渦巻く滄海 紅き空 【下】
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三十六 主従
かわいた大地。
更地と化しているその場で、寸前まで地中に沈んでいた彼らは全身に積もった砂を手で軽く払った。
首をコキリ、鳴らす。
「しっかし。カブトさんの腕も鈍ったのかねぇ」
カブトにメスで掻っ切られたとばかり思っていた我が身を見下ろして、鬼童丸は皮肉めいた笑みを唇に湛える。
右近/左近は血継限界の持ち主、そして鬼童丸は珍しい蜘蛛粘菌を分泌する体質だ。
新鮮な血が必要だから、とカブトが貴重な細胞サンプルである自分達に、メス片手に近付いたところまでは憶えている。
だが結果として、自分達は生きている。土遁で地中に潜り、死んだふりをした自身のほうが上手だった、と驕る右近/左近、鬼童丸の会話を耳にして、ナルトは口許に苦笑を湛えた。
「…いや、」
大蛇丸と対峙した際、右近/左近、そして鬼童丸はカブトに殺された───と認識している波風ナル・奈良シカマル・ヤマト。
彼らが現在いるであろう場所を遠目で眺めながら、ナルトは小さく呟く。
大蛇丸のアジトを遠く見据える蒼い双眸が、驕る二人を静かに諫めた。
「殺し損ねたんじゃない。生かされたんだよ」
猫又の上で仁王立ちするサクラの髪が陽光に照らされ、輝く。
長く伸ばされ、三つ編みに結ったそれは敵だというのに、ナルには美しく見えた。
サクラが【口寄せ】した猫又が爪を振るう。
巨躯に合った巨大な爪が地面を抉り、既に瓦解しているアジトを更に崩壊させてゆく。
「くっ」
猫又の爪が地面を抉った衝撃で、あちこちから砂煙が立ち上る。
サクラの許へ向かおうと跳躍したナルは、猫又の爪が間近に迫っているのに気づいて、ハッと顔を強張らせた。身を捻る。
空中で背を反らせたナルの顔のすぐ傍を、巨大な爪が風を切る。
上手く回避し、そのまま着地しようとしたナルが地面に手をついた瞬間、何かに絡め取られた。
「うあ…っ!?」
自分の手首に絡みついた金属の感触。
鎖だと思い当たった時には、ナルの身体は再び宙を舞っていた。
その鎖を巻きつかせた張本人は猫又の頭上で釣り上げた餌がこちらへ来るのを今か今かと手招いている。
シカマルが叫んだ。
「ナル…!!」
鎖を巻きつかせ、グイっとナルを引っ張ったサクラのもう片方の手には、鎌がある。
鎖鎌だ。
「サクラちゃん…!それ…!!」
サクラから受け取った鎖を猫又が口に咥えて振り回す。
手首に絡めとられたソレを外そうとナルは足掻くが、鎖は酷く頑丈で、とてもじゃないが外せなかった。
猫又に振り回されつつも、問いを投げかけるナルに応えて、サクラが鎌に視線を落とす。
「ああ、これ?猫又と会ったのは、空区と呼ばれる場所でね。忍具の販売を密かに営む闇商人の一族が住まう場所なの。そこで購入したモノよ」
空区とは、どの国や里にも属していない廃墟群だ。
そこを支配しているのは忍相手に忍具の販売を密かに営む闇商人の一族。
闇商人の一族を率いるのは忍猫たちの頭目の老婆である猫バアである。
猫バアを始めとした彼らが営む店は忍社会においても屈指の取り扱いの店だと、シカマルもヤマトも知っていた。
そこで買った忍具だと、普通の忍具よりも一際鋭利で頑丈に違いない。
ちょっとやそっとでは破壊できない鎖。
ナルを拘束するソレを壊そうと、シカマルとヤマトは印を結んだ。
だが、それを邪魔するように猫又が爪を振るう。
「くそ…!!」
猫又の爪の猛攻を避けながら、シカマルはナルへ手を伸ばす。
視線の先では、鎖で引き寄せたナル目掛けて、サクラが鎌を振り上げていた。
「やめ、」
「忍具使いはテンテンの専売特許でしょ。人の得意分野、勝手に使うんじゃないわよ、ばかサクラ」
刹那、ナルとサクラの間に、影が割り込む。
薄い金色のポニーテールが陽光の下で踊った。
ブツ、と切れた音がしたかと思うと、サクラは眼を見開く。
普通の忍具よりも頑丈である鎖。
砕かれてバラバラになって散ってゆく鎖を、信じられない思いで眺めていたサクラの頬を、凄まじい衝撃が襲った。
「が…!?」
吹き飛ばされる。
猫又の頭上から転落しかけ、なんとか踏みとどまったサクラは自分を殴ってきた相手をキッと見返した。
「──いの…」
「どうやら、私のことは憶えててくれたみたいね?ばかサクラ」
ナルの手首を縛っていた鎖。それをあっという間に粉砕した山中いのは、ポニーテールを軽く揺らす。
五代目火影・綱手に弟子入りしたいのは、師匠譲りの怪力を宿す拳をプラプラ振った。
「い、の…?」
「サクラ相手だからって気を抜いちゃダメじゃない、ナル」
ナルの手首を縛る鎖を即座に粉砕したいのは、猫又の頭上で降り立つと、真下へ呼びかけた。
「シカマル────!!ナルのこと、よろしくっ!!」
「え…お、おい!!」
猫又の巨躯から放り投げられたナルを、シカマルがわたわたと受け止める。
無事にシカマルに抱き留められたナルを視界の端で認めながら、いのは拳をゴキリと鳴らした。
「アンタをぶん殴ってでも里に連れ戻すって決めてんのよ、こっちは」
「もう殴ってるわよ!!」
腫れあがった頬を手で押さえながら、サクラが立ち上がる。殴られた拍子に口内を切ったらしい。
ぷっと血を吐き出すと、サクラはいのをじろっと睨み据えた。
「久しぶりね、サクラ」
「元気そうでなによりだわ、いの」
バチバチと火花を散らすサクラといの。頭上でいきなり対峙し始めた女ふたりに、猫又が困惑している。
それを真下で見上げながら、シカマルがぼそっと呟いた。
「な~んか、既視感あるな…」
「同意見だってばよ…」
シカマルに抱きとめられたまま、ナルもこくりと頷く。
若干顔を赤くしながら慌ててナルを下ろしたシカマルは、気を取り直すように咳払いすると、猫又の頭上の光景を見上げた。
いのが何故、この場にいるのかわからないが、おおよその予想はつく。
あれだけ今回の任務に行きたがっていたいのだ。
綱手になんとか許しを貰えたのか、それとも勝手に自分達の後を追い駆けてきたのか。
いずれにしても。
「中忍試験を思い出すよな…」
「ほんとだってばね…」
中忍試験予選にて対戦した春野サクラと山中いの。
折しも同じ状況に陥っている光景を、ナルとシカマルは聊か懐かしむように眺めていた。
「薬じゃ、もうもたないな」
コポコポ…と硝子に閉じ込めた研究材料が水泡を吐き出す。
蛇や蛙の死骸が閉じ込められたガラス瓶。
陰気な室内で、ひとり、薬品を調合していたカブトは「と、なれば。そろそろか…」と踵を返した。
部屋を出て、蛇の鱗を思わせる廊下を歩く。
足音が響く中、サスケの部屋の前でカブトは足を止めた。
異様な雰囲気を察し、部屋の中を窺う。
室内は、数多の白蛇が入り乱れるように乱雑しており、巨大蛇の脱皮が落ちていた。
「カブト、か…」
問いというより、確認に近い言葉。
巨大な蛇の脱皮を何の感情もなく見下ろしていたサスケが視線を扉へ向ける。
大蛇丸との戦闘でもはや扉の原形を留めていない其処は、外からは丸見えとなっており、ただ、穴が空いているだけだった。
その穴からス…と姿を現したカブトへ、サスケは静かに近寄る。
蛇の鱗を思わせる廊下で響き渡る、サスケの足音。
それは、がらんどうの体内を自由に闊歩していた鷹が、蛇を内から食い破ったかのような音を奏でていた。
「今の、君は…──」
固唾を呑んで身体を強張らせるカブトのすぐ横を、サスケは通り過ぎる。
通り過ぎ様に、カブトは恐々と問うた。
「いったい、どっちなんです?」
転生の儀式。
自分の精神を他人の身体に入れ込み、乗っ取る事で生き永らえる転生忍術。
大蛇丸が『この世に存在する全ての術を知るための時間を得る』為に、歳月をかけて編み出した不老不死の術だ。
転生する際、器となる者を体内に取り込み、異空間を作り出して、相手の精神を覚めることのない眠りにつかせる。
要するに乗っ取られた者の強い意志は残留思念となり、乗っ取った者の中に残る故、乗っ取られた対象が消えてしまうわけではない。
つまり、乗っ取った相手の中で、決して目覚めぬ眠りについているのだ。
大蛇丸がサスケの身体を乗っ取ったのか。それとも…────。
カブトの問いに、サスケは静かに聞き返した。
「どっちだと思う?」
その返答で、カブトは悟った。
大蛇丸は、こんな回りくどい返事をしない。
ならば、目の前にいるこの青年は───。
「俺が奴の…大蛇丸の全てを乗っ取ったのさ」
サスケは嗤う。
この眼の前では、【写輪眼】の前では大蛇丸だとしても逆らえない。
大蛇丸に強襲され、【不屍転生】で器にされそうになったものの、写輪眼の瞳力で術を跳ね返したサスケは逆に乗っ取ったのだ。
即ち、大蛇丸はサスケの内で、覚めることのない眠りについている。
しかしながら、サスケは知らない。
大蛇丸を容易に乗っ取れた理由が自分の実力だけではない事実を。
大蛇丸がサスケに負けた敗因は三つ。
木ノ葉の忍びと対戦し、九尾化した波風ナルと闘ったばかりであったこと。
更に、発動させた【八岐の術】によって、大蛇丸のチャクラが枯渇していたこと。
そして、もうひとつ。
「残念だったな、カブト」
サスケの言葉を、カブトは顔を俯かせて黙って聞いていた。その肩が小刻みに震え始める。
恐怖か、もしくは己の主人を乗っ取られた悔しさか。
だが、サスケの予想はどちらにも当てはまらなかった。
想像の範囲外だった。
「くく…ハハハハハハハハ…!!」
カブトは、笑っていた。
蛇の鱗を思わせる長い長い廊下に、カブトの哄笑が轟く。
眉をひそめるサスケの前で、ひとしきり笑ったカブトは、「いやぁ、ごめんごめん」と眼鏡を外した。
笑いすぎて溢れた涙を指で拭き取る。
「そうか。大蛇丸さまはもういないのか…礼を言うよ、サスケくん」
「………なに、を」
予想と違うカブトの反応に、サスケは顔を顰める。
サスケの顔をじっくり眺め、カブトはくつり、と口角を吊り上げた。
「サスケくん…君は確かに強い。だが、天才とは言えないな」
突然の失礼極まりない言葉に、サスケはピクッと眉根を寄せた。
「僕は真の天才を知っている…。天才という言葉に相応しい人間が彼をおいて他にいるだろうか?」
否、いない、とカブトは両腕を広げて、高らかに答えた。
舞台上の役者のように大袈裟な身振りで、カブトは心底嬉しそうに笑う。
それは、いつもの胡散臭い笑みではなく、心の底からの笑顔だった。
「うちはの血を引く君でさえ、才能の上に胡坐を掻いてる、ただのガキだ。天才(彼)には程遠いな」
「……なにが言いたい?」
カブトの急な変わり様を、警戒心を露わに観察していたサスケがようやく口を開く。
それを静かに見返して、カブトは眼鏡をカチャリとかけ直した。
「だから、感謝してるのさ。これでようやく…────」
大蛇丸の右腕的存在であったカブト。
彼はアジトの監視や実験体の管理だけでなく、薬物を使用した大蛇丸の肉体の調整や治療を担当している。
その薬物療法をわざと誤り、大蛇丸の焦燥感を募らせ、早急にサスケを器にしようと動くように仕向けた張本人は、顔を覆うように眼鏡を手で押さえる。
右近/左近・鬼童丸を殺したと見せかけ、実はその死体を偽造した為に、巻物に保管しておいた十五・六歳の男の遺体のストックが足りないと南アジト監獄にいる春野サクラを呼び寄せた。
更に、大蛇丸を助けに向かわぬようにと、火影直轄部隊暗部構成員のリストの写しでビンゴブックを作れと命じてアマルとザクを部屋に缶詰めにする。
そうして、木ノ葉の忍びとサクラが対戦しているこの騒ぎに乗じて、サスケに大蛇丸を乗っ取らせることを黙認した。
全て。
そう、全てが、彼の為に。
大蛇丸ではない。
己のアイデンティティを確立させてくれ、自分が何者であるかを教えてくれた彼の為に。
あえて、嫌っているふりをし、彼の手を煩わせてしまう故に借りを作るのを良しとしなかった。
大蛇丸を信頼させ、右腕的存在にまでのし上がったのも、全ては彼の為。
どれだけ主人を変えようと、スパイをしようと、カブトは終始一貫として一途に彼に仕え続けていた。
──────うずまきナルトに。
眼鏡ではなく、堪え切れない笑みを押さえている手を、カブトはようやく顔から離す。
蝋燭の明かりを反射する眼鏡。
廊下を照らす蝋燭の炎が、カブトの眼鏡をより一層赤々と染め上げる。
その赤は、カブトの歓喜の色を確かに示していた。
「僕は、本当の主人の許へ帰れるのだから」
後書き
【上】15話・32話・49話、【下】27話。
この内の彼の台詞が、この話に至るまでの伏線でした。
お気づきになられたでしょうか?
これからもどうぞよろしくお願い致します!!
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