天才少女と元プロのおじさん
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
入部編
3話 いやー凄いねー、さっきの球
前書き
芳乃ちゃん抱き付きすぎかしら?
この小説を読んでいる方は球詠を知っている方々だと思うので、もう登場人物は分かっているつもりで書きます。
登場人物が増えたので、面倒になったのです……。
放課後、正美は野球場にやって来た。なかなか気乗りがせず、教室でうだうだしていた為、既に野球部の練習が始まっており、芳野を除いた部のメンバーはキャッチボールをしている。
邪魔するのも悪いと思い、フェンスの外から覗いていると、芳乃が正美に気付き、彼女を迎えに行った。
「そんな所にいないで中へ入っておいでよ」
正美は芳乃に手を引かれ、ベンチに入る。ベンチには家庭科の藤井先生がおり、部員の様子を見ていたら。
「野球部の顧問って藤井先生だったんですね」
「そうよ。意外だった?」
「はい。あまり野球のイメージは無かったです」
正美と藤井先生が話をしていると、芳乃もそれに混ざる。
「こう見えて先生は埼玉4強時代の選手だったんだよ」
その言葉を聞いた正美は大層驚く。藤井先生に体を向けると綺麗なお辞儀をした。
「失礼いたしました」
姿勢とは裏腹に、声からは全く誠意は感じられない。
そんな正美に苦笑いを浮かべると、藤井先生は正美に問いかける。
「三輪さんにはみんながどう見えるかしら?」
藤井先生は芳乃から正美のアドバイスで白菊のバッティングが格段に良くなった事を聞いていた。
「そうですね。レベルは低くないと思います。特にレベルが高いのは3人」
その3人とは珠姫、怜、希である。
「初心者の二人は何だか不思議です」
白菊と伊吹が初心者であることも見破った。
「大村さんは体は凄く鍛えられていますが、動きにまだ
ぎこちなく感じます。他の競技から転向したのでしょうか?逆に川口さんは形だけは異様に様になってます。でも、体は全然できていなくて、とても野球をやってきたとは思えません」
正美はキャッチボールを見ただけで、これだけの事を把握したのだ。そんな正美に芳乃は興奮を抑えられない。
「ん~、やっぱり三輪さんも入部しようよ~」
芳乃は正美の後ろから抱き着いた。
「ちょっとー、川口さん!」
「芳乃で良いよ~。名字だと息吹ちゃんと紛らわしいでしょ?ね、正美ちゃん」
「川口さんは人との距離を積めるのが早すぎじゃないかな!?はぁ、もういいや、芳乃ちゃん······」
「うん」
正美に名前を呼ばれて、嬉しそうに笑う芳乃であった。
全体練習はなかなかハードで密度の濃い内容だった。今は各自が課題とする部分の練習となっているが、今日の練習を見て分かる範囲で言えば、そのポイントは的確なものと思われる。流石は元強豪校なだけあると、正美は感心する。むしろ、なぜ低迷したのか不思議な程だ。
時間的にそろそろクールダウンを始めるものかと思ったのだが、詠深がベンチへ走ってきた。
「三輪さん、私の球打ってみない?」
「いやー、私今日ジャージ持ってきてないからー」
詠深の提案にやんわりお断りする正美。
「だったら、部室に練習着が余ってるから、それ使ってよ」
しかし、正美のプレーを見たくて仕方のない芳乃は正美の返事を聞かずに手を引く。
「ちょっとー、私やるなんて一言も行ってないよー!?」
「私、正美ちゃんのバッティング見たいな~」
目をギラギラさせる芳乃に押しきられ、正美は部室に連れていかれた。
「正美ちゃんユニフォームのサイズは?」
「······Sだよ」
正美のサイズを確認した芳乃は、着替える正美の体をじぃーっと見つめている。
「ねぇ、そんなに見られると着替えにくいんだけど······」
「正美ちゃん、体触って良い?」
お昼に勝手に足を触って怒られた芳乃は了承を得ようとするが、既にその手は正美へと向かっていた。
「やめて欲しいかなー」
「はうぅ······」
――あざといなー······。
そう思いながら、今のうちにと着替えを済ませる正美であった。
グラウンドに戻ると、部員のみんなは全員ポジションに着いていた。
「三輪さーん、いつでも大丈夫だよ!」
正美はベンチでヘルメットを被り、バットを取るとバッターボックスに向かう。
「せっかく着替えたし、打ったら走るねー」
そう宣言して、正美は左打席に入った。足場を確認し、外角低めのストライクゾーンにバットを1回通してからバットを構える。
詠深は頷くと、ワインドアップのモーションから東急動作に入る。スリークォーターで投げられたボールは真っ直ぐキャッチャーミットに吸い込まれていった。
「ストラーイク!」
審判に入っていた芳乃のストライクコールがグラウンドに行き渡る。
バットは動かさなかったが、体でとったタイミングは完璧だった。ストレートは問題ない。
詠深の2投目が風を切る。正美はバットを動かしたものの、ボールに当たり前にスイングを止めた。
バッテリーには知り得ないことどが、正美は普段、1番を打つことが多い為、最初から早打ちすることはまず無い。
――今のはツーシームかな。なら、フロントドアも警戒しないと。
ノーボール2ストライク。完全に投手有利のカウントだが、正美には微塵の焦りもない。
3球目。詠深が投じたボールはすっぽ抜けた様に外角高めへと逸れていった。
正美はそのボールを見送ろうとするが、脳裏に正美のものではない変化球の記憶が走る。
バットは反射的に回っていた。ストライクゾーンでバットに触れたボールは左後方に飛ぶ。
「ファールボール!」
堪らずにバッターボックスを外した正美は詠深を見つめる。その表情からは驚きが見てとれた。でも、それは長く続かず、不敵な表情に変わる。
――間違いない。この娘は生粋のピッチャーだ。
正美は一つ息を吐くと、集中のギアを上げてバッターボックスに入る。
――球種はおそらくナックルカーブ……いや、ナックルスライダーかな?
詠深のゆったりとした東急動作から投じられた4球目は再び外角高めに大きく外れるような軌道を描く。
――顎は絶対に上げない。基本に忠実に。外から入ってくるボールに対して、コンパクトにセンター方向へ意識してバットを振れば……。
正美の振るうバットは真っ芯で詠深のナックルスライダーを捉えた。
――打球は右中間へ飛ぶ!
正美は前に打球が飛んだのを確認すると、一塁へ向け走った。
センターの怜は抜ける当たりではないと確信し、後ろに下がることなくボールを追う。怜の思った通り、彼女は打球に追い付き、グラブにボールを納めた。
「キャプテンッ、セカンド!!」
長打コースではない当たりだったが、正美はスピードを落とすことなく、一塁を回っていた。
怜は透かさず二塁へ送球する。ショートの稜は送球を受け取り、素早くタッチの動作に移ろうとするが、その頃には滑り込んだ正美の足は二塁へと着いていた。
「マジかよ······」
怜は思わず呟く。彼女のプレーに無駄と言う無駄は無かった。最適のルートで打球を追った。だからこそ、二塁へは走らないだろうと言う油断はあったものの、素早く反応した珠姫からの指示も、それに即応えたセカンドへの送球も完璧だった。しかし、それでも正美の足はそれを上回ったのだ。
「いやー凄いねー、さっきの球」
正美はユニフォームに付いた土を払いながら、ニコニコ顔で詠深に話し掛ける。
「あははー。でも、初打席で打たれちゃったし、やっぱり私の球って大したこと無いのかなぁ······」
「いやいや、そんな事ないってー。あんな球、初めて見たよー」
私はね、と正美は心の中で付け加えた。
トボトボ歩く詠深と一緒にベンチへと向かう。
「正美ちゃん凄いよ~。いきなり詠深ちゃんからヒット打つなんて」
芳乃は正美の横から抱きつき、ピョンピョン跳ねる。
「······制服が汚れちゃうよ~」
正美は芳乃のスキンシップを1日で諦めていた。
そうこうしている内に新越谷ナイン全員がベンチへと引き上げてくる。みんな口々に正美を称賛した。
「三輪さえ良ければ是非、入部して欲しい」
あまり乗り気でないことを聞いていた部長の怜は正美を引き留めようとする。
正美の後ろから詠深がのしかかるように抱き付いてきた。
「勝ち逃げは許さないよ~」
――あ、この娘も芳野ちゃんと同じタイプだ。
「一緒に野球やろ」
芳乃は正美の手を両手で握る。
「······しょうがないなー」
詠深との勝負で柄にもなくスイッチが入ったのも事実だ。
後ろの詠深を下ろすと、正美はナイン全員が見える位置に移動した。
「1年の三輪 正美です。全ポジション一通り守れます。しっかりベンチを温めておきますので、代走から終盤の守備位置調整などなど便利に使っちゃってください」
なんといきなり補欠宣言をする正美。そんな彼女に芳乃は不満を漏らす。
「えー。正美ちゃんは文句なしのスタメンだよー」
「そうだよ。詠深の魔球を打てるんだからベンチに居たら勿体ないよ」
稜はそう言うが、正美はにへら顔になる。
「良いのかなー。ショートのポジション奪っちゃうよー?」
低身長の正美がしたから除き込むように言うと、稜の表情は絶望に染まった。
「うそうそ。駄目だよーみんな、人を頼っちゃ。自分の力を信じて敵に立ち向かわないとー。私は控え。ね?」
かくして正美は野球部への入部を決めたのだった。
この時、正美に対し、あまり良い感情を抱いていない者がいたことに、本人以外、気付く事は無かった。
夢を見ている。目の前には私のものではない記憶の持ち主が立っている。
「初めまして、正美ちゃん」
「はいー。おじさんも初めまして。いつも記憶を使わせてもらってます」
叔父さんは私の言葉に辛そうな笑いを浮かべた。
「その事についてはお詫びするよ。本当であれば、君はもっと大きな舞台で野球をしていたはずなんだから」
「いえいえー。今日もおじさんのお陰でヒットを打てましたから」
「そう言ってくれると、少しだけ心の閊えがとれるよ」
ここから暫く私とおじさんは雑談をする。私のプレーについておじさんが意見を述べたり、逆に私がおじさんが生前にとった家族への対応を窘めたり。本当に色々な話をした。
「もうすぐ目覚めだね。最後に。知識や記憶だけじゃ野球は出来ない。君の野球の実力は君だけのものだよ。だから、君は何も負い目を感じる必要はないんだ」
「……分かりました。考えておきます」
私がの答えに、おじさんはまた苦笑いを浮かべる。
「それじゃあ、また野球を教えてくださいねー」
「もちろん。いつでもおいで」
目の前からおじさんが消えていく。目を覚ますと、いつもの見慣れた天井だけを瞳は捉えた。
後書き
夢の中は主人公視点の一人称にしました。
ページ上へ戻る