水の国の王は転生者
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第五十七話 新大陸を目指して
ベルギカ号の船酔い騒ぎは、エレオノールの名案で一先ず解決した。
とはいえ、普通のメイジは、マクシミリアンの様に精神力が無限に続く訳ではない為、一日に数時間ほど風石を消費してベルギカ号を浮遊させるようにした。
石炭は、錬金で作成できるが、風石は錬金できず補給が効かない。
その為、『なるべく風石を無駄に消費しないように』と艦長のド・ローテルは頭を悩ませた。
船酔い騒ぎから数日が過ぎ、洋上を進むベルギカ号。
ドゥカーバンクの戦い以来、襲撃者の影は無く、日は西に沈み夜が来ようとしていた。
幸い天候も良く波もそれほど高く無い為、今夜は快適な安眠が出来そうだった。
マクシミリアンは、カトレアのマフラーを首に巻き学者達の研究の発表会の見物していた。
「で、ありまして、トリステイン国内における渡り鳥の生態は……」
「……ふぁ」
動物学者の発表を、マクシミリアンは欠伸を噛み殺して聴いた。
学者の話はつまらなくは無いのだが、船酔いの影響で夜も眠れず寝不足続きだった。
眠そうにしているのはマクシミリアンだけではなく、船を漕いでいる学者もチラホラ見受けられた。
発表会も滞りなく終わり、次に学者達と夕食をとる。
献立は、乾燥パスタを海水で煮ただけの塩パスタにメインの羊肉のシーセージ、各種缶詰にザワークラフト(キャベツの酢漬け)だった。
「う~ん」
まくまくと眠そうに夕食を食べていると、後ろに控えていたセバスチャンが心配そうに話しかけてきた。
「殿下、お疲れのようでしたら早めにお休みになられては?」
「そうさせて貰おうかな。ありがとうセバスチャン」
セバスチャンの進めに従って、マクシミリアンは自室に戻りベッドに横になった。
腹も満たされたマクシミリアンは、折からの寝不足で段々とまぶたが重くなり、そのまま寝付いてしまった。
……
マクシミリアンが、窓から差し込む月明かりで目を覚ますと既に深夜、それも明け方近いのか東の水平線の向こう側が明るかった。
「ふ、風呂に入らないと」
潔癖のマクシミリアンは、毎日の入浴を欠かさない。
ベッドから這い出ると、半分眠っている様な足取りでフラフラと部屋を出て風呂場へ向かった。
ベルギカ号の風呂場は、大人が三人同時に入れるほどの大きさで、お湯は火メイジが水からお湯に変えるか、機関室のボイラーを流用してお湯を調達する方式だった。
「ふぁぁ……」
欠伸をしながら薄暗い廊下を進む。
風呂場に到着すると先客が居るらしく灯りが点いていた。
☆ ☆ ☆
この日のアニエスの仕事は、遅番のシフトだった。
仕事と言っても、やる事は歩哨ぐらいで、退屈に感じながらも明け方には仕事が終わった。
エレオノールら同居人達は、当然ながら寝付いていてアニエスも寝てしまっても良かったが、寝る前に風呂に入りたかった。
(今日は、船酔いもそれ程酷くないし、ゆっくり寝られそうだ)
地獄の様な吐き気と苦しみから解放され、アニエスは上機嫌だった。
深夜という事もあって、風呂場には誰の姿も無くアニエスの貸し切り状態だった。
「……ふう」
湯船に肩まで浸かり一息ついたアニエス。
この瞬間が何よりの至福の瞬間だった。
アニエスは、両手で湯をすくって顔に浴びせると、そのまま湯船の中に潜った。これも貸切の特権だ。
この辺のところが、まだアニエスが14歳の少女たる所以だろう。
「……ぶくぶく」
風呂で遊んでいると、ドアが開いて何者かが入ってきた。
しかし、潜っていたアニエスは、これに気付かなかった。
ガチャリと、ドアを開けて入ってきたのはマクシミリアンだった!
全裸のマクシミリアンは、未だに『眠気まなこ』の状態だった。
「うぅーい」
マクシミリアンは、桶にお湯をすくって頭から被ると湯船に入った。その掛け声は、まるで何処かのおっさんだ。
(う、誰か入ってきた)
潜水していたアニエスは、誰かが湯船に入ってきた事にようやく気付いた。
(おかしいな、ちゃんと看板を掛けて置いた筈なのに)
看板とは、『女性入浴中』と書かれている看板で、この看板が掛けてある状態で、風呂場に侵入すると厳しい罰が課せられる……訳ではなく。拘束力の無い、ただの紳士協定だが……
……乗組員は紳士揃いなのか、今のところ罰を受けた者は居なかった。
チャプン……と、頭の上半分を湯船から出して隣を見ると、侵入者の正体はマクシミリアンである事に気付いた。
「ぶほっ!?」
アニエスは思わず噴き出してしまったが、頭の下半分は湯船に浸かっていたお陰で大きな音は出なかった。
「♪~」
幸い、マクシミリアンは、歌を歌っていて気付いていない。
ちなみに曲名は、土曜夜八時に全員集合する番組のED曲だ。
アニエスは、気付かれないようにマクシミリアンから遠ざかった。
アニエスとマクシミリアンとの間には、大人一人分の微妙空間が出来た。
「むふー」
「……」
……どれくらい時間が経っただろう。
マクシミリアンの独唱会に、アニエスは辟易していい加減に風呂から上がりたかったが、そんな事をしたらマクシミリアンに裸を見られてしまう。
年頃のアニエスにとって耐えられない事だった。
ちなみに、マクシミリアンの歌は金が取れるほど上手い。
(……早く出てってくれないかなぁ)
と、アニエスが始祖ブリミルに願おうかと思っていると……
「はっ!?」
マクシミリアンが、ビクッと震えると辺りを見渡した。どうやら正気に戻ったらしい。
必然というべきか当然というべきか、隣のアニエスに気が付いてしまった。
「……」
「……」
「……」
「……」
目と目が合い、二人は無言のまま固まった。
「……ごめん」
「……き」
「き?」
「きいいいぃぃぃやあああぁぁぁぁーーーーっ!!」
湯船からの立ち上がりざまの右ハイキックが、マクシミリアンの左のテンプル(側頭部)を綺麗に捉えた。
マクシミリアンは意識を刈り取られる直前に、各部が良く実ったカトレアとは別種の健康的なアニエスの裸体をハッキリと見た。
呻き声を上げさせず、一発KOされたマクシミリアン。
一方のアニエスは、白目をむいて倒れているマクシミリアンを見て正気に戻った。
「だ、大丈夫!?」
「きゅう……」
慌てて近づくと、マクシミリアンは完全にノビていた
王子を蹴り倒すなど、如何なる理由があろうとも許されるはずは無い。
「て、手討ちにされるかも……!」
自分が仕出かした事に恐怖を覚え、アニエスはマクシミリアンを解放しようとすると、背中のドアの先、脱衣所から殺気を感じ取った。
「はっ!?」
ドアがギギギと開くと、そこには執事のセバスチャンが立っていた。
「あうあう……」
「……」
ゴゴゴゴゴゴゴゴ
劇画調のセバスチャンの迫力に、アニエスは金縛りに掛かったように身動き一つ出来なくなった。
その時、アニエスの脳裏にコマンド隊隊長ド・ラ・レイの言葉が浮かび上がった。
以前、国内で誰が一番銃火器の扱いが上手いか……という内容で場が盛り上がった時にド・ラ・レイが語った内容だ。
ド・ラ・レイ曰く。
『マクシミリアン王太子殿下御付の執事、セバスチャン殿がトリステイン一の達人だ。コマンド隊の精鋭が数人掛りでも逆に制圧されるだろう』
と語った。
元メイジ殺しのセバスチャンが、殺気を迸らせアニエスの目を見据えた。
「……あの、これは」
「……」
セバスチャンは恐怖にすくむアニエスを無視して、倒れたマクシミリアンを抱きかかえると風呂場から出ようとした。
「ミラン様」
そして、出てゆく際にセバスチャンが言った。
「は、はい!」
「ミラン様、このたびの一件、主君に成り代わって謝罪させていただきます」
「へ? あ、いえ、手討ちにされても文句は言えませんので……」
「寝惚けていたとはいえ、ミラン様が入浴中にも関わらずに、風呂場に乱入した殿下に非がございます。この一件はお互いの為に『なかったこと』にいたしましょう……如何ですかな?」
有無を言わせない迫力に、アニエスは自動的に首を縦に振った。
「はい、そうですね……」
「大変、嬉しく思います。では失礼いたします」
言質を取ったセバスチャンは、最後にニッコリと笑うとマクシミリアンを抱えて風呂場を出て行った。
(た、助かった……)
セバスチャン達が脱衣所を出て行くのを確認すると、湯船から上がり床に両膝をついてへたり込んだ。
☆ ☆ ☆
数日が経ち、マクシミリアンとアニエスとの間には微妙な空気が流れていたが、ベルギカ号は興奮の坩堝と化していた。
「陸だあぁぁーーー!」
「本当に陸があった! 新大陸だ!」
ベルギカ号の進行上には、緑色の陸地が見えていた。
その光景を指差しながら、水兵達はお互い抱き合いその喜びを分かち合っていた。
「新大陸発見おめでとう艦長」
「こちらこそ、おめでとうございます殿下」
艦橋ではマクシミリアンとド・ローテルが握手をしていた。
「上陸の準備をさせますが宜しいでしょうか?」
「あ、上陸前に検疫を済ませたいので、ちょっと待って欲しい」
「御意」
「手が空いた乗組員を随時、僕の部屋に尋ねさせる様に手配をお願いします。艦長を含め全員を、ね」
「畏まりました」
ド・ローテルは恭しく一礼した。
急遽、マクシミリアンの部屋で執り行われる事になった検疫に、乗員達は高ぶった心に腰を折られる形となったが、声に出すわけにはいかない。
手が空いた者がマクシミリアンの部屋の前に列を成し、何時終わるか分からない検疫にヤキモキしていた。
「あの~、失礼いたします」
水兵が一人、マクシミリアンの部屋を尋ねた。
「よく着てくれた。検疫および予防接種は、十秒と掛からない。椅子に座って楽にしていてくれ」
マクシミリアンは、水兵に椅子に座るように促した。
「分かりました」
「イル・ウォータル……」
早速、水兵が椅子に座ると、マクシミリアンは秘薬の瓶の蓋を開け、スペルを唱え杖を振るった。
すると椅子に座った水兵の周りに、光の粒が煌めき舞った。
「うわあっ?」
「大丈夫だ、心配しないでくれ」
やがて光の粒は消えてなくなった。
「はい、終わり。下がっていいよ」
「もう終わりですか? あ、いえ、失礼しました」
夢でも見たような気持ちで水兵は去っていった。
「はい、次の人~」
「失礼します」
次に部屋に入ってきたのはアニエスだった。
未だにアニエスはマクシミリアンと目を合わせようとしなかった。
「よく来た。そこの椅子に座って楽にしていてくれ」
「……はい」
アニエスは言われたとおりに椅子に座り大人しくしている。
マクシミリアンは、さっきと同じように秘薬を持ち杖を振るった。
「イル・ウォータル……」
「……」
「所でアニエス」
「……」
「先日は、その……ごめん」
マクシミリアンは素直に謝った。
「いえ、正直な所、私も迂闊でした」
「よかった、嫌われたかと思ったよ」
「……ですが、以前の事は『なかったこと』となっています。殿下もみだりに口に出さないよう、お願いいたします」
「うん、分かった」
この会話中にも、アニエスの周りには光の粒が光っては弾けた。
「さて、終わった」
「ありがとうございました」
「ああ、アニエス」
アニエスが立ち上がろうとした所を呼び止めた。
「お互い、キツイ船旅だったが、上陸してからが本番だ」
「このアニエス・ド・ミラン。粉骨砕身、殿下のお力になる事をここに誓います」
椅子から立ち上がったアニエスは片膝を付き、頭をマクシミリアンに垂れた。
「うむ、期待している」
芝居がかったアニエスの姿にマクシミリアンは、主君が騎士の叙任にするように杖をアニエスの肩に触れた。
なんとなく、お互い余所余所しい雰囲気だったが、こういった芝居じみた事で仲直りできればめっけものだと、マクシミリアンは思った。
「後で発表しようと思っている事だが、新大陸探索に大いに奉献できれば、身分を問わず『シュヴァリエ』への叙任を考えている。この好機を上手く役立ててくれ」
「御意」
「うん、下がってよい」
アニエスは一礼し部屋を出て行った。
身分の違いを鑑みずにした結果、内乱を起こしてしまった事はマクシミリアンの苦い経験の一つだ。
しかし、王国に多大なる貢献を与えることが出来れば、平民であろうと重用しようと決めていた。
乗組員全員の検疫および予防接種は終了し、いよいよ上陸を前にマクシミリアンは薫陶を与えた。
一つ。
『未知の土地である事から、常に用心に用心を重ねる事』
一つ。
『我ら以外に味方は居ないと思い、味方同士の連携を重視し、抜け駆けは控える事』
一つ。
『原住民と接触した場合は、即座に司令部に連絡し、原住民に対する粗暴な振る舞いを控えて、一人一人が王国の代表である事を自覚する事』
最後に
『以上、三つの薫陶を胸にし、探索に大いに貢献した者を、身分を問わず『シュヴァリエ』に叙任させる』
……薫陶を言い終わったマクシミリアン。
最後の『シュヴァリエへの叙任』に水兵や学者らは大いに奮い立った。
ベルギカ号は大陸へ近づき、いよいよ、前人未到の土地に足を踏み入れるときが来た。
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