ソードアート・オンライン クリスマス・ウェイ
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湖の夜(2)
釣りスキルなし、餌適当、積極的なアクション皆無という、確立ブーストの「か」の字もしていない俺に捨てられるところだった釣竿がプライドを発露させたとしか思えない奇跡だった。
奇跡――ちなみMMORPGの低確率現象をさす言葉に「まれによくある」という言葉がよくつかわれる。しかし今回、俺が呼び込んでしまった現象はそれすら通り越した「まれにあったり、なかったり」くらいの確率であったことが、のちの検証で明らかになる。
ようするに普段ちっとも機能しない、スーパーリアルラックを発揮した俺はイベントボス《湖の主》をひっかけてしまったのだ。
「……」
「……」
俺とアスナは氷穴から飛び出てきた全高二メートルはありそうな巨大魚を、ぽかーんと見つめて立ち尽くしていた。
古代魚然とした胴体とそこから伸びてぬめり輝くトカゲの六本足。見覚えがある。これはまさしく《湖の主》だ。
ニシダ氏一人では腕力不足でつり上げられなかった湖の主は、明確な腕力パラメータの無くなったALOではヒットイコールエンカウントになったようだ。ようするに俺がつり上げる意思をもっていなくても「勝手に飛び出てきくれるありがたーい仕様」に変更されたようだ。そういえば釣竿や餌のグラフィックも以前ニシダ氏が使っていたものとは違っていた気がする。そういう細かいところには気が回るくせに、肝心の空気は読んでくれない《カーディナル・システム》に恨みごとの一つも言いたくなった。
ぜ、ぜんぜんありがたくない!
湖の主は氷の銀盆の上をびたん、びたん、這いまわり、やがてのっそりと身を起して俺たちに顔をむけた。
「き、キリトくん――」
感情の爆発寸前の声音でとなりのアスナが叫ぶ。すこし涙まじりなのは逢瀬の機会を惜しんでのことだと思われるので、悪い気はしない。
「本当にもう……変なところで運がいいんだから! やるんだったらキリトくん一人でやって!」
「ええ、はい……まじすみません……ご立腹ごもっともだし、俺も正直なんでこんなときにと思うけど、あれ……どうもアスナのほうにヘイトが向いてるっぽいよ……?」
「え?」
アスナが二足歩行する魚類をみつめる。
魚類はいまにも飛びかかってきそうな気配を全身にみなぎらせていた。その視線はアスナに向けられている。これは絶対に気のせいなのだが、ぎょろっ、とした扁平な瞳に前世の恨みを浮かべている、様な気がした。
おそらくは、水上や水辺の戦闘で有利な支援を多数持つ、ウンディーネを警戒しての特殊ヘイト加算なのだろうが、あんまりにもタイミングがいいというか、なんというか。繋いでいる手からアスナの動揺がつたわってくる。
「……口の中が弱点ぽいから、もう一度内側からやってみる?」
ぶんぶん首を振るうアスナ。
「いやよ! あの口のなか、ぬめぬめするんだもん……二度とゴメンよ! それともなに? キリトくんはわたしが『食べられ』ちゃうところを見てみたかったりするのかしら?」
耐寒バフを即時貫通する、極寒の声音でアスナが言った。ぶんぶん首をふる。
「け、けどこれはもう……戦うしかないか。一度っきりちのクエストっぽいもんな、これ。もったいないし」
「……今日はこれからゆっくりしようと思ったのに」
俺は傍らにおいていた片手剣を鞘から引っこ抜く。ほとんど同じタイミングでアスナも装備フィギュアをいじりまわし、愛剣を装備した。いつもは誰かしら仲間と一緒にクエストやモブ狩りを行うから、こうして二人きりでクエストに挑むのは、実にひさしぶりだ。
「まあ、こんなクリスマスも、らしくていいんじゃないか? 古今東西、MMORPGプレイヤーにクリスマスなんてないんだぜ? クリスマス限定のボスを倒して、ドロップ品をかっさらうことこそ醍醐味ってもので……」
「……そうだね。もったいないし……」
「やりますか」
しゃりん、と冷気を切り裂くような鞘鳴りをさせて、アスナが細剣を引き抜いた。
心底頼もしく思いつつ、俺は最後にもう一度だけ、湖をみた。
二足歩行の魚型イベントボスが乗っている氷が、月に照らされて青白く輝いている。
旧アインクラッド、最後の思い出を思い返しながらアスナと仲間達と一緒にいられる奇跡を噛みしめながら、背中を守ってくれる存在に心から感謝した。
新婚生活最後の思い出をくれたイベントボスを再び倒して、また新しい時間をはじめよう。
「――くるよ!」
「おうっ!」
アスナの涼やかな声に応え、俺はつっこんでくる湖の主に向かってソードスキルを叩きつけた。
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