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魔法使い×あさき☆彡

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第八章 アサキ、覚醒

     1
「んじゃまあ、そんなワケでえ、しくよろーっス」

 白い半袖セーラー服姿の、水色と白のしましまフレームの大きなサングラスをおでこにかけた、タレ目が印象的な女子が、見た目通りのかるーーい喋り方で、チェケラッみたいな感じに上げた右手を振った。

 それに続いて、彼女と同じ制服を着た隣の女子が、のほほんとしたゆっくり口調で、

「お土産買ってくるからあ。なあんにも起きなければいいけどお、なんかあったらあ、よろしくお願いしますねえ」

 のーんびりした口調ながらも丁寧に、ゆっくり深々と、頭を下げた。

「まっかせといてえ! ノブにゃんとヒサにゃん!」

 向き合って立っている、天王台第三中学校の女子制服を着た六人のうち、(へい)()(なる)()が、どっかん自分の胸を叩くと、そのまま右拳を突き出した。

「おー、あんがとさんっ。んっじゃねええっ。しくよろーっス」
「ぐーっどらーっく」

 セーラー服の女子二人は、振り返りつつ、またまたチェケラッチョみたく手を振って、コンビニのある角を折れて、姿を消した。

「いまの妙に騒々しい女子が、第二中の(よろず)(のぶ)()さんと、(ぶん)(ぜん)(ひさ)()さんじゃ。たまに共同戦線を張る仲じゃけえ、覚えといた方がええよ、アサキちゃん。……忘れたくとも忘れられんかも知れんけど。相変わらずキャラ強烈じゃけえね」

 その騒々しさにすっかり辟易してしまっているのか、(あきら)()(はる)()は苦い笑顔でアサキへ説明した。

「確かに強烈だったね。……でも、ちょっと安心したあ」
「なにが?」

 小首を傾げる治奈。 

「いやあ、他にも仲間がいたから、ようやくこうした活動をしていることの実感がわいたというか。……ひょっとして、みんなで担いでいるのかなあ、とも思ってたからさあ」

 というアサキの言葉に、みんな、ずどどっとずっこけ転びそうになった。
 いや、カズミなど本当に転んで、アスファルトにおでこ思い切り打ち付けてしまった。

「いまさら過ぎるだろ! お前はもう、何度も変身して、ヴァイスタと戦ってるし、殺されそうになってもいるだろ!」

 立ち上がったカズミは、涙目でおでこ押さえながら、赤毛の少女へと声を荒らげた。

「まあ、そうなんだけどさあ。でも、ほら、わたしたちだけでしょ?」
「ん? ああ、ヴァイスタと戦う者があまりに少人数過ぎて、いまいち現実感が持てなかったってこと? まあ確かに、メンシュヴェルトって、どこにあって誰がいて、とか、あたしもなーんにも知らねえなあ」
「でも、いまのでちょっと実感は持てた。……とにかく、こうした持ちつ持たれつで、わたしたちもこないだの合宿をすることが出来たんだね」

 一人うんうん頷いているアサキ。

 先日行われた強化合宿には、治奈たち第三中の魔法使いが五人全員揃って参加したのだが、アサキは、もし留守中にヴァイスタが出たらどうするのか気になって仕方なかったのだ。
 他の魔法使いが守るから大丈夫だよ、と治奈たちにいわれていたとはいえ、そんな人たち見たことなかったし。

 さっきの、ああいう子たちが代わりに戦ってくれていたんだ。と思うと、少しスッキリした。
 あんなチェケヨロみたいな態度でまともに戦えるのか、という別の問題に対してモヤモヤしてしまいそうだが。

「まあ、そういうことだな。あん時は確か、さっきのあいつらが天三中の全エリアを引き受けてくれたんだっけか。でも、ヴァイスタ一匹くらいしか出なかったらしいけどな」
「それでも感謝だよ。だってヴァイスタから人々を守ってくれたんだもん」

 アサキはぎゅうっと両の拳を握った。
 同じ志の仲間がいることに、ちょっと心楽しい気持ちになって、それでちょっと興奮しているのだ。

「だからさ、それはお互い様なんだってばよ。……つうか正直いっていいかあ?」
「なあに?」
「あたし、あいつら嫌い! アサキも見たろ? ケツに子が付いたり古風な名前のくせに、まあ態度がチャラチャラしててさあ。確かあそこ、全部で十人ちょいの魔法使いがいるんだけど、全員が全員もうなんだかあんな感じなんだよ。うちでいうところの成葉みたいな感じ? 相対しているだけでもう身体中をバリバリ掻きむしりたく……」
「ナルハは、あんなチャラチャラなんかしてないもん! ナルハは、あんなチャラチャラなんかしてないもん! 普通だもん!」

 平家成葉の、まるで幼児のような金切り声が、カズミの声を言葉途中で粉々に砕き吹き飛ばした。

「成葉ちゃあん、声がうるさいよおお!」

 アサキが、いや他のみんなも、

「キーーーンとするけえ」
「鼓膜破れるやろ!」
「音声兵器かお前はあ!」

 酸っぱすぎる梅干しを口に放り込まれたかのような、ぐちゃぐちゃな顔で、両耳を塞いでいる。

「あれ、そもそもなんの話をしてたんだっけか?」
「忘れないでよお、カズミちゃん。さっきの子たちが、合宿の時に交代してくれたって話だよ。そしたらカズミちゃんが、あの子たち嫌いとかいい出して」
「ああ、そうだそうだ。つかアサキがそんなどうでもいい話をするから、その流れでナル坊の怪音波を食らっちまったじゃねえかよ!」
「わたしのせいじゃないよお!」

 などと、カズアサ漫才を延々続けていても仕方ないので、話を進めよう。

 先ほど治奈が説明した通り、チャラい態度の白セーラー服二人は、隣の学区である天王台第二中学校の女子生徒だ。
 彼女らもまた、メンシュヴェルトに所属する魔法使いなのである。

 水色と白のストライプが入った大きなサングラスをかけていて、言動のことごとくがチャラチャラしているのが、リーダーの(よろず)(のぶ)()

 のほほんほんわか、悩みもなさそうにしているのが、副リーダーの(ぶん)(ぜん)(ひさ)()だ。

 彼女たちが担当する第二中エリアの半分を、これからの三日間、アサキたち第三中の魔法使いが守ることになるのだ。

 どうしてそうなったかというと、第二中学校のメンバーの中に、家庭の事情でどうしても数日間遠くへ行かなければならない者が出たことがきっかけである。

 中二の姉妹で、抜群の連係が自慢のエース級の存在。チャラチャラ度もエース級らしいが、ともかくその二人が不在となれば頭数の問題以上の戦力大幅ダウンは必至。
 開き直りではないが、ならばいっそ任務を交代してもらい全員でリフレッシュ休暇に当てないか? という話が持ち上がって、自校の校長に申請し、第三中の樋口校長が快諾。

 かくして、第三中学校の魔法使いが、これから数日の間、第二中学校学区の自分たちに近い側半分を受け持つことになり、リーダーと直接会って、引き継ぎに必要な警戒ルールや、出没地点の注意点など話を聞いていたのである。

「それじゃ、あたしらも帰るかYO(ヨー)チェケラッ」

 猫背になってラッパーみたいな指使いをしながら、カズミがくるり踵を返した。

(よろず)さん、チェケラなんて一回もいったことないじゃろ」
「そう? でもあいついつも、こういう指やるじゃん」
「ああ、ほうじゃね。いわれてみれば」

 治奈もチェケラな指使いを真似してみせた。

「現在わたくしたち全員が一緒にいるうちに、当番や待機の体勢について話し合いをしておきたいですね。アサキさんとウメさんが加わったこともありますし、これまで漠然としていたルールをはっきりさせ、修正しておきましょうか」

 と、(おお)(とり)(せい)()が、ゆっくり丁寧な口調で、建設的な提案をした。

「当番?」

 アサキが首を傾げた。

「一時的とはいえ、二つのエリアを守るのは大変です。でも、よその守りを預かるわけですから責任は重大ですよね」
「うん。それはそうだよ」

 正香の正論に、アサキはこくり頷いた。

「でも、(よろず)たちの時は、無責任にチェケラチェケラやってただけだと思うぜ。たぶん」
「ほじゃから、そがいな言葉一度も聞いたことないじゃろ……あ、ごめん、続けて正香ちゃん」

 治奈は笑ってごまかしながら、どうぞーっと両の手のひらを正香へと差し出した。

「はい。通常の任務は日々のことですし、警戒エリアも狭いので、あまり自らを縛らず臨機応変にやっているところがあるんです」
「アサキ、臨機応変って分かるかあ?」

 カズミが茶々を入れる。
 小馬鹿にされ、ムッとした表情になるアサキであるが、正香がそのまま語り続けようとしているので、慌てて表情を戻して話を聞く。

「でも、よそのエリアを任される以上はそうもいかない。ですから、誰を哨戒任務につかせるか、自宅待機のローテーションはどうするか、などしっかりルールを決めておかないと、なにか起きたときに迅速的確な対応が出来ない」
「ああ、なるほど。だからこれからそれを決めようってことだね」

 アサキは、ポンと手のひらを叩いた。

「はい。上が、そうした行動まで管理するところもあるらしいですが、我々の場合は基本的に自主裁量に委ねられていますので」
「分かった。どこで話し合うの?」
「そんじゃあYO(ヨー)、みんな聞けYO、そこを曲って手賀って少しのとこに、でっけえかっけえ公園あるからYO、そこで話し合いは無し愛とかなにいってんのか分かんなくなっちゃったYO!」

 カズミは、またまた再び踵を返して、指をパチンパチン鳴らしながら公園への道を歩き出した。

「ほじゃから(よろず)さんたち、ラッパーではないんじゃけど……」

 青空の下、治奈がぼそり虚しい突っ込みを入れたYO。

     2
 静かに揺れる水面に、きらきらと反射している天からの光。
 それが、木々の隙間から、淡い微粒子のシャワーとなって、(りよう)(どう)()(さき)たち六人を照らしている。

 アサキはその眺めの美しさや、肌へと降り注ぎさわさわと撫でるマイナスイオンの心地よさに、しばし言葉を失ってしまっていた。

 ここまで間近に、手賀沼を見るのは初めてだ。
 学校の教室からの、遠く見下ろす眺めとしての手賀沼は、もうすっかり慣れた光景だが。

 手賀ひかり公園。

 野球場がすっぽり入りそうなくらいの広大な敷地は、ほとんどの部分が芝生で覆われており、木々がところどころ点在し、ところどころ密集している。
 総じて、自然が多い印象だ。
 といっても、かなり人工的な自然ではあるが。

 子供用の遊具も多いが、大人もくつろげる公園である。

 彼女たちから少し離れたところに、船着き場があり、普通のボートだけではなく、足漕ぎのアヒル型ボートも乗れるようだ。

「ああっ、見てみい、あんなとこに蒸気機関車が走っとるで。常磐線の特別企画列車やろか?」

 視線きょろきょろ眺めを楽しんでいた(みち)()(おう)()が、不意に、興奮に声を荒らげた。

「え、え、なに、なに、どこよ?」

 カズミが目を細めて、応芽の指が差している方へと視線を向けた。

「ずうーっと向こうに走っとるやろ。目え悪いんか自分」
「ん? あのー、ひょっとしてえ、ずっと向こうじゃなくて、すぐそこのミニミニSLのこといってねえか?」

 公園敷地内の、小さなフェンスに覆われた一角に、幅の狭い線路が張り巡らされており、そこを子供たちを乗せた小さな蒸気機関車型の乗り物が走っているのが見える。
 すぐそこに。

「あ、ああ、遠近法か! なんや子供みたいな巨人がまたがっとって、おかしい思うたわ、遠くの背景とよう噛み合わへんし。いやあ、子供の乗り物かあ。おかしい思たわあ」

 素で見間違えていたらしく、応芽はちょっと顔を赤らめながら、笑ってごまかした。

「おかしいのお前の目だろ。それともアサキのボケ癖が移ったか?」

 追撃の手を緩めないカズミ。

「あのー、カズミちゃん、ことあるごとにわたしを引き合いに出すの、そろそろやめてもらえますかあ」

 アサキが、なんだか情けない顔を、ぐいーっとカズミへと寄せて悲痛な訴え。

「やだよ、バカとヘタレを語るのに、こんな分かりやすい比較対象ないもん」
「ガチョーン」
「はあ? 昭和四十ちょっと前みたいなリアクションしてんじゃねえよ! ちょっとムカついちゃったからあ、どうせ芝だし遠慮せずう……」

 身を低くしながら、アサキの背後に素早く回り込んだその瞬間、

「投げっ放しっジャーマーーーン!」

 腰に腕を回し、言葉通りのジャーマンスープレックスで後ろへ投げ飛ばしてしまった。

「うぎいっ!」

 芝だけどゴツっと結構凄い音で、後頭部を強打したアサキは、猿が踏み潰されたような気持ち悪い悲鳴を上げると、制服のスカートが大きくまくれてパンツ丸見えの激しくみっともない状態で、ごろんごろん後ろへ転がって、そのままきゅーっと伸びてしまった。
 と思ったらすぐ復活、
 パッと起きて、ポッと顔を赤らめ、サッとスカート直すと、ガッとカズミの胸倉を掴んだ。パッポッサッガッ、この間たった二秒。

「首の骨が折れたじゃないですかあああ!」

 痛みに目を潤ませながら、土にまみれた汚い顔でカズミへ詰め寄った。

「折れてない折れてない。手加減はまったくしてないけど、芝だから。いや、さすがあたしが鍛えてあげているだけあって、回復が早くなったなあ」

 はははっ、と笑うカズミ。

「趣味で発散してるだけのくせに、なにを恩着せがましく。なんですかあ、我孫子市ではガチョーンといったらプロレス技で投げ飛ばされなきゃならないんですかあ」

 胸倉から手を離したものの、まだまだアサキの顔は激しく不満顔だ。
 まあ、さもあろうか、下手したら首の骨が折れていたのだから。

「前から聞こうと思ってたんやけどな、自分ら、女子プロレスラーでも目指してん?」

 呆れきった表情で、応芽が尋ねた。

「ら、って目指しているのカズミちゃんだけだよう!」

 まったくもう。
 と、近くのベンチに、どかっと腰を下ろすアサキであったが、不意ににんまりした笑みを浮かべ、

「あ、でもいまカズミちゃんが目指しているの、アイドル歌手だっけえ? ふりふりスカートのさあ」
「そうかそうか、プロレス技百連発を食らいてえのか。どの技からにしようかなあ」

 獣が牙を剥き出したような、危険な笑みを浮かべなから、カズミが手の指ぽきぽきアサキへと近寄っていく。

「好きにやっとれや」

 ため息を吐きながら、慶賀応芽も隣のベンチに腰を下ろした。

「まったく。いつまでも子供じゃけえね」

 応芽の横に、(あきら)()(はる)()が座った。

 (へい)()(なる)()は、少し離れたところで、鳩を追い回して遊んでいる。
 中学生にしては背がとても小さいので、なんだか少し身体の大きな幼児がはしゃいでいるかのようだ。

 そのさらに向こう、(おお)(とり)(せい)()は木陰に立ったまま、リストフォンの画面を見ながら、なにやら考え込んでいる。
 第二中の留守番を効率よくこなすための、案を練っているのだろう。

 なんとなくの流れから、グループリーダーである治奈、サブリーダーであり戦闘面のリーダーであるカズミ、として活動してきた彼女らであるが、しっかり計画を練って落とし込む参謀的な役割は、正香が引き受けることが多いのである。

「ここ、なかなかええ公園やな」

 淡い木漏れ日を受けながら、応芽が目を細めた。

「本当だねーっ」

 アサキも、さっきの頚椎骨折の恨み怒りはどこへやら、こたつでお茶を飲む年寄りみたいに、なんだか幸せそうな顔で、ほーっと息を吐いた。

 その隣に座っているカズミも、一緒になって、目を閉じて肌に木漏れ日を感じていたが、やがて目を開くと、笑顔をアサキと応芽へ向けた。

「そう思うだろ? なんか、じわじわと、幸せ感がくるだろ? わざわざここにきたのはさ、あたしらはこーんなところも守ってるんだってことお前ら二人に知って……」

 珍しく、ちょっといい話的なことを語り出すカズミであったが、

「中学生って子供料金じゃダメですかあ?」
「せめてまからへん?」

 いつベンチを立ったのか、アサキと応芽が、ミニミニSLのチケットを安く買おうと券売所の老人と交渉している。

「聞けよ! つうか乗る気かよそれ!」

 カズミは、勢いよく立ち上がりながら、怒鳴り声を張り上げたが、すぐそばなのに、はしゃぐ二人の耳には全然届いてないようだ。

「ったく。子供かよあいつら」

 はあーっ、とため息を吐きながら元気ない顔で座り直した。
 さすがのカズミも、怒りパワーの過放電で、弱々しくなっちゃったようである。

「カズミちゃんも、去年散々に乗ってたじゃろ。中一のくせに、身体の大きな小学生だと頑なにいいはって、子供料金で」
「えー、そうだっけえ、覚えてなあい。それきっと成葉だろお」

 はははっ成葉は幼いなあ、と大きな笑い声でごまかしていると、当の成葉が鳩を追いかけるのに飽きたか戻ってきた。
 話が少し聞こえたようで、

「その話さあ、確かにナルハも何回か乗ったよお、でもカズにゃんの方が遥かに……ぎゃあああああああああああ、ずるいいいいいいい! アサにゃんとウメにゃんだけ乗ってるうううう!」

 成葉は、とっても悔しそうに、だんだんと地面を踏みつけた。

 がしゅがしゅがしゅがしゅ

 アサキたちを乗せたミニミニSLが、こちらへと走ってくる。
 車両搭載のスピーカーから、走行音を流しながら、
 他にもたくさんの、小さな子供たちを乗せながら。

 先頭の二人だけが、大きな子供だ。
 天王台第三中学校の女子制服を着た、大きな子供だ。

 がしゅがしゅがしゅがしゅ
 ぴーーーーーーーーーっ

「隊長、あれはなんでしょうか!」

 ミニミニSLの先頭から二番目にまたがっている、赤毛でアホ毛の大きな子供、アサキが、カズミたちを指さして、隊長の背中へと大声で話し掛けた。

「異星人や! 未確認生命体や!」

 先頭にまたがる隊長も、ノリノリである。

「撃ちましょう隊長!」
「おう。地球の平和を守るんや。撃てーーー!」
「隊長! なんだか一匹、ひときわ凶暴そうなのがいます。伝説のプロレスゴリラでしょうかあ!」
「出たあ! プロレスゴリラに集中砲火やあ!」
「イエッサー!」

 ダダダダダ、
 ダダダダダ、

 銃を撃つ真似をしている二人。
 その後ろに、すっかり呆気に取られているチピっ子たちを乗せて、ミニミニSLは、汽笛を鳴らしながら通り過ぎていく。

「成葉、治奈! あいつらにぶつける手頃なサイズの石を持ってこい!」

 プロレ……いや、カズミは、またもや怒鳴り声を張り上げた。
 怒りパワーをすっかり使い果たしたと思われたのに、なかなかどうして、今度は顔を耳まで真っ赤にして、身体をぶるぶるぶるぶる、足元で地震が起きている。
 追い掛ける列車があるならば、きっと追撃のため、乗り込んでいただろう。

「無邪気ですよね、アサキさんは。ウメさんまで一緒になってというのが、少し意外ですけど」

 向こうの木陰に立っていたはずの正香が、いつの間かベンチに座っており、微笑ましげな表情で、アサキたちの姿に目を細めている。

「まったくな。ウメッチョの奴、初めての時の、くっそ嫌味な態度が、信じられねえよな」

 ふはーっ、と息を吐きながら、荒々しくまた腰を下ろす。立ったり座ったりため息吐いたり、忙しいカズミである。

「多分あいつさあ、ちっちゃい頃からギルドで鍛えられていたとかいうのは本当の話でさ、だから学校でも、友達がいたことなかったんだよきっと。あたしたちとも、接し方が分からなかったんだ。とか思うと、まあ不憫な女だよ」

 上から目線なことをいいながら、はははっと乾いた笑いのカズミ。

「ほんとほんと、ウメにゃん不憫にゃあ、ううっ」

 成葉が、声を震わせながら、涙を拭う仕草。
 どうせ嘘泣きであろうが。

「せめて学が人並みにありあゃまだしも、元の頭の作りが並以下だった上に、戦闘訓練と魔力鍛錬ばっかりだったことで、勉強もからっきしでござあい、と」
「おおおお、ウメにゃん泣けるううう」

 顔は笑っているが。

「そうかどうかは、本人のみぞ知るじゃけど、今日のウメちゃん見ててとっても楽しそうじゃけえね。自然に笑うと、あんなに可愛らしいんじゃのう」

 治奈も話に参戦。ぐるりコースを回ってようやく戻って来たミニミニSLに乗っている、おっきな子供たちを指差した。

 がしゅがしゅがしゅがしゅ
 ぴーーーーーっ

 と、音を立てるミニミニSLにまたがりながら、応芽とアサキが、ふざけ合い、押し合い、くすぐり合っている。
 二人とも、声を出して楽しそうに笑っている。
 後ろの幼児たちが思わず引くくらい、はしゃいでいる。

「しかし、いくら二人ともここにくるのが初めてとはいえ、はしゃぎ過ぎじゃのう。本当に、中二なんじゃろか」

 治奈は苦笑した。

「この公園さあ、こうして徒歩でこられなくはない距離なんだけど、でもこんな機会でもない限りこないよな。だから、たまにゃあこうして交代してやんのも悪くはないよな」

 ベンチで淡い陽光を浴びながら、誰にいうでもなくぼそりとカズミ。

「うーん。でもさあ、ナルハたちの方が代わってあげたこと多いよね。えっと、あの時と、あの時とお……」

 不公平に感じているのか、成葉が唇を尖らせながら、指を折り折り数え始めた。

「まあ、だからあいつら、お土産買うとかいってたんだろ」

 (よろず)(のぶ)()たちのことである。

「いってたね。なんだろね、お土産って」
「分かんね。あいつら常識ないけど、まさかビックリ箱ってこともないだろうし、少しくらい期待しとこうぜ。まーったく遠慮せず貰うぞお、あたしは!」
「ナルハもだあ!」

 成葉は、右腕を勢いよく天へと突き上げた。

「ザーヴェラーでも出た日にゃ、まったく割が合わねえけどな。どんな豪勢な土産物も」
「死ぬもん」

 わははははぎゃははは、と膝やももを打って爆笑するカズミと成葉。

「不吉なこというな! あがいなもんそうそう出られちゃたまらんけえね」

 治奈が、ぞぞっとした薄ら寒い表情で、二人の不吉発言を注意した。

「それって、空飛ぶ巨大ヴァイスタのことだっけ?」

 質問を投げ掛けたのはアサキである。
 応芽と一緒に、ミニミニSLの発着所から歩いてくる。
 充分に堪能発散したのか、二人揃って満足げな表情だ。

「ほうよ。よく知っとるけ……ああ、そういえば、合宿の時にちょこっと話しよったかの。飛翔魔法の話になった時じゃな」
「んなそうそう出てもこねえザーヴェラーの話なんかよりさあ、あたし、アサキのことぶっ飛ばそうと思って、待ち構えてた気がすんだけど、なんだっけえ?」

 治奈とアサキの間に、カズミが割って入った。

「半殺しにしてから全裸にひんむいて、そのまま大股開きで縛り付けてミニミニSL走らせてやるぞ、って思ってたんだけど……。アサキ、あたしにそうされる心当たりない?」

 異様に物騒なことを、さらり平然と尋ねるカズミである。

「いやあ、全然ないなあ。というか、いつもなんにもしてないのに、殴ってくるんじゃないかあ」
「うーん、なんかくっそ激しくムカつくことされた気がするんだけどなあ。……仕方ねえ、とりあえずボコボコにして全裸にひんむいとけば同じことか」

 ぐーっ、とアサキへと両手を伸ばすカズミ。

「やめてーーーーっ! 同じの意味が分かんないっ!」

 踵を返して逃げ出そうとするアサキであるが、既に遅かった。
 背後から、襟首を力強く掴まれていた。

 嗚呼、絶体絶命アサキの運命や如何に如何に。
 と、いうほどでもないのかも知れないが、とにかくぐいぐい引き寄せられて、サラリーマンのとりあえずビール的にとりあえずスリーパーホールドを受けたアサキが、

「やあべえでええええええ!」

 なんとも情けない悲鳴を上げた、その時であった。

 平家成葉が、幼ない顔を不意に怪訝げに険しくさせて、

「ね、なんか感じない? 嫌なにおい、とでもいうのかな」

 注意深く、視線を左右に走らせたのは。

     3
「ね、なんか感じない? 嫌なにおい、とでもいうのかな」

 ぼそっ、と小さい声ではありながらも、鋭い(へい)()(なる)()の語調に、ただならぬ気配を察したか、みなの顔に緊張の色が走っていた。

 ただ一人、カズミを除いては。
 アサキの服を脱がそうとしていたのを解放してやると、疑惑の視線を成葉へと向け、ニヤーーーッと笑いながら、鼻をつまんでもう一方の手をパタパタと振った。

「いやあ、古来より第一発見者が、とかいいますなあ」
「そんな話、誰もしてないよ! カズにゃんのバーーーーーーーーーカ!」

 周囲の木々枝々から葉っぱを全部落としそうな、成葉のキンキンとした金切り声が響き渡った。

「ひょっとして、ヴァイスタが出た?」

 はだけたブラウスをスカートに押し込みながら、アサキが尋ねる。

「成葉の声の方が、ヴァイスタよりずっと強烈だよお。ああくそ、耳が痛え」

 一番近くにいたため、金切り声による音波爆撃をまともに受けてしまったカズミが、泣き出しそうな顔で片耳を押さえている。
 泣こうとも鼓膜が破れようとも、自業自得というものではあろうが。

「いや、なんだろう、ヴァイスタとは違うかな……」カズミの言動を完全無視して成葉、「感覚としては、明らかに違うんだけど。そうかといわれると、そうともいえないというか。なんだろう、この感覚は」

 しかめた表情で、成葉はまた視線を左右へと走らせた。

 カズミもようやく、冗談をいっていられない状況を認識して、真顔になった。一緒に、きょろきょろし始める。

「成葉さんの勘は、かなり鋭いですからね。では、わたくしが探知魔法を唱えて探ってみます」

 (おお)(とり)(せい)()は一歩前へ出ると、力を抜いてだらり腕を下げ、目を閉じた。

「ウォ イスト エトワズ……」

 呪文の詠唱を始めると同時に、正香の全身が、ぼおっと浮き出た薄青色のオーラに包まれていく。
 といっても、普通の人間には簡単に見ることの出来ないものであろうが。ある程度以上の魔力、魔法適性がない限りは。

 アサキはなんだか不思議そうな表情で、中学校の制服姿で呪文を唱えている正香の姿を見つめている。

「そうか……魔道着を着ていなくても魔法って使えるんだ」

 考えてみれば、当然か。
 昔の魔法使いの頃は、魔道着なんかなかったんだもんな。

「なにをいまさらいってんだ。魔道着は、魔力の流れを効率よくコントロールするだけ、って教えただろが。で、どうだ? 正香」

 カズミの呼び掛けに、正香は小さく首を横に振った。

「なにも探知出来ませんでした。コンピュータに例えると、検索条件に対してヒットしなかったというだけで、成葉さんの勘を否定するものではありませんが、でもわたくし程度の魔力では、追えなかった」
「そっか。……ん、ウメ、どうかしたのか? なんか難しい顔になってるぞ」

 カズミにじっと見られていたことに気が付いた(みち)()(おう)()は、びくびくっと飛び上がりそうなほどに肩を震わせた。

「な、な、なんでもあらへん。平家成葉のいってた嫌な気配ってなんやろか思うてただけや」
「ふーん。それがそんな慌てるようなことか?」

 訝しげな視線を向けるカズミ。

「考え事しとるとこ、そないなヤンキー顔がじーっと見とったら、そうもなるわ!」
「まあどうでもいいけどさ。……ナル坊、まだその嫌な感覚って、あんのか?」
「うーん。なんだったのかなあ? すーっとなくなっちゃった。気のせいだったのかも。騒がせてごめんね」

 成葉は後ろ頭に手を組んで、にゃははっと笑った。

「まあ、なんもなきゃ、それでいいんだからよ。……んじゃ、そろそろ帰るかあ。行こうぜ、陽が暮れる前……」

 と、促すカズミに、アサキが、

「あれえ、なんか話し合おうとかいってたような気がするなあ」

 言葉を被せた。

「え、なんだっけ? 成葉の屁の話で忘れちゃったよ」

 思い出そうと、カズミの視線が空を泳ぐ。

「ナルハ、おならなんかしてないよ! 生まれていーーーーーーーーっかいもしたことない!」
「ぐぁ、鼓膜破れたああああ!」

 再び間近で殺人音波を受けたカズミは、両手で耳を覆いながら、のけぞりつつ絶叫した。

「天二中の留守番期間を話し合おうということで、カズミちゃんがここへこようといい出したんじゃけえね」

 治奈、こうなること予期してましたあとばかり、両耳に人差し指を突っ込んで、しっかり耳栓をしている。

「そうそうそうだよお、自分でいって忘れてちゃっててさあ、やだなあカズミちゃんはあ」

 同じく両耳を塞いでいたアサキは、引っこ抜いた人差し指で、つくつくつくつく、カズミの脇腹をつっつき始めた。

「やかましい! お前たちが中学生にもなって、ミニミニSLなんかに乗ってっからだろうが!」

 ボッガン!

「あいたあっ! カズミちゃんすぐ殴るんだあ!」

 アサキは泣きそうな顔になって、いや実際に目に涙を滲ませて、自分の頭を押さえた。

「あ、そうだっ、ミニミニSLで思い出した! お前、さっきあたしのこと、プロレスゴリラとかいって笑ってただろ!」

 ドキッ!
 アサキの小さな胸の中で、心臓が肋骨の内側を叩いた。

「い、いやあ、知らないなあ」

 すっとぼけた。

 自分でも、いったことすっかり忘れていた。
 楽しくてついついハイテンションになって、悪乗りしてしまったことを。

「そんなにプロレスが好きならあ、その身にとくと味わえフランケンシュタイナーーーッ!」

 カズミは雄叫び張り上げながら正面から高く飛び上がると、スカートも気にせず両足でがっしと、アサキの頭を挟み込んだ。
 そのまま後ろへ身をそらせ、アサキの身体を巻き込んだまま、ぐるんと回転して、頭部を地面へと叩き付けた。

「えぎっ!」

 小動物を踏み潰したかのような、アサキの悲鳴が上がった。

 フランケンシュタイナー、プロレスの技である。
 遥か昔のプロレスラーであるスコット・スタイナーのオリジナル技だ。
 遠心力で振り回した相手の頭部をマットに叩き付けるわけで、危険度はかなり高い。
 日本では、平成の時代に()(とう)(けい)()というプロレスラーが使って、この技を一躍有名にした。
 雪崩式フランケンシュタイナー、
 リバース・フランケンシュタイナー、
 などの派生技を持つ。
 プロレスのテレビゲームにおいても、なくてはならない技の一つであろう。

 えぎっ、と気持ち悪い悲鳴を上げたアサキは、

「はぅぎゃあああああああああ!」

 強打した頭を押さえて、激痛にごろごろごろごろ、のたうち回っている。

 本人は、あまりの痛みにそれどころでないのだろうが、制服のスカートが完全にめくれてしまって、最高最悪にみっともない光景であった。

「なにこいつ?」
「パンツ丸見え。バカじゃねーの」

 二人の茶髪女子高生が、地に転がって痛みに呻いているアサキを、ソフトクリーム片手にじろじろねめつけながら通り過ぎていった。

 アサキは、そんなこと気にする余裕も、気付く余裕もなく、ごろごろじたばた、転がり続け、呻き続けている。

「カズミちゃん、酷いやあああああああ」

 ようやく立ち上がると、ボロボロボロボロ涙をこぼしながら、ぐしゃぐしゃに歪んだ、鼻の垂れた酷い顔で、カズミへと詰め寄った。

「そんなに好きならって、誰も好きだなんていってないじゃないかあ……」

 細かいところで愚痴をこぼすアサキであったが、不意に、はっと目を見開くと、上空を見上げた。

 天が、白く光った。
 その刹那、バリンバリンとガラスを割れ砕くように、しかもそれが恐ろしいほどの速度で、なにかが落ちてきた。
 ジグザグの稲妻軌道を描きながら、黄色く光るなにかが。

 なんだと思う間もなく、アサキは、無意識に走り出していた。
 先ほどの、二人の茶髪女子高生へと。

「危ないっ!」

 金切り絶叫を張り上げながら、二人の背後から、間に割り込むように飛び込んでいた。

「うわああああああ!」

 必死さ故の、無意識であろうか。
 これまで出したことないような、大きな声を張り上げたアサキの、頭上に翳した両手の上に、青白く光る五芒星が浮かび上がっていた。

 アサキの頭上だけではない。
 自身と二人の女子高生どころか、数メートルの距離に立っている治奈たちをもすっぽり覆ってしまいそうなくらいの、とてつもなく巨大な五芒星の傘へと、それは一瞬にして膨れ上がっていた。

 カッ、
 と闇夜の落雷のように、空の明暗が反転したかと思うと、世界が神の大刀で粉々に割れ砕ける瞬間であるかのような、凄まじい音が、鳴り響いた。

 しかし、というべきか、
 視界が晴れて、青空が戻ると、特に何事も、起きてはいなかった。
 地がえぐられてもいなければ、木々も燃えていない。
 そよ風も焦げていない。

 二人の茶髪女子高生の間に、身体を突き入れた状態のまま、頭上を見上げているアサキは、ほ、と息を吐くと、天へ翳していた両手をだらりと下げた。

 すっかり呆然としていた治奈とカズミが、同時に長いため息を吐いた。

 今なにが起きたのか、簡単に説明すると、頭上から落雷のような強大なエネルギーが落ちて、それからアサキが守ったのである。
 二人の、女子高生を。
 以前からいわれていた潜在魔力の高さ、それを証明するような、とてつもなく巨大な魔力障壁を張って。

 アサキは、もう一回ふうっと息を吐くと、腕で額の汗を拭った。

 なんだか嫌な予感がして、身体が半ば無意識に動いてしまったのだけど、でも、おかげで、この人たちを助けることが出来てよかった。
 無意識とはいえ、もしもさっき、魔道着がなくとも魔法が使えることを改めて認識していなかったら、こうはいかなかったかも知れない。
 運がよかった。

 と、いまはそんなことよりも、

「大丈夫、でしたか?」

 アサキは、二人の茶髪女子高生たちに、ちょっと疲れた笑顔を向けた。
 わざとそうした顔をしているわけではなく、魔力を放出して本当にくたびれているのだ。

「なにしてんの?」
「バカじゃないの」

 怪訝な者を見るような、軽蔑するような、小馬鹿どころか大馬鹿にするような、二人の女子高生はそんな視線を、見ず知らずの赤毛髪の女子中学生へと向けると、

「大丈夫じゃないのはお前の頭だっつーの」
「こいつさっきのパンツ女じゃん」
「手遅れならんうち病院行け!」

 などと、下品な言葉遣いを発しながら、公道の方へと去っていった。

「変な顔されちゃったよおおお。……でも考えてみれば、ヴァイスタとか普通の人には見えないから、仕方ないのかあ……」

 報われなさ、惨めさに、すっかり泣きそうな顔のアサキ。
 せめて仲間に慰めて貰おうと振り返った瞬間、その泣きそうな表情が凍り付いていた。

 青ざめた顔をしているのである。
 仲間たち、全員が。

 震えるような瞳で、上空を見上げているのである。

「ザーヴェラーだ……」

 唇が乾いてしまっているのか、カズミが、かすれた声をぼそっと発した。

     4
 カズミがぼそり呟いた。

「ザーヴェラーだ……」

 と。
 その言葉に、場はさらに、完全に凍り付いていた。
 ぴしり、とヒビの入る音が聞こえそうなほどに、緊迫していた。

「うぎゃあああああっ、よりによって、こんな時にい?」

 凍り付いた雰囲気だけでもなんとかしようと思ったか、強がりなのか、素なのか、(なる)()が頭を抱えながら、ばたばたと足を踏み鳴らした。

「これは、運が悪いですね」

 (せい)()の口調は、普段通りに冷静そうであるが、やはり顔にも声にも隠し切れない、いくばくかの動揺が滲み出ている。

「さっき誰かが下らねえ冗談をいってたからだよ! 誰だよもう!」

 語気を荒らげ、舌打ちするカズミ。

「カズミちゃんじゃろ! 膝ぁ叩いて笑いよっとったじゃろが!」
「そうだそうだあ!」
「いやいや、成葉ちゃんも一緒だったじゃろ!」
「そうだったあ! ごめんなさあい」

 成葉はまた、頭を抱えてじたばたと地を踏んだ。

 (りよう)(どう)()(さき)は、あらためて頭上、天を見上げた。
 先ほどまで青かった空が、すっかり雲に覆われており、まだまだ日暮れまで時間があるというのに、どんよりとした感じに陰ってしまっている。

「あの上に、いるのか……」

 雲の、その上に。

「いえ、もっと遥か下です。現界からは、なかなか見えないだけです。……記録では、この現界に出現したこともなくはないらしいですけど」
「そうなんだ。でも、こんなにのんびりしていていいの? さっきみたいな攻撃が、またきちゃうんじゃないの?」
「のんびりしてるわけじゃねえよ。ザーヴェラーの、いまみたいに異空からの壁をブチ抜けてくるような超攻撃は、連射が効かないんだよ。充填に相当な時間がかかるんだ。だから、これから異空に出向いて、超攻撃が使えない間に、ぶっ潰す!」

 カズミは不安を強気な笑みで吹き飛ばすように、右拳を突き出した。
 吹き飛ばそうとしたのは、自分の冗談からの気まずい空気かも知れないが。

「少し余裕あるっちゅうても応援も間に合わへんやろし、あたしらだけで始末つけるしかないやろなあ」

 (みち)()(おう)()も、カズミに負けじと口元に強気な笑みを浮かべた。

「わたしたち、だけで……」

 アサキは、思わず唾を飲み込んだ。
 ザーヴェラー、まだ姿を見たことはないけど、話には聞いたことがある、空を飛ぶ、巨大なヴァイスタ。
 どうやって、戦えばいいの?

「しかしアサキちゃん……さっきの魔力障壁じゃけど、凄かったの。びっくりしたわ」
「校長が、補強戦力としてリストアップした意味が、分かる気がしますね」

 褒める治奈と正香であるが、しかし受けた当人はつまらなそうな表情で、

「複雑な気持ちだな」

 ぼそりと、言葉と思いを吐いた。
 誰に対してではなく、自分の心に対して。

 本当は、こんな能力なんかいらない。
 魔法なんか、使えなくていい。
 普通の女子でいい。
 ヴァイスタさえいない世界ならば。

 でも、ヴァイスタや、そのザーヴェラーというのが現実に存在していて、人を襲い、世界を滅ぼそうとするというのなら、戦うしかない。
 戦うための力を身につけるしかない。

 だから、自分にそのための魔法力があるというのなら、それは喜ぶべきことなんだ。

 みんなを守れるのだから。
 世界を守れるのだから。
 だから……

「……でも、ありがとう」

 アサキは笑った。
 その笑顔、言葉が出るまでに、相当な、感情の紆余曲折があったわけだが。

 と、不意に全員のリストフォンが、

 ぶーーーーー、
 ぶーーーーー、

 激しく振動した。

 emergency(エマージェンシー)

 普段のヴァイスタ出現とは違う振動、緊急を告げる赤い文字が消えて、黒い画面の中に地図が映った。

 アサキたちを表す黄色の丸マークが、この地、一箇所に重なっており、
 さらに、
 敵を示す赤色の丸が、彼女たちとほぼ重なって、表示されている。

 本当に、いるんだ。
 ここの、遥か上に……

 アサキは、また唾を飲み込んだ。
 ぎゅ、と両の拳を握った。
 手の内側はじっとりと汗ばんでおり、不快感に、いったん手を開いて制服のスカートで拭った。

 気付くと、カズミもまた、スカートで汗ばんだ手を拭っていた。アサキのスカートであるが。

「みんな、大変!」

 全員の、左腕に着けたリストフォンから、同じタイミングで同じ声が出て、空間上に共鳴した。
 ()(どう)()(さと)先生の声だ。

「第二中のエリアにザーヴェラーが現れたわ! とりあえず、すぐに異空に入って! 座標マークがとんでもなく近いんだけど、もしかしてもう遭遇してる?」
「すぐ真上です」

 正香が答えた。

「やっぱりそうかあ……。応援は要請しておくけど、たぶん間に合わない。あなたたちだけで戦うしかない」

 突き放す言葉であるが、六人の顔にさしたる変化はなかった。
 そうするしかないと、もう分かっていることだからだ。

「……去年戦った時と比べて、魔法使い(マギマイスター)の数が五人も少ないのが厳しいけど、あなたたち一人一人の成長を信じる! 新たな戦力である慶賀(みちが)さんの能力と、令堂(りようどう)さんの頑張りを信じる。……絶対に、死なないで! あたしは、笑顔の報告しか受けないから!」
「了解。必ず生きて帰ります。……ほいじゃ、笑顔の報告をするために、行ってきます」

 明木治奈は、リストフォンを着けている左腕を立てると、その腕を軽く横へと払った。
 カーテンを開くかのような仕草で、一歩前へ身体を運んだ、その瞬間、彼女の姿は消えていた。

 ()(そう)(どう)()(くう)(かん)、すなわち異空へと入ったのだ。

「ちょちょいっと倒してくらあ」

 カズミも同じように左腕を払い、異空へと姿を消した。

 続いてアサキ、
 そして(おう)()
 正香、成葉、と姿が消えて、

 日の暮れかけて誰もいない、静かな公園だけが残った。

     5
 アサキは、異空に入ったその瞬間に、ああ、あれがそうなんだな、と認識していた。
 冷静な精神状態でいられようはずもないが、だからこそ努めて冷静に。

 色調反転したオレンジ色の空に、ぽっかりと、雲のように真っ白な、巨大な塊が浮かんでいる。
 フォルムとしては、太っている人間女性の手足を、付け根から切り落とした感じ、が近いだろうか。
 それが、高層ビルを越えているであろう遥か上空に浮いている。

 ザーヴェラーと呼ばれる存在である。

 戦いで生命を落とす魔法使い(マギマイスター)の八割は、このザーヴェラーの犠牲者だといわれている。

 遠目からでもはっきり分かる、ぬるぬるとした真っ白な身体。
 巨大な頭部は人間のようでもあるが、決定的に違うのは目や口というパーツがまるで存在していないこと。

 確かに(はる)()たちがいっていた通り、空飛ぶ超巨大ヴァイスタといって間違いない。

 気持ち悪いまでに純白な身体であるが、異空のための色調反転を考えると、つまり本来ならば真っ黒ということだろうか。

 怨念に満ちた巨大な闇が、宙にふわふわ浮かんでいることを思うと、いやそこまで思わずとも、アサキの身体はぶるぶると震えてしまう。
 これから、こんな存在と戦うのだ、と考えると。

 でも、恐怖しているのはアサキだけではないようだ。

「ねえ……応援、待たない?」

 弱々しい表情で弱々しい発言をするのは、成葉である。
 わざとらしいくらいに足をガクガクさせているあたり、ひょっとして状況を楽しんでいるのかも知れないが。でも、そうだとしても、それは恐怖を紛らわすためだろう。

「待つとしても、一般の人を襲わんよう足止めだけはせにゃいけん」

 治奈の、覚悟を決めたかの、りんとした表情。
 でもよく見ると、成葉ほど激しくはないものの、足が震えているのが分かる。

「ま、結局のところ、戦わなきゃあならねえってことよ。つい今の今まで運が悪いなって思ってたけど、考えようによっちゃあ、かなりラッキーなんじゃねえか? この状況さあ」

 カズミは不敵な笑みを浮かべつつ、指をパキパキと鳴らした。

 アサキは、カズミの笑みに便乗して、自分もなんとか強張った笑みを作りながら、

「そ、そうだよね。こうして全員が揃っている時だし。カズミちゃんたち元々の二年生だけじゃなくて、ウメちゃんだっているんだしね」

 さらにわたしもいるんだから、などと強気得意気にいえればいいが、アサキはビッグマウスとは正反対のスモールマウスだから、そんなこといえるはずもなかった。
 身体の震えがバレないよう堪えるのに精一杯で、それどころではなかったし。

 でも、
 それどころではないからこそ、
 黙っていると身体が震えちゃうからこそ、

「いくぞおおおお! 変身っ!」

 誰よりも早く、左手のクラフトに右手を添えながら頭上高くへと掲げ、叫んだ。
 こんな瘴気に満ち満ちた空間で、生身のままでいる不安、これから巨大な敵と戦うという不安に耐えられずに。

「変身!」

 追い掛けるように、治奈、カズミ、成葉、正香、応芽がクラフトを頭上に掲げた。

 アサキの身体が、
 僅か遅れて、治奈たちの身体が、
 クラフトから発せられる眩い輝きに、包まれた。


 逆光による黒いシルエット。
 彼女たちの衣服が、綿毛が弾けるようにすべて溶け消えた。

 漂う細い白銀の糸が、するすると寄り集まって、裸体の上に巻き付き、絡み合って、布状へと変化していく。

 眩い光が少し和らぐと、そこにいるのは、首から足先までを白銀の衣服に覆われた、六人の少女たち。

 つま先から布が裂けて、ぺりぺりとめくれて、黒い裏地が太ももまで裏返ると、めくれた先端部分が腰にしゅるりと巻き付いて、腰帯状の馴染んだ形状になった。
 黒いスパッツを履いている、と見える、下半身の外観である。

 魔道着の基礎モデルが異なる応芽だけは、布がつま先から裂けることなく、足の素肌を完全に覆ったままだ。
 覆ったまま、足だけでなく全身の布の色が、白銀から漆黒へと変化した。

 続いて六人全員の、手の先端から布がめくれて裏返り、二の腕までがむき出しになった。

 それぞれの頭上に、金属にも硬化樹脂にも見える巨大な塊が浮かんでおり、それがぱあーんと弾けると、身体の周囲を回りながら、すね、前腕、胸へと防具として装着されていく。

 応芽はさらにパーツが一つ多く、腰の部分に西洋甲冑に似た、下半身を守る垂れ状の防具が装着された。

 全員、それぞれの頭上から、袖無しコートといった硬そうな服が、ふわりと落ちてくる。

 みな、上半身をしなやかに前へと傾けながら、腕を背中側に、白鳥の翼のように跳ね上げる。と、落ちてきた服の袖に両腕が、するりするりとなめらかに、通っていく。
 男性衣装のモーニングに似た、背中だけが長く、前は留めるところなく大きく開いている。

 アサキは、前傾姿勢から戻りながら腕を下ろし、ゆっくりと目を開いた。
 服を馴染ませるため、くいっくいっと腰をひねって戻すと、続いて右、左、と拳を突き出した。
 腰の剣を取って、振りかぶり、振り下ろし、大きな声で叫ぶ。

魔法使い(マギマイスター)アサキ!」

 恥ずかしいから、自分からはやりたくなかった変身後の名乗り、であるが、今回は、自らの意思で、威勢よく叫んでいた。
 これで戦意が高まるのなら安いものだ、と。
 でもやっぱり不安でたまらず、すがるように剣の柄をぎゅっと強く握った。

魔法使い(マギマイスター)(はる)()!」

 続いて、明木治奈の叫び声。
 槍を、頭上で正面でくるくる回すと、片腕にその槍を抱えて、大きく足を開き、ピシッとポーズを決めた。

魔法使い(マギマイスター)ナルハ!」

 大刀を背中に佩いた(へい)()(なる)()は、くるんくるんと右足を軸に身体を回転させると、どっかん右腕を天へと突き上げた。

魔法使い(マギマイスター)カズミ!」

 ぶん、ぶうん、と空気を焦がすかの勢いで、後ろ回し蹴りを連続で放つと、激しく地面を踏み鳴らし、拳を力強くぎゅっと握った。

魔法使い(マギマイスター)(おう)()!」

 凪ぎ払うように騎槍(ランス)を振った慶賀応芽は、自ら巻き起こした旋風の中で、とんと柄尻を地に付け勇ましく立った。

魔法使い(マギマイスター)(せい)()!」

 大鳥正香は、鎖鎌の分銅を振り回すと、左右の手にある鎌と分銅を、鎖をぴんと張らせて構えた。
 お嬢様然とした上品な顔立ちに、鎖鎌とはなんとも奇妙ではあるが、あまりに毅然としているためか、実際しっくり馴染んでおり違和感がまったくなかった。

 令和二十七年度、天王台第三中学校魔法使い、久々の一斉変身である。

     6
「早速じゃけどアサキちゃん、飛翔の魔法は覚えとる?」

 (はる)()の唐突な質問に、面食らうアサキであったが、ぱちぱち瞬きしながら、すぐにこくりと頷いた。

「覚えてるよ。一回、練習してみたしね」

 制御出来ず、思い切り墜落したけど。

「ああ、ほうじゃったな。もっとしっかり訓練しときたかったけど、まさかこんな早くにザーヴェラーと戦うことになると思わんかったけえ。ごめんね」

 治奈は、申し訳なさそうに、小さく頭を下げた。

「そんな、謝らないでよ。だって、ヴァイスタと戦う地上戦の経験を積むことが最優先だったんでしょ? ……もしもわたしが、やっぱりまともに飛べないようだったら、地上からみんなをサポートをするから。でも、飛翔魔法を使って、どう戦えばいいの?」

 飛翔魔法をちょっと教わってちょっと試してみた、というだけでいきなりあんなのに挑んだら、間違いなく一撃で殺されてしまう。

「作戦自体は、ごくシンプルじゃけえね。まずは高く飛び上がっておいてな、落下しつつ、攻撃を避けつつ、そのまま切り掛かるか、運よく背中に乗れそうならば乗って、ダメージを与える。これを繰り返すのが、第一段階」
「繰り返すっていうと、じわじわダメージを与える戦い方のような感じだけど、ヴァイスタと同じで致命傷以外はすぐ回復しちゃうんじゃないの?」
「察しがええね。攻撃を繰り返すのは、弱点を探るためじゃけえね」
「弱点?」

 小首を傾げるアサキ。

「なんとなくな、こう、ガツンとした手応えがあるんだよ」

 代わってカズミが答えた。

「ここだ、って分かるから。あとはそこに、とにかくひたすら集中砲火を浴びせる。……そこにいき着くまでが地味なくせに命がけで、大変なんだけどな」
「でも、やらないといけないんだね」

 世界を守るためには。

「そうだな。でな、飛び上がったあとの話。落下しながら、制御は避けるための移動にのみ使って、つまりは魔力消費を抑えるわけだけど、飛翔の魔法中であることに変わりないから、他の系統の魔法は唱えられない。だから自分の武器に対して、前もって魔力的強化(エンチャント)しておくんだ」
「エンチャント?」

 なんだそれ?

「論よりなんとやら。ナルハがやってみせるね」

 話を引き継いだ成葉が、背中の大刀を抜きながら地面に屈んだ。

「ほおら、ゲームなんかでよくあるでしょ。魔法で、攻撃エネルギーを武器に込めておくんだ、こうやってさ。……イヒ・セイ・スターク」

 呪文の声と共に、成葉の両手が、ぼおっと青い光に包まれた。
 地面に置いたた大刀へと、その手を翳した。
 翳しながら、柄から、先端まで、ゆっくりと手を移動させていく。

 手から放たれた魔力を、吸い込んだ大刀が、青い輝きを放ち始めた。
 きらきらとした、綺麗な光だ。

「これがエンチャントだよ」

 柄を握った成葉は、立ち上がってにんまり微笑むと、自分の身体と同じくらいありそうな大刀を、ぶんぶんと軽々振って、背中に収めた。

 続いて、正香が口を開いた。
 みな別に、意識して順繰り持ち回りでアサキを指導しているわけではないのだろうが。

「攻撃の瞬間に魔力を放ち込めることと比べたら、エンチャントした武器の破壊力は弱いです。でも持続します」
「自由に呪文を唱えられないから、仕方ないのか」
「そうですね。着地をしたら、また飛び立つ前に魔力の込め直しが必要なのですが、でも、段々と込められる力は落ちていきます」
「え、どうして?」

 ただでさえ威力が弱いのに、もっと弱くなっちゃうの?

「唱え手が疲労するからです。……ですから、持久戦にはなるものの、そこまでの時間も掛けられないんです。それが、応援が間に合わないという理由です」
「そうなんだ……」
「ですが、もしも我々の魔力が尽きてしまったら、その時はとにかく逃げて、応援の到着を待つしかない。その間は、ザーヴェラーが一般市民を襲うことを阻止出来ないわけですから、最後の手段といえ……」

 と、その時である。
 飛行機がすぐそばを飛んでいるかのような、ぐおーん、という低く震える、大きな音が、正香の話を邪魔したかと思うと、次の瞬間、彼女たちの足元、地面に「巨大な白い影」が広がっていた。

     7
 外部から異空に入り込んだ者以外は、色調ことごとくが反転している、この世界の中で、突如、ザーヴェラーが、上空からの急降下で、彼女らに対して攻撃を仕掛けてきたのである。

 ぶん、ぶん、ぶん、と震える低い音と同時に、赤黒く光る塊が、アサキたちの頭上に降り注ぐ。
 ザーヴェラーの、のっぺらぼうみたいなパーツのない頭部の、人間でいう口にあたる部分から、その光の塊が発射されたのだ。

 驚きと怖さとに目を見開くアサキであったが、次の瞬間、きっとした表情になり、叫び声を張り上げながら、左右の手のひらを高く天へと向けた。
 その手のひらが青く光って、空中に小さな魔法陣を生み出した。と見えた時には、既にその魔法陣は、彼女たち全員をすっぽりと覆い込むほどの、とてつもない大きさにまで膨らんで、ザーヴェラーの放った光弾をすべて跳ね返していた。

 薄皮一枚の頭上で、連続した大爆発が発生し、激しい振動に揺さぶられながら、彼女たちは悲鳴を上げた。

 ザーヴェラーは、ぎゅおーんと空気を振動させて低い唸りを上げながら、彼女たちの頭上すれすれを通り過ぎると、上昇を始めた。

 どおんっ!
 山を超える大きさの巨人が、地に拳を叩き付けたかのような、凄まじいソニックブームが発生し、みな腕を寝かせて庇にして、風の直撃から顔を守った。

 ザーヴェラーの巨体は、既に元いた高さ、遥か遥か上空にあった。

「ありがとうアサキちゃん、助かったけえね」

 治奈が微笑んだ。

「これくらいしか……出来ないから……」

 アサキも、照れた微笑みを返した。

「勝てるかも知れねえ……」

 カズミが、にやり唇を釣り上げた。

「え、え、わたしの魔法なんかを期待されてもっ!」

 アサキが、突き出した両の手のひらを、ぱたぱた振って、慌てふためいていると、カズミは冷ややかな白い視線を突き刺した。

「勘違いしてんじゃねえよ。……ザーヴェラーは魔法使い(マギマイスター)との戦いの時は普通、降りてこない。魔法使いが空中戦を苦手なことを分かっているからだ。……ということは、あれは『なりたて』の可能性が高いってことなんだよ。まだ未熟なんだ」
「なるほど……」

 わたしの魔法を褒めてくれたんじゃないのか。
 まあいいけど。
 作戦で一人だけの特殊な役割を任されるなんて、見習いのわたしには荷が重過ぎるからな。

「講釈は終了。んじゃあ、そろそろおっ始めるかあ」

 カズミは、地面に片膝を着くと、二本のナイフを、ぴったりと並べて置いた。
 呪文を唱えながら、両手を翳す。
 手が青白く光ると、それを受けて二本のナイフも薄青い光に包まれた。

 治奈や正香、応芽も同じように呪文を唱え、自分の武器に自分の魔力を注ぎ込んでいく。

「ほおらあ、アサにゃんもやるんだよお!」

 一番にエンチャントを済ませていた成葉が、アサキの脇腹をつついて促した。

「え、あ、は、はいっ!」

 アサキも慌てて屈んで、地面に剣を置いた。

 何故だか、おままごと座りになると、そっと目を閉じた。

 呪文を、念じる。

 両手が、ぼおっと薄青い光を発する。

「で、こうして、と」

 地に置いた剣に手を近付けて、柄の部分から先端まで、青い光を吸い込ませていく。

「自分、ほんま詠唱せんでも詠唱系魔法を使えるんやな」

 応芽が、すっげえと小声でいいながら、作業中のアサキを覗き込んだ。

「ま、あたしの弟子だからな」

 腰に手を当て、えっへん得意げな顔のカズミである。

「お前には出来ひん芸当やないか!」
「うるせえな! ローリングソバット食らわすぞお!」
「やってみい! そのドタマにスリーポイントシュート投げ付けたるわ!」
「あたしの頭は三千ポイントシュートなんだよ!」
「意味分からんわ」

 などと、外野わいわい騒いでいる間に、エンチャントは完了。
 アサキは立ち上がると、握った剣の切っ先を、天へと翳してみせた。

「魔力、上手く込められているといいな」

 切っ先を下ろすと、柄を握る手にぎゅっと力を込めた。

「おっし、それじゃあ全員準備完了だな」

 カズミがぐるり周囲を見回すと、みな、こくりと小さく頷いた。

「よおし、そんじゃ行くぞお! みんな死ぬんじゃねえぞ! ウェルデフリゲンビスヅェ……」

 カズミは、気合の雄叫びを張り上げると、続けて飛翔魔法の呪文詠唱を開始した。

 ふわり、
 カズミの身体が、地から、離れていた。
 浮いていた。
 浮きながら、空を見上げる。
 遥か上空にいるザーヴェラーを睨んだカズミは、あらためて気合を入れようということか、左右の拳をぎゅうっと力強く握った。

 これを自分がやるんだから、と、見逃すまいとしているアサキであるが、だが気付いた時には、目の前からカズミの姿が消えていた。

 はっ、とした顔で目を見開き、上空へ視線を向けると、ジェット機やロケットに勝るとも劣らないもの凄い速度で、ぐんぐんと上昇しているカズミの姿が見えた。

 続いて、

「行っくよーっ!」

 呪文詠唱を終えた成葉が、ふわり地を離れたかと思うと急加速で、ザーヴェラーへと向かい上っていった。

 今度は、飛び立つ瞬間をしっかりと、目で追うことが出来たけれど、でも、こんなことが自分にも出来るのだろうか。
 そんな不安な気持ちが、顔に出てしまっていたのか、

「心配いらん。アサキちゃんにも出来るけえね。……初めては、うちと一緒に飛ぼうか」

 治奈が微笑みながら、アサキの左手をぎゅっと握った。

 ちょっとカチコチの笑みを、治奈へと返しながら、こくり頷くと、反対の手に握っている剣の柄にぎゅっと力を込めた。

「ほいじゃあタイミング合わせたいけえ、アサキちゃんも非詠唱でなく一緒に声に出して唱えてくれんかのう」
「うん」

 ごくり唾を飲み、こくり頷くアサキ。

 二人は手を繋ぎながら、早速、飛翔呪文の呪文詠唱を始めた。

「ウェルデフリゲン……」

 いざ呪文を唱え始めると、なんだか不思議な感覚に包まれていることに気が付いた。
 どんな種類の魔法を唱えているのかを考えれば、まったく当然のこととも思うが。

 まるで重力を感じないのだ。
 身体が、どんどん軽くなっている。

 ずいぶん前に練習して以来の久々だけれど、今度はなんだか……上手く飛べそうな気がする。
 以前は、飛べたには飛べたけど、ここまで自分が軽いとは思わなかった。
 経験による慣れ?
 それとも、わたしの魔力が成長している?

 ふわり、浮遊感がどんどん強くなる。
 つま先が、ちょこっとだけ地に接しているが、でももう体重は全然感じない。
 もしも、つま先を剣で切られて、なくなってしまったとしても、支えなくそのまま浮かんでいられそうだ。まあ、切られたら、痛みに魔法どころじゃなくなってしまうだろうけど。

「しっかり飛翔魔法は掛かっとるな。ほいじゃあ、せーのせーで飛び立つけえね。最初はゆっくりで、段々と上げてこう。うちも速度は落とすよう気を付けるけど、アサギちゃんも頑張ってついてきてな」
「わ、分かったっ!」

 飛べるだろうか戦えるだろうかと不安は多々あれど、かつてない不思議な浮遊感に、ちょっとハイにもなっているアサキの顔。

「せーの、せーでっ」
「行っくぞおおおおおお!」

 二人の身体は、同時に飛び上がった。
 はずであったのだが……

 ぎゅっと繋いでいた手をぶっちぎって、
 既に、アサキの身体は、治奈を遥か下に置いて、
 いや、
 それどころか、とうに飛び上がっていたカズミたちをも一瞬で抜き去って、天に一番近い距離にあったのである。

「えーーーーーーーーっ!」

 アサキと治奈は、それぞれ天と地とで、同時に、驚愕の叫び声を上げていた。

     8
 自由落下により、(りよう)(どう)()(さき)の身体が、どんどん降下していく。

「ぬぐううう」

 力んだ、変な呻き声を発しながら。

 本来ならば、飛翔魔法の発動強度を弱めてゆっくりと落下していくのであるが、誤って、弱めるどころか完全解除してしまったのである。
 初めて実践で飛翔を使うということや、出だしのつまづきにすっかり気が動転して、つい。

 異空といえども、基本的な物理法則は同じで、一度重力に引かれ始めたら、地が引き寄せようとする力は物凄く、ぐんぐんぐんぐん加速がついてしまっていた。

 まるで、透明な巨人の手に、がくんがくん揺さぶられているかのようで、あらたに飛翔の呪文を発動させる余裕など、微塵もない。

 飛翔を弱めて、ゆっくり降下しているカズミたちを、

「ぐぬううううううううううう」

 気持ちの悪い呻き声を出しながら、あっという間に追い抜き、落ちていった。

「アホかお前は!」

 すれ違いざまに、カズミから、痛烈な一言でぶった切られた。

 そんなこといわれましてもおおお!

 風圧で、ぐちゃぐちゃぶるぶるの、とんでもない顔になりながら、胸の中で叫ぶアサキ。

「でで、でもっ、こ、こ、この勢いを利用すればああああ」

 そこまではっきりと発音出来たわけではないが、とにかくなんとかかんとかそんな感じの声を発すると、ぎりりぎりりと根性で腕を動かして、両手に握っている剣を頭上へと振り上げた。
 しかし、空気抵抗が想像を絶する凄まじさで、振り上げただけで腕の骨が折れそうだ。

 高く飛び上がり過ぎて、遥か眼下に小さく見えていた、ザーヴェラーの背中が、いまや相当に大きくなっている。

 ひひ、必殺っ!

 風でぶるぶる震えるみっともない顔で、せめて心の中にだけでも勇ましく気合を入れ、ぐんぐん迫るザーヴェラーへとついに切り掛ろうとしたその瞬間、

 ガッ、

 虚しくも、殴られ吹っ飛ばされていた。

 ザーヴェラーの背中から、不意ににょろにょろと触手が生えて伸びて、それに襲われ容赦のない一撃を横殴りに浴びたのである。

 事前に打ち合わせてから行動すると、必ずといってよいほど最初に失敗するアサキであるが、またまた今回も、豪快なまでのつまずきであった。

「アサキちゃん!」

 まだ上昇途中であった治奈が、すすーっと軌道を修正して、隕石のような勢いで墜落してくるアサキの身体を、なんとか受け止めようと試みる。
 しかし、治奈の指の先をするりかすめて、びゅんと通り過ぎて、

 どどおおーーーーーーーーん!

 地に大激突。
 凄まじい爆音と土煙が上がり、ぐらぐらと地が揺れた。

「いたたた……」

 地面がえぐれにえぐれて、巨大なアリ地獄といったすり鉢状になった底で、アサキが腰を押さえながら、よろよろと立ち上がった。

 魔道着のおかげだろうか。
 あの、隕石の墜落に勝るとも劣らない大激突でも、なんともなかったのは。

 いや、
 なんともなくは、なかった。

 アサキは、くっと息を漏らすと、顔をしかめ、左腕で右腕を押さえた。
 落ちた衝撃で、痛めてしまったようだ。

「我ながら情けない。……まずは治さないとな」

 独り言をいうと、治癒魔法の呪文を非詠唱。
 掴んでいる右腕に、エネルギーを送り込んだ。
 と、その瞬間、また顔を歪めて、うぐっと呻いた。

 本来、治癒魔法は心地よく感じるものであるのだが、急ピッチで治そうとすると、肉体に無理が掛かって、激痛が生じてしまうのだ。

 でも、泣き言なんかいっていられない。
 みんな、頑張っているんだから。

 苦痛に顔を歪めながら、ゆっくりとその顔を上げ、遥か上空へと視線を向けた。
 傷を治している間は、どうせなにも出来ないのだ。ならば、カズミたちの戦い方を勉強しよう。そう思ったのだ。

 ぶん、
 ぶん、
 ザーヴェラーが、赤黒い光の弾丸を発射している。
 ゆっくりと落下しながら迫ろうとしているカズミたちに対し、寄せ付けまいと攻撃しているのだろうが、みな、ふわふわと頼りなげに見えはするものの、器用に、横へ前後へ、座標を変えて避けている。

 なるほど、
 自由自在に飛べれば理想だけど、それでは魔力が保たない。
 だから、最初に遥か高くまで飛び上がっておいて、あとは落下速度を抑えたり、姿勢制御や移動などに魔力を使うわけか。
 だから、武器にもあらかじめ魔力を込めておく必要があるんだ。一つの系統の魔法を発動中に、もう一系統の魔法は唱えられないから。
 治奈ちゃんたちの説明が、ようやく実感出来たよ。

 戦いは、遥か上空で行われているため、みんな、アサキからはほとんど豆粒のように見える。

 豆粒の一つであるカズミが、ようやくザーヴェラーと同じ高度まで降りたようで、左右のナイフで伸びる触手を斬り付けつつ、巨大な背中の上に飛び乗ろうとしている。

「よし、いけっ、頑張れカズミちゃん!」

 地上からアサキが応援する。

 しかし応援も虚しく、カズミは、触手に足を払われて、空中へと弾き飛ばされてしまった。
 諦めていったん離脱、ということか飛翔魔法を解除したようで、地上への自由落下を始めた。

 まだ上空では、成葉、正香、応芽も戦っている。カズミ同様、巨大な背中のどこから生えて伸びるか分からない触手に、かなり手を焼いており、なかなか飛び乗れないでいる。

 さて、飛翔魔法を解除して落下を始めたカズミであるが、地面へと、ぐんぐん加速をつけて、みるみるうちにアサキの視界へと大きく飛び込んできた。
 なんか、叫び声を張り上げながら。

「アアサアアキイイイイイイイイイ!」

 どおおんっ、重たそうな音とともに、土煙巻き上げ着地したカズミが最初にしたこと。
 アサキの頭を、ぽっかん殴った。

「いたっ!」
「出だしっからアホなことやってんじゃねえよ! 笑わせる時は笑わせる、真面目にやる時は真面目にやるの! ケジメをつけろ!」
「真面目にやってるよお!」

 怪我するわ、カズミに殴られるわ、ボロクソいわれるわ、不満げに唇を尖らせるアサキである。

「まあ、練習してなかったなら仕方ねえのか。でも、ぶっ飛び過ぎだよ」
「ごめん、速度の調節がまったく分からなくって、あんなに飛び上がってしまうなんて思わなかったんだ」

 中途半端な魔力の込め方をして、途中で落ちても痛そうだなあとか思ってしまったし。

「お前、魔法力だけは無駄にでっけえからな。あんな飛べるのは凄えけど、コントロール覚えろよ。ほんと豪快にバカをやらかすやつだな」
「次はちゃんとやるよ。……いまね、戦い方を見ていたんだ」

 アサキはまた、上空を見上げた。

「戦い方? ヴァイスタと同じで破壊してもすぐ再生しちまうんだけど、数撃ちゃ当たるで、まずは弱いところを探すんだよ」
「さっきもいってたよね」
「最後は力押しになるけど、なんとか弱点を攻撃し続けて、浮力をもいで、地上にぶち落として、で、とどめを刺す。これが現時点でのザーヴェラーの倒し方だ。はっきりいって、めっちゃ効率は悪いんだけど、魔道着のファームが格段に上がるまでは、この方法で戦うしかねえんだ」
「うん」

 カズミの説明に、アサキは頷いた。

「じゃ、また行ってくっかんな。腕、早く治しとけよな」
「分かった」

 地に置いた二本のナイフに、再びエンチャントを施したカズミは、再び飛翔魔法の呪文を詠唱、再びぎゅんと凄い速度で飛び上がった。
 再び、ザーヴェラーの待つ上空へと。

     9
 ぐんぐんぐんぐん、重力に逆らって、猛烈な勢いで上昇を続けるカズミ。地上にいるアサキが、既に豆粒だ。

「前より強くなってるよー!」

 泣き言をいいながら、地上へ落下していく黄色い魔道着、(へい)()(なる)()とすれ違った。

 相対速度的に、ほんの一瞬しか見えなかったが、成葉の魔道着は、右肩と左のももが焦げて肌が見えていた。ザーヴェラーの攻撃をまともに受けてしまい、いったん離脱ということだろう。

「しばらく治療してろ!」

 カズミは叫ぶ。
 声など届くはずもないくらいに、既に黄色い魔道着は遥か眼下であったが。

 さらに上昇を続けたカズミは、ザーヴェラーの高度を抜いて、さらに遥か高くまで達したところで、身体を丸めてくるり回転させると空気 を蹴った。

「いくぜえええっ!」

 雄叫び上げつつ急降下。
 二本のナイフで身を守りながら、まるで浮遊大陸といった、超巨大な存在であるザーヴェラーへと、突っ込んでいった。

 ぶん、
 ぶん、
 赤黒い光が、ザーヴェラーの巨大な頭部から、発射された。

「当たるか、んなもん!」

 一発目は身体をずらして避けて、続く二発目は魔力強化されたナイフで払い弾くと、再びくるり向きを変え、ついに浮遊大陸へ、いや巨大な背中へと着陸した。

 着陸といっても、隕石落下並みの速度が出ていたが、しかし大爆発をするでもなく、突き抜けるでもなく。なんの音すらもせず、拍子抜けするくらいにあっさりとした着地していた。

 皮膚の特異な弾力にそうなっただけで、別にザーヴェラーがカズミを受け入れたわけではない。
 むしろ戦意満々、撃退心燃やしているようで、海底の砂利に棲むイソギンチャクよろしく背中から無数の触手がにょろにょろ生えて伸びると、続いてはゴーゴンの髪の毛のごとく一斉に広がって、包み込み食らおうと、カズミへと襲い掛かっていた。

「そんなちゃちな攻撃に、このカズミ様がやられっかよ!」

 カズミは、足場の悪さをものともせずに、触手をかわしつつ両手のナイフを素早く振るう。
 魔法的強化(エンチヤント)を施しておいたことや、先日の魔道着ファームアップ効果などが相まって、三本、四本、触手をすぱりすぱり見るも簡単に切り落としていく。

「弱点どこだあ、っと、うわっ!」

 悲鳴を上げた。
 這い伸びる触手がしゅるり足首に巻き付いたことに、気付かずに、引き倒されてしまったのである。

 ザーヴェラーの背中から、にょろにょろにょろと生えているものが、それぞれ、鎌首もたげた蛇が獲物を仕留めるかのように、一斉にカズミへと襲い掛かった。

「油断した!」

 自分の迂闊を呪い、舌打ちし、ぎゅっと目を閉じるカズミであったが、次の瞬間その目が開かれていた。
 驚きに、大きく。

 どう、どう、どう、どう!
 カズミの身体へ齧り付こうとしていた触手の先端が、次々爆発して吹き飛んだのだ。

「焦り過ぎちゃうか、自分」

 騎槍(ランス)を手にした(みち)()(おう)()である。
 苦笑しながら、腰を屈めてカズミへと右手を差し出した。

 無数の触手を一瞬にして吹き飛ばしたのは、応芽のその騎槍によるものだったのである。

 重ねて手助け受けるも恥、と思ったか、カズミは足を軽く持ち上げ、その反動でぴょんと跳ねて、起き上がった。

「別にお前の助けなんかいらなかったけど、いちおう礼はいっとくよ。ありがとうな」

 笑みを浮かべた。

「別にええわ、礼なんか。身体がかゆなるわ」
「……確かに焦ってるよ、あたし。怪我人が出るのが思ったより早すぎて、持久戦も難しいかなって。……なにせ人数が、去年の半分だしな。アサキのバカには、セオリー通り、じっくり弱点探す持久戦しか教えてねえけど、どっかで無茶しねえと、逆にやべえと思ったんだ」

 喋りながらカズミは、胸の前に構えた左腕のナイフを、目に止まらぬ速さで真横へと、切っ先を走らせた。

 背後から襲い掛ろうとしていたザーヴェラーの、触手が二本、スパンスパンと、ほとんど同時に切断されていた。
 切られた先端が、ゆっくり落ちながら、粉になって、風に溶けて、消えた。

「まあ、確かにしゃあないか。あたしもその無謀に、ちょっとだけ付き合うたるわ。感謝しいや」
「短期決戦にすんだから、ちょっとも全部も一緒だろ」
「やかましいわ。……おりゃあ!」

 応芽は頭上で、水車のように騎槍を回し、襲いくる触手をぶちぶち潰すと、その槍を逆手に持って、足元つまりザーヴェラーの背中へと、突き立てた。

 だけど、ガチと硬い音がするだけで、先端しか刺さらなかった。

「いって、くそっ痺れたっ、ここ無茶苦茶硬いとこやん! ほな、ここならどうや!」

 襲ってくる触手を、引いてかわし、屈んでかわし、手当たり次第に騎槍を突き立てて行く。

 その背中を守るように、カズミが付いており、左右のナイフで触手を切り落としている。
 本当に、応芽を守っているのだ。
 お互いの刀身の長さを考えると、確かに「探り」は応芽に任せて、自身は防御に徹した方が効率がよいからだ。

「いったあ、ああんもう! ここ無茶苦茶硬いとこじゃった!」

 さっきの応芽と、まるでおんなじ台詞が、ザーヴェラーのぼこぼこ盛り上がったコブ状の反対側から聞こえてきた。

(はる)()?」

 カズミが呼び掛ける。

 二人がコブを回り込むと、紫色の魔道着を着た(あきら)()(はる)()が、大量の触手を槍で払いながら、隙を作っては足元をぐっさりと突いている。

「やっぱり明木やったか。……(おお)(とり)は、なにしとる?」

 応芽は尋ねた。

「うちを庇って、()(せん)(かい)を腕に食らってしまってな。治療のために離脱したけえ、もう地上におるじゃろ」
「そうか。弱点の当たりを付けてくれること、期待していたのにな」

 カズミが苦々しそうに、唇を噛んだ。

 なお魔閃塊とは、ザーヴェラーが放つ、赤黒い光のことである。

「弱点はこの辺りといっとった。それで正香ちゃんと二人掛かりで、シラミ潰しに攻撃しとったんよ」

 また治奈は、槍を回転させて、周囲の触手を切り落として生じた隙に、柄を逆手に足元へと突き刺した。
 ガチッ、
 と固い音。外れだったようである。

「この辺がこいつの弱点? ほんとかよ」
「ほんとかどうかは知らん。にょろにょろの出方と過去データの統計が、とかなんとかいってたけえね」
「やっぱすげえな、あいつの頭脳は。ゲームと漫画ばっかで勉強しない誰かと大違いだ」
「いまいう必要ないじゃろ!」

 治奈は、荒らげた声を出しながら地面を、いやザーヴェラーの背中を踏みながらも、同時に槍を横に払い、回し、戻し、瞬時に四本の触手を切断していた。

「なあ、ひょっとして、あれやろか?」

 慶賀応芽が、騎槍で触手の頭を潰しながら、顔をくいっと上げて、ザーヴェラーの首の辺りを視線で差した。

 他の箇所と比べ、遥かにうようよ無数に、触手が生えている。
 まるで獣毛である。

「それっぽいといえば、それっぽいな。よっしゃ、あたしが邪魔なにょろにょろをぶった切るから、あとは任せた!」

 カズミは、いうが早いか左右のナイフを構えて、弱点と予想した首の裏を目掛けて、大きく跳躍した。

「無謀じゃろ、カズミちゃん!」
「んなもん承知の上だ!」

 自身を大きなコマにして、ぐるぐる回りながら、身体を突っ込ませた。
 みっちりと生えていた触手が、二本のナイフによって、ぶつりぶつりと切れて、穫られていく、空気に溶けていく。

 だが、その数があまりにも多過ぎて、気合と勢いだけでなんとか出来るものではなかった。
 一本の触手が、カズミの足にするすると巻き付いて、そして太ももへと齧り付いたのである。

「あぐっ!」

 大きな呻き声を上げながら、カズミは転倒した。

 ぶじゅっ、という不快な音と共に、食い付いていた触手がうねり、鎌首をもたげた。

 カズミの太ももが、スパッツごとごっそりと食いちぎられていた。

 切断された動脈から、勢いよく鮮血が吹き出した。

「くそったれえ!」

 なおも新たな肉を求め齧り付こうとする、触手の先端を、カズミは、歯をぎりり軋らせながら、素早く右手のナイフを振って、切り落とした。

「カズミちゃんっ、だいじょう……」

 治奈が、心配そうに、駆け寄ろうとする。

「カズミちゃんっ、じゃねえよ、なにしてんだ! 早くやれよ!」

 その悲痛な怒鳴り声に、治奈は立ち止まり、小さく頷くと、高く跳躍した。
 叫びながら、逆手に持った槍を、カズミが切り開いてくれたザーヴェラーの首へと深々突き刺した。

 さらに、

「これでとどめやあああっ!」

 応芽が、治奈と同様に、跳躍からの落下の勢いで騎槍を突き刺して、さらにぐりぐりとねじった。

 次の瞬間、応芽の目が、驚きと焦りに、はっと見開かれていた。

「ここ、弱点やない!」
「え、ほじゃけど、手応えは確かに……うあっ!」

 動揺が油断に繋がったのか、治奈は、巨体の脇からそろそろと伸びていた巨大な触手の、横殴りの一撃を受けて、たまらず宙へと弾き飛ばされていた。
 飛翔魔法を唱える余裕もなく、遥か下にある地上へと、落下を始めた。

 ザーヴェラーの背中には、応芽と、手負いのカズミだけになった。

「一時撤退するで。ええな? 昭刃、立てるか?」

 失敗と見るや、応芽の決断は早かった。

「……立てへん」

 ぜいはあ息を切らせ、弱り切った顔をしながらも、いや、だからこそだろうか、この他人をからかうようなカズミの態度は。

「んなこといっとると置いてくで。……しゃあない、肩を貸したるわ。高利息でな」

 太ももの激痛に呻くのも構わず、カズミを強引に立ち上がらせた応芽は、逃すまいと襲い掛かる巨大な触手を強く蹴って、その勢いを利用してザーヴェラーの背中の外、空中へと飛び出したのである。

     10
 地上で、自身の負傷を治癒しつつ上空を窺っていた(せい)()が、

「様子、おかしくありませんか?」

 訝しげな表情を浮かべた。

 肩を組むようにザーヴェラーの背中から飛び降りた(おう)()とカズミであるが、その降下速度に全然ブレーキが掛かっていないのである。
 それでも状態が万全ならば、自身の魔力と魔道着の能力とで、どんな高さから落ちたとしても問題はないはずだが、もし魔力をほとんど使い果たしている状態だとしたら、無事では済まないだろう。

「あ、あれっ、ほんとだっ!」

 アサキも空を見上げ、思わず叫んでいた。

 きっと浮遊魔法を使う余裕もないんだっ。

 そう判断したその瞬間、アサキは大きく地を蹴って、落下してくる応芽たちへ向かって飛んでいた。

 ぼおっと青白く光る両手を頭上へと向けると、その光が大きく膨れて球状になり、落下してくる応芽とカズミを、迎え入れるように、包み込んでいた。

 ぐん、と球状の光に引っ張られるように、地へ落ち始めるアサキであるが、空中を泳いで、なんとか応芽とカズミの腕に触れて、引っ張り、身体を抱くと、非詠唱で浮遊魔法を発動させた。

 すーっと、落下の速度が緩やかになり、アサキ、応芽、カズミはゆっくりと着地した。

「助かったわ、(りよう)(どう)。おおきにな」

 応芽が、アサキの肩をぽんと叩いた。

 怪我はなさそうだ。
 だけど、一緒にいるカズミが、ぐうっと呻いて、地に倒れてしまった。

「だ、大丈夫? カズミちゃん! ああ、足の怪我が酷いよっ!」

 アサキは、ごっそりとえぐり取られ、なおもどくどくと血を吹き出している太ももに気が付くと、両膝を地に落とし、両手のひらを、深い傷へと翳した。

「いいから、自分を治せよ!」

 倒れたまま、カズミが怒鳴り声を張り上げるが、

「わたしなんか、カズミちゃんに比べたらかすり傷だよ!」

 アサキも引かない。

「ったく、しょうがねえな。治されてやるよ……うああっ!」

 苦笑を浮かべようとするカズミの顔が、急に激痛に歪んだ。

「大怪我してるのに余計なこといってるからだよ! わたしなんかと違って、カズミちゃんは欠かせない戦力なんだ! だから、黙って治癒を受け入れてよ」
「分かったよ。……お前、なんだかしっかりしてきたな」
「だから余計なこといわない!」
「はい……」

 怒った顔のアサキと、受けてしゅんとしたカズミ、二人の表情が変化して、お互いに微笑み合った、その時であった。
 空が薄暗く、
 いや、薄白く陰ったのは。

「あ、あれっ!」

 成葉の絶叫に、全員が驚愕の表情を空へと向けた。
 驚愕も当然である。遥か上空に浮いていたザーヴェラーの巨体が、こちらへと、急降下しているのだから。

 こちらへ向かって飛んでいる、というよりは、浮遊をやめて重力に引かれるまま巨体を任せているかのよう。
 ぶーん、と低い音を立てて。

 まるで、落下する超巨大な爆弾である。

 加速がついて、地面に広がる白い影が、どんどんどんどん大きくなる。

「逃げろアサキ!」

 カズミの怒鳴り大声に、アサキはびくり身体を震わせた。

「で、でもっ」

 一人でならば、簡単に逃げられるだろう。
 だけど、足に酷い怪我を負っているカズミを引っ張りながらでは、間に合わない。

 そう判断したアサキは、躊躇うことなく立ち上がり、躊躇うことなく両手を天へと翳していた。

 ぼおっと光る両手の、その光が広がり、形を作り、青い魔法陣が出来ていた。
 その魔法陣は、一瞬にして大きく、直径数十メートルという常識外れに巨大なものへと膨れ上がっていた。

 次の瞬間、

 どおおおおおおん、

 鼓膜の破れそうなほどの爆音が轟いて、地が、足元が、ぐらりぐらりと揺れた。

 ザーヴェラーの、桁外れに巨大な身体が、彼女たちの頭上へと落ちたのである。

     11
 おそろしく巨大な蟻地獄の巣。
 すり鉢状になった地面。

 その斜面の途中に、アサキとカズミの身体が、半ば埋まった状態になっている。

 ぜいはあ、苦しそうな表情で、肩を大きく上下させている二人。

 二人だけではない。
 少し離れたところに、(はる)()(なる)()(おう)()(せい)()の四人が、やはり同じように埋まっている。

 上空には黒い雲と、
 再び浮上した、ザーヴェラーの巨体。

「み、みんな、だ、大丈夫かあ……」

 カズミが、埋まっている地面から、なんとか自身の上半身を起こした。

「生きてるよーっ」

 顔が完全に埋まっていた成葉、すぽんっと頭を地面から引き抜くと、ぶるぶるぶるっと左右に激しく振った。

「無事です」
「死ぬかと思ったけえね」

 正香、そして治奈が、めり込んだ地面から上半身を起こした。

「ったくどいつもこいつも、バカな真似をしやがってよ」

 激痛をこらえながら、言葉を吐き出すカズミ。
 その顔には微笑が浮かんでいる。

 寸前、彼女たちになにがあったのか、説明しよう。

 ザーヴェラーの、自らの巨体をただ落下させるという、シンプルかつ破滅的なこの攻撃に、アサキは逃げなかった。
 足の大怪我で逃げられないカズミを守ろうと、いちかばちかの魔法障壁を張ったのだ。

 それ自体、桁外れに巨大な魔法陣であったが、さらに治奈たちも強力して、各々魔法障壁を張って、巨体落下の衝撃を受け止めたのである。

 それでもこの破壊力だ。
 一人分でも障壁が欠けていたならば、誰かが、または全員が、生命を落としていたかも知れない。

「あのザーヴェラー、最初の方でも急降下を仕掛けてきよったけど……」

 治奈が、ぶるぶると身体を震わせながら、なんとか立ち上がった。

「その時のそれは単に『なりたて』で未熟だったというだけかも知れん。ほじゃけど、今の攻撃はきっと意図的じゃろな。うちらを倒せる、と踏んでおるんじゃ」

 額の汗を袖で拭いながら、苦々しげな表情で空を見上げる。

「つまりは、すぐにまたくる、ということです。少しだけ様子を見てから、次は完全に仕留めにくるでしょうね」

 正香が補足する。

「去年の時のよりずーっと強いのに、こっちはこっちで人数が半分だしさあ。……未熟なザーヴェラーだから倒せるとかあ、いってたの誰だあ! ナルハもう動けないよー。……あーあ、先輩たちがいればなあ」
「おらん人のこといっても仕方ないじゃろ!」

 心に余裕がなくなっているためだろうか、いつも飄々としている治奈が珍しく声を荒らげた。

 それで逆に落ち着いた、というわけではないだろうが、とにかく反対に余裕の笑みを浮かべたのは、(おう)()である。

「はん。その先輩たちとやらを合わせた以上のスペシャルが、ここにおるやろ」

 親指で自分の顔を差しながら、ふふん、と済まし顔で鼻を鳴らした。

「はあ?」

 まだ下半身を地面に埋もれさせたままのカズミ、顔に縦線がびっしりだ。

 応芽はすぐ真顔になると、ゆっくりと、はっきりと、口を開いた。

「頼みがあるんやけど」

 仲間たちの顔を見回し、ひと呼吸置くと言葉を続けた。

「みんなの、残りの魔力を、すべてあたしに預けてくれへんか?」

     12
 地に片膝を着け、屈みながら、(みち)()(おう)()が、小さく口を開いて呪文詠唱をしている。

 両手がぼーっと薄青く光ると、その両手を、足元に置かれている騎槍(ランス)へとそっと翳した。

 すーっと手を動かして、柄尻から先端までその魔力を帯びた光を染み込ませていく。
 騎槍自身が鈍い輝きを放ち始めたことを確認すると、柄を握り立ち上がった。

 続いて、別の呪文を唱え始める。
 すぐに応芽自身が、全身薄青い光に包まれた。

「準備ええで。ほな、頼むわ」

 応芽の合図に、彼女を囲んで立っているアサキ、治奈、カズミ、正香、成葉、五人が同じ呪文を合唱し、空気を小さく共鳴させた。

 みな、疲労を隠せぬ苦しそうな表情であるが、中でも酷いのがカズミである。太ももの肉を、ごっそり食いちぎられているのだから。
 現在、治奈に肩を借り、かろうじて立っている状態だ。

 呪文詠唱によって、五人それぞれの頭上に、薄青く輝く小さな五芒星の魔法陣が浮かび上がった。

「遠慮なく貰うで」

 応芽が騎槍の柄尻をとんと地面に置くと、切っ先から巨大な魔法陣が現れた。
 アサキたちが作り出した魔法陣が溶け崩れると、水面のインクアートをスポイトで吸ったかのごとく、応芽の騎槍へと、すべて飲み込まれていた。

 魔力をたっぷり吸収し、騎槍を包む輝きの色が変わっていた。
 青から、金へと。

 正香と成葉が、がくりと膝を崩した。
 疲労に加え、魔力を大量に吸われたためであろう。

「超魔法、か。そうだと思ってたけど」

 カズミが、倦怠感や激痛に、顔を複雑に歪めながら、ぼそり呟いた。

「他に方法もないやろ。あいつの弱点は分かったからな、そこに一気に魔力の残りをブチ込んだるわ」

 応芽は、上空に浮遊している巨大な島を見上げると、右手でそっと槍の柄をしごいた。

「弱点が分かったって……」

 不思議そうな、不安そうな、そんな治奈の顔。
 そうもなるだろう。
 せっかく見つけたと思ったらハズレで、気付かず強引に攻めた挙げ句ボロボロにやられて退却、それがために、この通り、より劣勢へと追い込まれてしまったのだから。

「さっき明木が、手応えはあったゆうてやろ。あれも正解なんや。その反対側、人間でいう喉ぼとけのあたりが弱点ちゅうことなんや」
「ああ……そがいな理屈か」
「ほな、そろそろいくで。全員の、まだほんの少し残っている魔力をかき集めて、あたしのことを、あいつの高さにまで吹っ飛して欲しいんやけど。あのデカブツ、攻めてくるわけないと油断しとるやろから、びびっとるとこ一気にぶっ飛ばしたるわ」
「本当に、大丈夫、なのかよ、ウメ」

 カズミが、治奈の肩を借りかろうじて立ちながら、弱々しい声を絞り出した。

「あたしを誰や思うとるんや」

 応芽は鼻で笑うと、右の拳で自分の胸をどんと叩いた。

「確かにある意味では、仕掛けるにまたとない好機です」
「え、どうして?」

 正香の言葉に、成葉が食い付く。

「弱体化している魔法使い、という美味しい獲物がいる以上は、ザーヴェラーは逃げない。先ほどのように、自らとどめを刺しにくる。である以上、こちらは飛翔など少ない魔力を無駄に使うことはせずに、地上で迎撃に徹するのが常識的。つまりは、こちらから仕掛けることで、その裏をかけるということ。いまウメさんが仰っていた通りです」
「まあ、そゆことや。ほな、あのデカブツがまた降ってくる前に、夏の河川敷の花火みたく、あたしをどっかん打ち上げてや」
「散るみたいな縁起悪いこといっちゃダメだよ!」

 アサキが不満げな顔を、ぐいと応芽へと近付けた。
 
「うわ、驚かせるな! 戦意を高めたくてノリと勢いでいっただけの言葉に、自分が食い付いて、勝手に縁起悪うしとるんやろ!」
「あ、ご、ごめん。……うん、絶対に成功するよ」
「当たり前や。天才応芽様やで」

 応芽は、すぐ目の前の、アサキのおでこへと、そっと顔を寄せ、コツンと頭突きをすると、優しく微笑んだ。

 アサキは、ぽわんとした表情で自分のおでこを両手で押さえていたが、すぐにきっと引き締まった顔になり、硬く拳を握り、治奈たちへと向き直る。

「やろう、みんな!」

 というアサキの言葉に、治奈が小さく頷いた。

「うちらには、もうほとんど魔力が残っとらん。……ウメちゃんに、命運を託すけえね」
「大袈裟やな。あたしを誰や思うとるって、なんべんいわすんや」

 五人の魔法使いは、あらためて輪になり応芽を取り囲むと、静かに呪文の詠唱を始めた。

 応芽の足先が、わずかに地面から離れて浮かび上がった。
 と、見えたその瞬間、
 ドオンという低い爆音が起こり、凄まじい風を巻き起こして、応芽の身体は消え去っていた。

 いや、消えたわけではなかった。
 頭上、上空、その遥か上空、既に応芽の身体はそこにあり、既にアサキたちの視界からは豆粒ほどの大きさになっていた。

「行けえええええっ!」

 カズミ、成葉、アサキが、ぎゅっと拳を握った腕を高く突き上げて、空へ向けて叫んだ。

     13
 高層ビルをも上回る超高度に浮かぶ、赤黒の魔道着。
 五人の魔法使い(マギマイスター)に打ち上げられた、(みち)()(おう)()の姿である。

 眼前には島、いやザーヴェラーの巨体。
 眼下には、まるで航空写真といった我孫子の町並み。

 応芽は、強風吹く超高度に、まるで宇宙遊泳でもしているかのようにふわり舞いながら、両手に騎槍の柄を握り締め、叫んだ。

「いっくでええ! 必殺超魔法、ペイフェッドアンストゥルム!」

 金色に輝く騎槍を、頭上で一回転、彼女の足元に、青く光る五芒星魔法陣が浮かび上がっていた。

 五芒星の中心から、炎がゆらゆら揺れながら、競り上がりながら、形状を変化させていく。

 炎の馬。

 応芽は、長年の相棒であるかのように微塵の躊躇もなく、ひらり跨がると、騎槍を小脇に抱え、炎の馬を疾らせた。

 ザーヴェラーへと。
 雲のように真っ白で、手足のない、とてつもなく巨大な悪霊、その頭部へと目掛けて。
 まっしぐらに。

 ぶん、ぶん、
 ぶん、ぶん、

 目も口もない、のっぺらぼうの顔面から、赤黒い光弾が、妙な振動音と共に打ち出される。
 炎の馬に乗った応芽の胸を、撃ち抜こうと。
 何発も。

 ガシャン、

 ガラスが砕ける音と共に、応芽の身体が粉々に砕け、吹き飛んだ。
 と、見えたは幻か、
 応芽は炎の馬に跨ったままだ。
 小脇に槍を構え、ザーヴェラーへと突っ込みながら、雄叫びを張り上げている。

 あらかじめ、自身の周囲に魔法障壁を何重にも張っていた、その一枚が砕け散ったのである。
 その音である。

 想定内! と、構うことなく躊躇うことなく、赤黒魔道着の魔法使いは、そのまま真っ直ぐ突き進む。

 バリン、
 ギャシャン、
 バリン、

 一枚また一枚、魔法障壁が光弾により砕かれていく。

「うあっ!」

 応芽の、甲高い悲鳴。
 右の脇腹が、臓物が見えても不思議でないくらいに、ごっそりとえぐられ消失していた。

 あまりの執拗な攻撃に、魔法障壁が最後の一枚まで破壊されていたのである。

 どろっ、と脇腹から大量の血が流れ出るが、応芽はまるで気にもとめず、むしろより顔を上げてキッと前方の巨大な敵を睨み付けた。

「おおおおおおおおおおおっ!」

 雄叫びを張り上げながら、青い炎の馬を巧みに駆り、ザーヴェラーの下に潜り込むと、太い首の付け根を目掛けて、両手に持った騎槍を渾身の力で突き上げていた。

 騎槍が、ほぼ根本まで、深々と突き刺さっていた。

 ぶいいいいいいん、
 ぶつぶつぶつぶつ、

 高圧電流で肉が焦げているかのような、なんとも不気味かつ不快な音が、周囲の空気を震わせた。

 いつ唱えたか仕込んでおいたか、ザーヴェラーの巨大な頭部を、それを上回る大きさの、薄青く半透明な球状の光が包み込んでいた。

 どんっ、

 揺さぶられる低い音と共に、半球に包まれたザーヴェラーの頭部は、黒い爆炎でまったく見えなくなった。

 どどん、
 どん、
 どどおっ、
 どおん、
 どん、
 どどん、

 爆音は終わらない。
 魔法で作り上げた閉鎖空間の中で、爆発が爆発を呼び、破壊力が際限なく膨張していく。

 現代科学兵器の方が物理破壊力としては遥かに凄まじいだろうが、それではザーヴェラーは倒せない。
 応芽の攻撃は、むしろ霊的なレベルでの破壊を行っているのである。

 爆発連鎖で上半身を粉々に破壊されていくザーヴェラーを、応芽はぜえはあ息を切らせながら見つめている。

 いつの間にか、跨っていた炎の馬はとこにも姿なく。
 空中にいるのは、立ち姿勢で浮いている応芽と、連続する爆発の中で朽ちつつあるザーヴェラーのみである。

「なんや、これで、しまいか? たいした、こと、あらへんかったなあ」

 臓器が見えてもおかしくないくらい、ごっそりえぐられた脇腹を、ちらりと見ると、正面向き直り、激痛に歪めた顔のまま、ぜいはあ大きく呼吸しながら、強気な笑みを浮かべた。

 応芽のその笑みが、不意になんだか寂しそうなものに変化していた。
 荒い呼吸の中、また、ぼそり小さく口を開いていた。

「なんで、倒してしまったんやろな。せっかくのザーヴェラーやというのに……あかんかったかなあ。勿体無いこと、してもうたかなあ……」

 疲労と苦痛に歪んだ顔で、意味深な台詞をぼそりぼそり吐きつつ、アサキたち五人が待っているはずの遥か眼下へ視線を落とした。

 ふっ、と意識が消失しそうになって、首をだらり下げ顔を落とす応芽であったが、次の瞬間には、はっとした顔が勢いよく持ち上がっていた。
 なにか恐ろしいものでも感じたのか、目が大きく見開かれていた。

「まさか……」

 驚愕や不安の混じった表情で、ぼそりと口を動かした、その瞬間、

 ばちん、
 巨木の幹を巨人が振り回したかのような、そんな横殴りの一撃を全身に受けていた。
 大怪我を負って意識の朦朧としていた状態では、不意を突かれた攻撃に防御など出来ようはずもなく、応芽の身体は軽々と吹き飛ばされていた。

 強風の吹く超高度での、悪魔と魔法使いの戦いは、まだ終わっていなかった。

     14
「ウメちゃあん!」

 空を見上げる(りよう)(どう)()(さき)の、悲鳴にも似た、なかば裏返った叫び声が異空に響く。

 (みち)()(おう)()が、上空から、真っ逆さまになって落下してくる。

 完全に、意識を失っているようだ。

 当然だろう。
 大怪我で意識朦朧としているところを、ザーヴェラーの巨木のように太い触手に弾き飛ばされたのだから。

 意識を無くした以上は、浮遊魔法を唱えることも出来ない。
 となると当然、応芽の身体は重力に引かれて、みるみるうちに落下の速度を増していた。

 アサキは真剣な顔で、腰を軽く屈ませると、大きく地を蹴っていた。
 真っ逆さまに落下している、応芽へと向かって。

 地上から五十メートルほどの空中で、応芽の身体を、両手でしっかりと受け止め、抱きかかえた。

「あぅ!」

 腕が引きちぎれそうになり、アサキは苦痛に顔を歪めた。

「ウメちゃんっ、しっかりして!」

 落下の勢いに引っ張られ、地に落ち始めながら、アサキは、応芽の顔を見ながら必死に呼び掛けた。

「ウメちゃんっ!」

 呼び掛けながら、非詠唱で浮遊魔法を使い、落下にブレーキを掛けて、ふわりふわりと、風に揺れるように、ゆっくり着地した。

「ど、どうなんだウメの奴っ」

 カズミが不安げに、アサキに抱きかかえられている応芽の顔を、覗き込んだ。

「分からない。気を失っているだけなら、いいんだけど」

 アサキは、地面に応芽を寝かせると、自分も両膝を着いて、ごっそりと消失している彼女の脇腹へと両手を翳す。
 翳した両手が、ぼおっと薄青く輝いて、応芽の酷い怪我を覆い隠すように、広がった。

「ぐ……」

 朦朧混濁としているであろう意識の中、激痛に歪む応芽の顔。

 治奈たちも心配そうに、そしてもどかしそうに、治癒を施されている応芽の顔を、覗き込んでいる。

 もどかしい気持ちになるのも、当然だろう。
 仲間の心配というのも勿論だが、
 みな、魔力のすべてを応芽の超魔法へと託したため、もう自分たちには戦う力がないからだ。
 それどころか、アサキの治癒魔法を手助けする力すら残っていないだろう。

「大丈夫? ウメちゃん」

 治療をしながら、アサキは尋ねる。
 大丈夫なはずないことなど分かっているが、他に掛ける言葉がなかったから。

「きょ、今日は調子悪いわ」

 はあはあと、胸を大きく上下させながら、応芽は辛そうに薄目を開けると、うつろな視線で空を見上げ、強がった。

「て、手応えは、あったんやけどな。弱点は、間違いなく、例の、場所や。……せやけど、場所、が、深すぎて、あとほんのちょっぴり、のところで、致命傷まで、達しなかった」

 悔しがっている、応芽の顔。
 拳を握って地を叩こうとするが、力が入らず地を撫でただけだ。

 アサキは、応芽へと両手を翳して治療を続けながら、空を見上げた。

 治奈たちも、追い掛けて顔を上げた。

 地上数百メートルの超高度に、巨大な白い塊、ザーヴェラーが浮遊している。
 まるで動く様子がないのは、こちらを襲う機会を伺っているのか、それとも受けた傷の修復を待っているのか。

「頭も首も、なくなっているね。胸の部分も、半分ほどが吹き飛んでいて、ざっくり大きくえぐれている感じだ」

 巨体が豆粒より小さく見えるほどの、ザーヴェラーの浮いている高度であるが、アサキには、魔力の目ではっきりと見えていた。

「なのに落ちない、つまりウメにゃんのいう通り、致命傷は受けていないってことだね。……でも、よく見えてるねえ、アサにゃん」
「わたしだけ、ほとんど戦ってないから……」

 だから、まだ魔力が残っている。
 だから、魔力の目がまだしっかりと機能しているのだ。

「ウメさんの超魔法が相当なダメージを与えたことは、おそらく間違いないのでしょう。ですが、ほんの僅かの差であれ、致命傷を与えられなかった以上は、それほどの時間を待たず、完全に回復してしまう……」

 大鳥正香の口調は冷静であるが、ぎゅっと拳を握り空を見上げているその顔は、なんともはがゆそうだ。

「ほじゃけど、どがいにすれば……」

 息を切らせながら、力のない視線を、治奈は上空へと向けている。

 治奈だけではない。
 アサキ以外の全員、呼吸が荒く、そして顔には激しい疲弊の色が浮かんでいる。

 単純な疲労。
 そして、魔力の消耗。
 強大な敵に対しての、恐怖や困惑。

 まるでそうした状況、心理が分かっているかのように、次の瞬間、彼女たちの物心双方へと、追い打ちが仕掛けられた。

 ぶん、
 ぶん、
 ぶん、
 ぶん、

 不意に上空から、赤黒い光弾の雨あられが降ってきたのである。

 ザーヴェラーにまだ余力があるということなのか、そこまでに回復したということなのか、それとも、そう見せ掛けることで魔法使いの反撃する気持ちを削ごうとしているのか、それは分からない。
 分かっているのは、現実として、怨念をそのまま握り固めたような赤黒い光が、雨あられと降り注いできているということ。

 魔力がほとんど枯渇した身で、一発でも浴びようものなら、果たしてどうなってしまうか、想像するまでもないことだろう。

「わたしに任せて!」

 アサキが、応芽の治療のため屈んでいる状態のまま、頭上へと両手を上げた。
 天へ向けた手のひらから生じた青い光が、瞬時にして、ぐんと引き伸ばされ、広がって、薄く巨大な円盤状になった。
 五芒星の描かれた、大きな魔法障壁を作ったのだ。

 ほんの僅か遅れて、そこへ赤黒い光弾が落ちた。

 どどん、
 どどどん、
 どん、

 彼女たちの頭上で、激しい爆発が起こった。
 いつ誰の鼓膜が破れてもおかしくない、凄まじい爆音。
 身を巨人の巨大な手で、掴まれ揺さぶられているかのように、空気が低くぶるぶると震えた。

 両手を上げたまま、魔法陣を維持したまま、アサキは苦しそうな表情で耐えている。
 この一帯を、あっという間に焦土化してしまいそうな破壊力、その重さを、一人で支えている。

 無限にも感じられる時間を、歯をぎりぎりと軋らせながら耐え抜いているうち、やがて雨あられと降り注ぐ光弾がおさまった。

 時間にして、ほんの数秒だったのかも知れないが、アサキは気力体力をすっかり消耗して、がくり項垂れた。

 広く頭上を覆っていた巨大な魔力障壁が、不意に溶けて消えると、アサキは、ふうっと大きく息を吐いて、すうっと大きく吸い込んだ。
 吸い込みながら、がくり四つん這いになって、息を切らせながら、空を見上げる。

 ザーヴェラーの高さは変わっていない。
 遥か上空だ。

 その姿、巨体がちょっと霞んで見えるのは、魔法障壁を張ったことでアサキの魔力が著しく消耗し、魔力の目が鈍くなっているからだろう。

「ありがとう、アサキちゃん」

 治奈が、笑みを浮かべ礼をいう。
 なんとも力も希望もない、はかない笑みであったが。

「もう魔力もないし。もし、少しだけ飛べたとしても、あんなの相手になんにも出来ないよ!」

 成葉が、自分の大刀のひらを、拳でこつんと殴った。

「……天二中のやつら、このタイミングでザーヴェラーって、あいつら運がよすぎるぞ! あんなチャラいヤツらじゃあ、あっさり皆殺しになってたに決まってる! ……くっそお、すげえ豪華なお土産を貰ったとしても、割が合わねえ!」

 カズミが視線を落とし、地面を睨みながら、吐き捨てた。

 天王台第二中学校所属の魔法使い、彼女たちの留守番を担当することになった矢先での、ザーヴェラー出現である。運の悪さを呪うのも、仕方ないというものだろう。

「お土産だって、どうせ、パンチが飛び出すびっくり箱とか、どうせそんなのだああ!」

 大きな口を開けて、やけくそ気味な嘆き節を、張り上げる成葉。

「打つ手なし、か」

 治奈が力ない声で、誰にいうでもなく呟いた。

「時間稼ぎすらも出来なかったとは、悔しいですね」

 正香も、同じく力のない声を出した。

「ほうじゃな。じゃけえ、こがいなったらもう撤退するしかないじゃろ。応援を待つというよりも、もう、応援に任せるしかない」
「でも、ここで逃げたら、応援がくるまでの間に、町の人たちが襲われるかも知れないんだよね」

 アサキが、応芽への治療を再開しながら、さして意味を持たない疑問の言葉を投げ掛けた。
 襲われるかも知れない、などと当然のことだ。ヴァイスタやザーヴェラーを、野放しにするわけだから。

「うん、そがいなったら最悪のシナリオじゃな。ほじゃけど、最悪よりも最悪なのは……とにかく避けなければならないのは、魔法使いが無茶をして死んでしまうこと。()(ぐろ)先生がよくいうとるじゃろ? 絶対に生きて帰れ、って。魔法使いがいなくなったら、それこそ一般の住民どころか、この世界そのものが滅びることになるけえね」
「それは確かに、そうかも知れないけど……」

 アサキは、悔しそうに唇を噛んだ。

 自分がしっかり戦えていれば、計算の出来る戦力になっていれば、ここまでの劣勢にはならなかったかも知れないのに。
 せっかく、みんなが、ウメちゃんが、ここまで生命をかけて頑張ってくれたのに……

「おい、撤退するとかしないとか、そんな選択権はこっちにはないみたいだぜ」

 カズミの言葉に顔を上げたアサキ、その目が驚愕に見開かれた。

「なに、これ……」

 地面から、紫色の不気味な炎が、間欠泉のごとく噴き上がったのである。

 しゅんっ、

 しゅんっ、

 花火の、火花が吹き出すかのような音と共に、あちらこちらで。

 あっという間にアサキたちは、直径二十メートルほどの円形の中に閉じ込められていた。

 飛び越えて逃げ出そうにも、炎の高さは十メートルほどもある。
 魔力が残っているならばひとっ飛びだが、現在の彼女たちは魔力が尽きており、普通の女子中学生でしかない。
 なおかつ、精も根も、尽き果てており、
 なおかつ、カズミと応芽の二人は、大怪我を負っている。
 たやすくどころか、難しくさえ抜け出せるような状況ではなかった。

「完全に、囲まれてしまいましたね」

 正香、いつも通りのゆっくり丁寧な口調ではあるが、その顔にはやはり焦りの色が滲み出ている。

「さっきのドカドガ降ってきた攻撃、あれがつまり、この仕掛けだったってことか」

 カズミが、苦々しい顔で、舌打ちをする。

「現界に逃げることも、出来ないようです。空間が歪められて、接点が読めないためか、クラフトが反応しません」

 正香がクラフト、つまり左腕に付けた魔道用リストフォンを操作しながら、観念したのか、く、と小さな息を吐いた。

「魔法使い六人を食えそうだってんだから、そりゃ逃したくねえよなあ」

 治奈に肩を借りながら、カズミが苦笑した。

「でもナルハたち、魔力なんか、もう残ってないよおおお!」
「足を切断したり、とりあえず動けなくしておいて、魔力を回復させてから食うんじゃろな。うちらの絶望も膨らむし、あいつにとって一石二鳥じゃけえね」
「ひえーーーーーっ! ナルハなんか、ぜーーったい美味しくないよーーーーっ!」
「いっちばんマズそうだもんな」

 ははっ、と笑うカズミ。

「カズにゃんよりは美味しいよ! ……ねえ、なんか炎がこっち近付いてない?」

 不審がる成葉の顔。

 その言葉の通りであった。
 ゆっくりとではあるが、炎の包囲が、確実に狭まっていた。

 炎の柱が、アサキたちのいる中心部にまで狭まるのに、およそ二分か、三分というところであろうか。

「くそ、生殺しかよ!」

 焦りの浮かぶ表情で、また舌打ちをするカズミ。

「砂時計のように、静かにゆっくりと、死の恐怖が迫ることで、わたくしたちを絶望させる狙いなのでしょう」
「えーーー、すぐ殺さず足を切るとか、さっきハルにゃんいってたじゃんかあ」
「適当にいってみただけで、あいつらの生態や嗜好なんか知らんわ! 魔力が尽きていようとも、魔法使いは魔法使いってことなんじゃろ! そがいなことより、ここからどうやって逃げるか考えんといけん。……アサキちゃん一人なら、なんとかなると思うんじゃけど」
「わ、わたしっ?」

 アサキは、びっくり肩を震わせて、自分の顔を指さした。

「そうですね。アサキさんが助けを呼びに行く、それがまだ、可能性が高いのではないでしょうか。我々全員が助かるという可能性が」
「正香のいう通りだな。魔力が残っているのは、全然戦ってねえアサキだけだしな。怪我も一番軽いし。ひとっ走り頼むぜ、アサキ」

 治奈に肩を借りながら、カズミがふふっと笑う。
 ちょっと作り物めいた笑みであったが、なおきょとんとした顔をしているアサキに、今度はイラついたように足をどんと踏み鳴らした。
 太ももの怪我が痛んだか、ぐっ、と呻き声を立てながら、アサキを睨み付けた。

「なにやってんだ。早く行けよ! 少し離れれば、そこから現界へも戻れるだろ。ボケッとしてんじゃねえよ!」

 声を荒らげるカズミ。

 その態度を受けてもなお、ぽーっとしたアサキの顔であったが、いつしか、その顔にじんわりと笑みが浮かんでいた。

「みんな、ありがとう」

 じんわりとした笑みは、不純物のまるでない、すっきりした笑みへと変わっていた。

「お前、なにをいって……」
「わたしのことを逃がそうとして、そういってくれているんだよね」
「え、ち、ちが……」

 うろたえ否定するカズミであるが、アサキの笑みは揺らがない。

「応援は呼んでいる、と須黒先生はいっていた。でも、間に合わないだろう、と。……応援の魔法使いが、ここへ向かっているのだとしたら、こちらから呼びに行くことに意味はない。……わたしだけは逃げられるように、そういってくれてるんでしょ?」
「ああそうだよ!」

 カズミが、また怒鳴り声を張り上げた。
 だが、同じ怒鳴り声のはずなのに、まるで違う声だった。

「だってお前、まだ新米だろ。半分、一般人みたいなもんじゃねえか。……それに、全滅しちゃあ意味がないだろ。一人でも生き残れば、つうかお前が生きていれば、この経験でお前がもっとすごい魔法使いに成長できるんだ!」

 泣き出しそうな声で、怒鳴っていたのである。

「カズミちゃん、ありがとう」

 その、カズミのいまにも泣きそうな訴えを受けて、アサキの笑みは、より深まっていた。
 深く、優しい笑みになっていた。

「ありがとうじゃねえよ、早く行けよ! ここにいても仕方ねえだろ! あたしたちの戦いは、もう終わったんだよ。負けたんだよ!」
「まだ……終わってないよ」

 アサキは優しく微笑むと、すぐにキッとした表情になって空を見上げた。
 上空にふわふわ漂っているザーヴェラーを、睨んだ。

 また視線を落として、みんなの姿を見る。

 治奈、
 その肩を借りてカズミ、
 正香、
 成葉、
 地に横たわり、うつろな目を開いている応芽。

 みな、魔道着はところどころ切り裂かれ、砕かれ、顔もススだらけ、泥だらけ、傷だらけ。
 ボロボロである。

「わたしが、やる」

 アサキは、ぎゅっと拳を握り、覚悟を決めた眼差しを、正面に向けた。

「無茶です!」

 正香が、珍しく声を荒らげていた。

 だけど、その言葉を受けたアサキの表情には、微塵の揺らぎもなかった。

「分かってる。無茶なことなんか。……でも、みんなの必死の頑張りを、受け取り繋げられるのが、わたししかいないのなら、わたしがやるしかない」

 ぶん、
 ぶん、
 ぶん、

 また、上空からザーヴェラーが、赤黒い光弾を放った。

 アサキは、決心揺らぎない表情で、それを見つめている。

 光弾が落ち、どんどんと爆音が上がり、爆煙が濃霧のように視界を覆い隠す。

 もくもくと煙が流れると、そこには右拳を天へと突き上げた、赤毛の魔法使いの姿があった。
 攻撃を、一人で、咄嗟に張った魔法障壁で、すべて受け止めたのである。

「わたししか……」

 わたししか、
 みんなを守れない、というのなら、
 わたしが、守るしかない。

 いつも、こんなことをいっておきながら、なんにも出来ず、助けて貰ってばかりだったけど、

 でも、今度こそ、

 絶対、
 絶対に、

 みんなを、

「みんなを、守るんだーーーーーーっ!」

 地が、揺れていた。

 天を睨みながら絶叫するアサキに、まるで呼応したかのように、大地が、激しく、ぐらぐらと、揺れていた。

 いつもの、気弱な態度からは信じられない、獣じみた咆哮を放つアサキの、足元に、青く輝く五芒星魔法陣が、出現していた。

 半径十メートルは優に超えるであろう、超巨大な魔法陣。

 その魔法陣を力強く蹴って、赤毛の魔法使いは、大きく飛び上がっていた。

 地面に残された五芒星魔法陣が、すすっと音もなく縮み、一メートルほどの円形にまで小さくなると、地から剥がれて、ひゅるるる、まるでロケット花火だ。うねりながら、アサキを追い掛けていく。

 追い掛けて追い付いてきた魔法陣が、足の裏に触れそうになったタイミングで、アサキは、再び強く蹴って、さらに高くへと舞い上がった。

 さらに蹴る。
 さらに、もう一回。

 ぐんぐんと、ぐんぐんと、上昇を続けたアサキの目の前に、ほんの少し前まで豆粒の大きさだったザーヴェラーの、とてつもない大きな巨体があった。

 ばたばたと、強い風に赤い髪の毛をなびかせながら、ザーヴェラーを睨むと、
 突如、全身が金色の光に包まれていた。

 魔法陣を、蹴った。

「うああああああああっ!」

 アサキは、腰の剣を引き抜きながら両手に握り、大きく振り上げ、絶叫を放ちながら、白く巨大な悪魔へと、小さな身体を突っ込ませた。

     15
「すげえ……」

 カズミは、太ももに負った大怪我の痛みも忘れて、ぽかんと口を半開きで空を見つめていた。
 アサキの、戦いぶりを。

 遥か上空に、アサキとザーヴェラーが浮かんでおり、そこで激闘を繰り広げているのである。

 カズミに肩を貸しながら、(はる)()も、そして(せい)()(なる)()も、やはり驚きを隠せない表情で空を見上げている。

 視界の先で起きていることが現実、と理解はしつつも、どこか非現実的な光景でもあり、脳がすんなり受け入れることが出来ないでいるのだろう。

 なお、つい先ほどまでの彼女たちは、魔力が完全に枯渇していたため、通常の人間の視力と変わらなかった。そのため、超高度に浮遊するザーヴェラーを、認識することだけで精一杯だったが、現在は、ほんの僅か回復した魔力によって、その姿、アサキとの戦いを、はっきりと視認することが出来ている。

 魔力の目で、はっきりと、しっかりと、見れば見るほど、彼女たちにとってそれは信じられない光景だったことだろう。

 飛翔の魔法は、客観的視点から自分の襟首を箸でつまむようなものであり間接的。
 したがって、どうしても動作にロスが生じるし、あまり細かな動きも出来ない……はずなのに、アサキは、まるで足元に地面があるかのごとく、自由自在に走り回っているのだから。

 そう、飛んでいるというよりも、二本の足で翔けて、いや、駆けている。足元に確固たる地面が存在しているとしか思えない、そんな動きで。
 これが不思議な光景でなくて、なんであろう。

 駆けながら、両手に握った剣を振り回して、自分へと襲い掛かる無数の触手を次々と切断している。

 ザーヴェラーの、触手による攻撃は、先ほどカズミたちが背に乗って戦っていた時と比較にならないくらい、激しく執拗なものになっていた。
 既に弱点を見抜かれている、それ故に必死なのであろうか。
 魔法使いが自分に対して、このような戦い方で挑んでくる、そうした本脳にはない情報が畏怖させ、過剰防御へと繋がっているのであろうか。

「ちょっとお、飛翔でなんでこんな戦い方が出来るのお?」

 いくら見せられようとも、驚きの衰えない成葉の表情であるが、それがさらに、驚きに目を真ん丸に見開くことになる。
 正香の言葉によって。

「いえ……どうやらこれは飛翔魔法ではないようです」

 その言葉に驚いたのは、成葉だけではなかった。
 カズミ、治奈、そして地に横たわりぜいはあ苦しんでいる応芽の表情も、同様の色が顔に浮かんでいた。

「え、え、ほいじゃあなんなん?」

 動揺し、つっかえつっかえで尋ねる治奈。
 知ってこの戦いの助けになるわけでもないが、聞かずにもいられないというものだろう。

「彼女は、小さな魔法陣を自分へと吸い寄せているんです。そして、足裏には反発するエネルギーを作り出して、それを蹴っているんです」
「そ、それだけでも複数魔法の組み合わせじゃろ?」
「はい。飛翔魔法は間接コントロールなので、素早い動きが出来ませんが、これは魔法陣の上を蹴って歩くだけなので、地上にいるのとほぼ同じ動きが出来るんです」
「はあ、詠唱系魔法を非詠唱で使えるアサキちゃんの特技ならでは、ってことじゃね」
「そうですね。メンシュヴェルト所属の魔法使いは数あれど、おそらくこんな離れ技をやれるのはアサキさんしかいない」
「でも、でも、どうして魔法陣を蹴るのかな」

 成葉が、疑問の言葉を割り込ませた。

「乗って浮くには、飛翔魔法と同じことをしなければならない。ならば、と割り切っているのでしょう」
「アサにゃん……凄いな……」

 あらためて空を見上げる成葉。
 アサキと、ザーヴェラーの戦いを。

 アサキは、ただ自由自在に空を駆けているだけではない。
 隙あらば剣にあらたな魔力を送り込み強化させ、隙あらば自らに魔法障壁を張り防御力を高めつつ、戦い続けている。

 本来ならば、これはありえないことである。
 ありえない光景である。

 経験を積んだ魔法使いが一般的に抱く認識、という観点からすれば。
 複数魔法を同時に発動させて、たった一人でザーヴェラーと、しかも空中で、互角に渡り合うなど。

 でもそれは現実で、
 さらには、それをやってのけているのは新米の魔法使い。

 炎の柱に焼き殺されることを覚悟した治奈たちが、この大逆転ともいうべき状況に、希望を見出し興奮するのも、当然というものであろう。

「しっかり、自分のものにしていますね。能力を」

 予断を許す状況ではないが、とりあえず生じたその希望に、正香は小さな笑みを浮かべた。

「もともと、魔力の器は、とんでもなく大きかったけれど、分散していたけえね。それがしっかり、無駄使いなくコントロールが出来るようになっとるな」
「そうですね。おそらく……絶体絶命の危機に自分が陥ったから、というよりは、わたくしたちを守らなければという強く優しい思いが、彼女の持つ能力を覚醒させたんです」

 二人のやりとりを聞いていたカズミは、

「そうか。……もう、ヘタレとかいわない方がいいなあ」

 鼻の頭を掻くと、ふっと息を吐き、空を見上げながらにんまりとした笑みを浮かべた。

「いけえええ、アサキいいいいいいっ! ぶっ飛ばせえええええっ!」

 右腕を突き上げた。

     16
 ぶん、

 襲いくる赤黒い光を、アサキは右拳を軽く動かし、パシッと甲で弾いていた。
 その右手を、剣の柄へと伸ばし、両手でぎゅっと握ると、素早く振り返り、背後から飛び掛かろうとしていた巨大な触手を、間一髪かわしながら、斬り付け、切断した。

 ぶん、

 また、ザーヴェラーの顔面から、赤黒い光弾が発射される。

 アサキは、空手でいう後ろ回し蹴りで、振り返りながら高く上げた足でその光弾を蹴り潰していた。
 と、剣を斜め下から振り上げて、ほぼ同時に発射されていたもう一発も、弾き飛ばした。

 生物、と呼べるのかは分からないが、とにかく白く巨大な物体と、剣を両手に戦う勇者。
 よくある、剣と魔法のファンタジー、といった構図であるが、ちょっと違うのが、ここが遥か上空であるということ、まったく違うのがここが現代日本であること。
 眼下には、千葉県我孫子(あびこ)市の夜景が、色調反転して真っ白に広がっている。
 こんな異様な光景が、他にあるだろうか。

 ザーヴェラーの浮遊原理は、まだ解明されていない。
 アサキの浮遊原理は、先ほど(せい)()が見抜いた通りである。
 自分の足元へと吸い寄せられる魔法陣を、蹴っ飛ばして、その反動で浮いているのである。

 常に蹴り続けていなければ、魔法陣が自分の足の裏に張り付いて、蹴る反動が使えずそのまま落ちてしまう。
 そうしたところは難点だが、アサキ自身が魔法で浮遊しているわけではないため、自己を間接操作する飛翔魔法と比べて、動きの自由度がまるで違う。

 使用している魔法の一つひとつは、難度の高いものではない。
 そのことだけに掛かりっきりになれるならば、魔法使いなら誰でも出来る。
 だが、このような戦いの場で掛かりっきりになれるはずもなく、だから普通は誰もやらない、だから考えもしない。

 アサキは、自分の持つ非詠唱能力という特技を、どうやって戦いに生かすか、これまでずっと考えていた。
 これが、答えの一つである。
 冷静にそう思ってこの場において試してみたわけではなく、完全に無意識下でのことであったが。

 また、光弾が発射された。

 また、アサキは、拳と蹴りとで打ち払って、ぶんと襲いくる触手を、剣を振るってぶった斬った。

 互角の戦いだ。
 だが…… 

 はあ、
 はあ、

 アサキの息が、切れていた。
 魔力はまだまだ残っているようだが、体力が尽き掛けていた。

「でも……まだだ」

 ぎり、と歯を軋らせ、きつく拳を握った。

「まだ……」

 戦える。
 わたしは……

 ぜいはあ荒い呼吸をしながら、胸の中で言葉の続きを呟いている。

 戦わなくちゃ、いけないんだ。
 みんなを、守るために。

 キッと睨み付ける表情で、顔を上げた。

 ザーヴェラーの巨体、表面の傷や、切断したはずの触手などが、どんどん回復している。
 無から有が生まれるように。
 ビデオの逆再生を見ているかのように。

 はやく、決着をつけないと……
 決着というよりも、絶対に倒さないと。
 カズミちゃんたち、みんなが、あの炎に飲み込まれてしまう。
 だから、
 わたしは……
 わたしが……やるんだ!

「うあああああああああっ!」

 絶叫していた。
 両手に握っている剣が、叫びに呼応し、眩しい輝きを放っていた。

 ぎゅっ、とより強く柄を握り締めると、アサキは魔法陣を蹴り、真っ赤な魔導着姿を単身ザーヴェラーへと突っ込ませた。
 しかし、

 ぶんっ、

 気迫が油断に繋がったか、間近から放たれた赤黒い光弾に、しっかり両手に握っていたはずの剣が弾き飛ばされていた。
 くるくる回転して、剣が高く舞い上がる。

 しまった!

 と心の中で迂闊を呪うものの、しかしアサキは意外にも冷静だった。
 キャッチしようとするところを、きっと狙ってくるのだろう、瞬時にそう考えると、あえて、剣の軌跡を追うかのように、くるりと背中を見せたのである。

 ぐおん、あえて見せた隙に巨体が迫る、その気配を感じた瞬間、再び振り返りながら、

「巨大パアアアアンチ!」

 まるで岩石、浅間の鉄球のごとくに、超巨大化させた自身の右拳を、叫びながら、ザーヴェラーの顔面へと叩き込んでいた。
 魔法陣を蹴って、威力を倍加させて。

 ぶちゅり、硬いゼリーを握り潰した不快な音、同時に、その顔面はひしゃげ、そして吹き飛んでいた。

 致命傷を与えたわけでないことなど、分かっている。
 ここでひとまず、剣を回収だ。

 巨大化させていた右拳を、元の大きさに戻すと、右足側の魔法陣を踵で強く蹴った。

 押されて弾け飛んだ魔法陣の上に、上手い具合に剣が落ち、倒れて横になった。

 足元の魔法陣が一つだけになり、アサキの身体を支えられずにがくんと高度が落ちるが、しかしすぐに、もう一つの魔法陣が剣を乗せて戻ってきた。

 素早く、足元の剣を拾ったアサキは、両方の魔法陣をとん、とん、と軽く蹴って、ザーヴェラーと高度を合わせた。

 右手のみで握った剣を、胸の前に立てて持つと、

「はあああああああ」

 体内で魔法力を練り上げ、魔力の流れる回路を意識的に左手へと繋ぐと、ぼおっと左手が金色に輝いた。
 その輝く手のひらを、剣身に当てると、切っ先から根本まで、ゆっくりと下ろしていく。

 非詠唱を利用して、爆発、持続、拡散、様々な効果をブレンドしたアサキ独特のエンチャントを済ませると、ぶんっ、と剣を振り下ろし、

「いくぞおおおおおおおおっっ!」

 叫びながら、ザーヴェラーへと身体を突っ込ませた。

 にょろにょろと伸びる触手から、赤黒い光弾が放たれるが、アサキは避けない。一直線だ。
 胸に、腕に、攻撃が飛来直撃するたびに、ばりん、ばりん、とガラスが砕けるに似た音、それと共に魔法障壁が消失していく。

「ぐっ!」

 アサキは、激痛に顔を歪めた。
 先ほどの応芽と同じである。張っておいた障壁がすべて砕かれ、赤黒い光弾が脇腹を直撃したのだ。

 一瞬にして魔道着が焼かれ、撃ち抜かれて、腹の肉が持っていかれて血が吹き飛んだが、しかし、アサキは突進する勢いを微塵も緩めない。

 だって、このチャンスを逃したら、残るわたしの体力では、もう倒せないと、分かっているから。
 それはつまり、みんなを守れなくなるということだから。
 この世界を守れないというのも嫌だけど、それ以上にカズミちゃん、治奈ちゃん、ウメちゃん、正香ちゃん、成葉ちゃん、大好きなみんなが死んでしまうなんて、そんなの耐えられない。絶対に、嫌だから!
 だから!

 さらに、障壁を失ったアサキへと光弾が直撃し、今度は左肩の肉と骨がえぐられて消失していた。

 どうでもいい!

 構わず突っ込んだ。

 ザーヴェラーに頭部はなく、胸もざっくり大きくえぐれて無くなっている。
 アサキが見舞った巨大パンチの威力である。

 先ほど治奈たちが話していた、おそらく弱点であろうと思われる部分が、完全にむき出しになっている。

 激痛を必死にこらえながら、アサキはそこへと魔法陣を強く蹴って、身を飛び込ませ、

「うわあああああああああああ!」

 大きな口を開き、魂を振り絞る絶叫を放ちながら、右上から、そして左上から、エックスの字を描き、全力で剣を振り下ろし、斬り付けていた。

 白い悪魔の巨体を。
 全身全霊、もてる力を限界まで込めて。

 動きが、止まっていた。
 ザーヴェラーの、動きが。巨体が。

 顔のパーツどころか、手足もなく、静動を判別しにくいのがザーヴェラーであるが、闇の鼓動ともいうべき気配が、ぴたりとやんでいる。
 そして、みんなを苦しめていた、臓器の蠕動運動のような触手の動きも、完全に止まっていた。

 ついに、アサキによって、空の悪魔に致命傷が与えられた瞬間であった。

 浮遊力を失ったザーヴェラーの身体が、すうっと落下を始めた。

 アサキは、ふう、と息を吐くと、足元の魔法陣を蹴ってザーヴェラーの背中へと飛び乗った。
 ごおおおおおお、風を切る低い音に包まれながら、赤毛をなびかせながら、そっと屈んだ。
 まるで大地といった、広い背中、白い皮膚へと手を当てた。

「イヒベルデベシュ……」

 おそらく非詠唱でも問題ないのだろうが、よりしっかり念を込めたいとの思いから、詠唱の言葉を声に出した。
 もちろん、昇天の呪文詠唱である。

 地面いや巨大な背中に、そっと置いたアサキの右手、そのすぐ横に、

 ぼ

 と大きな布地を振る時に似ている音と共に、魚の口みたいな小さな裂け目が浮き上がっていた。

 ぼ
 ぼ
 ぼぼぼぼ
    ぼ
    ぼ
    ぼぼぼ
      ぼっ

 なんという気味の悪い眺めであろうか。
 その、魚の口みたいな裂け目が、どんどん数を増して、背中だけでなく、あっという間に、巨体全体を覆っていた。

 何万、何十万とあるだろうか。

 そして、それが一斉に変化した。
 にやあ、と口の両端が釣り上がったのである。
 笑みを浮かべたのである。

 その視界からの情報と、手のひらや足の裏など触覚への情報、そこからくる生理的嫌悪感に吐き気をもよおすアサキであるが、気をしっかり保ち、念を送り続けた。

 ぢぢ、ぢぢ、
 じゅーーー
 ちちっ

 生物的なものが、乾いて縮むような、ナマコやアメフラシを七輪で焼いているような、なんとも気味の悪い音。

 きらきらと眩しい、黄金色の輝きを感じた瞬間、

 アサキの身体は、宙にあった。

 どこにもザーヴェラーの姿などなく、
 アサキは空中にただ一人、
 もの凄い速度で、地上へと落下をしていた。

 一瞬、わけが分からず戸惑ったが、すぐに状況を理解して、気を取り直すと、飛翔魔法を非詠唱で唱えて、落下にブレーキを掛けた。

 それでもかなりの速度が出ており、眼下に地上が、手賀ひかり公園が、どんどん近付いてくる。

 治奈ちゃん、
 カズミちゃん、
 正香ちゃん、
 成葉ちゃん、
 ウメちゃん、

 みんな、いる。
 みんな、無事のようだ。

 安心したアサキは、知らず微笑を浮かべていた。

 炎も消えている。
 先ほどまで、治奈たちを円形に取り囲んでいた炎が。

 ザーヴェラーの、魔力だか怨念だかによって、作り出されたものだったのだろう。

 豆粒ほどに見えていた、治奈たちの姿が、大きくなってきた。

 成葉が、ぶんぶんと両手を振っている。

 空中から、笑みを浮かべ、振り返そうとしたところで、ぐ、と呻き、激痛に顔を歪めた。
 応芽の負った怪我ほど深くはないが、アサキも脇腹や肩などごっそりえぐられており、しかもまだ、まったく治療をしていない。
 これまでは、アドレナリンの過剰分泌で、あまり痛みを感じていなかったのだ。

 眼下にいるみんなの姿が、さらに大きくなって、

 とん。
 ゆっくりと、アサキはつま先から地に着いた。

 両足で立った瞬間、がくり身体が崩れて、倒れそうになった。

 片膝を着いて、はあはあ息を切らせていると、気付けば治奈たちに取り囲まれていた。

「おかえり。アサキちゃん」

 屈むアサキの背中に、治奈が優しく声を掛けた。

 息を切らせながら、アサキは両手に握った剣を、杖の代わりに、ゆっくりと立ち上がった。
 しばらく、はあはあ息を切らせているアサキであったが、やがて、

「ただ……いま」

 弱々しい声ではあったが、にっこりと笑みを返した。

 心からの笑みを。
 みんなのところに帰ってきたこと、みんなが無事でいることが、ただ嬉しくて。

「もうさ、ヘタレな新米は卒業だな」

 治奈の肩から腕を解いて、カズミが、ずるずる片足を引きずりながら、アサキへと近付いた。
 ゆっくりと、右の拳を正面へと突き出した。

 アサキも同じように、拳を前へ出して、コツン、ぶつけ合った。

 笑みを浮かべ見つめ合う、アサキとカズミ。

 だが突然、アサキの表情が崩れた。
 く、となにかを堪える声を出したかと思うと、ぼろり涙がこぼれていた。
 そして、うええええええええん、と幼児のように、大声で泣き出したのである。

「怖かったよおおおおおおおお!」
「このヘタレがあああ!」

 前言撤回、カズミは罵倒しながら、アサキのみっともなく泣き崩れた顔を、容赦なくぶん殴っていた。

「あいたああああっ! カズミちゃん、酷いよおおお」

 その、あまりにもいつも通りなアサキっぷりに、見ていた治奈が、思わずぷっと吹き出していた。

 カズミと成葉も、声を出して笑い始めた。

 なにに笑われているのか理解出来ず、きょとんとしているアサキの身体を、

「無茶すぎるだろ。……お前さ」

 カズミが、正面からそっと抱きしめていた。

「ちょ、ちょっとカズミちゃんっ!」
「ありがとな」

 ぼそ、と耳元で、礼の言葉を囁いた。

 そんなカズミらしからぬ態度に、死闘がようやく終わったんだということを、あらためてアサキは認識した。

 何故だろうか。
 もう戦いは終わった。
 もう怖くない。
 そのはずなのに……

 うくっ、
 呻き声を出すと、アサキはまた、涙をぼろぼろこぼしながら泣き始めたのである。

 空を見上げて、まるで幼児のように。

「怖かった。怖かったけっ、けどっ、でも、でもっ、ひぐっ、みんな、がっ、みんながっ、ぶっ無事っ、無事でっ、えくっ、よ、よかっ、よかったっ」

 ぼろぼろ、
 ぼろぼろ、

 大粒の涙。
 異空の大地をも浄化してしまいそうなほどの、ただただ無垢な涙を、アサキはいつまでもこぼし続けていた。

 応援の魔法使いたちが到着したのは、それから二十分ほど後のことだった。

     17
 (みち)()(おう)()が、ふらふらとした足取りで歩いている。
 全身の血液を抜き取られたかのように、腕や顔が青白い。

 ここは、()()ひかり公園の敷地である。

 オレンジ色の空。
 白っぽい色の木々。
 フィルムのネガのように、色調が完全反転している、なんとも気味の悪い色合いの景色。

 異空側である。

 ふらり、ふらり、力のない応芽の歩き方。
 いつ足がもつれ倒れても、不思議ではないだろう。

 魔道着の右脇腹付近は、焼けて完全になくなっており、皮膚が大きく露出している。
 臓器が飛び出してもおかしくないくらい、肉がごっそりえぐれてなくなっていたのを、アサキが魔法で治療したものだ。

 アサキの治癒魔法は非常に強力であり、脇腹の肉が半分吹き飛んでいたことが信じられないくらいに、傷は微塵の痕跡もなく癒えている。

 だが、出血して失った血や、失った体力は、魔法で簡単にどうにか出来るものではない。
 ふらふら歩くだけで精一杯というのは、そのような理由である。
 こればかりは、栄養のあるものをしっかり食べて、しっかり睡眠を取るしかないだろう。

 そのような肉体の状態であるというのに、このような場所をただ一人で歩いているは、ちょっと気になることがあったためである。

 ザーヴェラー戦の後、アサキたちや、応援にきた魔法使いたちと、異空側で分かれたのだ。
 誰もついてこないよう、心配するアサキたちに「一人で帰れるわボケ!」などと強がって毒を吐きながら。

 ザーヴェラーが出現する少し前に、あの黄色いチビの魔法使い、(へい)()(なる)()が、なにか嫌な雰囲気を感じるといっていた。

 ヴァイスタとかザーヴェラーとか、そういう気配ではない。と、いっていたが、その後に現れたのはザーヴェラー。
 ひょっとすると、と思うところが応芽にあり、それを確かめるために一人ここに残ったのである。

 予想が確信へと変化するのに、それほどの時間は掛からなかった。

 自分が一人、誰に見られることのない、この異空に残ったことによって、やはりそいつは、姿を現した。

「ウメ……」

 目の前に立ち、自分の名を呼ぶのは、魔法使い(マギマイスター)であった。

 黒と銀が、均等に配色されている、魔道着
 足は黒タイツに覆われて、露出はいっさいなく、腰には鎧が垂れており馬上の中世騎士をイメージさせる。

 赤が銀というだけで、応芽と同じフォーマットの魔道着だ。

 顔だけ見ると柔和そうだが、そう思わせないのは、とにかく身体が大きいからであろうか。
 百七十五センチはあるだろう。

 肩まで伸びる髪の毛は、あえて魔道着に合わせているわけでもないのかも知れないが、半分が黒で半分が銀色だ。
 単なる白髪というだけかも知れないが、その堂々たる容姿のため、美しい銀髪にしか見えない。

 右手には、奇妙な武器が握られている。
 大人の頭よりも一回り大きな、巨大な斧だ。柄が付いておらず、斧頭だけを持っている。
 刃と反対側の端に、野球ボールほどの穴が空いており、そこに指を引っ掛けて、ぶら下げているのだ。

()(しま)(しよう)()、か。まあ、そんな気はしとったで」

 応芽は、つまらなさそうに、鼻の頭を人差し指で掻いた。

「久しぶりだね」

 黒銀の魔法使いの、体躯通りの低い声が、異空の片隅を震わせた。

「せやな。別に会いたくなんかなかったけどな。……こんな関東の田舎にまで。知らんのか、しつこい女は嫌われるで」

 応芽が苦笑した、その瞬間であった。
 嘉嶋祥子と呼ばれた黒銀の魔法使いが、その太い足で地を蹴ったのは。

「好かれようとは思ってない」

 風を切り、瞬きする間に応芽の眼前へと迫っていた。

 振り上げて背中側に回された腕が、ぶうんと頭上を経由して、振り下ろされる。
 柄のない斧が、持ち手である穴を軸に、遠心力でくるり回りながら、振り下ろす力との相乗作用で、空気を切り裂きぶうんと唸り、そして応芽の頭を真っ二つに砕き裂いた。

 いや、ぎりぎり、斧は応芽が両手に持った騎槍の、柄に跳ね上げられていた。

「祥子、お前、ザーヴェラーを呼んだやろ」

 血の気のない顔色の応芽は、余裕があるのか強がりなのか、澄ました顔で小さく口を開いた。

「リヒトにも、まだそこまで自在に操る技術はないことは、キミもよく知っているはずだろう」

 騎槍と、柄のない斧、現代日本とは思えぬ、異様な武器による、鍔迫り合いを演じながら、二人はなおも言葉を続ける。

「いや、ある程度は出来るはずやろ。避雷針に雷を寄せるくらいのことは。さっきの魔法使いどもに、自分、こっそり隠れているのがバレそうになって、せやからごまかすために、あのデカブツを呼んだんやろ」

 ぎり、と歯を軋らせ、ぐっと騎槍の柄を押す応芽であるが、元々の体格差に加え、先ほどの戦闘で体力が尽きており、簡単に押し返されてしまう。

「バカバカしい。仮にそうだとしても、それは『キミたちの目的』の手助けをしてあげた、という結果になるはずだけどね。……こちらからも尋ねるが、どうして好機を生かさなかった? ザーヴェラーなど、そうそう出るものじゃあないというのに」
「答える義務などないわ。……あんなん呼んで、試したんやろ。あいつらの味方をするはずやと」
「さて。知らないなあ」
「いらん世話や。あたしにはあたしのやり方があるんや! 邪魔せず見とけ!」
「知らないといってる。そもそもね、ボクは……」
「やかましい! つうか自分のことボクいうなって、いつもゆうとるやろ!」

 ぐぐ、と両手の騎槍で斧の刃をぐっと押した応芽は、その勢いを借りて後ろへ跳び、祥子と軽く距離を取った。

 はあ、
 はあ、

 切りあったわけでもないのに、ただ切っ先と穂先を押し付けあっただけなのに、もう応芽の呼吸は乱れている。
 ザーヴェラーとの戦いで、根こそぎ失われた体力が、まだまったく回復していないためである。

「リヒトに……()(だれ)さんに、報告、するで、お前のしたこと」

 苦しそうに、言葉をぶつ切りに出しながら、祥子を睨んだ。

「無理だね。無理というか、キミはそれをしない。……それよりも、現在の自分の身を案じたら、どうかな!」

 祥子は高く跳躍すると、刃の部分しかない斧を、持ち手の穴を軸にくるくる回しながら、応芽の頭へと振り下ろした。

 避けられない、と覚悟をしたか、応芽は、ぎゅっと強く目を閉じた。

 だが、その不気味な武器の刃は、落ちてこなかった。

 そっと薄目を開けると、目の前には、赤い魔道着に身を包んだ魔法使いの背中があった。

(りよう)(どう)、なんで……」

 そう、目の前にアサキが立ち、両手に持った剣のひらで、祥子の斧を受け止めていたのである。

「ウメちゃん、大丈夫?」

 アサキはそういうと、睨むような表情で前を向き直り、足腰と腕に全力を込めて、黒銀の魔法使いの持つ巨大な斧を押し返した。

 押し返される力に逆らわず、利用して、とん、と大きく後退して地に立った祥子は、笑うでもなく怒るでもない顔で、口を開いた。

「ウメ、キミがキミのままである限り、ボクもボクのままで、また会うことになるだろう。今度そうなった時こそ、どちらかの破滅だ。そうならないことを、心から願うよ。じゃあね」

 淡々とした口調でそういうと祥子は、クラフトを着けた左腕を立て、カーテンを開けるように右腕を横へと動かした。

 彼女の大柄な身体は、空気に溶け、消えていた。

 残るは静寂と、
 応芽の、荒い息遣い。

 アサキは振り返り、応芽の無事に微笑むと、すぐに険しい表情になり、尋ねた。

「ウメちゃん、いまの人は誰なの? 魔法使い、だよね。どうして、仲間同士で戦っていたの?」
「……ちょっとした子供の喧嘩や」

 にしては、巨大な斧で頭蓋骨を砕かれそうになっていたが。

 まあ、であるからこそ、そう軽く茶化していうことで、アサキにこれ以上踏み込まれないように、そして他言無用の釘を刺したのである。

 ぶーーーー

 二人のリストフォンが、同時に激しく振動した。

「なんや」

 応芽が、そしてアサキが、それぞれ自分の左腕を上げて、画面を見る。
 メッセージ着信を知らせるアラートが表示されていたが、それはすぐに、次の画面へと切り替わった。


 悪魔とはなにか


 それが、届いたメッセージであった。

「まただ……」

 アサキは、ぼそり呟いた。

「また?」
「うん、前にもね、なんだったかな、『真実と思うのは冒涜か』とか『悪魔はどこにいる』とか、そんな感じの、差出人不明のメッセージがみんなに届いたんだ。個人が出してるんだとしたら、宛先も分からないのに、どういう仕組みで届くのか分かんないけど」
「ああ、それなあ、あたしんとこにもきたで」
「え、え、それ本当?」
「嘘ついてどうすんねん」
「そうだね。……悪魔とはなにか、か。……ヴァイスタとかのことなら、そんなの当たり前だしなあ」

 アサキは空を見上げ、眉間にシワを寄せた。

「さっきのあの、白髪頭みたいな奴のことやろ。魔法使いが、いや人類が一丸となって、ヴァイスタどもをやっつけにゃあかんというのに。……それはそうと、腹あ減ったな」

 応芽は、アサキに治療して貰ったばかりの、魔道着が燃え破れて剥き出しになったお腹に、手のひらを当てた。

「そうだね。いわれてみれば」

 アサキも真似するように、自分のお腹に手を当てた。

「付き合え令堂。どこかの店で簡単なモンおごったるわ」
「ええっ、いいのっ?」
「今日だけやで」
「うん」

 アサキは、にんまりした笑みを見せた。
 それを見て応芽も、ふふっと小さく息を吐くように笑った。

 二人は異空を出ると同時に、魔道着から中学の制服姿に戻って、すっかり夜になった手賀ひかり公園の敷地を歩き出した。

 見上げると、大きな満月が輝いていた。

     18
 (おお)(さか)大学附属病院。
 大阪府吹田市の郊外にある、総合病院だ。

 平成初期に建てられた病棟は、さもあろうという古い外観であるが、内装は適時適度な改修を施しているため、特に古臭さは感じない。

 東病棟の四階にあるエレベーターの扉が、プーンという電子音とともに開いて、乗っていた数人のうち、一人の女性が降りた。
 (みち)()(おう)()である。
 ブラウスの上にジャケット、短めのフレアスカート、色といいデザインといい、あまり主張のない控えめな私服姿だ。

「おっ、ウメちゃんやんか、ひさしぶりやん」

 ナース室からワゴンを両手で押しながら、看護師の(やま)(すえ)さんが、応芽に気が付いて話し掛けてきた。

「いつもお世話になっとります」

 応芽は小さく会釈をする。

「やつれとるやん。中学生の女の子は食って遊んで恋して、やで。っと、あかん急患なんや。ウメちゃん、ほな今度ゆっくりっ」

 手押しワゴンを加速させて、騒々しい看護師は、患者を跳ね飛ばしそうなほどの猛スピードで去っていった。

「はあ。()()さん、相変わらずやな」

 応芽は、無意識に微笑していた。

 山末実久とは、以前から知った仲である。

 ここがリヒトの指定病院ということと、彼女が(やま)(すえ)()()の姉であるためだ。

 ()()は、応芽の同期だ。
 一緒に、魔法使い(マギマイスター)としての研修を受けた仲である。

 といっても、応芽と打ち解けるより前に、帰らぬ人になってしまったが。

 クラフトを自宅に忘れるという、信じがたい失態により、ヴァイスタに殺されたのだ。

 自分一人だけなら逃げることも出来たのだろうが、周囲にいた幼い子供たちを守るための時間稼ぎをしようとして、生身で複数のヴァイスタへと特攻を仕掛けて、返り討ちにあった。

 その勇気が讃えられて、(やま)(すえ)()()は、リヒトの名誉戦士として、その名前の通り永久に名が残るらしいが、応芽にはどうでもいいことだ。

 ()()は、とても気さくで、誰にでもわけへだてなく、そして何事にも熱心だった。

 もっと特訓して成長して、自分がこの世界を救うんだ、という使命感に燃えていた。

 魔法使いの養成所という環境に、とにかく緊張して余裕がなかった応芽は、ことあるごとに笑わそうとしてくる彼女をずっと無視し続けていた。
 正直、嫌っていた。

 応芽は、自分の双子の妹以外には、幼馴染の()(しま)(しよう)()(しら)()()()、この二人以外は、誰に対しても心を許そうとしなかった。
 仲良くなろうなどとはしなかった。

 もしもあの時に、()()と友達になれていたならば、もしかしたら、その後の自分の運命も大きく変わっていたのかも知れない。
 というよりも、その後に自分たちの運命が大きく変わることもなく、平凡かつ幸せでいられたのかも知れない。

 そんな、いまさら是非ともしようのないことを考えながら、406号室の前に立った。

 「(みち)()(くも)()

 病室は四人部屋のようであるが、プレートに名前は一人分しか書かれていない。

「雲音、お姉ちゃんや。入るで」

 声を掛けた手前、少しだけ待つが、やはり返事は無かった。
 静かに扉を開けると、病室へと入った。

 四人部屋。
 天井の明かりが、部屋全体を照らしている。
 カーテンで仕切られているのは窓際の一人分のみで、あとは無人のベッドが置いてあるだけである。

「雲音」

 名を呼びながら静かに進み、カーテンをそっと開ける。

 ベッドに、誰かが横になっている。

 応芽と瓜二つといってもよい顔立ちの、女性であった。

 慶賀雲音、応芽の双子の妹である。

 眠るように目を閉じている雲音であるが、突然、その目がかっと見開かれた。
 身体も顔もそのままぴくりとも動かず、眼球だけが動いて、応芽の顔を見た。

「久しぶりやな」

 応芽は、ぎゅっと自分の拳を握りながら、硬い笑みを作った。

 おそらく雲音は、意識してこちらを見たわけではないのだろう。
 単なる反射的動作。
 分かってはいるが、こうして反応するのを見れば、やはり期待してしまう。
 期待するから、落胆もしてしまう。

 ふう、と小さくため息を吐いた応芽は、はっとした表情になると、首をぶんぶん横に振って、自分とそっくりな顔の妹へと、あらためて笑みを向けた。

「あんまりこられなくなって堪忍な」

 天井へと視線を戻した雲音へと、姉は優しく語り掛ける。

「いっそ関東の病院に、とも思ったんやけど、リヒト指定の病院って関東は東京だけやん、お姉ちゃんのおるとこからやとちょっと遠いねん。どのみち頻繁にくること出来ひんのなら、ここのがお父ちゃんお母ちゃんがきやすいしな。……って、なにをいっても言い訳になるな。ほんま、堪忍な。申し訳ない」

 なんの反応もない、と分かっているのに、応芽は喋り続ける。
 肉体の中、部屋の中、宇宙でもいい、どこかに魂があること、信じて。

「昨日もきたやろ? お父ちゃんたち。あたしも今日はそこに泊まって、明日、戻るつもりや。療養してこい、とかいってオフもろたんやけど、一日だけなんやもんな、参るわあ」

 頭を掻きながら、はははっと笑った。

「……あのな、気を悪くせんで聞いてな。ホンマは実家に泊まるのが目的でこっちにきたんよ。きたから、こっちにも寄ったんでな。……運の悪いことにザーヴェラーと戦うことになってしまったんやけど、お姉ちゃん、強がって頑張ってみたはええけど、ボコボコにやられてなあ。体力も、魔法力も、すっかり使い果たして。……気力を、充電しにきたんや」

 いつか、妹と一緒に笑える、そんな世界を取り戻すためにも。

 応芽はふと気付いて、ベッド横にあるハンドルを回して、ベッドをギャッジアップさせた。
 雲音の上体が起き上がると、自身も、壁に立て掛けられていたパイプ椅子を組み立てて、腰を下ろした。

「お姉ちゃんなあ、いま東京で……正確には、千葉県の我孫子(あびこ)ってとこなんやけどな」

 あらためて向き合うと、笑顔を作り、妹へと語り始める。
 我孫子で起きた、思い出の数々を。

「……最初はホンマにムカつく奴らやったんやけどな、まあ、あたしが偉そうな態度を取ってたのが悪いねんけどな」

 舐められてたまるか、と思っていたからというよりは、そもそも仲良くなるつもりなどなかったから。

 だって、自分のしようと思っていることは……
 みんなの……

 ……だというのに、すっかりあいつらのペースにはまって、どんどん仲良くなってしまって。
 本当に迂闊だった。

 まあ、ええけどな。
 いまとなっては。

「ドジで間抜けで、泣いてばかりおる、(りよう)(どう)ってあかんたれがおってな、ビビッたわ、赤毛の、ピンとアホ毛の生えた寝癖頭のくせしおって、ザーヴェラーをたった一人で倒してしまったんやからな」

 冷静に考えれば、それがどうしたという気もするが。
 だって、そもそもそういう能力が令堂和咲の奥底に眠っていると分かっていたからこそ、リヒトは……()(だれ)さんは、そして……

 応芽の一人喋りは続く。
 次は、アサキたちと初めて一緒に戦った時のこと。

 続いては、歓迎会のこと。
 応芽は、ひょんなことから歓迎会を開いて貰うことになったのだが、そんなことをされた経験などこれまでにないものだから、照れを隠そうとするあまり、ついつい好戦的な態度を取ってしまって、何故だか大阪広島お好み焼き対決になってしまった。

 そんなことを、笑いながら楽しげに語り続けた。

「ホンマあいつら、めっちゃいい奴らなんや。明るくて、バカが付くくらいお人好しで。……一人、口のとびきり悪いクソムカつくバカがおるんやけど、そいつも……大好きなんや、あたし」

 ふふっ、と応芽は笑った。

 その笑みが、一瞬にして陰っていた。

「せやけど……せやけどっ! ……あたし、雲音……元に……」

 くっ、と息が詰まった。
 視界が歪んでいた。
 知らない間に、涙が溢れて頬を伝っていた。

 妹の前で恥ずかしい、と泣き止もうとするものの、思ってそう出来るものでもなく、しまいにはすすり泣きを始めてしまった。

「辛いなあ。あいつらと一緒におると……あの、居心地のよさは、ホンマに辛いなあ。……話、受けなければよかったわ。なんにも、知らなければ……行かなければ、よかったわ。あんな街に。……あいつらとなんか、会わなければよかった!」

 拭っても拭っても涙が溢れ、応芽は顔をぐにゃぐにゃに歪めて、いつまでも泣き続けていた。

 雲音は、ギャッジアップされたベッドに背を預けながら、焦点の定まらない視点で、病室の壁をいつまでも見つめ続けていた。

     19
「おっ、つっ、かれーーーーい」

 天王台第二中学校魔法使い(マギマイスター)のリーダーである、(よろず)(のぶ)()が、くるりん回って、止まると同時に、勢いよく両腕を広げた。

「かれえーーーーい」

 横で、サブリーダーの(ぶん)(ぜん)(ひさ)()も、真似してくるりん、腕を広げた。

「疲れたどこじゃないよおーーーっ」

 (へい)()(なる)()が、二人と向き合いながら、駄々っ子みたいに身体をふにゃふにゃ揺すっている。

 向き合っているのは、成葉だけではない。
 (あきら)()(はる)()(おお)(とり)(せい)()(あき)()(かず)()(りよう)(どう)()(さき)、第三中学の五人である。

 なお、(みち)()(おう)()は、休暇を貰って大阪に帰省している。
 土曜日だから、どのみち学校は休みであるが。

「ザ、ザーヴェラーが、でで出たんだってえ?」

 万延子は、はははっと強張った顔で笑いながら、錆びたブリキ人形以上にギクシャクとした仕草で、ハンカチを取り出して、額の汗を拭いた。

「そうなんだよお。なんで交代した途端に、あんなのが出るんだよー」

 成葉が、さらに、身体をぶるぶるくにゃくにゃ、振り始めた。
 すぐ横にある児童公園で遊んでいた幼児たちが、そのぶるくにゃ体操に気が付いて、はしゃぎながら真似をしている。

「アサキちゃんの、獅子奮迅の大活躍がなかったら、みんな焼け死んでたけえね」

 治奈が、ぽんとアサキの肩を叩いた。

「いやあ、そんな。わたしはただ……」

 褒められたアサキは、照れた表情で頭を掻いた。

「まあ確かにこいつ凄かったけど、最後にビビっておしっこ漏らしちゃったからなあ」

 ざんねーん、とカズミがエアギターを振り下ろした。

「漏らしてないでしょお? 今回は漏らしてないでしょお。もおおおお、やだなあああ」

 っと笑いながらアサキは両手を伸ばし、カズミの首をそおーーっと、かるうーーく、ゆるうーーく、締めた。
 冗談の振り、ということにしつつ、ほんのちょっぴり普段の仕返しを、と考えたのだ。

 でも結局、一億倍の力でやり返されるのだけど。

「あー、勘違いだったかなあ。ごめんねえアっちゃあん」

 ぎゅぎゅぎゅぎゅううううーーーーっ、

「な、なんではんげぎざれないとらんらいろお? どぼじでっ、ぐるじいづよずぎいい、やあべえでええええええ……」

 ぎゅぎゅぎゅぎゅううううううう、

「カズミちゃん、やりすぎじゃ! アサキちゃんが泡吹いとる!」

 内輪喧嘩というべきなのかなんなのか。わいわいと騒いでいるその横で、万延子と文前久子の二人が、こそこそっとバツ悪そうに耳打ちし合っている。

「ねえリーダー、やっぱりまずいんじゃない? 忘れたとかいって、どっかでちゃんとしたの買おうよお」
「おー、なるほどその手があったかあ」

 名案に、ぽんと手を打つ万延子であったが、

「お、お土産? お土産の話してるだろ! その手に持ってんのがそうだろ!」

 内緒話を聞き逃さず、カズミが食い付いた。
 口から泡を吹いて失神しているアサキの、首締めを解除して、ぽいと投げ捨てると、くるりんと万延子へと向き合った。

「え、いや、こ、これはちが……」

 慌てて、両手に持っている正方形の箱を、背後に隠そうとする万延子であったが、しかし、時は既に遅かった。

「貰ったあ!」

 うりゃああああっ、と水平ダイブで飛び付いたカズミ。電光石火の早業で奪うが早いか、もうバリバリと包みを開け始めている。

「わあああああああ!」

 万延子は、髪の毛逆立たせながら、腹の底からの悲鳴を上げた。

「じゃ、じゃあまたっ、シクヨローッ」
「ヨローッ」

 二人のチャラ子は、あたふたと、なんだか異様なまでの慌て方で、ギクシャク笑顔で逃げるように走り去っていった。

「なんじゃろか、あの様子」

 唖然呆然とする治奈たち。

 でも包みを開けるに夢中で、カズミは全然気にしていない。包みを完全に破り捨てて、さあ後は箱を開けるだけだ。

「どんな食いもんであろうともーーーーっ! この昭刃和美に遠慮の二文字なああああーーーーし!」

 ずっがーーん!

「えぐ!」

 箱から、真っ赤なボクシンググローブが飛び出して、カズミのアゴへとアッパーカット。
 後ろへのけぞり倒れた彼女は、地面にガッチン後頭部を強打して、そのまま伸びてしまった。 
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