彼願白書
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at sweet day
ツークツワンク
前書き
絶対防衛圏構想の話。
新元帥が向こうでさらっと出てきたので新元帥のことも掘り下げようかなと。
ちなみに、いつものクソ狐は出てきません。
「ちょっと……早くハンコ捺しなさいよ……」
「嫌だね。これに捺すハンコは『元帥拒否』しかない」
「そんなこと言っても『元帥承認済み』しかハンコはないのよ。おとなしく捺しなさいったら」
「だったら早く軍令部から新しいハンコを持って来させろ。『元帥拒否』のハンコをな」
そう言って、男はそっぽを向いてしまう。
今日の仕事は、これに『元帥承認済み』とハンコを捺してしまえばおしまいなのだ。
時間は夕方4時。
珍しく晩御飯どころか日の暮れる前に終わりそうなのに、このままでは日付すら跨いでしまう。
「絶対防衛圏構想?そもそも人類はいつの間に、こんなものが出てくるほど深海相手に勝利したと言うんだ?我々が完全に支配し、ひとまずの安全を確保した面積は七太洋の内の三割に過ぎない。そこからパトロールを掻い潜られた状態から、対深海ピケットシステムの通報から敵到達より鎮守府勢力が先に到着し、迎撃可能なエリアに絞れば全体の12%だ。あとは全て敵に先手を許してしまう。奴らとの戦いに四半世紀も割いて尚もこのザマなんだぞ」
男が怒るのも無理はない。
絶対防衛圏構想、看板こそ立派だがその実は今まで費用対効果や重要性等から、小さな島には置かなかった防衛拠点を鎮守府や泊地よりも小規模な範囲で作って綿密な防衛網の中継地点と攻勢に出るための橋頭堡にしようというわけだ。
要するに海の交番や駐在所を作ろうという発想で、そのために動くリソースはかつてない規模になるだろう。
ついでに防衛拠点の管轄となるだろう鎮守府に求める負担も大きくなる。
だが、「自分達の地元が敵に襲われたら間違いなく防衛戦力の到着は間に合わないので被害が出ても諦めてください」と言われて「はい、そうですか」と割り切れない人が多数出てくる程度には人類の生活圏は再び拡がりつつある。
今回の構想はその声を支持基盤にして、民意というプレッシャーで押し通されたものなのだろう。
現実をまるで見ていない。
「で、実際のところの本音はどうなの?」
銀髪の少女が、呆れたように机の向かい側からしかめっ面で尋ねる。
ただですら大きな黒い眼帯を左目にしている上に、肩には金飾緒であしらった黒いマントを羽織っているせいで、まるで海賊か何かの扮装にしか見えない。
実際には海賊どころか海軍、さらにその親玉たる元帥の秘書艦なのだが。
「ブルネイの影響力をこれ以上広げたくない」
ムスッとしながら答えた四角い顔の男は、少女が生涯で仕える海軍最高権力者。
つまり、元帥である。
「あなたねぇ……頑固っぷりは“四角四面三条”の面目躍如だけど、これを通さないと今度は『四角四面三条がブルネイを庇った』とか軍令部から邪推されるわよ?軍令部が明らかにブルネイに狙い撃ちしてる計画を元軍令部総長が拒否したなんて、いったいどう反応が来るかしら」
四角四面三条、と呼ばれた男の名は、三条河原 征利。
元帥着任からずっと、もっと言えば軍令部総長の頃から、更に遡れば軍令部に入ってからずっと、外部ではその四角い顔をずっとしかめて、常に何かに苛立っていると噂される程度には人相が悪く、更には自分の主張を絶対に曲げない頑固さから付いたアダ名が、『四角四面三条』だ。
「軍令部はわかっていない。私はブルネイに失脚してほしくはあるが、ブルネイが敗北するのは困るんだ。南方の防衛戦力の内、ブルネイの関わる範囲が多すぎる。これが落とされる意味くらいわかっているハズだ。そして、この構想はブルネイの失脚は見込めず、ブルネイの敗北の可能性はわずかにだが拡がる。その時点で却下だ。仮にも古巣の軍令部が、その程度もわからん阿呆の集まりとは思いたくないが」
この構想による命令でブルネイが拒否したり、なんらかの反発をする可能性は、ほぼない。
つまりブルネイの失脚の引き金にはなり得ない。
そして命令遂行による負担でブルネイの防備に隙が出来る可能性は、ままある。
もちろんその隙も、ネームレベルの奇襲や敵の総攻撃でもなければ突けない程度の隙だろうが、堅牢なダムも僅かな亀裂1つで決壊する可能性はあるのだ。
つまりブルネイの敗北の引き金にはなり得る。
そして、成功すればただですら割と多いブルネイシンパが更に増える。
ブルネイの穏便な失脚を願う三条河原としては悪手どころではない。
個人的にはまったくもって気に入らないし、いつかあのふてぶてしい大将の悪人面をおもいっきり真正面から左ストレートでぶちぬきたくはあるが、敗北されれば南方の守りがガタガタになるどころではない影響が出る。
私情を挟める余地がない程度には、ブルネイは重要拠点なのだ。
思い返すほど、三条河原としてはイライラするばかりのことなので考えないことにしているが。
「なら、軍令部からの発案じゃない可能性はどうなのよ?」
「外部の誰かがブルネイの失脚を狙って軍令部に構想を捩じ込んだ。軍令部は事情があって、これを私に通すしかなかった。なるほど、シナリオとしてはあり得るか」
「軍令部の何人か締め上げれば、答え合わせは出来そうね」
「いや、締め上げても答えは吐かんだろう。その程度のものに、軍令部を通せる力はない」
「それなら答えは1つね。ブルネイが嫌いで、外部から軍令部に圧をかけられる力がある組織……そんなの1つしかないじゃない」
少女は右手を顎に添えながら、したり顔で言う。
「内務省、か。リバースド・ナインの件をまだ根に持ってるとしたら、財務省も真っ青になるほどの恨み深さだな」
「下手したら内務省のほうが、あなたよりブルネイが嫌いなんじゃないの?」
「内務省が一番嫌いなのはブルネイじゃなくて魚釣島だと思うがな。それは霞もだろう?」
「当たり前じゃない。ブルネイには直接恨みはないけど、魚釣島には恨みしかないもの」
霞と呼ばれた少女はあっけらかんと答える。
「まったく、どうにもこうにも面倒なことばかり……蹴れば内務省と殴り合いか……」
「内務省はこっちを味方だと勘違いしてるから、殴り合いになったら、きっと面倒どころじゃないわ」
「仕方ない……差し戻して各鎮守府受け持ちのパトロール範囲の変更とかで、ブルネイをカバーするように一部修正させてから通すぞ。これでブルネイが文句言ってきたら『ここまで配慮して組んだ計画を蹴るとはどういうことだ』と更迭も狙えるしな」
「今から軍令部に差し戻したら、また夜明かしになるじゃない……」
「悪いが今夜も付き合え。出前、今日も好きに頼んでいいから」
「当たり前じゃない。奮発してもらうわよ」
そう言って、霞は元帥の執務机の脇に並ぶ自分のデスクに向かう。
なんとか夜明け前には片付けたいところだが、今日も執務室で夜明けのコーヒーを飲むことになりそうだ。
夜明けのコーヒーは執務室じゃなくて、ベッドサイドで飲みたいところだが、今夜もそれは叶わなそうだ。
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