fate/vacant zero
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雲影二つ
虫の居所が悪い。
午前の授業が始まる前の喧しい"風"の教室。
一人だんまりと本を睨んで・・・いるわたしの様子を表すのに、これ以上的確な文はなかったろう。
理由はとてもはっきりしている。彼絡みだ。
あの"宝探し"が終わってすぐの任務から、帰還した日。
わたしが泥のように眠りについた日に、彼は主人との仲違なかたがいを解消していたらしい。
翌日の朝食後、どこか申し訳なさそうにした彼がそう教えてくれた。
それは歓迎すべきことなのだから、気にしなくてもいいのに。
……そう、それ自体は・気にすることではないのだけれど。
問題は、彼に魔法を教えることの出来る時間がごっそりと減ってしまったこと。
昼食後の休みと夕食前後の休み、合わせてほんの4時間しか教えることが出来てない。
それでも充分助かっていると彼は言うけれど、やはり付きっきりだった7日間の成長を見ている分、もっと長く教えていたいと思ってしまう。
ぶちまけて言うと、教え足りない。
眠る時に彼が側に居ないのが寂しい、などという理由ではない。
断じてない。
懸想などしている余裕も身分も、私は持ち合わせていないのだから。
「今日はまた一段と機嫌悪いわね、タバサ。
ルイズにダーリンを獲られたのがそんなに悔しいんなら、一緒についていったらよかったんじゃない?」
隣に座ったキュルケが、的を外した提案をしてきた。
そうは言うけれど。
「許可証が必要」
彼は今日から数日間、ルイズの護衛としてゲルマニアへ向かうらしい。
その彼と行動を共にすると言うのなら、当然ながら最低でも入出国の許可は必要なのだが。
私の場合、その認可を降ろすのはあの従姉イザベラであり。
そもそも、一昨日の今日で降りるような代物でもないわけで――
「くふふ……冗談よ、冗談! んもぅ、可愛くなっちゃってもう。
やっぱりタバサってば、最高の友達ね!」
……気がついた時には、頭を抱きかかえられて頬ずりされていた。
苦しい。
暖かくても柔らかくても苦しい。
というより、いったい今の一連の動きのどの辺りに『可愛い』などと形容される要素があったんだろう。
キュルケの言うことは、時々よく分からない。
「うふふふ……。
それにしても、カタブツ教師ミスタ・ギトーってば遅いわね。
何やってんのかしら?」
そういえば、始業の鐘が鳴らされてから10分は悠に過ぎている。
普段から『遅刻するなど言語道断』と豪語している教師なだけに、その不在は何かしらの急を要する事態を意味することが多い。
――ォォオオォォ――
では、急を要する事態とは何か?
そう考えかけた矢先、よく分からない音が窓の外から私の耳に飛び込んできた。
「ぉ、おい……ギムリ。 あれ、空見てくれよ、あれ」
「うん? ――な、なぁ?」
その耳慣れない音に最も近い窓際に座る生徒たちが、俄かにざわめきだした。
聞き取れる会話にあった『空』という単語が何故か気に掛かった私は、視線を本から窓へと移す。
――ォォォオオオオオオォォン――
窓の向こうに映る、狭く切り取られた空の中。
鳴き声とも風の唸りともつかない音を上げ、空に舞い上がった『竜の羽衣』――確か彼は、фエフ 15 Еглыイェーグレゥとか言っていただろうか――"それ"の、猛々しく大気を切り開く雄姿があった。
Fate/vacant Zero
第二十九章 始編 雲影二つ
――何故どうして、こんなことになってしまったのだろう。
朝靄の名残が噴き散らかされた中庭に、ルイズは体の痛みも忘れてへなりと座り込んでいた。
その目は落ちる涙を気にも留めず、ただ見る間にどんどん小さくなっていく彼サイトの機影かげを追うばかり。
――何故どうして、こんなことに。
本当ならば彼女は今頃、ゲルマニアへと向かう馬車の中で才人と顔を突き合わせ。
無い知恵絞って思いつかない詔みことのりに吽々と悩んでいるはずだったのに。
――何故どうして。
あの馬鹿はここに居ないんだろう。
私は、置いていかれたんだろう。
――何故どうして。
あの馬鹿に、もう会えないなんて感じてしまったんだろう。
――何故どうして。
私は、魔法が使えないんだろう。
――何故どうして。
何度目になるかも分からない、分かりきった自問を愚直に続けるルイズ。
その投げ出された体を地に下ろし、そのただならぬ様子に掛ける声を思いつかないコルベール。
どちらともが一言も発さない、発しない、発せない。
朝鳥の声さえ空しく響くそんな気まずい空間は、才人の機影が肉眼で見えるか見えなくなるかという頃。
珍しく慌しく駆けるタバサが首根っこを引っ掴み、滑るように飛び込んできた竜シルフィードに乗るまで――。
――平たく言うと拉致られるまで、途切れることなく続いていた。
始点は本日、加護エオローの月第四週アンスール鉱石ユルの日。
冒頭場面より30分ほど時を滝昇った頃にあった。
朝食を済ませたルイズと才人は、王宮からの迎えを待つべく、学院の正門前に立っていた。
もとい、才人の方は門柱にもたれていた。
……些細なことか。話を進めよう。
ルイズが未だに出来ていない詔を前にしてどうしようかと軽く目を虚ろにしながら震えていたり。
才人がそれを呆れ気味の目で眺めていたり。
それを指摘して軽い口論になったりもしていたが、本筋との関連は薄いので割愛。
重要なことキーポイントは、三点。
一つ。結局この日、王宮からの迎えは学院を終ぞ訪れなかったこと。
二つ。鷹馬ヒポグリフを駆る一人の兵士が、二人に目もくれずに門の内側へ飛び込んでいったこと。
三つ。
――それを、二人が追いかけてしまったということ、である。
この日、老オスマンは珍しいことに朝っぱらから忙しかった。
まあ、それも仕方のないことか。
老は結婚式に出席する為、ゲルマニア首都へ向かわなければならない。
往復のため、どう短く切り上げようとも三日間は学院を空けることになるのだ。
その間、書類を代わりに処理してくれたであろう秘書はもう居ない為、帰って来た後に地獄を見ないで済むよう今あるものだけでも片付けてしまおうと粉骨砕身している、というわけだ。
「……こんなことなら、フーケを官憲に突き出すんじゃなかったかのぅ」
結局マトモな評価も賞罰も返ってこんかったし、などと若干危ないほうへ思考を突っ走らせ、ボヤきながらも手は止めずに老は書類を片し続ける。
そんな不毛とも思える空間が崩されたのは、書類のような4本の柱……もとい、柱のように聳える4つの書類の山が、そろそろ3つになろうとしていた頃のこと。
扉が、乱暴に叩かれた。
「何用かね?」
老が尋ねるが、返事はない。
なにせ、問い掛けの途中でドアは弾かれるように開かれていたから。
開いたドアの向こうに居たのは、物理的にも精神的にも青褪めた一人の兵士。
大丈夫かと気遣う老に首を振り、兵士は口を開いた。
「王宮より、魔法学院への通達です。
……申し上げます。
『アルビオンの親善艦隊が、トリステイン送迎艦隊を"奇襲"。
アルビオンの宣戦布告を受諾した我らが "王軍"は、ラ・ロシェールに布陣しました。
これに伴い、姫殿下の婚姻は無期延期と相成ります。
学院におかれましては、安全の為にも生徒及び教職員への禁足令を願います。』
――以上です」
がたりと、老は腰を浮かせた。
「宣戦布告じゃと?
もう、始まってしまったのかね?」
「是はい。 敵降下部隊はタルブの大平原を占領し、ラ・ロシェールの我が軍と睨み合っております」
「……平和は人を脆くする。
十年の安寧に胡坐をかいていた我らが軍と、外道ながらも内戦を生き抜いたアルビオン軍では、勝負にもなるまいに」
ほんの一月ひとつき前、油断と慢心から敗北を味合わされたばかりのオスマン老の呟きに、兵士は陰鬱な声で返す。
「ボルドー軍港より蜻蛉返りに舞い戻った送迎艦隊が、敵に夜襲を掛けたのですが……結果は、敵艦の半数を墜とすという戦果の代償に、我らは動かせる殆どの空中戦力を喪失させられたそうです。
現在の敵軍は巨艦『レキシントン』号を筆頭とした砲列艦4隻と、降下した兵が二千余と見積もられました。
対する我らは、申し訳程度に砲の設けられた小凧が3隻、どうにか緊急に掻き集められた兵力が二千。
国内の軍備が不足気味であったこともですが、敵艦隊旗艦である『レキシントン』号を夜襲で墜とせなかったのが致命的です。
ほとんど無傷の竜騎兵に守られた彼の巨艦は、残存する手札では墜とせますまい。
それで……詰みです」
重苦しい空気の帳とばりが部屋を包む。
「戦況は? それ以外の国はどうしておるのかね?」
「日の出の頃、タルブを蹂躙しつくしたアルビオン軍が、ラ・ロシェールへと進軍を始めたそうです。
ゲルマニアへは援軍を要請しましたが、先陣が到着するまでどう急いでも半月掛かるとか。
ガリアを筆頭とする南方諸国には……何の動きも見られません。
以前の会談の通り、鉾先が自らに向けられるまでは静観を決め込むようです」
老は額に手をあて、空しげに首を振った。
「…試金石にするつもり満々じゃな。
ラ・ロシェールが陥ちれば、後は油に火を落とすようにこのトリステインは潰えるじゃろうて」
学院長室外のホールにて扉に張り付いていたルイズは、さっと顔を青褪めさせた。
姫様の結婚式が延期になった、これはまだいい。
明日までに詔をほぼ零の状態から書き起こさねばならなかった身としては願ったり叶ったりだった。
だったが。
戦争が始まったとはどういうことだ。
なにより、『王軍』とは何のことだ。
今、このトリステインを治めうる王族は僅かに二人、マリアンヌ皇太后陛下とアンリエッタ姫殿下のみのはず。
では、王軍を率いているのは皇太后陛下?
……そんなハズはない。
皇太后陛下は、誰より争いを忌まれていた方だ。
姫様のためにと動くのであれば、あの方は"よりよい降伏"を迷わず選択されるだろう。
そういう御方だったはずなのだ。
それではつまり――姫様が、戦場に?
死にたがりが集う、あの澱んだ所に向かわれたの?
あの、心根お優しい姫様が自ら?
そこまで考えて、ルイズは自分がいつの間にか才人と顔を見合せているのに気付いた。
いささか慌てて目を逸らす。
自分が一瞬何をしようと考えたかに思い至り、全力で頭を振るう。
姫様を助けて。
そうサイトに命じようなど、いったい何を血迷ったというのか。
根本的な問題として、今日中には陥落してしまいそうなラ・ロシェールまでどうやって行かせるつもりなのか、わたしは。
馬ではまず無理だ。
先日のアルビオン行きの際でさえ、半日は掛かった。
途中、馬を換えながらの力尽くでも、だ。
それでは、どう足掻いても到底間に合わない。
では、サイトが"お宝"と称して持ち帰ってきた玩具がらくたはどうか?
……引き合いに出そうと思ったわたしがバカだった。
あんなモノでは、そもそも空を飛べるはずが無い。
よしんば本当に空を飛べたとして、軍用風竜が数匹がかりで運ばないといけないような重たいものが、竜のような速さを出せるとも思えない。
そんなものが戦場に出て行っても、竜騎士のいい的にされるだけだ。
そこまで考えて、ようやっとそれに思い至る。
そう、それを頼むことは即ち、サイトが戦場に出るということだ。
"素早い素人"を戦場に向かわせて、アルビオン"軍"を相手に戦えと?
そんなバカげたことを命じようとしたのか、わたしは。
あんな玩具一ッで三千相手に何が出来ると言うのか。
せめて艦だけでも?
あの玩具と艦舶の間にどれだけサイズ差があると思っているのか。
あの玩具を兵と考えれば、艦は城。小さくても砦だろう。
ただの一兵で城が陥とせる理屈など、あるはずもない。
では、姫様を安全な場所まで連れ出してもらうというのはどうか。
……悪くは無い作戦だと、少しだけ思った。
だが、安全な場所とはどこか?
トリステインは陥落する。
――レコンキスタに囚われた王族の死が免れないであろうことは、アルビオンで既に証明されたことだ。
では、ゲルマニアへ?
――それは即ち、姫様がかの君主に嫁ぐということに他ならない。
出来るならば、避けたいところだ。
姫さまの精神衛生上。保留。
ガリアはどうか?
――かの国はトリステイン・アルビオンと同じく、始祖の王杖の一本だ。
親和性は高いかもしれないが……当代の王は「無能王」としての通名が国内外問わず広く伝え聞こえている。
姫様を託すには、あまりにも不安に過ぎるような……。保留。
ならば、ヒスパニアへ?
――歴史を振り返る限り、王族を保護するような連中ではないような気がする。却下。
ロマリアならどうだろう。
――姫さまの美貌からすると、それこそ死にたくなるほど大量の求婚者が現れそうだけど……安全といえば安全かもしれない。
それで命生き長らえられるなら、安いもの……でもないか? 保留。
エトルリア連邦。
――金を積まれたら確実に売り渡しそう。却下。
そうして、ロマリア、ガリア、ゲルマニアが候補に残った所まで思考して、ふと不安がよぎる。
はたして、姫様は逃げることを選ばれるだろうか?
枢機卿やその他の貴族たちが姫さまを担ぎ上げているのだとしたら、何の躊躇いもなく姫さまを拐かどわかせるだろう。
だが、姫さま自身がそれを望んでそこにいるのだとしたら?
……思い浮かべた別れ際の姫さまの御顔が、亡きウェールズ皇太子の決意の面持ちと一瞬被る。
そうだとしたら……姫さまを、あの猛烈に負けず嫌いの姫さまを引き下がらせるのはあまりにも限りなく困難極まりない。
いや、そもそも――
『使い魔は、魔法使いメイジにとっての相棒パートナーよ。
こんなこと、あなた自身が一番よくわかってたんじゃなくて?』
――もう、考えるのはよそう。
こんな重大事、兵才も爵位も持ってない一介の貴族こむすめが手を出すなんて、幾らなんでも不相応に過ぎるというものだろう。
私たちにできるのは、ただ祈ることだけなのだ。
……虚むなしくなってしまった。
とにかく、ここでずっとこうして扉にへばりついていてもしょうがない。
もう行こう。姫さまが、必ず勝利してくれると信じて――
「……ほら、アンタもいつまでも張り付いてないでと……………………っとっと?」
忽然。
あるいは強調線の間に『だれもいません』の文句でもいいが。
ルイズの隣にはそれがあった。
……いや、ないのか?
とにかく、ほんの少しの間だけルイズが目を瞑っていた間に、隣に居たはずの才人の姿は無くなっていた。
「……え? あれ?」
左右を見回しても誰もおらず、背後からは床を蹴る靴の音。
また勝手に――! と。
苛立ちもあらわにしたルイズが、後を追おうと外周の方を振り向くと。
才人が窓枠を踏み切り板にして、走り幅跳びしていた。
「へ?」
しばし窓枠から見え続ける、腰を後ろに突き出した――というとアレなので、手と足を前に伸ばして滞空する後姿。
「え?」
そして当然ながらその体は、徐々に↓へフェードアウトしていき――
「ゑ……」
ルイズと窓枠が切り取った空間との延長線上から、至極あっさりと姿を消した。
「УеэээээааааааааааааааааААААААААААААААААААА!?
何!? 何やってんのアンタはぁああああ!?」
ルイズは腹の底から奇怪な叫び声を上げながら窓まで転びかけ寄り、
『そこに居るのは誰か!?』
学院長室からの槍のような怒鳴り声に90度方向転換させられ、階段を一目散に駆け降ちていった。
そんな彼女の心境は――
(あの馬鹿、まさかあの玩具で突っ込む気じゃ……いややりそう、やりかねない、やる、間違いなくやる!
は、はやく急いで止めないと――ああもう――)
「あんの脳筋使い魔ァアア――ッ!!」
――斯く吹き散らされた花壇の様に荒れていた。
なお、才人は一応体育会系ではないということをもう一度記しておく。
多分嘘ではない。多分。
「よい、放っておきたまえ」
その一言でオスマン老は、今にも部屋を飛び出さんとしていた兵士を押し留めた。
「は? し、しかし……」
「構わんと言っておるじゃろう。
誰かは見当がついておるし、仮に言い触らされたとしても、どうせ後々伝えねばならんことじゃ。
放っておいても、別になんも害はありゃせんよ」
「はぁ……」
気の抜けたような生返事をする兵士を傍目に、オスマン老は軽く思考する。
アレは、恐らく間違いなくラ・ヴァリエール嬢のものだった。
ならば――
『あんの脳筋使い魔ァアア――!』
――やはり、と言うべきか。彼が何かを始めたようだ。
貴族にも恐れられたフーケを捕らえ。
陥落寸前のアルビオンより生還し。
平民には扱えないはずの魔法を学び。
あのような不可思議な翼を持ち帰り――
「そうして今度は、トリステインを救うのじゃろうかのう……」
「……いま、なんと?」
「ん?
――なぁに、爺の独り言じゃよ。
いちいち気にするでないわ」
知らず声に出していたことを煙に巻き、なおも老は物思う。
もし、仮にそれが真実そう・・であるならば……儂われらはそれに、何を返すことが出来るのか?
とりあえずオスマン老は、彼が彼の世界へ帰り着く方法を探す範囲を、国外の伝手にも伸ばしてみようと。
そう、決めた。
「いけねっ……、Aether風よ Egomet我が身を Nauthiz留めろ! 」
殆ど衝動的に空へと舞った才人は、修復された宝物庫の壁辺りを通り過ぎたところで、ようやく着地しなくてはいけないことを思い出した。
やや粗い呪文を唱え、パーカーから引き出した短杖を振るい。
発動したのは『浮遊レビテーション』。
高度と速度を比例……反比例?させ、ほぼ速度0で地面に降り立つや否や。
「っと! 研究室は確か、」
そのまま踵を回して駆け出そうと地を蹴り――
「あっち…………ぃいいいぃいぃイいいィいいイイ!?」
――何故か銃弾のように進行方向へ飛びだした。
"跳"んだのではない。"飛"んだのだ。
低く飛んでゆく彼の体は、一度も地に着くことなく厨房の勝手口を横切り、本塔と『土』の塔を結ぶ渡り廊下の天井すれすれを抉るように掠めながら、スズリの隔壁へと流星のように向かい。
「ぅゎぁぁぁぁああああああああ!?」
目的地の扉を開くはずの無い方向へとブチ貫きながら侵入した。
「ッ! 誰だッ………………っぁ?」
「ぅいっててててて……。
いっけね、Clausula完了 "Levitation"浮遊 Remitto解除 すんの忘れてた……あぃッ傷ぁッ!」
突然の闖入者に杖を抜き打って跳ね起きたコルベールは、蝶番ごと圧し折られた扉と、その上でぷかぷか浮かびのたうって、かと思うと垂直に落下して追加で悶えている人影を見て、綺麗に固まっていた。
一瞬の静寂。
「君は……さ、サイトくんか?
なぜ君がここ……いや違う。
確か君は今朝から、ミス・ヴァリエールの護衛でゲルマニアへ向かうのではなかったのかね?」
寝起きの頭を振り絞りつつ昨日聞いたばかりの予定を質ただすと、サイトははっと立ち上がり、えらい剣幕で詰め寄ってきた。
「先生! 飛行機のオイルはどこですか!?」
「あ、ああ。
部屋には入りきらなかったから、外の壁際に樽ごと並べて積んでいるのがそうだが……。
ひょっとして、これから飛ぶのかね? 護衛の方は……」
「すいません、詳しいことは戻ってきてから話します!
今は出来るだけ急ぎたいんで、運ぶの手伝ってください!」
「む。……わたしはいま目が覚めたばかりなのだが、体をほぐしてからではだめかね?」
「いいですけど、出来るだけ早くお願いします!
俺は先に運び始めてますから!」
何かやけに焦っている才人に、コルベールはどこか覚えのある既視感を抱いた。
それが、つい先ほどまで見ていた、懐怖なつかしい夢の記憶に端を発するからだろうか。
彼は、知らずの裡こう訊ねていた。
「そんなに、急がなくてはならないのかい?」
「急がないと、間に合わなくなるかもしれないんです!」
答えは、即座に返された。
だから、こう訊ねた。
「それは、誰のために行かなくてはならないんだい?」
「優しくしてくれた人のために、です」
答えは、僅かな間と不振げな疑問符を挟み置いて返された。
それを見取り、こう重ねた。
「それは、どうしても君が行かなければならないことかい?」
「……俺以外の、誰にもアレは動かせませんから」
答えは、迷いの霞を掻き分けて返された。
だから早く、と急かす才人を遮り、なお訊ねる。
「それは、他の何を置いても優先しなくてはいけないことかい?」
「…」
答えは、項垂れた頭と沈黙で返された。
だから・・・、一つ頷いてコルベールはこう重ねた。
「サイトくん。君が何をしようとしているかは、私にはわからない。
ただ、一つだけ言わせてほしい」
ぎり、と握り締められた才人の手を見て。
「"飛行器の内から見る空がどう見えるか"――帰って来たら、是非教えてくれたまえ」
え、と溢し、目を見開きながら見る才人に笑いかけながら、コルベールは彼の背を叩き促した。
「少し話し込んでしまったな、早く油を運んでしまおう。
──急がなければならないんだろう?」
我が意を得たり、とばかりに弾け出した才人の返事は、とてもいい色をしていた。
コルベールにとって、それはどこか我が事のように嬉しく感じる出来事だった。
「待ち ぁさい。ご主 人様の 許しも なく、ど 行く、気よ」
なにやら足を引き摺りながら息も絶え絶えになったルイズがF-15の鎮座する水の塔前に現れたのは、丁度燃料樽が空になり、いざ鎌倉ならぬタルブへと、才人が操縦席へ手を伸ばした時のことだった。
コルベール先生は、今この場には居ない。
邪魔になりそうな樽を片してくれていたため、研究室の方に向かっているのだろう。
才人は、振り向くことなく答えた。
「タルブの村だよ」
「な、何しに行こうってのよ!」
「決まってんだろ。
世話になった人たちを助けに行く」
そう言って右手をパーカーポケットの中へ突っ込むと、挙がった手の甲にガンダールヴのルーンが燈った。
F-15イーグルにはタラップなんて便利道具は勿論、縄梯子すら積載されていなかったので、身体強化でも使わなければコックピットに乗り込めないのである。
そうして才人が地面を蹴ったのと、ルイズが才人にしがみついたのは、ほぼ同時だった。
……ここで問題だが、空中に支えもなく浮かぶ棒状のものの片端に横から力を加えると、棒状のものはどう動くだろう?
答えは単純だ。
力を加えられなかった片端がその場に残り、重力に曳かれて――ぶっ倒れる。
世の理に漏れず、足にタックルされた才人もぶっ倒れた。
「~~~ッ!」
後頭部から。
真昼の空に星が見える。
のたうって痛みを誤魔化そうにも、ルイズが変わらず足首を抱えこんでいて動くに動けない。
下手に動くとどっかしら極まりそうだ。
とりあえずF-15イーグルに被害が及ばなかっただけ僥倖と信じあきらめつつ、才人は怒鳴った。
「~~ッンナにしやがる!?」
「バカ!」
ルイズも怒鳴った。
「何考えてるのよ、戦争やってるのよ!
アンタ一人が行ったって、何も変わるわけないじゃない!」
何も出来ない。変わるわけない。
才人にとって、それはただの諦めのようにしか聞こえなかった。
「俺一人だったらそうだったかもしれねえ。けど、今の俺にはこいつイーグルがある。
敵は凧なんだろ?
だったら、こいつなら渡り合えるだろ……ほら、いい加減放せよ」
やってみもしないで、諦めちまいたくないんだ。
才人は立ち上がろうとするが、ルイズが足を離さない。
蛭か海草かはたまたスライムかと疑えるくらい、ぺっとりと貼り付いていた。
「こんなっ、く、玩具 で、っこの、何しようって、のよ!」
「玩具ぁ?
ふざけろ、こんなもんがオモチャになったら一夜で世界が地獄絵図だ!
……あぁくそっ、アリジゴクかお前は! はーなーせー!」
「いーやーだー!」
じたじた、ばたばた……攻防続けることしばし。
呼吸不足で力が緩んできたルイズの腕から強引に足をすっぽ抜いた。
「…………、……ッくそ、余計な、体力をぉ……。
いいか、ルイズ。これは、オモチャなんかじゃ、ねぇ。
こいつは俺の世界の「レアものの、空飛ぶオモチャなのね」そうそ……ぅじゃねぇよ変な茶々入れんな!
武器だ武器、俺の世界の空中戦用の乗り物だ!」
「それでもダメ。
……あんた本当に分かってるの?
いくらこれが武器って言ったって、相手は艦隊・よ。兵隊・よ。
軍隊なの。戦争なの!
一対一の決闘とは話が違うのよ!」
話の腰ばかりフルボッコするルイズを睨むが、頑なに彼女は譲ろうとしない。
今跳んだら、また足に抱きついて顔面か後頭部を強打するだろう。
もう殆どどこぞの「いいえ」を選ばせてくれないお姫様のようだ。
その場合なら選ぶべきは「はい」だろうが、とにかく何とかして言い包めなければ色んな意味で未来がない。
まして、そう。ルイズの言う事だって分かるのだ。
才人は、平和だった日本で少年期を過ごした才人には、戦争や戦場と呼べるほどの集団戦の経験など有ろうはずがない。
あるのは本当に些細な喧嘩と、ほんの数度の決闘だ。
強いて言うならラ・ロシェールの酒場で荒くれ者たちと乱戦をしたことはあったが、囮というか餌として走り回っていただけだ。
対軍戦など、ましてや空中戦など、ルーキーもいいトコである。
──だが。
「お前もさっきの聞いてただろ。
戦艦──あのデカブツを墜とす方法が、この国にないって」
それがどれほどの無謀だとしても、ここで引き下ろうとは思えなかった。
「聞いてたわよ!
でも、だからってあんたがこれで出て行ったって何が出来るってのよ!
ただ死にに行くよ「戦艦を墜とせる」じゃ……え?」
瞳に涙を溜めて叫ぶルイズを遮り、才人はもう一度繰り返す。
「こいつなら、この腹にくっついてる武器なら、凧フネの一つや二つくらいは確実に落とせるんだよ。
こいつ自身だってそうだ。
仮にもこいつ、俺の居た世界で一昔前まで格闘戦ドッグファイト最強とまで呼ばれてたんだぜ。
主に不死身さ加減で。
ルーンだってあるんだ、死ぬ心配だけは要らねえよ」
「で、でも……それは、あんたの居たとこでの話じゃない!
あんたの世界には、魔法がないんでしょ? だったら──」
もう一度、繰り返す。
また少し、語気が強くなる。
「そうだとしても、俺は行く。
あそこには、シエスタの家族だって居るんだ」
「バカ!
こんな時にまで色気づいて、格好付けようとしてんじゃないわよ!」
「格好付けようとしてるわけじゃねえ!
あの村の人は好くしてくれたんだよ!」
「それだけ!?
それだけで命を捨てに行くの!?
あんた、元の世界に帰りたいんでしょ!?」
「それだけだと!?
ああそれだけさ、お前にとってそれだけでも、俺にとっちゃそれだけ・・・・のことだったんだよ!
ああそれだけだとも! ああ帰りたいさ! そりゃいつかはな!
でもな、俺はその時は清々しく後腐れなく帰りたいんだ!
こうしてる間にも今にも殺されちまうかもしれない人が居る、優しくしてくれた人が居る。
それを助けられるかもしれない力が、幸か不幸か今この手の中にある!
そのためだったら、何だろうが怖くなんかねえ!
俺は、逃げて後悔なんかしたくねえんだよ!」
「わたしは、あんたに死んでほしくないのよ!!」
最後の方は学院の外にまで響きそうなほどにお互い声を荒げて怒鳴りあい、そうして痛いほどの静寂に呑まれた。
視界の隅の方、足を止めたコルベール先生の姿も見えた。
ルイズが、震える唇で願いを紡ぐ。
「……死んだら、どうするのよ。
わたし、もう、わたしだっ、あんな、後味悪い。ィヤぁ……」
涙声を通り越し、今にもマジ泣きしそうなほど面おもてを歪めたルイズの懇願。
――それでも。
「安心しろって。
言ったろ? こいつなら死ぬ心配だけは要らねえさ。
……じゃ、行って来るわ」
才人はもう止まらない。
止まって居られる猶予など、どれだけ残っているかも分からないから。
ただ後悔だけを嫌い、才人は往く。
「……待って」
振り向きざま、ポケットに突っ込まれたままだった才人の手が閃き、振るわれた。
伸ばしたはずの手が空を掻いた。
勢いで足がもつれ、だが手も膝も地を突くことはない。
伸ばされた才人の腕には、翼の意匠の小さな杖。
『浮遊』が、発動していた。
「待ってよ……」
その僅かな怯みすきだけで充分だった。
才人は地を蹴ると懸垂の要領で操縦席コックピットに体を投げ入れ、風防キャノビーを閉じる。
「サイト」
それだけで、もうルイズの声は届かなくなった。
そう、どんなに声を張り上げようとも。
「サイトの……、……ッ、バァカァ───────ッ!!!」
だから、その哭声さけびに才人が応えることはなく。
ただ、一羽の猛禽わしが、呼応したかの如き鬨の唸りを上げた。
……ハーネス、よし。
メット、よし。マスクよし。
発電機起動キーロックオフ、システムオン。
どーいった原理で発電してるかは謎だが、動くならよし。
このガンダールヴのルーン。
どうも飛行機のように複雑な操作を必要とする"兵器"の類とはイマイチ相性が悪い。
機体の各パーツごとの"結果"やそれぞれを動かすための"工程"は教えてくれても、それが動く原理の類は伝えてこないのだ。
飛ばし方は解るのに航空力学を理解したわけではない辺り実に不思議だったりする。
お蔭で好奇心がお預けくらって、餓えた野獣みたいな猛り方をしてるわけだが。
これは心が震えてんのか、それとも嘆き喚いてるのか。
どっちだ? などと考えながらも、冷静な部分は離陸準備を進めてゆく。
JFSエンジン起動タービン始動。3秒待ってGOサイン、右エンジンにタービン接続。
2%──6%──12%──18%、スロットルアイドリングへ。
片方だけ起きた推進力に流されないようブレーキを踏み込み、進路が正門の方を向ききる前に続けて左エンジンへタービン接続。
3%──8%――14%――19%、スロットルアイドリングへ。
進路を正門にがっつり合わせて、ブレーキを全開。もといほぼ全閉。
じわじわと機体を移動させつつ、正門に到達する前に計器の動作を一個一個触れて確認する。
速度計、動いてる。
数値が正常かどうかはわからんけど、ルーンの反応的には大丈夫そう。
姿勢指令指示器ADI……は、動かせるみたいだが飛んでみないとわからん。
高度計も同じく。
水平計HSI……見る限りは正常。
迎角AoA計、も飛ぶまで分からんがとりあえず平行なんできっと正常。
G計、1。正常。
……パターン・ソナー?
なんに使うか分からんしとりあえずスルー。
昇降計、時計。多分良し。
──これで計器の類は一応総て動作良し、と。
右翼左翼付け根及び機首機関砲、弾数は最大装填数の≒半分……まあ、動くだけマシか。
エンジンバランス。スロットルは……両方ほぼ同じ。
前進方向も……感覚的には同じだからまあよし。
一通り確認が終わったところで、丁度正門の内側を横切るように通過した。
さて、もうすぐ離陸だ。
オトコノコでもオンナノコでも、夏のあの宙ソラまで透けるような青空を見上げて感じ入った経験のあるヤツなら、きっとドキドキモンの一工程シングルアクションだ。
オラwktkワクテカしてきたぞ、だ。
なんかテンション上げすぎて思考が愉快になってる気もするが気にするな、それどこじゃあないから。
離陸には充分な加速のついた滑走が必要だ。
滑走にはまっすぐ走行できる路ルートが必要だ。
具体的には……え-と。ルーン様の言うとおりなら300mメートルくらいあれば飛びたてるらしい。
らしいんだが。
「なあ相棒」
「なんだよ?」
席の後ろに突き刺したデルフが訊ねてきた。
「おまえさん、どうやってこいつを飛ばすつもりだね?
言いたかねえが、これ、この庭ン中からだとどうやっても壁にメリこまね?」
よく気付いたな。ていうか分かるのか?
「オレッちだって伝説の端くれだし、持ってたやつが持ってたやつだからなー。
こーして触ってりゃあ大体のことはっていやいやいや。
相棒、そこ落ち着くとこじゃねえって」
ゆっくりと壁際を走らせながら、デルフの突っ込みを聞き流す。
そう、少しばかり……でもないが、この学院は広さが足りない。
一番広いこのアウストリの広場の最も長い直線を使っても、目算だが目標距離の半分程度だろう。
対策なしでは、離陸する前に激突大破は必至だ。
そう、対策なしならな。
「というからには、なんか考えてんのかい相棒?」
そりゃそうだ。
というか、考えなきゃ飛べないんだっての。
むしろ即死だっての。
「学院本塔の正面口から学院正門を真っ直ぐ抜けて、外の草原で離陸する。
要するに、壁のないとこを通ればよくね?だな」
「ん~……無理じゃねっかなぁ」
即決で駄目出しされた。
なんでだよ。
「相棒。門の幅とコレの横幅、計算に入れたか?
なんか見た感じ、かなりギリギリっぽかったけどよ」
「あ」
「ヲヰヲヰ」
いっけね、忘れてた。
そっか、門にも幅があったんだったな。
しかし、そうなると……
「この方法、イマイチ使いたくなくなったな」
「だぁね。門がこいつの幅より狭けりゃ問答無用でアウト。
そうでなくったってギリギリだ、こいつが門に対してほぼ垂直に進入できねえとこれまたアウトときた。
穴開いた橋を目隠しで渡るようなモンだぁね」
目も足もないのに巧いこと言うな。
っつか、どうしようかマジで。
「安全に確実に、だな。
こんなトコでぶっ壊れて、村の人たちを助けられないなんて、シャレにもならねえ」
「んで? どうすんだい相棒?」
そう問うデルフの声を背に、機体は『土』の塔に近づいていた。
「……一応、案はあるんだけどな。
こええなぁ、流石にちょいと……」
操縦桿インド人を右に。
ネタ混じりに機体を曲げて、ルートを調節する。
取る方角は、先に挙げた学院内での最長コースだ。
ブレーキを限界まで踏み込み、呼吸と動悸を軽く整える。
念のため操縦桿を軽くガチャったりペダルを踏み込んだりして、補助翼エルロンやら昇降舵エレベータやら方向舵ラダーやらを動かしておいた。
問題なし。ついでなのでフラップは下げておく。
「おいおい相棒、こっからじゃ飛べねえって。
さっきお前さんも言ってただろ?」
うん、確かに言った。
言ったよ? 離陸距離の凡そ半分だ。
でもどうにかできることはできる、と思うわけだ。
やや反則だが、魔法で。
それもわりと基本的なヤツで、多分この距離でも飛べる。
問題というか不安はあるけどな。でっかいのが。
「……あの、相棒?」
なにやらわりととてもものすごくそこはかとなく不安げなデルフの声が聞こえるが、完全に無視して腹をくくる。
どうせ飛ばさなけりゃ終わりなんだから、やってみるだけの価値はある、だろう。
あるはずだ。
あると思いたい。
……あるといいなぁ。
だんだん希望的観測の量が増えてきたが、いやいやと思い直して不敵、なつもりでひきつったように口端で笑む。
気分だ気分。
そうヤケクソ気味に笑いながら、……左手に、杖を握り込んだ。
目を閉じ、この機体の形とサイズをやや大きめに──包み込むように型を取るイメージする。
それに捻じ曲げ付け加える結果イメージは『滞空ホバー』。
地面からの距離の下限と上限を意識するのがベーシックだが、今回は敢えて下限だけでイメージする。
色々と後が怖いし。
そうしてこねた精神力かたを染め上げるのは『風』の魔法力いろ。
意識を失わないように、だがかなり多めに余裕を持って色付けてゆく。
……正直、制御自体は苦労しない魔法で助かった……マジで。
ともかくこうして練り上げた鋳金を──
「Aether風よ Aquila此の翼を Nauthiz留めろ!」
固めに固める鋳型は『浮遊レビテーション』。
「……おい、おいおいおい。
相棒、そりゃ幾らなんでも無茶だって!
これから戦いに行こうってヤツがなに考えてんだ!
こんなモン、一人で持ち上げるようなモンじゃねえって!」
まあ、そうなんだろう。
これを持って来たとき、ただ網に載せようとしてた時だって数人がかりだった。
いくら軽減されると言ったって、1桁tトンオーバーの荷重を一人で被こうむるのは地獄の部類だろう、間違いなく。
「いいんだよ、これでずっと浮かばせ続けるわけじゃねえから。まあ……、見てなって!」
それこそ保てて数分程度だろうが……ぶっちゃけ、重要なのはほんの数秒だ。
一瞬だけでもバカみたいな浮力を発生させることが出来ればいい。
杖を構え『浮遊』の発動準備を維持したまま、左右スロットルをじっくり、アフターバーナー着火点ギリギリまで開放する。
くん、と全身を後ろに引かれ、シートに圧力で押さえつけられながら、ブレーキも開放。
じっくりとスピードに乗り始め、丁度コックピットから真左方向に厨房の勝手口が見えた辺りで、杖を振るった。
途端に襲い掛かってくる、釣り針にでも掛かったようなつんのめり気味の浮遊感と、↓方向へのG。
「くぉ ~~~~ッ!」
そして、なんかこう関取三人くらいに同時に圧し掛かられたような重圧、疲労、倦怠感が意識を襲う。
息が詰まり、骨が擦れて歪み、肉が押し潰され、神経を寸断されたような強烈な『錯覚』。
だが、本当に息が出来ないわけではない。
只、ひたすらに息苦しい。
本当に骨が、肉が、神経が損傷を負った訳ではない。
只、痺れのような衝撃を、心が『感じている』だけなのだ。
そして、急な浮遊感が収まり、臍の下がむず痒さを覚えたとき──
「────ッんっ、のぉおおお!!」
精神力──またの名を気合みえと根性こうきしんで『麻痺の錯覚』を吹っ飛ばしながら、エンジンスロットルを限界まで押し込んだ。
そのスロットルバーの傍らには[A/B]の印字。
エンジン廃気に、更なる点火アフターバーナーが齎される。
首を仰角に跳ね上げたまま浮とび、しかし重力に曳かれた鋼の鷲はその瞬間、どこかイカレた加速とともに空を蹴って。
高く、とても高く、箱庭の外へと跳び出した。
「──ぃ」
スロットルを押し込んだ瞬間、自分の後頭部が見えるんじゃないかってくらいにシートに押し付けられた。
「 い ぼ !」
一瞬、そこが無ッ茶苦茶に振動するコックピットの中であることすら忘れ去られた。
そして──
「相棒ぉおおお! ちょ、おま、こらしっかりしろ!!
タルブは逆だ、目ぇ覚ませぇええええええええええええ!!!」
「 ッのぁっ!? ――っ、Clausula完了 "Levitation"浮遊 Remitto解除!」
やたらと頭に響く声で怒鳴るデルフにたたき起こされた俺は、慌ててスロットルを巡航レベルに絞ると、大きく、緩やかに右のラダーペダルを踏み込んだ。
あと、ごりごり精神力を削ってくれ続けてた『浮遊』を解除しておく。
あぶねえあぶねえ。
危うく戦場手前でエンストフラグが立つところだった……。
ヘアピンターンを終え、自動操縦(ただ安定させた姿勢でまーっすぐ飛ぶヤツだ)をONにする。
そこまで終わらせると……ぐったりと、シートにその身を預けた。
体の中身を掻き雑ぜられたような、ずっしりとした気だるさ。
無事(では確実にないが)、空を飛ばすことには成功した安堵。
それらから生じる凄まじい脱力感を、手っ取り早く追い払うべく──
「わりぃデルフ。ラ・ロシェール辺りが見えたら起こしてくれ」
寝る。
「ぇ、ちょ、寝んの? 寝て大丈夫なんかこれ? 落ちたりしねぇ? ってもう寝てるし相棒……」
デルフのぐだぐだな疑問の群れを尽くスルーして、目を閉じた。
「──」
寝よう。
「……、……」
寝るんだ。
「……! ──、────ろ」
寝るっつの。
「…ぃ……、ぉ…ろ……!」
寝るって……、
「通…す………ぞ! …ぃ棒、起き…ってば!」
ああもう!
ものの数秒と眠れやしねぇ。
「デルフ……頼むから、ほんと10分くらいでいいから寝かして「相棒、いつまで寝ぼけてんだよ! 街も艦隊も、もうとっくに見えてんぞ!」
何ィ!?」
重い目蓋をガッと見開き、前方に広がる大地を舐めるように視線を流す。
映るものは――草原、沼、草原、草原、大きな池、というか湖。
……ん?
「どこだよ。綺麗な湿地帯しか見えねえぞ」
「前じゃねえよ、右見ろ右! 右向いて右の方!」
右を向いた。
……沼、森、草原、山──山……山?
山が見えた。
カルデラの如き盆地に岩肌の街を擁する山が。
峰の一部にマッチ棒の頭程度の大きさの古木が聳そびえる、紛う事なきラ・ロシェールの姿が、霞の向こうに確かにあった。
あったが。
右を向いた視界の、なお右に偏った位置にそれが見えているということは……
「やっべ、方向間違えた?
っていうか、なんでもう着いてんの!?」
「いやいやいや。相棒が目ぇ閉じてからもう随分経っ──てそれどこじゃねえって。
ほれ、早く進行方向もどさねえと、このまま行ったらガリアに入っちまうぜ?」
「……だな」
急ごう。と。
回頭するべく、足元のペダルを右足で──
「……ん?」
右足が──
「ッ?」
震えて、踏み込めない。
「この──く――ッそ――! なんで」
「どしたい、相棒。なんだって動かさねえ」
デルフの声が、耳奥にやたら響く。
動かさないんじゃねえ、動かないんだよ、と――
「怖さで足が竦すくんだか? 別にいいんだぜ、尻尾巻いて帰ってもよ」
か細い反論を声に載させてすらくれない。
息も唾も、ひっくるんで胃に突き落ちた。
「誰がお前さんに『助けてくれ』だなんて頼んだわけじゃねえ。
元々どうしようもねえくらい絶望的なんだ、怖さに震えて逃げ出したって文句言う奴なんぞ誰もいねぇさ」
無言。
「さあ。どうするね相棒?
それでも血煙たなびかせに戦場へ向かうか?
それとも何もかも放り出して、ここから逃げ出すかね?」
「んなの、決まってんじゃねえか」
その答えは、とても簡単だ。
「――本当に、それでいいんだな?」
強く強く右足を踏み落ろし、機首を右に、ラ・ロシェールの方へ流しただけ。
ただそれだけの、明確な意思表示。
「当たり然だ。
あれだけ啖呵切っといて引き返したりしたら、またルイズに虚仮にされちまう。
何より……」
ペダルから足を外す。
もはや、機首はラ・ロシェールの――延ひいてはタルブ領の方角を逸れる事は無いだろう。
「俺は、俺が、俺を許せなくなる。そんなの御免だ」
それこそが、紛れも無い本心。
だから、絶対に見捨ててなどやらないのだと、深く色濃く心おそれを纏うくるむ。
「……いやはや。
バカだね相棒。先代に負けじ劣らじのバカだ」
「るせえ、バカバカ連呼すんなバカ剣。……むしろお前が言うな」
「ひっでえなぁ、誉め言葉だぜ?」
どこらがだ。
目標から目を逸らさずぼやく俺に――
「だって相棒がそう・・じゃなけりゃ。 俺ら・は今、ここにこうしていなかったんだからな。
それは誇ってもいいと思うぜ、オレっち」
「――は?」
――俺に、機体の風防に、白い影が覆い被さった。
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