勿忘草-ワスレナグサ-
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大きな罪
依頼
玲が式川春と同一人物と知らされてから、翌日の放課後。相変わらず、彼女の携帯は鳴り止むときを知らない。少し気の毒に思う。彼女が式川だということは、僕以外に知っている人はいないらしい。玲自身も、言わないでほしいのだ。
「宏、ちょっといいかな。」
玲は相談があるようだ。僕達は二人に聞かれないよう、人気の無い所に向かった。空き教室を見つけ、そこに入った。
「どうした。」
「これ、見てくれないかな。」
それは一通のメールだった。
「これは。」
「朝、営業開始のときに送られてきたの。」
差出人のアドレスはフリーメールで、相手を特定するのは難しそうだった。メールには二枚の写真が添付されて入れ、本文にはこう書かれていた。
「ここに、二枚の写真を添付した。一枚は本物の作品。もう一人は、友が書いた作品だ。どちらが、本物かを見破ってくれたまえ。真偽を待っているよ。」
これは、絵の真偽の鑑定をしてほしい、普通の依頼客のように思えるのだが。玲はこのメールのどこが、そんなに気になったのだろうか。ふと顔を上げると、彼女を目が合った。
「僕には、普通の依頼の文面のように見えるけど。玲の気にしすぎだよ。」
「そうかな。文脈からして、私を試しているような。」
それだけを言うと、玲は黙り込んでしまった。どうやら、何かを考えているようだ。しばらくしてから、玲が顔を上げた。
「今日、ちょっと付き合ってくれないかな。」
意外な言葉に、僕は面食らってしまった。
「ごめん。気にしないで。」
立ち去ろうとする玲を、とっさに腕を掴んで引き止めた。
「いいよ。」
「ありがとう。」
彼女は笑ってそう返したが、すぐに険しい顔つきになった。さっきのことを考えているような。
「とりあえず、部室に戻ろうか。」
「あ、そうだったね。」
険しかった表情は消え去り、玲は何事も無かったかのように笑っていた。彼女が教室から出ていき、その後に宏が去っていくと教室の中には静けさだけが残った。
二人が部室に戻ると、拓真が玲に話しかけてきた。僕は二人から、少し離れた。
「最近、宏と玲って仲良いよな。」
「だって、友達じゃん。」
玲の言葉を聞いた宏は、自分の胸が痛むのを感じていた。それを誤魔化すために、ヘットフォンをした。
「それにしては、仲が良過ぎるんじゃないのか。」
「そうかな。」
「もしかして、宏のことが好きなのか。」
拓真は自分の言葉を聞いた玲が、紅潮していくのを見て図星だと思った。
「ち、違うよ。そんなんじゃないよ。」
必死で否定する姿は、拓真の考えを確信に変えた。。彼は小声で玲にそっとささやいた。
「宏は玲が思っているよりも、不思議な人だから難しいよ。がんばってね。応援してるから。」
笑いながら離れていく拓真に、玲は「だから、違うよ。」って叫んだ。その声は部室内に響いて、視線を集めた。注目されるのが苦手な玲は、恥ずかしさあまり部室から逃走した。
「宏、追いかけろ。玲は、四階の階段に向かったはずだ。」
「何で分かるんだ、結城。」
「昔から何かあると、階段の人が来ない所で丸くなっていた。」
「わかった。行ってくるよ。」
「頼んだぞ。」
走り去っていく宏の背中を見送り、残った二人は互いを見ると笑った。
「二人は、幸せ者だな。拓真。」
「そうだな。互いに相思相愛のようだし。」
二人の会話と笑い声が、部室にこだましていた。
その頃の玲は結城の予想通り、人のいない四階の階段で膝を抱えていた。
「拓真のバカ。違うのに。」
通路に彼女の発した言葉が反響する。
「何が違うの。」
突然の問いかけに驚いた玲は、後ろに飛び退いた。顔を上げるとそこには、宏が不思議そうな顔をして立っていた。
「驚かさないでよ、宏。」
「ごめん。」
玲は不機嫌になってしまったようだ。
「とりあえず、行こうか。」
玲は小さく頷き、僕が差し出した手を握った。
「ありがとう。」
二人は並んで戻ったが、以前よりも確実に互いの距離は縮まっていた。
「今日は早く、帰ったほうが良いんじゃないのか。」
「そうだったね。荷物を取りに行ってから、帰ろうか。」
「そうだな。」
扉を開けて中に入り自分達の荷物を取って、部室に残っていた二人に別れを告げ帰路に着いた。だがいまだにどこに向かうのかは、知らされていない。目的地に着くまで二人は無言で過ごしたが、不思議と気まずくはなかった。マンションの一室に着くと、玲がドアの鍵を外して中に入った。僕も続いて中に入っていくと、生活空間というよりも仕事部屋という印象を受けた。後ろでドアが閉まる音がして、振り向くと先に入ったはずの玲がいた。
「ここは、私の家。と言っても、仕事場だけど。いつもは、実家にいるの。」
彼女が僕の前を通り過ぎて、窓へと近づいた。心地いい風が入ってきて、玲の長い髪を揺らした。との姿に少しどきっとしてしまい、目をそらした。
「さてと、仕事を始めようかな。宏、手伝ってくれないかな。」
呼ばれて振り返ると玲の顔が近くにあり、自分の顔が紅潮するのが分かった。
「どうしたの、熱でもあるの。」
僕のおでこに玲のひんやりとした手をあてて、さらには彼女の額をつけてきた。宏はますます紅くなり、身体まで熱くなっていた。
「やっぱり、熱いね。今日は帰ってもいいよ。来てもらったのに、ごめんね。」
「熱じゃないから、大丈夫だよ。心配しなくても平気だから。」
「そう。ならいいけど。」
少し妙だと言うようにして、玲はパソコンの電源を点けた。パソコンの起動には、少しばかり時間がいるようだ。
「飲み物、何がいい。」
「ありがとう。じゃあ、コーヒーをお願いします。」
玲は笑みを返して、台所に向かった。
「インスタントで、ゴメンね。」
「いや、大丈夫だよ。」
彼女の表情は見えないため、考えていることが読み取れない。玲は澄み渡る湖様な人だが、心の奥深い所までは、のぞけないような人だ。
「おまたせ。どうぞ、宏。」
「ありがとう。」
宏はそれを笑顔で受け取り、飲み始めた。玲も一緒に、飲んでいた。
「パソコンも点いたし、あの写真の謎でも解くかな。」
「僕に何か、手伝えることはある。」
「そうだな。送信されてきた絵は、クロード・モネの『積みわら、霜の朝』っていう作品なの。だから、彼の作品の画像を集めて欲しいの。」
「わかった。」
携帯を開こうとしたとき、玲が言った。
「このパソコンを使った。携帯だと大変でしょう。」
彼女が指差したのは一台のノートパソコン。こんなものを使っていいのだろうか。
「使っても、大丈夫だよ。」
「ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えて。」
僕はすでに点いているパソコンに向かい、インターネットを開いた。そしてモネに関する資料を集めた。
「調子はどう。」
「順調だよ。玲の方は。」
「まあまま。」
玲の方を見ると、二枚の画像を比較しているところだった。彼女が言った通り、絵は二枚ともクロード・モネの作品だった。つまりは、二枚のうちぢちらかが贋作だ。
「これは。」
「ええ。どちらかが贋作よ。しかも高度な。」
素人にはまず、どちらが本物なのか分からない。玲はその二枚を見極めていた。
「わかりそうかい。」
「左が偽物。右が本物。」
「どうして。」
「宏が集めた画像と、右の画像のタッチは似ている。だけど左は似せているけど、若干違う箇所がある。」
凄い。こんな短時間で、不自然な箇所を見抜くなんて。
「さてと、返答しないと。」
玲は携帯を開き、依頼者に返信した。すると待っていたかのように、返事が来た。メールを見ていた彼女の顔が、みるみるうちに青ざめていった。
「どうした、玲。」
彼女の携帯を覗き込み、書かれていた言葉を見て寒気がした。
「ご名答。」
彼女は急いで返信をしたが、エラーになるだけだった。
「姿無き犯罪者。」
「何それ。」
「ネット上で密かに噂されているの。まさかとは思っていたけど、油断した。」
苦虫を潰すような複雑な表情で、パソコンの前に座っていた。机の上にある時計を見て、何かを思い出したように携帯を開き、どこかに電話をかけはじめた。
「もしもし、お母さん。今日は、こっちに泊まるから。うん、大丈夫だよ。仕事が忙しくてね。わかった、お母さんもね。またね。」
通話が終了したようで、玲は携帯を閉じた。
「今日は帰らないの。」
「うん。調べたいことが、山程あるから。」
「そっか。」
わかりきっていた答えなのに、次の言葉が見つからない。
「よかったら、夕食を食べていかない。」
「いいの。」
「うん。食材を買いに行かないとだけど。」
「一緒に行くよ。」
「ありがとう。」
僕達は近くのスーパーに食材を買いに行った。買い物を済ませて、玲の家に帰る途中で図書館に寄った。
「すぐに帰ってくるから。」
「わかった。」
そして玲は、図書館の中に消えて行った。大人びて見える彼女でも、中身はごく普通の少女だ。宏は改めてそう感じていた。
十分程経った頃、玲が本を抱えて戻ってきた。
「おまたせ。行こうか。」
「そうだね。それは。」
僕は彼女の抱えていた、三冊の本を指差しながら聞いた。
「これは、七つの大罪に関する本なの。」
本をバックの中に入れながら、彼女はそう答えた。
「でも、必要なの。」
「なんとなく、これから必要になると思う。だから、覚えておきたくて。」
他愛もない会話をしながら、マンションまであと五分という所で問題が起きた。雲一つ無かった空が一変して、土砂降りの雨になってしまった。僕は玲の手を引いて、マンションまで走った。マンションにつく頃には、二人ともずぶ濡れになっていた。
「大雨になったね。大丈夫、宏。」
「なんとか。」
「そのままだと風邪引くから、シャワー浴びてきな。」
「でも、服が。」
「いいから。」
背中を押されて、脱衣所に入れられた。
「また後でね。」
扉を閉めると中から、宏の声が聞こえてきた。さて、私はこれからどうしようか。
「とりあえず、ブレザーを脱ごう。」
玲はブレザーを脱いでハンバーにかけてから、宏のために着替えを探し始めた。
「えっと。これとこれと。あと、これも。とりあえず、こんな感じかな。」
玲は着替えを持って、脱衣所に入った。それを置いて、宏の制服を持って出た。
「今、玲が入ってきたような。」
宏は浴室の中で、そう呟いた。
「そろそろ出よう。」
シャワーを止めて浴室を出た宏は、制服がないことに気づき、その代わりにシャツとズボンなどと玲からのメモが置いてあった。
「使ってください。」
ふと笑って、ドアを見た。向こう側には、玲がいる。
「玲らしいな。」
僕は玲が持ってきてくれた服に着替え、彼女が待っているリビングに戻った。
「夕食が出来たから、食べようか。」
「そうだな。」
玲が作った食事をテーブルに並べ、向かい合う形で座って食べた。
夕食の片づけをしてから宏はソファーに座り、玲はシャワーを浴びに行った、座って待っているうちに、ウトウトしていた。
「待たせてごめん。あれ、宏。」
底には、ソファーでぐっすりと眠っている宏がいた。玲は寝ている宏に毛布をかけた。
「さてと私は、借りてきた本を読もう。」
彼女はバックの中から本を取り出し、パソコンの前の椅子に座って、眼鏡をかけてから本を読みはじめた。
「やっぱり、直接的には書いていないな。」
玲はネットを聞いて、七つの大罪について調べた。傲慢や嫉妬など、知っていることが大罪になっていた。
パソコンで検索したり読書に没頭していたら、気づくと深夜二時を回っていた。
「あれ、もうこんな時間。宏は、もう帰れないよね。仕方ないから、寝かせておこう。」
宏を見ていた玲は、パソコンに向き直り再び情報集めに戻った。
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