、毎日必ずやらなければならない仕事が割り振られている
例えば、早朝の玄関の掃除に始まり、調理場の清掃、食材の仕込みやご飯の釜炊きなど・・・
信じがたい事だが、濱乃はこれらの仕事を五歳の頃から一日も休まず行っていた・・・・・
いや・・・・・
・・・・・・やらされていた・・・・・
そして・・・
いかなる理由があろうと、御婆様は濱乃が仕事を怠る事を、決して赦しはしない
濱乃には、まだ一つ仕事が残っている。
お客様のチェックインの時間までに大浴場の清掃を終わらせなければならない
ここが何処なのかはわからないけど
それまでには帰らなければならない
でなければ、濱乃にとって最も過酷な罰が・・・待ち受けている
「・・・・早く帰りたい・・・・」
《ここにいなさい》という御婆様の言いつけは守らなければならない・・・でも、
御婆様の言った言葉の意味を早く理解し、そして一刻も早く帰らなければならない
ふと、濱乃は思う。
自身を取り巻く退屈で辛いだけの日常と
目の前で繰り広げられる艦娘たちの饗宴とを見比べ、大きなため息をついた。
そして、どうしようもなく絶望した。
「・・・関係ない・・・・濱乃には、関係のない事です・・・」
それは、とても7歳の少女とは思えない、全てを諦めきった老女のような、絶望的な深い諦念であった。
と同時に、胸がキュッと締め付けられて痛くなる
「・・もういやだ・・」
辛くて辛くて堪らなくなった時、濱乃はいつも思う
《・・・お母さんに・・・逢いたい・・・・・》
まだしあわせだった頃の記憶の断片を、心の中で手繰り寄せる
あの頃は、まだおとうさんとおかあさんがいて、いっぱい甘えて、いっぱい抱っこしてもらって・・・
いっぱい撫でてもらって、そして・・・
ふと我に返る
もう何度となくこのやり取りを際限なく繰り返していた
華やかな艦娘たちの饗宴を目の当たりにしてさえ、少女はつい、「鬱」向いてしまう・・・
「・・・ぜさん?」
そんな事をぼんやりと考えていると、誰かの・・・声が聞こえたような気がした
「・まかぜさん?」
「・・・・え・・?」
「浜風さん?・・・ですよね?」
目の前に一人の女性が眼鏡の縁に右手を添えながら話しかけていたのに気付く
「・・・・・浜風?」
・・・ああ・・・そう・・だった・・・・・
・・・出掛けに、御婆様が言っていた・・・・・・
《今日からお前の名は「浜風」です。厨房では、今まで通り「濱乃」で通しなさい。いいですね》
《・・・え・・?・・・濱乃は・・・濱乃だよ?・・おばあさま?》
《余計な事は考えなくてもよろしい・・・もう決まった事です。いいですね》
《・・・は・・い・・・・おばあさま・・・・》
「・・・・はい、浜風・・・今日から・・・浜風?・・・です・・・」
「今日から?・・・ああ、そうですね」
今日が浜風にとって就役日となる。正式に艦娘として登録される折り、それまでの名前である《濱乃》を捨て、《艦名》を名乗らなければならない
少女が呼び掛けに応じたのを見て、その女性はほっとした様子で表情を緩ませ、微笑みかけてきた
「お待ちしておりました。はじめまして、浜風さん。私は、某(なにがし)鎮守府の秘書官の大淀と申します」
「大淀」と名乗るその女性は、艦娘の一人にして某鎮守府の秘書官だという
腰まで届く黒髪ストレートのロングヘアーにアンダーリムのメガネが似合う、知的な印象の女性だ
腰があらわになる程大きく開かれたサイドのVスリットにミニスカにセーラーという、よく言えば個性的な、有り体に言えば扇情的な制服を着用していた
知的で清楚な物腰とは裏腹に、その腰つきは中々に妖艶で、見る者の目を釘付けにしてしまう・・・・
その奇抜なデザインに、浜風は目を奪われる
日頃《濱乃屋》から出た事のない浜風にとって、大淀のビジュアルはとても新鮮でめずらしかった
とにかく艦娘の制服は皆個性的で、浜風にはだいぶん刺激的で興味をそそるものであったようだ
その視線に気付いた大淀は、少し恥ずかしそうに言い訳をする
「こ、これは、提督指定の制服で・・・し、仕様なのです。私の趣味ではないのですよ?」
無論これはウソである。70年前の頃より、大淀の制服はずっとこのままである。幸い、幼い浜風には、大淀が何にうろたえているのかなど、まるで理解の外にあった。そのVスリットを見ても
「テイトク、という人が考えたのですね?・・・・すてき・・・・」
「そ、そうですか・・・ありがとうございます・・・?」
「・・・・あの・・・・・」
と、濱乃・・・・浜風が口を開く
「はい、なんでしょうか?」
「・・・お待ちしてました・・・って事は・・・は・・浜風・・・は、ここに、来る事になってたの?」
「・・・?・・・はい、そうですよ?」
「・・・あの・・・浜風は・・・・どうしてここにいるの?・・・浜風、早く帰りたいです・・・」
「お家の方からは、お話を聞いていませんか?」
「・・・ここに、いなさい・・・って・・・」
「それだけ、ですか?」
「・・・はい・・・」
「そうですか・・・簡単に説明すると、今日は新しい艦娘のお披露目の日です」
「・・・・お披露目?」
「ええ、このあと簡単な身体検査と適性検査があります。それが無事終わったら、艤装展開をした後、研修に入る予定です。何か質問があれば伺いますよ?」
「・・・あの・・・・」
「はい、何でしょうか?」
「・・・・その・・・・大淀さんのお話が・・・よく・・・わかりません」
「・・あ、ごめんなさい! つい大人に話すようにしてしまいましたね? もう少しわかりやすく・・・・」
と、言いかけた所で浜風は言う。
「・・・あの・・・そうじゃなくて・・・・・」
「・・・・・カンムスってなんですか?」
「・・・・えっ?」
思わず絶句する大淀
「・・・その・・・カンムスのお披露目・・・というのと・・・浜風は・・・・何か関係があるの?」
「・・・まさか・・・艦娘が何か知らないんですか?」
「・・・ごめんなさい・・・・浜風・・・・知らなくて・・・・」
涙目になる浜風を見て、大淀は我に返り、瞬時に何かを悟る
「あ、いいんですよ。私がちゃんと説明しなかったのがいけなかったですね」
大淀は半べそをかいた浜風の頭を撫でようとあわてて手を伸ばす・・・・
「・・ひっ・・・」
ビクついて、思わず身を引く浜風
「・・あ・・・ご・・・ごめんなさい・・・・大丈夫・・・大丈夫だから・・・」
大淀は努めてゆっくりと手を伸ばす・・・・
目をぎゅっと瞑りながら身構える浜風の頭にその手がそっと触れる
大淀の掌のぬくもりが・・・・やさしさが伝わっていくにつれ、浜風は次第に落ち着きを取り戻していった
そして・・・大淀は優しく浜風の頭を撫でた
大淀は、浜風のこの反応の意味を・・・・理由を知っている
彼女は胸が締め付けられるような想いにかられ・・・・・
そして静かに怒りを覚えていた
「驚かせてごめんなさい・・・もう、落ち着いた?」
「・・・はい・・・浜風こそ、ごめんなさい・・・」
「いいえ、それよりも浜風さんは、お家の方から何も伺っていない・・・って事で宜しいですね?」
「・・・・はい・・・」
「わかりました。それでは順を追って説明しますね? ここは、某鎮守府という所で、艦娘が沢山暮らしているの」
「・・・鎮守府?」
「そうです。でね、艦娘とは、わかりやすく言うと、悪い敵からみんなを守るために戦うヒーローみたいな存在・・・・みんな女の子だから、ヒロイン?かしら?・・・・とにかく、そういう存在なんです。わかりますか?」
「・・・カンムスさんって・・・あそこにいるお姉さんたちの事?」
「ええ、そうです。あの子達はみんな艦娘なんですよ」
「・・・そう・・・なんですか・・・・」
「そして、浜風さん・・・あなたもその《艦娘》なんです。だからここに呼ばれてきたのですよ」
「・・・・浜風が・・・・・艦娘?・・・・でも・・・浜風、何も知らなくて・・・・・」
「大丈夫・・・これからゆっくり知っていけばいいんですよ」
「・・・あの・・・・・」
「・・はい? 何ですか?」
「・・・浜風も・・・艦娘さんみたいに・・・キラキラになれるの?」
その、浜風の物言いに、大淀は思わず心が和む。初めて、浜風の子供らしい一面を垣間見たような気がした
「ええ、なれますよ。 というか、浜風さんはもう艦娘なので、とっくにキラキラです」
「・・・・本当に?」
「ええ、秘書官の私が言うんだから、間違いありません」
「・・・・浜風が・・・・キラキラ・・・・」
浜風は、再び湧き上がってきた胸の高鳴りを感じていた
自分とは何の関係もないと思っていた艦娘達の饗宴・・・・
自分がその仲間の一人なのだと知り、どうにも押さえられない気持ちでいっぱいだった
そして気付く
この衝動は、自分が《艦娘》であるが故の気持ちである事を・・・・
浜風 02 マッドでサイコな女 に続く
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