戦国異伝供書
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第百二十三話 耳川の戦いその十二
「今度はな」
「当家に入れて」
「そしてじゃ」
そのうえでというのだ。
「治めていこう」
「肥後もですな」
「そうしよう、ぞしてな」
「あの国も治めると」
「そこまでは考えておらぬ」
肥後一国の政はというのだ。
「わしはな」
「あくまで、ですな」
「守護を任されている国々のみじゃ」
「日向にですな」
「大隅とな」
「そして薩摩ですね」
「三国の政を考えておるが」
それでもというのだ。
「それ以上はな」
「そうですか」
「どうにもな」
「ですが兄上」
義弘も言ってきた。
「肥後の国人達が入るなら」
「それならであるな」
「はい、あの国のことも」
「政に考えないとならぬな」
「そうなります」
「そうか」
「ですから」
それでというのだ。
「そうも言っておられませぬ」
「そうなるか」
「何でしたら」
義弘は兄にこうも言った。
「肥後一国の政をです」
「考えていくことか」
「如何でしょうか」
「ううむ、そうなるか」
「肥後もです」
家久も言ってきた。
「今の流れで入るとなると」
「それならか」
「それは天命かと」
こう義久に話した。
「それもまた」
「そうか、では」
「はい、前向きに考えられてもです」
「よいか」
「肥後のことは」
「ううむ、どうしたものか」
義久は袖の中で腕を組んで言った。
「今後は」
「よくお考えになられ」
「そのうえで、です」
「答えを出されてもいいでは」
「殿がそうされては」
「そうであるか、では考えよう」
義久は家臣達に答えた。
「これよりな」
「はい、ではです」
「その様にしましょうぞ」
「三国を治めつつです」
「肥後のことも」
「そうするか」
義久は弟達に考える顔で答えた、そうして大友家の戦の後始末を終えると三国全体の政にかかり。
島津家についた肥後の国人達を向かえ入れそうして彼等も島津家の政に組み入れていった。そのうえで。
九州を見ると彼の読み通りだった、大友家は力を失い龍造寺家に圧されていった、そしてその龍造寺家が。
肥前から筑後そして肥後にと勢力を拡大していった、その中で。
肥前の南や肥後の北で龍造寺家につく国人達も出て来た、それに加えて。
ページ上へ戻る