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キリトである必要なくね?~UW編~

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第二話 アンダーワールド


 心地良い穏やかな風が肌を撫でる。今の時期とは合致しない、涼しい風。気温も良く涼しさの中に確かな暖かさがあり、心を穏やかにさせる。
 さらに陽気にさえずる小鳥の声が、一層心を安穏とさせてくれた。

 不意に強い光が瞼を撫でる。
 それに反応しゆっくり両眼を開けた。

「ここは、何処だ?」

 いの一番に目に入ってきたのは、連なっている巨木だった。その奥が深い森になっている。少し下に目を向けると、淡い緑色の草むらが群生していた。
 四方八方を見ても同じような景色が見えることから、森に偶然出来た小さな円形の草むらに横たわっていたようだ。

 しかし何故こんな所で寝ていたのか。ダイブから現実世界に帰還した後に帰路に着いたあたりから、記憶が途切れてしまっている。
 すわ誘拐か、と思い至ったところで、自分が妙な格好をしていることに気が付いた。上着は赤銅色に染められた麻らしき半袖のシャツで、ズボンもおそらく同じ素材なのだろうがこちらは生成りと思しきクリーム色だった。

 こんな素材の衣服に現代日本でお目にかかったことはない。つまり、ここは仮想世界。二年もの間、命を懸け戦ったあのゲームと同じ世界なのだ。
 それならばと右手を振り、ウインドウが開かれるの待つ。 
 けれど、待てども待てども一向に出てくる気配がない。

 その後しばらく四苦八苦していたがうんともすんとも言わない。仕方なくウインドウを開くことを諦め、先ほどから感じている喉の渇きを満たすことにした。
 一応、水源らしき場所に当たりを付けている。先ほど小鳥の声に耳を澄ませたとき、川のせせらぎらしき音が微かに耳に届いていたのだ。自分の聴覚を信じ、俺はその方角へと足を進める。

 意外にも目的の場所には早く着いた。
 半ば吸い寄せられるように水面に手を伸ばし水を掬う。そして、流れるように口へと運んだ。

「……うまい」

 喉が渇いていたというのもあるだろうが、これほどまでの水に出会ったことはない。しばらく夢中で喉を潤した。

 ある程度満足したあたりで、あのゲームとこの世界の差異に気付いた。『ソードアート・オンライン』は一プレイヤーから見てもかなりリアルに再現されていたが、唯一水の表現だけがあまりよろしくなかったのだ。

 だが今、手の中で揺れ、隙間から零れ落ちている水の有り様に全く違和感を感じない。だとするならば、やはりここは現実世界ということなのか。

 ここが仮想か否かの議論が再燃ししばらくその場で硬直していると、振動を与えなかったからか波が引いて綺麗な水面が現れた。陽光を鏡のように跳ね返すそれを覗き込み、当然ながら現れる自分の顔に腰を抜かした。

「有り得ない! なぜ……《SAO》はもう、クリアされたはずだ!」

 信じられずにもう一度覗き込む。
 顔はいつも通りだが、問題は髪だ。髪が、赤く染まっていた。
 忘れられるはずもない、これは俺があのゲームで使っていたアバターだ。その赤い髪も、一層でたまたまドロップした髪染めのアイテムを面白半分で使ってみたら意外と似合っていると友人たちに言われ、そのままにしていたものだ。

 その髪がトリガーになったのだろう。
 望んでもいないのに頭の中で勝手に再生される。
 笑い転げた日のことや、殴り合った日のこと。
 そしてあのゲームの中でのことを回想すると、最後は決まってこの場面で終わる。

『にげろっ!』

 そして、アイツらはポリゴン片に――

 ―――自分の顔に勢い良く水を掛けた。

「落ち着け、落ち着け、落ち着け」

 何度も、何度も、呟く。
 早鐘を打ち続ける心臓を抑えるために。

 幸いにして、動悸は数分でおさまった。
 軽く息を吐けば、思考もクリアになる。
 慣れた作業だった。

 苦しい思いをしたが、おかげで分かったこともある。
 俺は現実世界で髪を赤く染めた記憶なんて存在しない。けれど、あのリアルな水の表現が既存の仮想世界で再現できるものだとも思えない。

 それらを踏まえると、一つの答えが浮かび上がってくる。
 ここは新型のフルダイブ・マシンが作り出した仮想世界。なんらかの原因で《STL》に入った記憶を失っているとすれば、辻褄が合う。

 不意に奇妙な音が耳に届いた。硬い何かを、より硬い何かで打ち付けているような、そんな音が。しかもそれが規則的に。
 一瞬どうするか迷ったが、これは人が放った音だと当たりを付け、音源の方角に歩みを進めた。

 どうやら音の源は少し森に入ったところにあるらしく、草を分け入って前進する。しばらく歩いていると、前方の木と木の間に出来た隙間が明るくなっていることに気付いた。少し足早になりながら、木の根を飛び越え、森から飛び出す。

 絶句した。
 目の前に、巨大な樹が聳え立っているのだ。幹の直径は五メートルは超えているだろう。皮はまるで岩肌のように硬く、黒くなっている。そして愕然としたのがその高さ。首を限界まで曲げても梢など全く見通せない。

 この巨木の圧倒的な風格に眼を奪われていると、再びあの音が届いた。しかもさっきとは違い、かなり大きい。
 警戒しながら幹の反対側を覗き込んだ。

 そこでは木こりらしき少年が、一心不乱に斧を巨木に打ち付けているところだった。
 年齢は自分より少し年下の、十七、八くらいだろうか。灰色がかったブラウンの髪を波打たせ、夢中で斧を振っている。

「……四十八、……四十九、……五十!」

 どうやら一区切りついたらしく、持っていた斧を巨木に立て掛けていた。
 これはチャンスとばかりに話しかける。

「えー、こんにちは」

 木こりの少年は驚いたように少し跳ね、すぐさま振り向いた。若葉色の瞳が困惑気味に揺れ動く。
 俺は出来るだけにこやかな顔で問いかけた。

「スタッフの方ですか?」

 彼の瞳がさらに困惑の色を深める。これはミスったかと思っていると、少年はおもむろに口を開いた。

「……あの、すたっふって何ですか?」

 これはかなり雲行きが怪しい。さっきの自然な受け答えからNPCではないのだろうが、さりとてこの世界を管理している《RATH》の人間だとも思えない。
 だとするならば、おそらく彼は俺と同じテストプレイヤーなのだろう。そして彼は記憶の制限を受けていて、この世界の住人になりきっている。けれど俺の場合、何らかの不具合で記憶の制限が完全ではなかったのだ。

 となると、ここは警戒心持たれないように行動した方が良さそうだ。

「あー、悪い間違えた。出口を聞きたかったんだけど、口が回らなくて」

 そんな即バレするであろう嘘を、少し顔を下に向け彼の目線に合わせながらつく。

「確かにこの森は深いですからね、道を知らなきゃ迷って当然ですよ」

 彼の純粋さがとても有難かった。

「でも、どうしてこんなところに居るんですか? うちの村以外でこの辺りに人が住んでいるところなんて、なかったと思うんですけど……」

「あ、ああ、実は自分でもよく分からないんだ。気付いたらこの森に倒れてて」

「ええっ……じゃあ、今まで住んでた町とかも………?」

「さっぱり」

「驚いたなぁ、《ベクタの迷子》か、噂には聞いてたけど……」

「ベクタの迷子?」

 聞きなれない言葉の羅列に思わず聞き返す。

「ある日突然いなくなったり、逆に森や野原に突然現れる人を、僕の村じゃそう呼ぶんです。闇の神ベクタが、悪戯で人間をさらって、生まれの記憶を引っこ抜いてすごく遠い土地に放り出すんです。僕の村でも、ずーっと昔、お婆さんが一人消えたらしいですよ」

「へぇ、だとしたら俺もそうなのかもしれないな」

 そんな話があるのなら乗っかってしまった方が、後々のためになりそうだ。

「あ、なら僕の村に来ませんか? 寝るところがないのなら、シスター・アザリアに事情を話せば貸してくれるかもしれませんし」

「それは有難いな。実は寝床をどうしようか悩んでたんだ」

「あぁ、でもすみません。すぐに村に案内したいんですけど、まだ仕事が残っていて……。まだあと四時間ぐらい掛かるんです」

「そのぐらいなら全然待つよ。君は命の恩人なんだから」

「ありがとうございます。それじゃあ、しばらくそこで座ってください。あ……まだ、名乗っていませんでしたね」

 彼は右手をぐっと差し出し、続けた。

「僕はユージオ。よろしくお願いします、えーっと……」

「カガトだ。よろしく、ユージオ」

 差し出された右手を握り返しながら、俺は彼の名前を頭に刻み込んでいた。

 
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