或る皇国将校の回想録
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第二部まつりごとの季節
第二十二話 旧友、二人 (上)
前書き
馬堂豊久 駒州公爵・駒城家重臣団の名門馬堂家嫡流 北領から俘虜交換で帰還した。
新城直衛の旧友
新城直衛 駒城家育預 豊久の旧友 無位の衆民であるが皇主に対する軍状報告を行い、
守原家を中心として進めていた総反攻作戦を潰した。
皇紀五百六十八年 四月二十九日 午前第九刻
馬堂家上屋敷 第三書斎(豊久私室)
――釈然としない。
父から渡された手紙の束を見て、馬堂豊久はうんざりとため息をついた。
これは全て自分宛のものである。北領紛争において、俘虜となったことが判明した――つまり新城の奏上により、豊久が英雄となることが明らかになった直後から急に馬堂家上屋敷になだれ込んできたものである。
確かに友人や疎かになっていた旧交もあるが急に増えた親戚や身に覚えのない友人、数える程しか会ったことがない、仰いでも尊くない恩師と玉石混交も良い所だった。
――駒城派の切り崩しや縁故目当ての輩だ。
その為、精査せねばならない手紙の束は素晴らしく分厚い、辛うじて縦と横が分かる程だ。
「お前が目を通すのが筋だろう?
何、後で儂と豊守が目を通す必要な物を選り分けてくれれば十分だ、元監察課主査の貴様なら楽なものだろう」
祖父は好々爺のフリをしてその箱だか束だか分からぬ物体を豊久に見せないよう、書斎に隠したまま愛妻を連れて外へと転進していった。
豊守は軍政の要を引き継いだ為に、その直後に戦時体制の移行の激務に忙殺されている。
母の雪緒は益満の奥方の処だ。
――いや、分かっている、一応は目上の立場になる旧友と水入らずの歓談を、と皆が気を使ってくれたのだろう。
そう思い直してもう一度山を見る、が当然ながら立ちはだかる束の厚みは変わらない。豊久は無言で天井を仰いだ。
家族は皆出かけ、使用人達と自分しかこの屋敷にはおらず、豊久は自分の書斎で手紙の選り分けを行っていた、その静かさは人名を頭や時には名簿から捻り出すには良い環境ではある。
だが、仕分けが進むうちにやる気が削がれていく。せめて半分は己の人徳だと信じたいところであるが――
「もうすぐ半分か」
現在のところ、利益目的の連中が大半であった。 予想はしていてもやはり虚しくなる。
いくら書類の山を漁る仕事をこなしていたからと言って自分あての手紙を無感情に精査する事はできない。嬉しい相手からの手紙もあるのならば尚更である。
「これは――富成中佐からだ」
龍火学校――砲兵の専科学校で豊久が世話になった教官である。駒州鎮台司令部付になったので向こうで会えると嬉しい、と書かれている。
――階級が並んだか、砲兵将校としての経験は富成中佐の方が俺の倍以上あると言うのに。
豊久は思わず眉をひそめた。富成中佐は実力と経験だけならば大佐になっていてもおかしくない人だが、叛徒の土地の弱小将家出身なので若い頃に苦労したらしい。
内乱が多かった〈皇国〉ではその手の問題は根深い、伊藤大隊長もそうだが出世が家格に左右される風潮がある。
――守原の公子は実戦に一度も出ず、後方勤務でも成果を上げていないが二十八歳で既に准将――いや、少将閣下だ。まぁ此処まで露骨な人も珍しいが似たような例は見回せば何処にでもある――例えば自分自身か。
自嘲の笑みを浮かべながら次のものへと手をつける。
「此方は……益満昌紀大佐からか。」
益満家は駒城の家臣団筆頭の家である、駒城軍参謀長が内定している益満淳紀少将が当主であり昌紀大佐はその息子にあたる。
現在は将家とその領民達で編成された二個連隊と司令部から成る総勢三千名の近衛唯一の騎兵部隊――計算が合わないのは近衛の見栄が原因である。
その首席幕僚を勤めている。
彼は其処で家柄に恥じぬ武勲を上げ、三十三でその地位に就いた。
竹を割ったような性格に優秀な騎兵上がりの参謀と公私共に父に生き写しだと言われている。
「駒州兵理研究会の食事会か。まぁ出ないわけにはいかないな」
昌紀大佐は若手の陪臣を集めて兵理研究会を運営している、会の開催は年に数回程だが駒州は勿論、軍監本部、皇州都護、龍州等の各鎮台に近衛禁士、衆兵、そして水軍、と彼方此方から人が集まり、見聞を広めるには調度良い、と、結構な人数が集まり酒杯を片手に親睦を深めている。
――もちろん、本来の目的自体も忘れてはいない筈だ。多分、きっと、おそらくだけれど。
毎度後処理を行っている素面組である豊久は何時もの惨状を思い出し、頬を伝う汗を拭った
――下戸組の俺はまた後始末か?
などとぼやきながらも豊久は気が晴れる予定が入ったことで気をとりなおし、残りの束へと手を伸ばした。
・
・
・
最後の一通に手を伸ばす。
「これは――堂賀閣下からか。」
豊久が大尉となった時に二年ほどつかえた上司からである。首席監察官附の副官として当時は大佐だった堂賀の下に任じられ、彼に気に入られたことで彼の異動に連れられて軍監本部で防諜室の末席に就く事になった。
現在は情報課次長の准将と順調に出世をしている。親駒城派と言われているが、守原寄りの中立とみなされている元坊主の執政・利賀元正とも親しく、一歩間違えれば危険な綱渡りをこなし、絶妙な立ち位置を維持しつつ軍監本部の要職に登り詰めたやり手の情報将校である。
さて今度は何を企んでいるのかと封を切ろうとすると、柚木がノックをして豊久に友人の来訪を告げた。
「若様、育預殿がいらっしゃいました」
「分かった。喫煙室へ丁重にお通ししてくれ」
――あれでも便宜上は我が主家の末弟である。恩義がある元上司とは言え手紙は後にしよう。
未読の手紙を置き客人の出迎えへと向かう、その顔には不敵な笑みが張り付いていた。
――さて、お客様方は何名のお越しかな?
同日 午前第十刻半 馬堂家上屋敷 喫煙室
駒城家御育預 新城直衛
――釈然としない。
自分を先導する馬堂家・家令頭の辺里の背中を眺めながら新城直衛はそう思った。
――まぁ豊久の生還は素直に喜ぼう、だが、どうにも釈然としない。つまるところ北領が陥落し、戦間期に至ったのであるが――全てが馬堂家に都合が良すぎる。望んだものではないが、利益と名誉は自分にも遠慮なく分かち合わせ、その代わりに全ての面倒を押しつけられた。図面を――少なくとも最初の線を――引いたのは現場にいた自分の旧友であることは間違いない。
勧められた長椅子に座り、細巻入れを玩びながら考えていると、豊久が部屋に入ってきた。
「お待たせしました、御育預殿。昨日は御挨拶もせずに失礼致しました」
そう言って慇懃に頭を下げる。新城は形式上、駒城の末子である。
もっとも、同年代の陪臣で私的な場でも彼に好意的に接し、それなりに扱ってくれているのは豊久くらいである。
「あぁ、楽にしてくれ」
コイツが俺に頭を下げられると落ち着かない。
「ありがとう、新城。 さぁ、辺里!
我らが英雄とそのお零れに炭酸割のアスローン・モルトをくれ!」
豊久が声を上げると一寸もせずに机の上に注文の品が現れた。
「素早いな。俺が頼む物までお見通しか?」
若い主が水晶椀を掲げながら尋ねると
「若と御育預様のお好みは憶えておりますので」
老練な家令は微笑を浮かべ、答える。
「お見事、まさに馬堂家の至宝だね」
「いえ。私には勿体ないお言葉です」
惜しみなく賛辞を送る主を産まれた時から見守ってきた老家令は、目に笑みを浮かべて穏やかに謙遜する。
「昼食も此方にお二人分お持ち致します。 ごゆっくりと」
そして、慇懃に一礼をし、老家令は部屋を出た。
「じゃあ先ずは乾杯といくか」
二人で杯を傾ける。
「炭酸割か、珍しいな」
炭酸水は大陸では麦酒を製造する際に副産物として創られるので親しまれているがこの国では湧き水に含まれている物位しかない。
「厨房係が瓶詰めの物を仕入れてくれているからな。彼の趣味は上々だ」
酔いやすいのに随分と早い調子で飲んでいるホスト役に新城は眉をひそめた。
「何だ?貴様、随分と機嫌が良いな」
――少し鬱いでいるかもしれないとおもっていたのだが、もしかしたら想像以上に重症かもしれない。
「まぁな。昇進して、勲章も貰い、家格が上がった――そうしなくてはならないし、そうしなくてはやってられんさ」
声を掠れさせながら目を伏せる旧友の様子に新城は合点する。
――成程な。
「石でも投げられたのか?」
ビクリ、と肩がはねた。
――初の経験、か。何とも羨ましい。
「ふん。覚悟はしていたさ」
そう言いながら旧友に見せた顔は不敵な笑みが貼り付けている。
――此奴も戦場から戻ってこられない様だ。
「……貴様の書斎で話さないか?豊久。」
同日 午前第十一刻 馬堂家上屋敷 第三書斎
駒城家御育預 新城直衛
「相変わらずだな、お前の部屋は」
そう言って見回すと独立捜索剣虎兵第十一大隊に赴任して以来の数ヶ月完全に整理されていたのであろう豊久の部屋は、主が帰還して一日で哀れ元通りになっていた。
「ほら、柚木達の仕事を奪っちゃ悪いだろう。」
部屋の主はそう嘯くが、単なる不精である。さすがに書架、書類棚は綺麗に整頓されているが、普段だらけている長椅子の周辺に乱雑さの最終防衛線を引き家令達への強固な抵抗を行っている。
向かいの文机には丁度読み終わったのだろう、全て纏めて束ねられた手紙の束が端に追いやられている。
「随分と手紙が来ているな」
「ん? あぁ、急に親戚や友人が増えてな。場合によっては父上や御祖父様の所に持ち込なければならない物まであって大変だ」
そう言いながら少々赤らんだ顔を文机に向ける。
「たかりか」
新城にはその手の物は殆ど届いていない位階を持たない育預で敵ばかり多いからだろう。
「――他にも色々ある。これからの事を考えると面倒事は早いうちに対処しなくてはならないんだよ」
そう言って豊久は曇らせた顔を逸らす。
「戦場からようやく離れても厄介事は先回りして待っている、それを処理したらまた戦地送りだろうし――」
言葉を切って苦笑を浮かべて首を振る。
「――いかん、酔っているな。どうも愚痴が多くなる」
身を縮こまらせるように椅子に座る。
「失礼します」
若い少年の使用人が茶を持ってきた。
「あの、御昼食は此方にお持ちしますか?」
新城の知る限りでは馬堂家は駒城に属する家では珍しく閉鎖的なところがある、使用人も例外ではなく、顔ぶれが変わることは余程のことがないかぎり年に数回のみだ。
――新しく入った使用人なのだろうか?
だが、遠慮がちであっても自分達を興味深そうに観ている姿は新城の知る限り、馬堂家――いや、将家が雇う使用人らしからぬものであった。
「いや、少ししたら喫煙室に戻らせてもらうよ。そっちに運んでくれ」
「はい、分かりました。」
主と客人へ礼をして立ち去ると新城は遠回しに文句を言った。
「……随分と此方を見ていたな」
「自分で言うのもなんだが時の英雄が二人だから仕方無いさ。あの年頃にとって戦争と英雄は魅力的な冒険の場なのだろうから。
――まぁ確かに些か好奇心が強すぎるみたいだが。まぁ悪く思わないでやってくれ。
まだまだ文字通りの行儀見習いなんだ」
目尻を揉みながら主が取りなす。
「それで? 態々こんな所に野郎を連れ込んで何のつもりだい?」
「何、貴様が居ないうちに随分と物騒になったからな。
色々と貴様からも話しを聞きたくてな」
「そんな事言われてもねぇ。ほれ、俺が居ない間って」
――俺、居ないしね。
などと巫山戯ている。
「笑わせるな、毎度の如く、貴様が何か企んでいた事は分かる」
その言葉に豊久は苦笑を浮かべ
「毎度の如くって何だよ、人聞きの悪い事を。――今言った事は全て事実だ」
そして、それは意地の悪い笑みへと変わった。
――開念寺の意趣返しか。
内心、舌打ちをする。
「中途半端な事実は沢山だ。俘虜生活で〈帝国〉を相手にしているのと一緒にするな」
――そう、嘘を言わずに他人を誘導する技能は俺よりも高いだろう。この男は生粋の政治屋である祖父に鍛えられ、そうした手管を身につけている。
「そうは言われてもな。俺自身は北領に居たから御祖父様達に任せただけだよ」
首をかしげ、遊び過ぎたと思ったのか決まり悪そうに頭を掻く。
「それは分かっている。俺が知りたいのは貴様には何が見えていたか、だ」
「珍しい事を言うね」
豊久が片眉を上げる。
「貴様の私見は俺も興味があるからな。なにしろそうは見えなくても元は選良参謀だ」
大尉となってから人務部監察課、軍監本部情報課防諜室、と後方で要職を歴任したが、その後、貴族将校なら余程のことがない限り関わることのない田舎貴族の鎮圧に回された事から出世街道から外されたのだろう、と噂されていた。
「こんな時にだけそんな事を持ち出すな」
そう言いながら酔眼なぞとはかけ離れた情報を扱う者の目で新城を観察し、口を開いた。
「――まぁ、良い。その前に確かめたい事が一つある。お前が近衛に配属されるのは確かなのか?」
「事実だ」
新城も油断なく答える。
――どうやら話す気になったようだ。ここからが本番か。
「当然、衆兵か。お前は馬と将家に嫌われるからな」
「馬は余計だ」
乗馬が苦手な育預が憮然として言い返す。近衛禁士隊は騎兵二個聯隊で編成されており、当然ながら大半が騎兵である。
「悪い、悪い。 しかし、お前が近衛か」
ひらひらと手を振って陪臣の後継者は抗議を受け流す。
「似合わないとは自覚している。だが実仁親王の内意を受けて決まったそうだ」
――厄介者を好き好んで受け入れる事を考えれば裏があるのだろう。
「衆兵、あそこは確か ふむ、実仁少将閣下の意向を考えれば十分有り得たな。
寧ろ此方の方が望ましいか?だとしたら――あぁそう言う事か」
目をつぶり、目尻を揉みほぐしながらかつては秀才参謀であった男は考えを巡らせる。
「新城、お前も苦労するな。だが今回は良い機会かもしれない」
再び目を外界に晒した時には既に酔いを感じさせるものはなく、悟性の光が宿っていた。
「義兄上にも同じ事を言われた」
「ならば尚更さ。若殿様は政治家としては一流の御方だ。
お前の事を損得ぬきで考えてやれるのはあの御方だけだろう。俺はもう――無理だからな」
寂寥とした呟きを新城は聞こえない振りをする。
「義兄上は最初、駒州の後備に送るつもりだったからな。
貴様の次は実仁親王殿下か。貴様は信用できると思うか?」
――何もかもが政治に結びつけられる。将家も皇家も相手を貶め権力を握る機会程度にしか思っていないのだろう。
新城の鬱屈とした思索は、刹那あの奏上に並んでいた守原達の記憶を掘り出す、
度し難い破壊衝動が腹の底を衝いた。
「駒城が求めている物は取り纏めの為の皇家の権威、実仁親王殿下は駒城の政治力と近衛の充足に必要な軍への影響力、上手く分担されている間――おい、どうした?」
「――何でもない。それで貴様は如何に推測したのだ?」
「如何にもも タコにもも ないよ。大外れさ。自分ではどう思っていても所詮は二十六の餓鬼だってことだ」
不貞腐れた様に長椅子にそっくり返る姿を見て新城は溜息をもらした。
――貴様は子供か。
「拗ねるな、それはそれで面白そうだし話せよ」
「――自分の失敗を好き好んで解説する趣味は俺には無いよ」
「解説も長広舌も貴様の趣味だろうが、付き合ってやるから話せ」
新城は拗ねた旧友を鼻で笑う。
「・・・・・・本当に素敵な性格だよ、お前」
毒づきながらも立ち上がるその姿は溌剌としていた。
「さて――」
説明を始める時の決まり文句を云う姿はやはり楽しんでいるように見えた。
「短く済ませろよ」
新城の茶々を黙殺して豊久は朗々と語り始めた。
「第一に、襟裏の意志統一は親王殿下が行うと思っていた。殿下は俺達――駒城に借りがあるからな。大殿や若殿の意見に陛下が同意の感想をお示しになるだけでも威力は十分ある。」
そう広くはない書斎を一周し、人差し指を伸ばす。
「第二に軍監本部内での総反攻に賛成する意見が予想以上に小さかった。
俺は参謀達がもう少し主家に盲目であると思っていた、窪岡少将達が取り纏めにかかる時にお前を使うと思っていた」
「――そして、第三に――近衛衆兵に剣虎兵を持つことができると思わなかった。
というよりも想定してなかったんだ。考えてみればあの親王殿下なら騎兵代わりにと考えてもおかしくないのだがな――まだまだ、視野が狭いよ」
――成程、こいつは北領でも第五旅団を邏卒扱いしていた。最初から近衛衆兵をまともな軍隊とは思っていなかったわけだ。
「これが俺の読み違えだ――面白かったかい?」
説明を終えると豊久は居心地悪そうに長椅子へ体を沈める。
「――教師にでもなってれば受けが良かっただろうな。それにしても軍監本部か。貴様の予想があたっても結局、嫌なところに送られるのだな」
「おい、いっておくが本部の勤務室は快適だぞ?」
苦笑を浮かべた元本部員が抗議する。
「問題はその快適な場所に居る連中だ、お前の同族でさらに性質の悪い」
「――まぁいい。実際、俺は五将家の政争に気を配る余裕は無かった。
お前が上手く〈帝国〉貴族を引っ捕えて来るかどうかの方が切実な問題だったよ。
思い出すだけで胃が痛む。」
そう言いながら豊久は眉を顰めた。
「それもそうだな。」
新城の唇にも苦笑が浮かぶ。
「実際、俺はまだ政治には関われないよ。当て推量して多少準備をしたら後は御祖父上達に任せるのが精一杯だ」
僅かに口惜しそうに呟く姿に新城は評価を修正した。
――意外と出世欲があるのだな。
「まったく、こんな目にあうんだったら警官にでもなればよかった。いまごろ州視警本部あたりで新聞片手に文句を云ってたろうに」
目に浮かんだ奇妙に馴染んだ光景に新城も笑った。
「だが将家の嫡子の立場が許さない、か。
せめて豊長様の後継者として憲兵にでもなればよかっただろうがな
話は来たのだろう?」
「まぁ、ね。 誘いにのっとけば、とも今では思わないでもないよ。
死にかけて中佐になるくらいなら憲兵尉官になるのも悪くなかったかもしれない」
昇進が遅いことや、将家仲間で受けが悪いことがあることもあり、豊久は砲兵の道を歩んだのであった。
「それはそれで面倒事にまきこまれてそうだがな」
「夢くらい見させてくれよ」
「夢か、それだったら奇特にも許嫁だっているのだし身を固めたらどうだ?
話を聞いてる限りはお前にはもったいないくらいだ」
そういいながら新城は凶相を歪める。
――まぁこいつでは無理だろうが。
「勘弁してくれ。今朝も父上に同じ事を言われたんだ」
――こうして当の本人は苦笑を浮かべて鰻の如く逃げ回っている。馬堂家は二代続いて婚姻が早かったので周囲も急かしているが――
「ほら、もういい時間だ。これ以上辺里達を待たせるのも良くないな。家の料理人は凝り性だし冷めたら――」
刻時計を懐から取り出したし、で昼飯の事を語りながら新城に部屋を出るように促す豊久に生暖かい視線を投げかけながら、新城は結論付ける。
――結局、逃げるんだな
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