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fate/vacant zero

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灯蛇





 よく晴れた青い空。白い雲。眩しい太陽。


 今日は虚無ウィルドの日。

 ここトリステイン魔法学院は本日、絶好の洗濯日和である。


 奉公人たちの宿舎があるノルズリの広場では、これ幸いとばかりに宿舎の住人が揃って石鹸せっけん片手に洗濯中だ。

 そんな泡まみれの集団に混じって一人。



「はぁ……」


 シエスタが、天気に見合わぬ重苦しい溜め息を溢こぼしていた。





「ぅぅ。サイトさんたち、いったいどこに行かれたんでしょう……」


 あんなはしたないことをしてしまって、怒ってしまわれたんでしょうか、とか。

 嫌われてしまったんでしょうか、とか。

 そのせいでミス・ヴァリエールにも追い出されてしまったこと、恨んでいらっしゃるでしょうか、とか。


 時々、ひょっとしてミス・ヴァリエールやミス・タバサみたいになだらかなのがお好みなんでしょうか、なんて脇道にもそれたりしながら。

 後から後から不安と後悔の種が浮かんできて、シエスタの胃の腑には、いつ穴が開いてもおかしくないほどの負荷がかけられていた。



 迷惑を掛けてしまった本人に直接謝れば治まる負荷だが、いまこの学院に才人は居ない。


 ルイズに思い切って謝罪と弁解をした翌朝、勇気を出して才人の許――つまりタバサの部屋を訪れたシエスタが目にしたのは、才人らの署名とともに『一攫千金に行ってきます』とだけ書かれ、ベッドの上に放置されていた小さな便箋だけだった。

 それを教師たちに届けて以来、シエスタはずっとこんな調子なのだ。


 才人が本当にこの学院から出て行ってしまうのではないか?

 それが不安で仕方がないのである。

 ましてやその発端が自分となれば尚更だ。


 あの日の自分を責める声がシエスタの中で響き、自分自身を苛んでいた。



 そうして時間を追うごとに落ち込んでいくシエスタが、もう何度目かのため息をついた時のこと。



「あら……、何かしら、あれ」


 回りにいた奉公人仲間の一人が、不意に声を上げた。

 それに気付いたシエスタは知らず知らずに俯いていた顔を上げ、対面、洗い物を掴んだまま首だけがあらぬ方を向いたルームメイトに声をかけた。



「ローラ、どうしたの?」

「あ、シエスタおかえり。
 あれ、何だかわかる?」


 と、ローラはこちらを見ずに尋ねてくる。

 その目の向けられている方向、ヴェストリ広場の方にシエスタは顔を向けた。



 視界の中央辺り、針の先サイズの何かがわらわらと塊かたまって、黒雲のように空を蠢いているのが見える。

 学院からは結構な遠方を浮かんでいるのか動きはこまごまとしたものだが、よく澄んだ空ではそれくらいの動きでもよく見える。


 針の先大だった何かが少しずつ大きくなり、やがて賽苺ダイスベリーのタネぐらいの大きさになったとき。



「えっ?」



 シエスタはその正体が十数頭の風竜と、それらによって吊り下げられた曽祖父の形見であることを視認した。







 トリステイン魔法学院に奉職して二十年。

 今年で四十二歳を迎える教員、ミスタ・コルベールはその日、年甲斐も無く興奮していた。

 先日ルイズに破壊された試作装置ユカイなヘビくんの三号器を製作するべく篭っていた彼の研究室の窓から、風竜たちの持つ馬鹿でかい網に吊られて頭上を通過していった未知の“それ”を目撃したためである。


 彼はかつてアカデミーに所属していたこともあるほど好奇心が強く、ハルケギニアでは極めて珍しい研究肌の実践派魔法使いメイジであった。

 それは生まれ持っての性分なのか。

 彼は未知の物を見つけた場合、実際に見て触れて試して調べるべく全力を尽くすのだ。


 その好奇心は年を経ても一向に衰える気配を見せず、今回も過去の例に漏れることはなかった。

 彼の足は考えるよりも早く、取る物もとりあえず“何か”の運ばれていった方、学院の正門の方へと駆け出していた。







Fate/vacant Zero

第二十七章 灯蛇トモシビ







 私が好奇心に惹ひかれるままにアウストリの広場を訪れた時、“それ”の周りには幾らかの人影があった。


 まず、自分と同じように好奇心に曳かれて集まった生徒や奉公人たち。

 それから、見覚えのある軍の竜騎士隊となにやら話し込んでいる、この一週間ばかりの間行方不明になっていたはずのミスタ・グラモン。

 そして同じく行方不明だった、ミス・ツェルプストー、ミス・タバサ、そしてミス・ヴァリエールの使い魔ガンダールヴの青年の姿があった。


 この状況からすると、“それ”をこの学院まで運んできたのは恐らく彼らだろう。

 私は“それ”の正体を確かめるべく、こういった不思議なものについて何か知っていそうな、どこか異邦の生まれだと聞いた青年に声をかけた。



「きみ! こ、これはなんだね?
 よければ、私に……おや?」


 青年がこちらを振り向いた拍子に、陰になって見えなかった、どこか安らいだ顔をした奉公人の少女がこちらへと一礼し、そそくさとその場から立ち去っていった。

 少し気まずさを感じた私は、控えめに尋ねた。



「……邪魔をしてしまったかな」

「いえ別にそんなことは……、って、先生? その臭いは……」


 鼻をひくつかせて、使い魔の青年が問い返してきた。


 ローブの袖を顔に近づけてみると、つい先ほどまで『愉快なヘビくん』試作三号器の製作に当たっていたせいだろうか。

 かなり強い油の臭いが、ローブに染み付いてしまっていたようだ。



「いや、さっきまで部屋でこの間の装置を新しく組んでいてね。
 気にしないでくれればありがたい。

いや、そんなことよりも……、きみは、これが何かを知っていたりしないかね?
 出来れば、教えてもらいたいのだが」


 青年は思案顔で頷くと、“それ”が何かを教えてくれた。


 『ひこうき』――『飛行器』という名を持つらしいそれは、その名のとおり彼の国では普通に空を飛び交っているものらしい。

 言われてみれば左右に突き出した細長い物は翼のようにも見えるし、コレを上から見下ろせば、それはきっと鳥のようにも見えただろう。

 その翼は凧フネのもつ皮翼ともまた違っていて、稼動するようには作られていないようだ。



 この『飛行器』とやらはどのようにして空を飛ぶのか?


 わたしはそれを、とても見てみたくなった。



「では、さっそく飛ばしてみてはくれんかね?」


 青年が、困ったように頬を掻いた。



「それなんですが……、先生、これに何の油が使われていたか分かりませんか?」

「? 何のことかね?」


 唐突に話が飛んだが、これに油が使われていると言うことだろうか。

 俄然、興味がわく。



「えーとですね。
 こいつは、あの首の両脇に空いた四角い穴から空気を吸って、圧あつめて、霧にした油を混ぜて、そいつに点火して、あの筒の尻からその爆風を吐き出させて飛ぶんですが」


 ふむふむ。



「ひょっとして、その霧にする油が無いのかね?」

「そういうことです。
 何の油を使ってたのかもよくわからないんですが」


「なるほど……。

 その油は全く残ってないのかね?
 ほんの少したりとも?」


 食器にこびりついたソースぐらいでも残っていれば、そこから成分を割り出せるのだが。



「タンクの中を漁れば、少しは残ってるかもしれませんが……、ちょっと見てみます」

「お願いするよ」


 彼がそう言って『飛行器』とやらの方に歩き出そうとすると、ミスタ・グラモンが彼を何やら呼び止めた



「取り込み中のところ悪いのだが、あの方たちに運賃を支払わなければ……」

「金、金って、貴族のクセに細かい奴らだな。
 払えばいいじゃねえか…………、って、ひょっとしてお前?」


「きみ、軍人は貧乏なんだよ」

「持ってないのか持ってないんだなそうなんだな!?
  どうすんだよ、俺だって金なんてさっぱり持ってねえぞ?」


 どうも、竜騎士隊に支払う代金が彼らの手元には無い様子だ。



 ふむ。









 竜騎士隊への輸送料をどこか上機嫌なコルベール先生に立て替えてもらい、学院長から呼び出しを喰らったタバサたちと分かれた俺は、タンク内にこびりついていた油の分析と先生への細かい説明のため、火の塔と土の塔の間、スズリの郭壁かべに構えられた先生の研究室へと移った。



「初めは、職員寮――ほれ、学生寮塔の一階、階段の裏手に通路があったろう? あの男子寮側の通路の先だよ――職員寮の自分の居室で研究しておったのだが、なに、研究に騒音と異臭は付き物でね。
 隣室はおろか、男性教員の全員から苦情が来た」


 先生はそう説明しながら、郭壁かべの一角に脈絡無く据え付けられた木の扉を開いた。

 その途端、油やカビ、鉄臭さなどが入り乱れた、むんとして鼻を突く異臭が内から漂ってきて、俺はとっさに鼻をつまんだ。



「なぁに、臭いはすぐに慣れる。
  これと言って人体に害が無いのは私自身で実証済みだ。
 とはいえ、ご婦人方の受けはよろしくないらしく、この通り私はまだ独身だがね」


 前半も後半もイマイチ信用できないのは、先生の前頭部に目が行ってしまうからだろうか。

 中へと促うながす先生についていきながら、ぱっと浮かんだそれを忘れるべく辺りを見回す。



 まず目に留まったのは、なにやら怪しげな液体の入った褐色の瓶。


 次に同じく不気味な色した液体入りの試験管の群れ。


 何に使うんだかさっぱりわからないツボ(棒が内側に立てかけられてる)などが雑然と並んだ、どこぞの理科室を思わせるような大きな木の棚。


 それからタバサの部屋で見たものより更にデカイ、一方の壁を埋めるほど巨大な本棚。

 ところどころ抜けはあるものの、本で埋まっていない棚はない。


 その隣の壁には、ハルケギニアの地図らしい羊皮紙がかけられている。

 何故かその地形には既視感デジャヴを覚えたが、多分気のせいだろう。気のせいのはずだ。


 他にもコブラっぽい蛇や、平たくて大きな尻尾をしたでっかいネズミっぽい何か、頭が二つある鳥など、よくわからない生き物が個別に入れられた檻が本棚の対面に置かれていた。



 そうして俺が好奇心を辺りに満遍なく散らしている間に、先生は例の油を分析し始めていた。



「ふむ……、面白い臭いだな。
 私の使っている油とは随分と違う。粘り気もない……」


 椅子に座り、机の上に置いたツボに入っている、燃料タンクの隅々から風で巻き上げた微量なオイルの臭いを嗅いで、何やら羊皮紙にメモをしている。

 『抵抗レジスト』が機体全体に掛かっていたせいか、かなりの長期に亘わたって放置されていたわりには変質していない。


 ……ような気がするというか変質してたら困るので大丈夫と信じる。



「これと同じ油があれば、あの『飛行器』とやらは飛べるのだね?」

「多分。どこも壊れてなければ、ですけど」


 ふむ、と先生は大きく頷き、手を打ち鳴らして宣言してくれた。



「おもしろい! 調合には多少時間が掛かるが、やらせてもらおう!」


 そうして卓上のアルコールランプに火を灯した先生は、羊皮紙が発火しそうな勢いで羽根ペンを動かし始めた。

 合間々々でツボの中身を確認するように嗅いでいる先生の思考が、どんな道筋を辿って、どんな答あぶらを導き出すのか。

 どうやってその油こたえを造るつもりなのか。


 その全てに、俺はとても興味が湧いた。



 そうしてしばしの間、先生の背中を見つめていると。


「きみは確か、サイトくんとか言ったかね?」


 その背中越しに、何やら話しかけられた。



 はい、と答える。



「きみは、どこの生まれであったかな?
 きみの故郷では、あの『飛行器』とやらも普通に空を飛び交っているのかね?」


 一瞬、返答に詰まった。


 どうする、正直に言ってしまおうか?

 あれだけの大金を快く肩代わりしてもらっておいて、嘘をつくのは気が引ける。


 でも、タバサに教えた時はすっかり忘れてたけど、王室直属アカデミーとやらに俺のルーンのことがばれると拙いわけで。

 正直に話すか誤魔化すか、すぐ好奇心に主導権を奪われるような足りない頭で精一杯考えて。


 俺の出した結論は――



「その、俺は……、この世界の人間じゃ、ないんです。
 俺も、その飛行機も、いつだかフーケと戦った時の『破壊の杖』も。
この世界ハルケギニアじゃない、どこか別の世界から来たんです」


 正直に話す、だった。

 結局俺は、義理、っつーか借りを無視することが出来ないらしい。


 当然、というのが正しいだろう。

 当然ながら、先生はその手の動きを止め、俺の方へと振り返った。



「いま、なんと言ったね?」

「別の世界から来た、と言ったんです」


 先生はかっちり7秒動きを止め、それから顎を手で撫ぜて後のち、「なるほど」と大きく頷いた。



「……驚かないんですか?」


 と、えらく素早く納得した先生を見て驚いた俺が言った。

 オールド・オスマンやタバサもそうだったけれど、ひょっとしてルイズみたいに信じてくれない方が特殊なのか?と疑ってしまう。



「そりゃあ、驚いたとも。

 驚いたが、すとんと腑に落ちてきたんだよ。
 どこかこの世界ハルケギニアたいりくのずっと遠い国から来ました、なんて答えられるより、よほど納得できた。

 なにせきみの言動、行動、さらには持ち物、その全てが私の知るこの世界ハルケギニアの常識の外にあるのだからね。
 うむ、ますます面白くなってきたぞ」


「……なんだか、先生とは他人のような気がしませんよ」



 特にその好奇心は、と心中で付け加える俺に、先生は笑って答えた。



「変わり者だ、変人だ、と呼ばれる私と気が合うとは、きみも変わっているな!

 ふむ、いや実に愉快だ!
 きみになら、私の思想も理解出来るかもしれんな!」



「思想、ですか?」

「そうとも。いいかね?
 ハルケギニアの大多数の貴族は、魔法を単なる道具のようにしか捉えておらん。

 そうだな、“箒は掃除道具だ”……いや“掃除道具でしかない”と信じている、と言えば分かりやすいかな?
 何と言ったか……、そう、固定観念だ。それに雁字搦めに縛り付けられておる。

 私は、その固定観念を打ち破りたい。

 魔法は、使いようで顔色を変えるのだ。
 だからこそ伝統などに縛られず、様々な使い方を模索すべきだと、そう思うのだよ」


 先日ルイズにぶっ壊された機械も、その“模索”の一つの形なのだろうか?

 そんな事を考えた俺の目の前、先生はいつにもまして熱く、その思いを滾たぎらせているようだった。



「そして私はきみに出会い、その思想が間違っていないのだと確信することができた。

 異世界。そう、異世界だ!

 この世界ハルケギニアの魔法の理ことわりから外れた法則ルールも、この世界ハルケギニアで存在し続けることが出来る!
 実に興味深い! 面白い!
 だからこそ、私はその外れた法則ルールをもっとこの目で見たい!
 確かめたいのだ!

 その新たな理ほうそくは、私の魔法の研究に、さらなるページを増やしてくれることだろう!」



 話をするうちにどんどん熱くなっていった先生は一つ空咳を吐いて、真剣な目をして俺に告げた。



「だからサイトくん。
 困ったことがあれば、何でも私に相談してくれたまえ。

 この『炎蛇』のコルベールは、いつどんな時であろうともきみに力を貸すことを、ここに約そう」











 協力を確約してくれたコルベール先生が再び油の解析に没頭しはじめると、才人がそこで出来ることはもうなかった。

 あとは結果を待つばかり、というわけだ。餅は餅屋とも言うかもしれない。



 そういうわけで研究室を辞した才人は現在、アウストリの広場の一角に安置されたF-15イーグルの操縦席に座し、目を閉じて各部の点検を行っていた。

 どこぞに不備でもあって、実際に飛ばしたところで異常をきたされては堪たまったものではない。


 目を閉じているのは、好奇心を如何なく消費しながら発動中である左手のルーンガンダールヴに集中するためである。

 操縦桿そうじゅうかんを握ったり、スイッチレバーや計器盤に触れたりする度にルーンは起動し、それを使うことでもたらされる結果を、視覚と触覚を混ぜて3ぐらいで割ったような感覚で伝えてくるのだ。

 その機能がちゃんと作用しているかどうかの直感的確認も可能というオマケつきで。


 操縦桿そうじゅうかんを握りしめれば、それを左右に倒すことで主翼を可動し『進行方向を軸にした回転バレルロール』が、前後に倒すことで尾翼を可動し『機首を上げ下げトリム』させることがそれぞれ可能であることが。


 左右の足が捉える鐙フットバーからは、垂直尾翼の舵かじを取って『左右に旋回ターン』させるためのものであることを。


 操縦桿そうじゅうかんの裏側で指に触れている、縦に並んだ三つのトリガーが、セーフティは勿論電源すら入っていない現状では沈黙を保っているものの、それぞれが機首と両主翼に据えられた機銃バルカンの引き金トリガーであることも理解した。


 風防キャノピーと座席シートをのぞいた一面を覆う計器とレバーとツマミに一つ一つ触れ、その正体と生存を確認していく。

 中にはラジオだの戦術電子戦管制TEWSだの外部との通信だの、ハルケギニアでは使い道が微塵もなさそうなものもちらほらとあったが、それらも含めて概おおむね正常に動いてくれるようだった。


 印ガンダールヴは、その全てを実体験にも似た感覚として教えてくれている。



 シエスタの祖母から預かったメインキーを鍵穴に挿し込み軽く捻ひねると、目に映る全ての計器が一斉に目を覚ました。

 どうやら組み込まれた発電機も、まだまだしぶとく生きていたようだ。


 正常な動作を確認し、それが積み重なっていくたび、にやけた笑みが才人の表情を少しずつ侵食していく。

 才人の未知への好奇心が、段々と歓喜の嬌声きょうせいを上げつつあった。



「相棒、これは飛ぶんかね?」


 腿の上から足元に差し込むように置いたデルフリンガーが尋ねてくる。



「飛ぶぞ。油さえあったら」


 へぇ、とデルフは感心と呆あきれを足したような溜め息をつく。



「これが飛ぶたぁ、相棒の元いた世界とやらはホント変わってんだねぇ」


 才人からすれば魔法なんぞ使えるこの世界の方が変わっているのだが、その辺りを突っ込むとキリがないので何も言わずに電源を落とした。



 そうして一通りの点検を終えて操縦席から外に出ると、野次馬に来ていた生徒たちが興味を失くして去っていくのと入れ替わるように、キュルケとギーシュが訪れた。

 キュルケは手桶と雑巾を持ち、ギーシュはモップを肩に担いでいる。

 サボリの罰掃除でも始まるんだろうか?


 いや、それにしては――



「タバサは一緒じゃないのか?」



「彼女なら、学院長から何か手紙のようなものを受け取ったと思ったら、触れたら凍らされそうな剣幕でどこかに行ってしまったよ」


 というか出会い頭にまずそれかね、とぼやくギーシュの声はスルーしてさらに尋ねる。



「手紙? どこかって、どこにだよ?」


「そんなの、ぼくに聞かれても困る。
  キュルケ、きみはあの手紙が何処からのものかわかるかい?」


 話を振られたキュルケは両手を天に回して、残念そうな溜め息をつく。



「あたしが知ってるのは、ああやってあの子に手紙が来たら数日は学院から居なくなる、ってことくらいね。
  機会があったら、後をつけてみたいけど」


 そう言われてみてふと思い当たったのは、いつぞやの平日、シルフィードに乗って何処かへ出かけるタバサの姿。


 ひょっとして、実家から呼び出しを受けたとか?

 そうだとしたら、俺なんかのために心底申し訳ないことになっちまったわけで。



 うん、帰ってきたらまず謝ろう。それがいい。


 こくこくと誰にともなく頷いていると、がっしと襟首を掴まれて息が詰まった。

 多少えづきながら後ろを見れば、にんまりと微笑んでいる二人の姿が。

 いきなりなんだよ、首が絞まる首が。



「そんなことより、ちょっと手伝いたまえ。
 ミス・タバサが抜けてしまったお陰で、さっぱり手が足りないんだよ」

「ごめんねサイト。
  でも、流石に二人であのホールの窓を全部磨くのって無理があるの。


 お願いね?」


 お願いね、と口では丁寧ていねいに言っているものの、二人の目に宿る光はどうみても脅迫じみていた。

 俺は当のホールの大きさを思い出してげんなりしつつも、二人が引きずるままにされることにした。


 実入りこそ殆ど無かったものの、宝探しも悪くは無かったのだ。

 礼と感謝の代わりに、罰掃除の手伝いくらいしてもいいだろ、なんて。


 俺は、何の違和感もなく思っていた。







 ちなみにその頃のルイズはというと。



「『麗うららかなる今日という日に』……なんか違うわね。
 『この麗うるわしき日に』……そうね、まだこっちよね。

 で、名前を挟んで、『始祖の御光臨を願いつつ』……ぅうー。なんで私がこんなこと……」


 部屋に篭こもって詔みことのりの序文に悩んで、外の騒ぎに気付いてもいなかった。


 頑張れルイズ、式まではもう二週間を割っているぞ。









 その夜。


 結局午後まで徹底的に使い潰してようやくホールを磨き終えた才人は二人と分かれ、居候中のタバサの部屋に帰ってきたのだが。



「この部屋、こんなに広かったか?」


 今、この部屋の主は居ない。

 昼間にキュルケが言っていたように、泊り掛けで何処かへ出かけているようだった。


 デルフを立て掛けパーカーを椅子に引っ掛けた才人はぐったりベッドに倒れこみながら、先述のセリフを口走っていた。

 その唯一の目撃者であるデルフがそれを茶化す。



「どうしたぃ相棒。寂しいんか?」

「おま、ちょっと待て! そんなんじゃねえゃッ!」


 身体を仰向けに転がしながら、一瞬見えたデルフに怒鳴る才人。


 だが苦も無く身体をひっくり返せた才人は、その感覚に違和感を覚えた。

 そういえば――



「こっちに来てから一人で寝るのって、これが初めてだな、って思っただけだ」


「……さよか。
 ま、今生の別れでもあるめえし、今日んとこはとっとと寝るのが一番さね」

「だから、そんなんじゃ……。まあいいや。
 おやすみ、デルフ」


「ああ。おやすみ、相棒」



 なんだかデルフが苦笑いしているような気もするが、気にしたら負けのような気がした才人は、そのまま目を伏せた。

 途中、今日は魔法の特訓をし損ねたことに気付いたが、そんなことも全部ひっくるめて眠気の濁流に押し流された。







 それから2日が過ぎた日の朝も朝、空が微かに白みだした頃。

 何かの羽ばたく音と、うんうん言ってる唸り声に目を覚ました才人が身を起こすと、丁度窓から部屋に飛び込んできた影が目を掠めた。



「んにゃ……タバサ、か?」


 影はそれに答えず、ふらふらとベッドの方に歩いてきた。



「……タバサ?」


 ふらふら……ぽてり、かたん。

 なんとも間の抜けた擬音で、影は持っていた杖を手放すと。



「おい、タバぐほぉう!?」



 ベッドの才人にむかって倒れこんだ。

 わりと勢いがついていたこともあって、才人はヘッドパットを腹に喰らってしまって悶えている。



「ぐぉおおぉおぉぉおお……、こ、こらタバサ、いきなり何すん……っ」


 苦悶しながら文句を言おうとした才人だったが、目の前、というか腹の辺りで転がってるタバサの顔を見て、口を噤つぐんだ。

 なんともあどけない、年相応の寝顔がそこにあったから。



「ちぇ……、起きたら、何やってきたんだか聞かせてもらうからな。覚悟しとけよ」


 ぼやいてるんだかニヤケてるんだかわからない表情で、才人はタバサをベッドに横たえなおす。

 寝かしたタバサの顔から眼鏡を外し、倒れた杖を立て掛けた才人は、朝食までの暇な時間を潰すべく、デルフを引っつかんで部屋を後にした。


 ただ、起き抜けだったせいだろうか?

 杖を拾った時にルーンガンダールヴが光を放っていたことにも、部屋を出る時に白いイタチっぽいものが足元をすりぬけていたことにも、才人は気付かなかった。



 この時は、まだ。













 その朝、コルベールは自身が飼っている怪鳥のけたたましい鳴き声にて目覚めた。


 頭を振り、窓の外を見て、いつの間にか夜が明けつつあることに気付く。

 才人から油壺を受け取ってからの三日間、油の性質を特定するべく睡眠も授業も放棄していた分のツケが回ってきたのか、彼は自分がいつ眠ってしまったのかも覚えていなかった。


 突っ伏していた机の上には大量の試作品しっぱいさく入りビーカーの他、空になったアルコールランプ、その上に乗せられたでろりとした黒い液体――石炭の溶液の入ったフラスコが。

 フラスコの先から伸びるガラス管の先には水の満ちた盥たらいに浸ひたされた巨大ビーカーが床に置かれており、触媒から抽出されたらしいぎりぎりゾル状の液体が、褐色の下層と淡いオレンジ色の上層に綺麗に分離してそこに堆積していた。



 その液体を目にしたコルベールは、最後の仕上げが残っていたのを思い出した。


 抽出された二層の液体のうちオレンジの層を別のビーカーに掬すくい移す。

 それから才人から預かった燃料に『解析ディテクト』を掛けなおし、得られたイメージを意識しながら、オレンジ色な液体へと手早く精密に『変性デネトレーション』を唱えた。

 魔法は定められたイメージに従って起動する。

 液体に含まれていた不純物を、目的イメージ通りに錬り変える。


 そうして反応が収まり、液面に浮かぶ膜を掬すくってみれば、僅かな濁りも無くなった無色の液体が出来上がっていた。

 コルベールはその液体と預かった油を交互に『解析ディテクト』し、その差異がなくなったことを確かめると、ぷるぷると身体を震わせて快哉を叫んだ。







「うぅー。なんで、どこにも居ないのよ……」


 しゅんとした背中で憤懣ふんまんと悲壮ひそうのオーラを醸しながら、ルイズはここアウストリの広場に、学院一周才人探索の旅から戻ってきた。


 三日前の夜、夕食を持ってきたシエスタから才人が戻ってきたことを聞いたルイズ。

 その夜明けより詔みことのりをつくる合間を縫って朝昼夜と各三回、才人を連れ戻すべく学院を歩き回って彼の姿を捜し求めているのだが、運が悪いのかなんなのか。

 運命か何かにおちょくられてるんじゃないかって思うほど器用に、二人は入れ違いを繰り返していた。


 才人が機体を磨みがくべく道具を探して学院を駆け回っていて捉つかまらなかったり。

 コルベール先生に呼ばれているとは露知らず延々と学院中を探させられたり。

 気分を変えた才人が寮の屋上で魔法の練習をしているなんて思いもせずにF-15イーグルの前で待ち伏せして肩透かされたり。


 etcエトセトラ,etcエトセトラ,etcえとせとら.

 斯様かように運が悪いルイズであったが、とうとう運命とやらも不憫ふびんに思ったらしい。



「あ……」



 食堂に向かう前に最後にもう一度だけF-15イーグルを見ていこうとしたルイズは、そこでようやく、機体にもたれて寝こけている才人の姿を目にすることが出来たのであった。



「あ……!」


 吃驚びっくりした様子のルイズは、ようやく見つけた自分の使い魔に向かって、







「あああああんたなにしてんの――ッ!!」

「へぶろッ!?」



 やるせなさとか腹立たしさとか言いたかったこととか全部ひっくるめて、鳩尾みぞおちへドロップキックをぶち込んだ。

 若干テンパったルイズは、後ろへぶっ倒れて腹を折ってもだえている才人の胸倉を勢いで引っつかんで立てらせる。



「ひ、ひひ人が探して何回も何回も何回も学院中探し回ってたってのに、あ、ああんたぐーすか寝てるってなにそれ。
 なんなのよいったい。
 ご主人さまを虚仮こけにすんのも大概にしなさいよ!」


「こん、の……、なんなんだいきなり!
 わけわかんねぇ怒り方してんじゃねえ!!」


 がくがくと前後に揺さぶりをかけながら捲くし立てるルイズが、半ギレした才人に怒鳴られて動きを止めた。





「……んで? なにしに来たんだよお前。
 顔も見たくねえんじゃなかったのか?」


 ため息を吐いて才人が尋ね、びくりとルイズは再起動する。



「そ、そうね。そうだったわ。

 あんた、ご主人様に無断でどこ行ってたのよ」

「宝探し。
 誰かさんにクビにされちまったからな」


 ぐっと苦虫を噛み潰したような顔をしたルイズは、うつむき、震える声で言った。



「そ、そのクビなんだけど、ば、挽回のチャンスも与えないのは、ひ、卑怯よね」


「挽回って……、だから、あの時は俺はなんもしてないぞ。

 ベッドの上に二人で居たのは、シエスタが倒れかけたのを支え損なっただけだ。
 誓って疚やましいことはない」


「……ほんとに?」

「ほんとに。
  シエスタと部屋で会ったのもあの日が最初だから、それ以前になんかした――なんてことはないからな、くれぐれも」


 そう、と呟くルイズの目元は髪で隠され、それが彼女をなんだか弱弱しく見せていた。



「んで? 話は、そんだけか?」



 うぅ~、なんて唸り声を発しながら、上目遣いに才人を睨んでいるルイズ。

 その口元はもごもごと動き、なんで偉そうなのよ、とか、謝りなさいよ、とか小さな声で呟いていたが、才人にその声は聞こえない。

 やがてそんな動きも止まり、反応を返さないルイズの顔を下から覗き込んだ才人。



「……お、おい。なんで泣いてんだよ」

「だって……、だって……」


 才人がその肩に手を置くと、ふるふる身体を揺らして振り払おうとしてくる。



「こら、大人しくしろって。泣くなよ」


「だって(ひっく)早とちり(っく)うそ(えぐっ)わたし(ぐしゅっ)バカみた(ずるっ)」


 涙混じりに何かを言おうとするルイズだが、嗚咽と鼻をすする音が間々で混じってまったく聞き取れない。

 どうしたもんかなと悩みながら、とりあえず才人はしばらくその頭に手を置いていた。













「……で。これがその宝?」


 授業が始まる頃になってようやく落ち着いたルイズは、数日前から存在していたF-15イーグルが気になっていたのか、そんなことを尋ねてきた。



「そーだよ。
 『飛行機』っていう、俺の世界の空を飛ぶための道具」

「これが、空を? ほんとに?」


 ものすごく胡散臭そうな目で、目の前のF-15イーグルを見上げるルイズ。



「嘘ついてどうするんだよ。
  別にどこも壊れてなかったし、さっき先生が持ってきたオイルも問題なく使えたし。
  量が揃ったら、すぐにでも飛べるぞ」



「……それで?」



「それでって?」


 F-15イーグルを見つめていた才人は、寂しげに言うルイズの方へ首を傾けた。

 ルイズは、不機嫌そうな顔で問い詰める。



「空を飛んで、どうするのって聞いてるの」



 才人は少し考えてから、

「東に向かって、飛んでみたい。すぐにってわけじゃないけどな」

 そう答えた。



「東に?
 東方ロバ・アル・カリイエにでも行こうって言うの?

 呆れたわ。
 トリステインから東方ロバ・アル・カリイエに辿りつくまで、いったいどれだけの距離があると思ってるのよ」


「いや、ロバアルカリイエとやらに行くわけじゃないんだ。

 そうじゃなくて、こいつがこっちに来た所へ行ってみたいんだよ。
 そこに何か、俺のいた世界への手がかりがあるかもしれないだろ?」



 才人はそう説明するのだが、ルイズにとってはどちらでも同じことだ。

 才人が帰りたがっている。

 その一点には、違いがないのだから。


 だからルイズは、ゆるく頭かぶりを振った。



「あんたは、わたしの使い魔でしょ。
 勝手なことしちゃ、ダメ。

 だいたい……ほ、ほら、無許可でそんなことしたら、国境侵犯でトリステインが訴えられるわ」


 だからダメ、とルイズは人差し指を立てて念を押した。


 確かにその通りなのかもしれないが、なんだか邪魔をされているようにしか思えず、才人はむすっとしてしまった。

 有耶無耶うやむやの内にまた使い魔扱いされているのも、不機嫌に一役買っているかもしれない。



「そんなことより、手伝って欲しいことがあるの。
  もう九日後に姫さまの結婚式が迫ってて、わたし、その時に詔みことのりを読み上げなくちゃいけないの。
  でもね、いい言葉が思いつかなくて、困ってるの」


 ふぅん、と才人は適当な返事を返した。

 自分的に大事なことをそんなこと呼ばわりされて、ムカついたようだ。



 さ、F-15イーグルの整備でもすっかね、することないけど。



 大人げなくF-15イーグルの方へ歩き出そうとした才人は、襟足を引っつかまれて仰け反らされるはめになった。

 軽く、首が痛い。



「あんだよ!?」


「わたしの話、ちゃんと聞いて!」


「聞いてやってるじゃねえか! 右から左へ!」


「聞き流してるんじゃないの! そうゆうの聞いてるって言わないの!
 主人の話を聞かない使い魔なんていないんだからね!」


「ここにいるだろうが!」


「自分で言うなぁ! この、バカ――ッ!」





 とっくに授業が始まっているため、鳥の声と風の音ぐらいしか他の音がしない広場で言い争う二人。

 だが、そんな二人は口汚く言い合う中、そろってこう思っていた。



 『ああ、帰ってきたんだ』と。









 夜。


 少女はよほど憔悴しょうすいしていたのか、相も変わらず眠り続けていた。

 時折腕をぱたぱたと動かしている。

 少女は、ほんの十数日だけ寝食をともにしていた青年を探しているようだ。


 だが、青年はこの部屋にはいない。

 青年は、主人の許へと帰ってしまったから。

 そして少女は、まだそれを知らない。


 少女はただ不安げに眉を落とし、手で空を櫂かきながら、ぐっすりと、眠っていた。





 
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