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Episode.「あなたの心を盗みに参ります」

作者:きよみみ
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本編
  本編9

 少しの沈黙が訪れた。
 
 緊張が走る空気の中、怪盗キッドは掴んでいた私の腕をそっと離した。そして、驚いたことに、いきなり声をあげて笑い出したのだった。私もアオイも驚いて、怪盗キッドの方に目を向ける。

「本当におもしろい方々だ」

 しばらく笑ったあと、彼はそう言って満足そうに微笑んだ。こちらに向き直ると、私に向かってニコリと笑いかける。

「盗んだ物の一つはお返しできましたが……もう一つは、お返しする必要がないようです」
「え……もう一つ?」

 なんのことだろうと首を傾げると、彼は頷いて言葉を続ける。

「私には、あなたの心は盗めなかったようですから」

 そう言っていたずらっぽく笑うと、彼はバルコニーの端の方に移動し、塀の上に飛び乗った。月明かりに照らされた背中は、自ら光を放つように輝いて見える。

 そのまま飛び降りるかと思いきや、彼は最後にアオイの方を振り返った。

「物分かりのいいフリをしているだけじゃ……大切なものは守れねーぜ? 王子様」

 そう言って不敵な笑みを浮かべた彼は、その瞬間、そこからパッと飛び降りてしまう。しばらくすると、煌々と輝く月の方向に白い翼が現れた。

 あまりに展開が早く進みすぎて、私たちはしばらくの間、二人して怪盗キッドが去っていく姿をぼけっと眺めていた。
 何が起きたのかよくわかっていない。

 少しして我に返った私は、すぐにアオイの方に駆け寄った。アオイはまだ輝く月を見つめながら、ポカンと突っ立っている。

「アオイ。大丈夫?」
「あ、ああ、うん……えっと、無事でよかった……?」

 アオイは何が何だかわかっていないらしく、自信なさげにそう言った。私にもよくわかっていないけど、アオイはもっと困惑しているようだった。

「アオイ、よく私たちに気づいたね。びっくりしちゃった」
「え、いや、俺は……っていうか、ツグミはなんでここに……」

 私が今日お見合いに行くことは、アオイにも言っていた。怪盗キッドのことがあったとしても、私が自分の家のバルコニーにいるというのは確かにおかしい。

「うーん……なんかよくわからないんだけど、ここに連れてこられちゃって。今日の朝ね、また予告状が来たの」

 私はバッグの中から予告状を取り出して、アオイに差し出す。アオイはその文章を読むと驚いたような顔をしていたが、なぜか少しして笑い出した。

「えっ、なに!? なんで笑ってるのっ?」

 ついていけない私は、慌ててそう尋ねる。これ以上置いてけぼりになるのは嫌だ。
 焦る私を見て、アオイは笑いながらごめんと謝ると、ポケットから何かを取り出した。

「さっき、俺宛に郵便が来たんだ。封筒の中にこれが入ってた」

 目の前に差し出されたものを見ると、それはお馴染みの、怪盗キッドの予告状だった。表面には短くこう書かれている。

『今宵 あなたの大切なものを 盗みに参ります 怪盗キッド』

「これって……」
「うん。どういうわけかわからないけど、怪盗キッドは俺に嘘の予告状を送ったらしい」

 その予告状は、私の持っているものと比べると、最後に添えられた怪盗の絵が、なんだか少し変だった。髪の毛が多い。

「本当だ〜。でも、なんでそんなことしたんだろうね?」
「わからないけど……確実なのは、俺の嘘を見抜いてたってことだな」
「え、どういうこと?」

 よくわからなくて首を傾げると、アオイは少し迷うように視線を下に落とした。でもすぐに顔を上げて、真剣な目を私に向ける。

「俺、この予告状を見て……すぐにツグミのことだって思ったんだ」
「……!」
「さっきも……焦って気持ち悪いこと言った、ごめん。でも、全部本心なんだ」

 アオイはそう言って、私に向かって微笑んだ。その顔は、なんだかすごく切なそうだ。

「っわ、私も! 私もアオイが大事だよ! 気持ち悪くなんか、なかったよ」
「……うん、ありがとう」

 私が気を遣って言っていると思ったのだろうか。アオイはなんだか悲しそうな、辛そうな顔で笑った。

 私はわかっていなかったようだ。アオイは、想像以上に鈍感なのかもしれない。というより、馬鹿みたいに自分に自信がないのだ。
 とにかくもっと直接的じゃないとダメだ。私がここで言わなきゃ、もう一生伝わらない。

 そう思った私は、諦めたように俯いてしまったアオイの肩をガッと掴んだ。

「アオイ!」
「おわっ、なに……」
「私、アオイのことが好き! 私と、お付き合いしてください!」
「え」

 アオイは目を見開いて私を見つめ、ポカンとして固まってしまった。その後、状況がやっと飲み込めたのか、顔を真っ赤にして目を泳がせ始めた。

「つ、ツグミ……それ本気で言ってる?」
「冗談でこんなこと言わない!」

 私は、アオイの肩をますます強く掴んで、唾を飛ばす勢いで叫んだ。アオイは面食らったように何度も瞬きをすると、額を抑えてゆっくりとしゃがみこんでしまった。

「あー、俺……最悪だ」
「え、あ、アオイ……?」
「ごめん、色々……ちょっと待って」

 よく見ると、耳が真っ赤なのがわかる。顔は隠してしまっているけど、たぶん真っ赤なままだろう。その上、なんだか悔しそうに唸っている。

「……あのさ。もしかして……最近ツグミが元気なかったのって、俺のせいか?」
「えっ! 私、元気なかった?」

 隠していたつもりだった私は、アオイが当たり前のように気づいていたことに驚いてしまった。アオイは頷いて立ち上がると、しっかりと私と目を合わせた。まだ少し顔が赤い。

「俺……ツグミの気持ち、勝手に決めつけてた。本当にごめん」
「え、えっと……」
「俺の気持ちは、ツグミには迷惑なものだと決めつけてたんだ。ごめん」
「……ううん。私もごめんね」

 私に頭を下げるアオイに、私は顔を上げるよう促した。アオイだけのせいじゃない。はっきり言わなかった私も悪い。

「俺も、ツグミが好きだ。ずっと……一緒にいてほしい」

 そう言ったアオイは、真っ直ぐに私の目を見つめていた。私の気持ちはもうわかっているはずなのに、ものすごく緊張しているようだった。
 私はニコリと微笑むと、持っていたネックレスをアオイの前に差し出す。

「これ、今日返してもらったの。つけてくれないかな」

 差し出されたものを見ると、アオイは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐにそれを受け取った。
 私はアオイに背中を向けて、付けるように促す。アオイは私の首にネックレスをあてがうと、素早くつけてくれた。

 つけ終わったことを確認して、アオイの方を振り返る。目が合うと、アオイは私を見て照れたようにはにかんだ。

「おそろいだな」

 その言葉を聞いて、私も釣られて微笑んだ。アオイの首元にも全く同じネックレスが光っている。
 ずっとつけていてくれてたんだと、今更ながらに気づいた。

 この二つのネックレスは、私にとって、二人を繋ぐ赤い糸のように思えた。


「あ、ツグミ。そういえばさ」
「なに?」

 バルコニーを出ようとしたとき、アオイがふと思い出したように口を開いた。なにか考え込むような表情のアオイに、私は不思議に思いつつ首を傾げる。

「怪盗キッドって……めちゃくちゃかっこいいよな?」
「そうだよね!?」

 怪盗キッドは、私の心は盗めなかったと言ったけど、そうではない。私の心と、そしてアオイの心までをも、しっかりと盗んでしまったのだった。
 
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