彼願白書
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逆さ磔の悪魔
オーディエンス・サイド
前書き
リハビリがてらに一年ぶりくらいの文章です。だから壬生森と熊野だけに、キャラを絞りました。
「ブルネイ鎮守府の生放送ですか?もちろん今、放送している内容は把握してますよ?で、私に電話をした理由は?」
尖閣諸島魚釣島ニライカナイ泊地、その執務室。
スクリーンには現在、映している動画サイトの生放送。
そのアカウントはブルネイ鎮守府の青葉が管理しているブルネイ鎮守府公式のものだ。
なかなか見るに耐えないボコボコぶりに、このままだとリバースド・ナインに撃ち込みそびれたトライデントⅢをブルネイに撃ち込みかねないな、と壬生森が笑い話にしていたところでの電話である。
「私は、私の関与しているリバースド・ナインに関する報告を既にそちらに全て上げていますし、ブルネイ鎮守府はそもそもが独立独歩の運営方針。外交問題に関して言うならそれこそ私は管轄外。外務省が自前で事前に察知すべき内容でしょう」
壬生森は珍しく不機嫌を顕にしていた。
面白いゲームの前に宿題をやらされている子供みたいな安直な不機嫌さに、テーブルを挟んだ向い側にいる熊野はくすりと笑ってしまう。
「もしも止めにかかるとしたら、最悪の事態は想定すべきでしょうね。中央集権するには、我々の広げた店は広く、そして広げた先の店を大きくし過ぎた。少なくとも大使館が機能不全を起こして海軍にその機能を持っていかれた時点で既に負けでした。内務省による中央集権プランは外務省の機能を海軍に持っていかれた時点で破綻していたんですよ。どうしますか?今から南に十字軍でも出しますか?どこの戦力から出しますか?内地の海軍をフルに回してもブルネイ落としは困難という言葉すら甘い見込みと言える状況です。それに内地の海軍にしたらブルネイの存在は利のほうが圧倒的に大きい。その状態でどの戦力を使ってブルネイを落としますか?米軍に処分予定が迫ったトライデントの実弾演習でもさせますか?で、めでたくブルネイを更地にしたとして、そのあとの南方の防衛線はどう維持しますか?それともブルネイのビッグパパの首を跳ねますか?それで、次の提督を置くとして、やはり戦力は維持出来ますまい。あそこにいるのは、悪く言えばかの大将の私兵。必要とあらば内務省の喉笛だって咬み千切るだろう狂犬の集団だ。そんなのとやり合いたい者もおりますまい。だったら今のまま事実上の独立独歩を維持させ、破綻を待つ消極的なプランしかないでしょう」
電話口の相手を速やかに黙らせようと、捲し立てる壬生森を余所に、熊野は手元のタブレットで届いたメールを開く。
サクラサク、とだけ送られたメールの送信者は自身はあまり接点がないものの、壬生森とは浅からぬ腐れ縁の武器商人の女。
自分の姿が変わらないからこそ、あの才女がいまや女傑と呼べるほどになっていることに月日を感じる。
この鎮守府はいつまでも時間が止まっているままなのだ。
提督の姿も変わらない、周りの艦娘の姿も変わらない、このオフィスもあまり変わらない。
外部の変化でしか、月日の流れを感じられないのだ。
絶海の孤島にある閉じた砂箱のような鎮守府。
この鎮守府の性質上、新参はめったに現れないし、なんなら別れのほうが多いのだ。
北上と大井は内地の教導に、六駆は散り散りに派遣された。
もっとも、それが今生の別れになるような者達でもないのだが。
神風と春風の姉妹が新しく入ったのが、本当に珍しいくらいで、普段は新参なんかまず来ないのだ。
目の前にいる提督はこの鎮守府を大きくしたりするつもりはないし、出来ない以上は欠員補充くらいでしか新参を増やすつもりはないだろう。
新参が増える、ということはそれだけ私達が欠けるということだ。
いや、この男はきっとそんなことをしないだろう。
私達がある程度欠けたら、この鎮守府から身を引いて私達を退役させるなり他の教導に回すなりすると思う。
彼が今も提督でいるのは、私達というイレギュラーを抱え込むためだけなのだから。
そして、そのわがままを彼に強いたのは、紛れもなく私達なのだ。
そこまで考えたところで、彼は電話を置いた。
スクリーンのほうでは、ビッグパパがプレジデントを引き出したところだ。
「アヤコの種蒔きは上手くいったらしい。欧州のほうが名乗り出れば、アメリカも本腰で名乗り出るしかないだろうさ。ましてや企業を通しての参加ではなく、ホワイトハウス直々に出られる状態だ。まぁ、これでまた一歩、あの大統領は弾劾訴追に近付いたわけだが……」
「で、このままブルネイのいいようにさせておくのかしら?」
「私は別にそこはどうだっていいよ。個人的には海の底で静かに眠らせておくべきだったと思うけどね。羅生門の老婆じゃあるまいに、死体を漁って金を得ようとは思わないさ」
「確かに、冒涜的ですわね」
「そこに関しては語り尽くしたさ。あの死体にはもう魂がない。そのことは叢雲が槍を撃ち込んだ時点で確定している。むしろ死体が残ったことすら奇跡だ。本当に深海由来の天然物ならチリも残らないだろうからね」
「所詮は人の作った工業品でしかない、と」
「そういうこと。もちろんちゃんとお祓いはしておけ、と言っておいたけどね」
「貴方の口から聞くと、冗談にしか聞こえないですわ」
「ごもっとも。さて、それを踏まえてだ。永田町は当然、いい顔をしないだろうね。鎮守府の私物化ではないか?やはり軍閥化は既定路線だったのではないか?ブルネイひいては鎮守府や海軍を見る目は厳しくなる」
「鎮守府というシステムが揺らぐ可能性もありますわ」
壬生森はテーブルの上から缶箱を取り、中の飴をひとつ出す。
飴を出す時に揺さぶられる缶箱がまるで、かの鎮守府のように見えた。
「この缶箱と同じだ。中からちゃんと利益が出てくるならそれでいいんだよ。理由ならあとでいくらでも付けられる」
「オークションの利益を横取りする算段でも?」
「もともと裏ルートでアメリカから口止め料を取る算段で内務省が動いていたのを先に御破算にしたわけだ。向こう50年は金の卵を産む鶏をこんな形でシメられちゃあ、内務省としちゃあ面白くないだろうね。内務省がここから溜飲を下げるにはどこに矛を向けるかは……明らかだね」
「海軍……」
「そう。海軍には間違いなく横槍を入れるだろうね。今回のリバースド・ナインで出た海軍の被害は各鎮守府が各々で自己補填するのだろう?だったら国から出す予算はない。自分で賄え、とね。海軍としては大弱りだ。なにしろ被害はブルネイ以外も負っているし、ブルネイみたいに独立独歩出来ている鎮守府ばかりでもない。むしろブルネイのほうがレアケースと見るべきだろう。かといって財務省越しに内務省とやり合えば、今度は軍閥化の嫌疑を旗印に鎮守府システムそのものにメスを刺されかねない。となると、海軍としてはブルネイに泥を被せるしかなくなる」
「逆にブルネイは海軍と鎮守府システムを人質にされた状態で何かしら要求される、と?」
「それに気付けば粛々と受け入れるしかないね。なにしろ、拒否すれば海軍の立場が危うい。内務省は待ってましたとばかりに海軍を締め上げに行くだろうね。それをわかっていて反発するなら、大したものだけど」
「提督はそれでもいいとお思いですの?」
「面白いことにはなりそうな展開だけど、実際に起きられたら困る展開だね。仮にも身内で喧嘩してられる状況ではないのだし。海軍が泥を被るところで手打ちだろう。海軍内のゴタゴタがどうなるかまでは知らないが」
「海軍としても完全に出し抜かれた形ですからね。ブルネイへの制裁もあるのではないかと」
「ないわけがない。それなりにきついペナルティはあるだろうね」
口に放り込んだ飴玉を転がしながら、壬生森は淡々と答える。
ふと、思ったことを熊野は壬生森にぶつけることにした。
「内務省がここを標的にした時、提督はどうなさいますか?」
「ここにまだ君達がいるというのなら、政治の場で戦うよ。君達の居場所はまだ、ここなのだろう?」
彼は当たり前のように答える。
提督は、私達の本心をわかっていて、そんな答えを言うのだ。
私達の居場所は、ここじゃないというのに。
ここに残ることを選んだ私達が本当にいたい場所は、他ならぬ貴方のいる場所なのだと。
口には出来ない、してはいけない、認めてはいけない、暗黙で見過ごされるのが一番の優しさだと知っている。
だからこそ、この空間を今も共有出来ている。
私達は、この平穏を破れない。
今はまだ、それでいいと思う。
彼の気が変わるまでは、この針の上をふらふらと回る弥次郎兵衛のようなバランスの日常に微睡んでいたい。
そう、思ってしまっている自分がいる。
それはきっと、自分だけではないのだけれども。
「提督、貴方がお忘れになるとは思いませんが……私達の居場所は、貴方の居場所でもありますわ。少なくとも、私はそうであってほしいと思っています。どうか、それだけはお忘れにならないようにお願いしますわ。」
「……システムから逸脱した私兵を率いる悪の親玉になるのは勘弁願いたいところだね。そんなの、テロリストとなんら変わらない」
「貴方が十字架に架けられて火に焚べられるのを指を咥えて見ていられるほど、私は大人しくはありませんわ。それはここにいる者のほとんどが同じではないかと」
「私としてはそこが悩みの種なのだがね。艦娘というシステムは、組織的に扱うにはあまりにも個人に依存し過ぎる。事の運びを誤れば戦国時代、中世の戦乱の時代にまで逆戻りしかねない火種が多すぎる」
「そこまで私達は、信頼出来ませんか?」
「信頼、では人の世は確立しない。いつだって人の世は悲観と罰則で成り立ってきた。人が何かの存在を認めるには、罰則という担保が必要なんだ。その罰則を作るために信頼という共通幻想をでっち上げる。ではその罰則を執行するのは?というところで、相手が罰則を与えられない怪物であったとしたら?人はそんな怪物を許容出来ないんだ。だから人は怪物を倒す英雄をいつだって求める。そして、その英雄は怪物がいるから許される。怪物のいない英雄は、怪物と変わらないから十字架に架けて火に焚べるか、檻に入れて封じる。そうしなければ、人は安心出来ない。許容出来ない。それが、人という生き物なんだ」
「その怪物の檻が、ここであると……そう仰いますの?」
「君達が外で生きられるようになるまで、確保、収容、保護する。それがこの基地の本質だ。少なくとも私はそのつもりでここにいる。ただ、人から見ればここは隔離、閉鎖、遮断のための施設に見えるし、この箱を開く時は我々を必要とする時だけ。なんならこの箱に頼らずに済ませたい。そういう厄介の種だ。いつかは、ここも平穏ではいられなくなるだろう。その時を出来るだけ先伸ばしにして、留保して、やりすごして、それでもダメだった時に一番不幸が少ない結果に収める。それが私の一番の仕事だ。生涯のタスクと言ってもいい。」
「では、ひとつだけ、私達と約束してほしいことがありますわ」
熊野はソファーから立ち上がると、テーブルを回って壬生森の隣に座り直す。
真ん中より少しずれたところに座っている壬生森の、狭い右側のほうに入り込むように座ったあとに肩にそっと寄りかかり、腕を絡ませる。
「私達のために、私達から離れる。そういう選択肢だけは、絶対に選ばないでください。今は信じているから、このくらいの距離で我慢しますけれど、離れようとしたらこの腕の骨を砕くつもりでしがみつきますわ」
「……わかった。努力しよう」
絶対に約束出来ない、というだろう彼からこの言葉を引きずり出した。
熊野はそれだけでも一歩前進したと判断する。
今はこれでいいと思う。
ここから先のことは、まだまだこれから時間をかけていけばいい。
時間はまだまだいくらでもあると、いくらでも作れると信じている。
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