イベリス
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第二十六話 部活ではその五
「やっぱりね」
「読みやすいのね」
「すらすら読めるの」
そうだというのだ。
「これがね」
「そうなのね」
「本物はね」
「読みやすいのね」
「私読んだことないけれど思想家の小林秀雄も」
この人物もというのだ。
「相当教養ないと何について言ってるかわからないらしいけれど」
「教養ね」
「クラシックとか古典のね」
小林秀雄一流の教養が出ているのだ、彼は音楽や古典そして日本の歴史に非常に通じた一代の知識人だったのだ。
「それがないとね」
「何について言ってるかわからないのね」
「まあ高校生だとね」
それ位ならというのだ。
「そんな教養はね」
「ないのね」
「だから大学卒業する位でないと」
それまでに教養を身に着けてというのだ。
「読まないと駄目らしいけれど」
「文章自体はなのね」
「わかりやすいそうよ」
「そうなのね」
「それで勉強にもなるらしいけれど」
それでもというのだ。
「これが小難しいだけのね」
「そうした文章だと」
「何を言っているかわからないで」
「理解したら頭いいと錯覚させるだけで」
「実は何もない文章なんてね」
「読むだけ無駄ね」
「そんな小説読む位なら」
それこそというのだ。
「漫画読むかもっといいライドノベル読むか」
「それ位ね」
「そうよ」
まさにというのだ。
「それがいいわ」
「じゃあ私達は」
「面白くてわかりやすいね」
「作品を読めばいいのね」
「そういうことよ、しかし本当に太宰ってね」
彼の文章はというのだ。
「読みやすくてね」
「わかりやすいのね」
「確かに自虐的だけれどね」
この要素はあるというのだ。
「作品全体に」
「太宰はそうなのね」
「太宰節っていうかね」
「そうしたっていうの」
「そう、独特のね」
まさにというのだ。
「自虐的なものがね」
「あるのね」
「私それを太宰節って呼んでるけれど」
「それがあるのね」
「ええ、けれどね」
「読みやすいのね」
「そしてわかりやすいの、本当にね」
笑顔で言うのだった。
「そうした文章で作品なのよ」
「太宰はそうなの」
「まあこの人も自殺してるから」
「心中してるわね」
昭和二十四年六月十三日に愛人とそうしており六月十九日に二人の遺体が発見されている。この心中した日を命日としており桜桃忌と呼んでいる。
「私も知ってるわ」
「有名だからね」
「太宰が心中したことは」
「だから末期の作品はね」
「自殺したこと出てるのね」
「そうなの、だからね」
それでというのだ。
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