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あの日の約束

作者:永沢 喬
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一話

 この鎮守府に着任してから早1週間が経った。
 前任が何一つ仕事をしていなかったこともそうだが、この冷めた鎮守府に一人ぼっちの俺が溜まりに溜まった事務作業をこなすには限度があった。
 
「これは早いとこ秘書艦を決めなきゃな…」
 
 誰もいない執務室でポツリとつぶやいて、この1週間の出来事を思い返してみる。
 昼食を取りに食堂へ行けば…
 
『翔鶴姉、あたしの唐揚げ一つあげる』
 
『あら瑞鶴、ありがとう。じゃあ私のエビフライと交換ね』
 
 あの冷めた表情が嘘のように、笑顔でおかずを交換し合う二人。
 よし、まずはこの二人と仲良くなることから始めよう!
 そう意気込んで俺は二人の元へと向かった。
 
『俺も…混ぜてもらっていいかな?』
 
 問いかけた俺に、明らかに不機嫌になった瑞鶴がガタッと大袈裟に音を立てて立ち上がった。
 
『せっかく鳳翔さんが作ってくれたご飯が不味くなるわ。翔鶴姉、あっちで食べよ』
 
『……そうね』
 
『ま、待ってくれ!』
 
 慌てて瑞鶴の右肩を掴んだ。
 
『…ッ! 触らないで!』
 
 掴んだ手を思い切り振り払われ、もう一方の手に持っていたカップ麺が倒れた勢いで頭から降り注ぐ。
 
『あ、あっづ!!』
 
 情けない声を出して尻餅をついた俺を憎悪を含んだ瞳で見下ろしながら瑞鶴は言った。
 
『次は容赦しない。爆撃するから』
 
 ヒェー!と心の中で叫んだ。
 その様子を見て、一人の駆逐艦がこちらへ近づいてくる。
 
『あらぁ、大丈夫ですかぁ〜?』
 
『ああ、荒潮か。少し火傷はしたが大丈…』
『うふふ、あなたの事じゃなくて、そのカップ麺のことよ〜』
 
 意地の悪い笑みで床に溢れたカップ麺を指差して笑っている。
 カップ麺 > 俺 のヒエラルキーが確立した瞬間だった。
 俺は荒潮の言葉にショックを受けながらも、静かに溢れたカップ麺を処理した。
 
 その翌日、海岸で海を眺めながら一人虚しくカップ麺を啜っていると、後ろからバケツ一杯の冷水をぶっかけられた。
 
『ヒェー!!』
 
 真冬だったこともあり、飛び上がる。
 
『あら、いたんですね。すみません、気づきませんでした』
 
 ペコリと頭を下げ、そのまま去っていく加賀の後ろ姿を見て、ため息を吐く。
 ずぶ濡れになりながら、残ったカップ麺を一気にかき込んだ。
 
『冷てえ…』
 
 更にその翌日、真冬に冷水をかぶった俺は当然の如く風邪をひいた。
 だが看病してくれる者も居るはずがなく、ベッドの中で朦朧としていた。
 39度…高熱だ。
 食べるものも飲むものもない。
 仕方ない、とその日は一日寝て過ごしたが体調はほとんど良くならなかった。
 流石に腹が減ったので、食料を買いに街まで出ることにした。
 フラフラと食堂の前を通りかかると、艦娘達の楽しそうな声が聞こえてくる。
 はあっと深いため息を吐き、俺は再び街へ向かって歩き出した。
 パックのご飯、生卵、ネギを買い、お粥を作ろうとしたが最も重要なことに気づいてしまった。
 この執務室には鍋もガスコンロもないのだ。
 俺はガックリと肩を落とし、皆が寝静まる時間をベッドの中で待つことにした。
 
 
『ゴホッ…ゲホッ…』
 
 自分の咳の音で目を覚ます。
 どうやらいつの間にか眠っていたようで、時計を見ると深夜の一時を回っていた。
 重い体を起こすと、パサリと額から濡れたタオルが落ちる。
 違和感を感じ、真っ暗になった部屋に電気をつけると、俺のベッドに突っ伏し、静かに寝息を立てる鳳翔の姿が目に入った。
 誰も俺のことなんて気にかけてくれないと思っていた。
 看病してくれる人がいるなんて、考えもしなかった。
 嬉しさと、有り難さで涙が溢れそうになるのを堪え、隣で眠る鳳翔の頭をそっと優しく撫でる。
 
『ありがとう…ございます…』
 
『んっ……』
 
 目を覚まし、寝ぼけた顔でこちらを見上げた鳳翔に、少し気まずさを覚えすぐに手を離した。
 
『…具合はどうですか?』
 
『鳳翔さんのおかげで…だいぶ楽になりました』
 
 目を合わせずに言った俺に、『そうですか』と言い、鳳翔は執務室を出て行った。
 その瞬間、緊張の糸が切れたように「ぐぅぅ〜」と情けなく腹が音を立てる。
 
『もう二日も、何も食べてないもんな』
 
 もう全員寝ているだろうし、食堂を借りてお粥を作ろう。
 そう思い立ち上がろうとした時、控えめなノックの音がした。
 どうぞ、と言う前に扉が開かれる。
 
『どこへ行く気ですか?まだ安静にしてないといけませんよ』
 
 お粥と水を乗せたお盆を片手に鳳翔は言った。
 その声は優しくて、それだけで風邪なんて治ってしまいそうなくらいに温かい。
 
『どうして鳳翔さんは…俺に優しくしてくれるんですか?』
 
『そうですね…』
 
 口元に人差し指を当て、少し首を傾げて可愛らしい表情を作った鳳翔は、優しい声色で言う。
 
『瞳を見れば、分かりますから』
 
『目?』
 
『あの娘達は、今はまだ見えていないだけなんです…。だからどうか』
 
 その場に正座する鳳翔。
 そして
 
『あの娘達の御無礼を、どうか許してあげてください』
 
 手をついて、床に頭をつける。
 
『ちょっ、やめてください鳳翔さん! 俺は全然怒ってませんから!』
 
 慌てて両肩を掴み、鳳翔の上半身を起こす。
 互いの息遣いが聞こえるくらいに至近距離で、バッチリと目が合った。
 
 
 
 
 
 
『瞳を見れば、分かりますから』
 
 
 
 
 
 
 ああ、そういうことか。
 この人は、なんて綺麗な瞳をしているんだろう。
 
『あ、あの…提督…』
 
 思わず見惚れてしまうくらい、澄んだ瞳をしている。
 ギュッと力一杯抱きしめたい気持ちを抑え、両肩を掴んでいた手を離した。
 
『ありがとうございます。あなたのおかげで、まだまだ頑張れそうです』
 
 
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