ドリトル先生の競馬
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第八幕その六
「信仰への裏切りじゃないよ、むしろね」
「むしろ?」
「他の宗教や文化を理解する」
「そういうことなんですね」
「君はドイツ人だから」
先生はホフマン君に彼のお国のことからもお話しました。
「ゲルマン、北欧の神話に馴染んでいるね」
「はい、プロイセンの方には別系統の神話がありましたけれど」
「どれかというとだね」
「はい、北欧神話がです」
「ドイツには馴染んでいるね」
「妹がルーン文字のおまじないが好きで」
かつての北欧の文字、魔力があると言われている文字のそれがというのです。ホフマン君は先生にお話しました。
「それでお守りを買ってあげたことも」
「あるね」
「それと同じですか」
「要するにね、それで日本でもね」
「流鏑馬をしてもですね」
「神様は怒らないよ」
そうしたことはないというのです。
「キリスト教の神様はね、むしろ頭から否定してね」
「認めないことはですね」
「この学園にこんなことをする人はいないけれど」
先生はホフマン君にさらにお話しました。
「他宗教だからって神社とかを燃やしたり壊そうとか」
「そうしたことの方がですね」
「ずっとしたらいけないよ」
「そうなんですね」
「そんなことをしたら」
それこそというのです。
「キリスト教の神様も悲しむよ」
「その方が」
「そうだよ、本当に」
「そうですか」
「そう、それで」
まさにというのです。
「君もだよ」
「神事に参加していいですね」
「是非ね、それと流鏑馬は」
先生はこの神事自体についてもお話しました。
「馬に乗りながら弓矢を使うから」
「かなり難しいですね」
「馬も弓もね」
そのどちらもというのです。
「相当な腕でないとね」
「的を射抜くことは出来ないですね」
「そうだよ、だから君も頑張ってね」
「実は乗馬とです」
それにというのです。
「ドイツではアーチェリーもしていました」
「それでだね」
「選ばれたみたいですね」
「どっちも経験があるならね」
「選ばれますね」
「うん、ただね」
先生はホフマン君にさらにお話しました。
「アーチェリーと日本の弓道は同じ弓を使うものでも」
「それでもですね」
「また違うから」
だからだというのです。
「そこはね」
「よくわかってですね」
「やってね」
「じゃあ弓道のことも」
「この学園にはアーチェリー部があってね」
「弓道部もありますね」
「だったら弓道部もね」
これもというのです。
「学んでね」
「そうしてですね」
「流鏑馬をするといいよ」
「参加するのなら」
「それならね、そして本当に他宗教のものでも」
それでもと言う先生でした。
「参加して楽しんでお互いを理解し合う」
「そのことがですね」
「神様の思し召しだよ」
「むしろですね」
「本当に間違ってもね」
「他宗教を認めないで攻撃したらですね」
「それは神様への信仰じゃないから」
このことは心から言う先生でした。
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