至誠一貫・閑話&番外編&キャラ紹介
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◇閑話・壱◇ ~晋陽での一日~
「主。少し、宜しいですかな?」
「星か。構わん」
読みかけの書簡を置き、部屋の入り口を見た。
「どうした?」
「いえ。主の顔を見たくなりましてな」
「毎日、顔なら合わせているではないか」
「何を仰せになります。数日の間、見ておりませぬ」
照れ隠しなのか、あらぬ方向を見ながら言う。
「そうであったな。ご苦労であった」
「……たったの数日、それがどんなに長く感じられたかわかりませぬ」
そんな星から、微かに酒の香りが漂う。
「飲んでいるのか?」
「いけませぬか?」
「……いや。星らしい、と思ってな」
「ふふ。ですが主、私らしさ、まだおわかりになっておりませぬぞ」
「ほう?」
「教えて差し上げます故。今宵は、側で過ごさせていただきますぞ」
「……よかろう」
思えば、此度の事、何も星には報いてやれておらぬ。
その代わり、という訳ではないが……今宵は存分に、可愛がってやるとするか。
星は、昂ぶりを抑えるかのように、何度も求めてきた。
「主は」
「何だ、星?」
「……いえ。嘗て、どれだけの女を泣かせてきたのか、と」
「それでは、私がまるで非道と聞こえるが?」
その背を、そっと擦る。
絹のような、見事な肌触りを感じながら。
「ある意味、非道ですな。私を、このような女にしてしまったのですぞ?」
「……悔いておるのか?」
「ふふ、悔いているならば、このように主を愛おしくは思いませぬ」
「そうか。……知りたいか、昔の事を?」
「……いえ、知っても詮無き事。私には、今の主が全てですからな」
腕に力を込め、しっかりと抱き付いてくる。
「その方が良い。私も趙子龍と言う人物は、書の上でしか知らぬ。だが、星という人物は、よく知っているつもりだ」
「つもり、では困りますぞ、主。……知って下され、私の全てを」
「星……」
星が、唇を寄せてきた。
「……む」
目を覚ますと、星の姿が見えぬ。
服がないところを見ると、既に着替えて去ったか。
不思議と、疲れが取れた気がする。
ふっ、まだまだ私も若い、という事か。
窓から差し込む朝日からすると、まだ早朝のようだ。
……寝ていても仕方あるまい、顔でも洗ってくるとするか。
井戸から水を汲み、身体に浴びせた。
顔だけ、と思ったのだが、水を被る事にした。
星のぬくもりが消えるのは惜しまれたが、気を引き締めてかからねばならぬ事が山積している。
己に渇を入れる意味でも、身に染みる冷たさは悪いものではない。
「ふう……」
桶を井戸に戻し、立ち上がろうとした。
「歳三。これを使え」
と、手拭いが差し出される。
見ると、閃嘩(華雄)だった。
「忝い。では、使わせて貰うぞ」
「どうしたのだ、こんな時間から水浴びだど」
顔を赤くして、私を眼を合わせようともせぬ。
……ふむ、男の裸体を見るのは恥ずかしい、か。
「暫し、あちらを向いているがよい。すぐに服を着る」
「あ、ああ」
素直に背を向ける閃嘩。
手早く身体を拭き、着物を手にする。
「閃嘩こそ、このような時分に如何した?」
「う、うむ。歳三を、探していた」
「私を?」
「ああ。私と、仕合をして欲しいのだ」
「仕合? 武ならば、私などより、恋や愛紗の方がよいのではないか?」
「日々の鍛錬ではない。私の、覚悟の程を見て欲しいのだ」
「覚悟か」
「そうだ。私のこの名、月だけでなく、歳三も考えてくれたそうだな」
「……気に入らぬか?」
「違う! このような私を、そこまで気にかけてくれた事に、心から感謝している。だが、同時に重みも感じているのだ。貰った名に相応しい私に、なれるかどうか」
「なるほど。だが、私との仕合、それとどう関わりがある?」
「……愛紗が、手合わせの度に言っていた。本当に強いのは、歳三だとな」
「それで?」
「ならば、暫しの別れとなる前に、見て欲しいのだ。……私の覚悟を」
さて、着替え終わったな。
「もう、こちらを向いてもいいぞ?」
「あ、ああ」
振り向いた、閃嘩の眼。
うむ、いい眼をするようになったな。
以前は、ギラギラとした猛獣の眼そのものだったが。
今は、己を見据え、相手を見定める事の出来る、そんな眼をしている。
「いいだろう。本当に、良いのだな?」
「頼む。歳三に教わった、将の心得たるもの、無にはしたくない」
「ならば、二刻後。中庭に参れ」
「承知した」
……さて。
少しばかり、型でも使っておくとするか。
如何に仕合とは申せ、閃嘩程の者を相手にするのだ。
生半可に立ち合えば、私自身も只では済むまい。
軽く朝餉を済ませ、裏庭に向かう。
「……兄ぃ」
恋が、犬と戯れていた。
……セキトだけではなく、猫や鳥、様々な動物に囲まれている。
「皆、恋が飼っているのか?」
「……(フルフル)」
流石に違うか。
「……みんな、恋の家族」
「そうか。恋は優しいのだな」
「……優しい?」
「いや、私はそう思うぞ。家族を大事に出来る者は、優しい。間違ってはおるまい?」
「……ん。だったら、兄ぃも、優しい」
「私が?」
「……恋にも、セキト達にも。愛紗や星、月、霞……みんなに、優しい。だからみんな、兄ぃの事が、好き」
「……そうか。そう思ってくれるか」
「ワン!」
セキトが、足元にじゃれつく。
「だが、私は時として、鬼になる。優しさのみで、生き延びていける筈もないからな」
「……でも、兄ぃは兄ぃ。だから、兄ぃも、月も、恋が守る」
「ならば、私は恋や、セキト達が安心して暮らせる場を作るとしよう」
「……ん。兄ぃが頑張るなら、恋も頑張る」
ふふ、相も変わらず純な女子だ。
さて、この雰囲気では、ここは不味かろう。
「ではな、恋」
「……(コクッ)」
とりあえず、場所を変えるとしよう。
糧秣庫の、裏手。
ここならば、誰もいない筈だが。
「おおー、お兄さんではないですか」
……何故か、風がいた。
「何をしておるのだ?」
「はいー。猫と語り合おうかと」
確かに、風の目の前には、大きなぶち猫が一匹、大きな欠伸をしている。
「それで、何を語っていたのだ?」
「いろいろですよー。お兄さんが、昨夜星ちゃんとお楽しみだったとか」
「ほう。何故、そう思う?」
「風に隠し事は無駄なのです。お兄さんの事ならば、いろいろとお見通しですからね」
「……風。もしや、拗ねているな?」
「いえいえー。どうせ風は、愛紗ちゃんや星ちゃんのように、女らしい身体つきではありませんからねー」
どうやら、完全に機嫌を損ねたらしいな。
「……済まん」
「どうして、謝るのでしょうか。お兄さんは、何か疚しい事がおありですか?」
「ある。風がこうして、眼を見て話してくれない事。存外、堪えるものでな」
「…………」
「今の私は、猫にも劣るようだ。ならば、暫し頭を冷やして参ろう。邪魔したな」
踵を返すと、
「……待って欲しいのですよ」
風が、腰にしがみついてきた。
「風が言い過ぎました。……風は、寂しかったのですよ。お兄さんが、いろんな人に囲まれて、皆に好かれているのが」
「だが、私は風を無視していたつもりはない。それは、嘘ではないぞ」
「わかってます。お兄さんは、優しい御方ですからねー」
「だが、風を哀しませたぞ?」
「風だけじゃありませんよ? 稟ちゃんだって、口には出しませんけど」
「……そうだな。では風、詫びと言う訳ではないが、昼を馳走致そう。私の国の料理だが」
「むー。食べ物で釣る気ですか? 風は、鈴々ちゃんや恋ちゃんとは違うのですよ?」
「そう申すな。私手ずから、手間をかけたいのだ。稟と二人、昼になったら厨房まで参れ」
「そこまで言われて拒めば、今度は風がお兄さんに嫌われてしまいますね。お兄さんは、狡いのですよ」
「狡くて結構だ。それで、二人に幾ばくかの詫びになるのであれば、な」
「……本当に、お兄さんには勝てませんね。わかりました、なら稟ちゃんにも伝えておきますねー」
「うむ。……ところで、いつになれば離して貰えるのだ?」
風は、抱き付いたままなのだ。
これでは、私は動けぬのだが。
「……ぐう」
「……狸寝入りしても無駄だ。私も、予定というものがあるからな」
そう言うと、風は名残惜し気に、私から離れた。
「ではではお兄さん。約束を忘れたら、お仕置きですからねー?」
「心配要らぬ。私が、そのような男と思うか?」
「さてさて、それはどうでしょうねー」
そう言う風の顔は、笑っていた。
……とは言え、ここも無理、と。
ううむ、思いの外、場所がないな。
思い切って、城の外に出てみた。
手頃な空き地は、すぐに見つかったのだが……。
「わーい、わーい」
「待ってよー」
完全に、子供の溜まり場と化している。
まさか、この状態で真剣など使える筈もない。
「お兄ちゃん!」
しかも、鈴々が混じっているとは。
「鈴々。街の子らと、戯れているのか?」
「にゃ? 良くわからないけど、今日は午前中、調練が休みになったのだ。だから、こいつらと遊ぶ事になったのだ」
私の問いと変わらぬのだが、まぁ良い。
しかし、こうして見ると、鈴々は年相応の子供だな。
本人は嫌がりそうだが、背伸びしたとて、鈴々は遊びたい盛りであろう。
「ねーねー、鈴々お姉ちゃん。このおじさん、誰?」
「おじさんじゃないのだ。お兄ちゃんは、鈴々のお兄ちゃんなのだ。あと、月のお父さんなのだ!」
「じゃ、董卓さまのお父さんなんだ。へー」
「董卓さまのお父さんなら、きっと優しいんだね」
あっという間に、私まで子供に囲まれてしまう。
「遊んで遊んでー」
「鈴々お姉ちゃんからも頼んでよ?」
「うにゃー。お兄ちゃん、どうするのだ?」
うむ、子供と戯れるのも悪くはない。
……が、今は閃嘩との先約がある。
「済まぬが、私は行かねばならぬ。鈴々、後は任せたぞ」
「えーっ? つまんないよー」
「そうだよー。僕たちと遊ぼうよー」
口々に不満を言う子供達を、一人ずつ撫でてやる。
「またの機会にな。今日は、鈴々が、思い切り遊んでくれるそうだぞ」
「いいのか、お兄ちゃん? 午後は、調練があるのだ……」
そんな鈴々も、一緒に撫でてやる。
「たまには良かろう。愛紗には、私から伝えておく」
「ありがとうなのだ! よし、ついて来いなのだ!」
子供達を引き連れ、鈴々は駆け出していく。
……うむむ、時ばかりが過ぎ去っていく。
仕方がない、城内へ戻るとするか。
「早いな、歳三」
「……うむ」
結局、仕合の場である中庭で、少しだけ、兼定を振るう事が出来た。
最初から、ここにすれば良かったのやも知れぬが。
閃嘩は、模擬戦用の斧を手にしていた。
「歳三、得物はどうする?」
「私は、これを使わせて貰う」
枇杷で作った、木太刀。
木太刀は樫が多いが、打ち合って折れやすいのが難点。
その点、枇杷は重いが、その分丈夫で、私の好むところだ。
「木剣だと?」
「そうだ。だが、木だからと侮れば、痛い目に遭うぞ?」
「わかった。だが、私とて、手加減はしないぞ?」
「さて、始めるとするか」
一定の間を置き、閃嘩と対峙する。
「ご主人様。此処にて、見聞させていただいても宜しいですか?」
「ウチもええか?」
愛紗と霞に軽く頷き、私は視線を閃嘩に戻した。
構えに、以前には見られなかった、余裕が感じられる。
……ふむ、手強いぞ。
「いざ!」
「よし、行くぞ!」
斧は、その重量を活かし、鎧を着た相手にも有効打を与えられる武器。
そして、閃嘩が持つのは、所謂大斧と呼ばれる、両手で持つ形状のものだ。
以前の閃嘩ならば、ただ振り回すばかりであったが……さて。
「でりゃぁぁぁぁぁっ!」
突き崩しに来たか。
あれにまともに合わせれば、剣を巻き取られかねない。
試みに、左に飛んでみた。
「甘い!」
閃嘩は、柄を抱え込むようにして持つと、斧頭を蹴り上げた。
巨大な刃が、私に迫る。
受ける事はせず、あくまでも回避に徹した。
いくら丈夫な枇杷とは言え、あの重量をまともに受けるのは賢明ではない。
「えい、えい、えいっ!」
間髪を入れず、薙ぎの応酬。
刃が迫った時のみ、軽く木太刀で受け流す。
「どうした! この程度か!」
「なに。閃嘩の勢いに、舌を巻いておるだけよ」
「フン、戯れ言を!」
斜めに振り下ろされる斧を、ひたすら躱す。
その都度、結構な量の土が掘り起こされ、宙を舞う。
「閃嘩。攻撃がだいぶ変則的になってきたな。進歩の跡が見えるぞ」
「余裕か、歳三!」
言うほど、余裕はないのだがな。
……だが、そろそろ良いだろう。
「ハァッ!」
閃嘩の一撃を躱し、すかさず木太刀を突き出す。
……総司なら、三段突きを遣うのだが、私には無理な相談だ。
その代わり、このまま突きを繰り返す。
「どうした、その程度の突きでは、私に当たらんぞ!」
「ほう。大した自信だ……だが、突きは当たらずとも良いのだ」
「何?……うわっ!」
不意に、閃嘩が蹌踉めく。
そして。
「勝負あったようだな」
その喉元に突きつけられる、私の木太刀。
「……私の、負けだ」
模擬斧を手放す閃嘩。
「……何と言うか、ご主人様らしい勝負でしたな」
「しっかし、閃嘩の攻撃を利用するやなんて。戦場で、敵にしたないなぁ」
呆れたような、愛紗と霞の声。
「何とでも言うがよい。これが、私の戦法だ」
閃嘩は、大斧での攻撃ゆえ、弾みで土を掘り起こしてしまう事がある。
それを繰り返せば、足場は悪くなるのは必然。
そして、機を見て、その場所に追い込めば体勢を崩す……それだけの事。
「だが、よくぞ此処まで、己を鍛え直したな。今の閃嘩ならば、月を託すに申し分ない」
「本当か?」
「ああ。だが、精進は怠るな?」
「わかった。感謝する、歳三」
負けたというのに、閃嘩の顔は、晴れ晴れとしていた。
昼になった。
約束の刻限に、二人連れが姿を見せる。
「歳三様」
「お兄さん、稟ちゃんも連れてきましたよー」
「ご苦労。そこに座ると良い」
そして、私は茹で上げたそれを、笊に入れて水を切る。
丼に盛りつけ、醤を振りかけた。
その上に、刻んだ葱と、おろし生姜を加える。
「歳三様、これは?」
「うむ。小麦を粉にし、水を加えて練り上げ、伸ばしたものを細長く切ったものだ。饂飩という」
諸国での修行中に、戯れに習った饂飩打ち。
このようなところで使う事になるとは、よもや思わなんだが……。
「饂飩ですかー。ではでは、いただきますね」
風は興味津々に、稟は恐る恐る、箸を取った。
「おおー、これは。とてもコシがあるのですよ」
「美味しいです。このような物、初めて食べました」
確かに、古代の唐土では饂飩はあり得まい。
……ただ、思いの外、この時代の食は豊かだ。
もっと粗食の世界を思い描いていたのだが、な。
「生醤油があれば良かったのだが……。流石にないようだからな」
「生醤油、ですか?」
「うむ。大豆と小麦、塩を発酵させた液体でな。どのような食材にも向くのだが」
流石に、醤油の製法までは知らぬ。
「……済まんな、二人とも。私がもっと気を利かせるべきであった」
「……歳三様。そのお気持ちだけで、十分ですよ」
稟が、にっこりと微笑む。
「稟ちゃん、なら風は、お兄さんに添い寝をお願いしちゃいますよー?」
「ふ、風!」
「はは。ならば、共に昼寝をしようぞ。三人でな」
「……はい、歳三様」
「おやおや、稟ちゃんが嬉しそうですよ。お兄さんにかかれば、みんな形無しですねー」
翌日、饂飩の事が皆に知られてしまい、全員分を打つ羽目になったのだが……まぁ、それも良かろう。
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