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黄泉ブックタワー

作者:どっぐす
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第二章 旅は魔本とともに
  第7話 いい気分、なのかな

 このあたりの地質は、約8000万年前にできあがったという結晶質の石灰岩である。そして、その石灰岩が雨水で溶かされ続けた結果、巨大な鍾乳洞が形成されるに至った――それが天岩洞だ。
 一般向けに公開している範囲は入口から約600メートルほどで、非公開部分を含めると約3300メートル。未発見部分もまだまだあるという巨大な鍾乳洞である。

 その一番の魅力は、種類と数の多さでは東洋一と名高い鍾乳石。
 天岩洞が発見されたのは戦後になってからであるが、直後に洞内を見た人は、そのあまりに美しい白亜の世界に驚愕したという。

 観光鍾乳洞は、外気の流入や人間の出す二酸化炭素、洞内の照明などの影響により、どうしても鍾乳石が黒ずんでいく運命にある。
 しかし、天岩洞についてはさほど年数が経っていないこともあり、現在でもきれいな姿を保っているとされている。


 仙人平を出発してから、天岩洞のやたら広い駐車場に車をとめるまで、ミナトは助手席で洞の概要を説明し続けた。
 もちろんガイドブックを見ながらである。

「どうだ? アカリ。今度の説明は」
「うーん。なんか説明の仕方がスムーズになってるかも?」
「だろ? 少し慣れたぜ」

 白い歯を見せて嬉しそうに笑う。

「こっちはありがたいんだけどさ。いちいちガイドするの、めんどくさくない? 横歩いてくれてるだけでいいのに」

 車を降りてからそう言ったが、「それだとお前がつまんないだろ?」と返されてしまった。
 アカリは予想外に機能し続ける悪魔に戸惑いながら、受付けで入場料を支払った。



「おー、やっぱり涼しいんだ」

 洞の中に入ると、アカリは自然にその感想が口から出た。
 湿度こそ高そうではあるが、外の猛烈な暑さが嘘のような気温の低さだった。

 鍾乳洞の内部は頑丈な足場が組まれており、高低差があるところではしっかりとした階段が設置されていた。照明もついており、女性のアカリでも問題なく歩くことができた。

 一部を除いてかがむ必要もないような広い洞内を、奥へと進む。
 見せ場となっているスポットでは、「妖怪の塔」「白磁の滝」など、見え方にちなんだ名称の札がついていた。そのようなところでは他の観光客も立ち止まっていて、実に観光鍾乳洞らしい光景となっていた。

「というか、寒っ! 涼しいを通り越してるんだけど」

 照らされた幻想的な鍾乳石を前に、アカリが縮こまってそう言うと、ミナトは荷物の中に手を入れ、薄いブラウンの布を取り出した。
 そして――。

「ホレっ」
「えっ?」

 アカリの上半身にサッと巻かれたのは、エスニック調の大判ストールだった。
 薄いが上半身ごと包めるような大きいサイズであり、一気に暖かくなった。

「これ、私が使っていいんだ?」
「もちろん!」
「ありがとう。あんたは?」
「俺はあんまり暑いとか寒いとかないんで大丈夫だぞ?」

「へー。じゃあなんでこんなの持ってたの?」
「ちゃんと調べたからな。鍾乳洞は地中にあるから、夏でも冬でもそんなに温度が変わらないんだ。夏でも涼しいどころか寒く感じる人が多いってよ」
「……」

 さらに進んでいくと、巨大なホールのような場所に着いた。

「うわ、すごいね」

 鍾乳石で複雑な形状をした天井は、見上げているとめまいがするほどの高さがあった。

「ここは『天岩御殿』という名前がついてる。この天岩洞の一番の見どころらしいぞ」

 ミナトがガイドブックを見ながらそう説明したが、アカリはその言葉が頭の中で処理されないくらい、このドームの景色に圧倒されていた。

 カーテンのように上から膜状に垂れ下がる鍾乳石、つららのように鋭く地を睨む鍾乳石、今にも流れ出しそうな滝の形をした鍾乳石。神殿の円柱のように太く構えている鍾乳石。下からタケノコのように生えている鍾乳石。
 それらのすべてに、神秘的な造形美がある。

 大自然の力による非日常的な空間。
 まるで違う世界に来たかのような感覚だった。

「アカリ」

 この異世界感は、体が覚えている。アカリはそう思った。
 少し、懐かしさを感じた。これは気のせいではない。

「おーい、アカリ」

 この洞の雰囲気と昔の記憶に完全に浸ってしまい、ミナトに名前を呼ばれていることにも気づかなかった。

「アカリー。こっち向いてみ」

 右肩を後ろからトントンと叩かれ、アカリは我に返った。

「ん? 何……ぎゃあああああっ!」

 すぐ目の前に出されていたのは、人差し指から逆さまにぶら下がった、茶褐色の小さな生き物。
 コウモリだった。

「あははは。アカリ驚いてやんの」
「当たり前でしょ! 何してくれてんの!」
「いや、でもよく見てみ。結構こいつらかわいいぞ?」

 ふたたび人差し指を目の前に出してくるミナト。
 コウモリは大人しくぶら下がっているようで、動きはない。
 アカリはその様子から、いちおうは安全なのだろうと判断し、近くから観察する。

 やや突出している鼻、丸く小さな目、ピンと伸びた大きな耳、意外に柔らかそうな体毛。
 しばらく眺めていたら、アカリにはそれらのパーツが絶妙なアンバランスさに感じ、とても愛嬌のある姿に思えてきた。

「……たしかに。ちょっとかわいいかも?」
「だろー?」

 ミナトが無邪気に笑い、「よかったな。好かれたみたいだぞ」とコウモリに話しかけた。
 すると、なぜか多数のコウモリがどこからか飛来し、彼の頭上近くでホバリングを開始した。
 そして彼は、空いている左手だけで魔本を開き、器用にめくっていく。

「えーっと。アカリ、世界でもっとも不要な眼鏡は色眼鏡だ。人を見るときは先入観を取っ払って――」
「ハイハイ。いちいち魔本読み上げのお説教はいらないってば。しかも人じゃなくてコウモリだし」
「ははは。そうだな」

「というか、なんでコウモリが懐いてるの? 普通は無理でしょ?」
「なんでだろ。悪魔だから?」
「……すごい説得力あるけど。でもここは他の人たちもいるし、そういうことしてると周りの人たちがドン引きしちゃう…………って、あれ? そういうわけでもないみたいだね」

 広い天岩御殿には、パッと見たところ二十組以上の観光客がいた。
 だがこの異常事態を見ても、悲鳴をあげるわけでも気持ち悪がるわけでもなく。
 皆笑いを浮かべながら、物珍しそうに見ていた。

「お兄さん、スマホで撮ってもいいですか?」
「いいぜ! 撮影は自由!」

 カップルと思われる若い男女が近づいて撮り始めると、他の組も続いた。
 家族連れもいて、子供は大変に喜んでいるようだった。

「なんだかなあ。人間ってよくわからないなー。得体の知れない人によく自分から近づけるよね」

 一通り対応が終わり、ミナトがコウモリたちをどこかに去らせると、にぎやかな輪を外から見ていたアカリは、そんなことをぼやいた。

「お前の目には、俺は悪い奴に見えるのか?」

 彼は除菌ウエットティッシュを出して手を拭きながら、そんな聞き方をしてくる。

「んー、得体は知れないけど、今のところ悪い人には全然見えない」
「実際悪くないからな! けどお前だって、俺から見ると悪い人間には見えないぜ?」
「私には人もコウモリも近づいてこないけどね」
「俺にはそれが不思議なんだけどな」
「いや不思議じゃないよ。私だって私に近づきたくないかもしれないし」

 首をひねっているミナトの仕草は、本当に不思議がっているように見えた。
 だがアカリとしては、長年の付き合いである自分のことは、ある程度わかっているつもりだ。ついつい自虐的な言葉も出てきてしまうというものだった。

「あんまりそうやってネガティブなことを言わないほうがいいぞ?」

 またミナトの左手の魔本が開いた。

「ええとだな。人間の世界って、言葉の積み重ねでできてるんだ。だから言葉は大事にしないといけない――」
「はーい。それは少しピントがズレてると思いまーす」
「そうか?」
「そうです」

「じゃあ、アカリはちょっと笑顔が少ないと思うから、これかな。人間は笑いが伝染する生き物なんだ。相手に笑ってほしかったら、まず自分が笑えばいい――」
「それもちょっとズレてるような……。しかもさ。それ難しいよ。つまらないときは笑えないって」
「ふむふむ、じゃあ……」
「あー、もう。魔本の読み上げはしなくていいってば」

 キリがないと思い、アカリは魔本のカバーを四指で弾いて、無理やり閉じた。
 それらの言葉自体はどこかで聞いたようなものばかりだったが、説教臭くてかなわないと思った。 
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