Episode.「あなたの心を盗みに参ります」
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本編
本編8
「さあ、着きましたよ」
「着いたって……ここ?」
そっと地面に降ろされて、私は周りを見渡した。目に入った景色に、私はポカンとしてしまう。
そこは、見慣れたバルコニーだった。間違いなく、私が住む家の三階にある大きなバルコニーだ。
えっと……これは、家に帰された?
「えっ、ど、どういうこと?」
困惑してそう尋ねると、彼はニコリと微笑んだ。その直後、焦ったような大きな声が、少し下から聞こえてくる。
「ツグミ!」
「え……アオイ?」
バルコニーから声のした方を覗くと、隣の家——つまりアオイの家の窓から、彼が顔をのぞかせているのが見えた。アオイの部屋の窓だ。なにやらすごく焦っているように見える。
「今行くから! どこにも行くなよ!」
「え、え? いや、待ってアオイ……」
叫ぶや否や、慌てたように部屋の中に引っ込んで行ったアオイに、私は当惑してしまっていた。こっちに来るのだろうか。
「——お嬢さん」
隣からした声に振り向くと、怪盗キッドは一週間前に盗んだであろうネックレスを、私の前に差し出していた。
「あなたの大事なものを盗んでしまったようで、申し訳ありませんでした」
眉を下げて謝る彼に、私は少し驚いた。なんとなく、受け取るのを躊躇ってしまう。
「……もう、いいの?」
「いいもなにも、これはあなたのものですから」
彼はそう言って私の手を取ると、ネックレスをそっと握らせた。返ってきたものを改めて見ると、一段と輝いているように見える。
「あの……どうしてこれを?」
ずっと気になっていた。このネックレスはどんなもので、なぜ盗まれたのか。
「この中に入っているのは、フィルルージュという名の宝石のカケラです」
「宝石の……カケラ?」
「はい。あなたのお祖母様も、なかなか大胆な方です」
そう言って苦笑する彼に、私は首を傾げた。
おばあちゃんのこと、知ってるのかな……?
「ツグミ!」
気になって質問を重ねようとしたとき、後ろから切羽詰まったような声が聞こえた。声がした方に目を向けると、息を切らしながらこちらを見据えるアオイの姿が見えた。
「あっ……アオイ」
「よかった、間に合った……っ」
アオイは肩で息をしながらも、ホッとしたような表情を見せた。
もしかして、彼は……私が連れ去られてしまうと思っているのだろうか。でも、私は怪盗キッドにここまで連れて来られたのだ。彼は「着いた」と言ったし、もうこれ以上どこかに連れて行かれることはないだろう。
そう考えて、私はアオイに駆け寄ろうとした。どうしてこんなに焦っているのかはわからないけど、とにかく私が心配をかけてしまっていることは間違いない。
でも、意外なことに、歩き出そうとした私の腕は、なぜか隣にいた怪盗キッドに掴まれてしまった。
「え……?」
驚いて彼の方を振り返ると、彼は私にニコリと微笑みかけた。困惑して彼を見つめても、なにを言うわけでもなく、ただ笑みを浮かべている。
「怪盗キッド!」
少し離れた場所にいるアオイは、こちらに向かって大きな声でそう叫んだ。状況についていけない私は、私の隣にいる怪盗キッドと、少し遠くでこちらを見つめるアオイとを、ただ交互に見続けることしかできない。
アオイは意気込むように大きく息を吸い込んだ。これからどうなるんだろう。喧嘩とか、にはならないよね……?
不安に感じて、どうしようかと頭をぐるぐるさせていると、アオイはいきなりバッと頭を下げた。
「頼む! 今回は手を引いてくれ!」
予想外で、少し驚いてしまった。私の不安は見当違いだったようである。
でも、アオイらしいやり方だと思った。アオイは、本当にやむを得ない状況にならない限り、自分から喧嘩をしに行く人ではない。
怪盗キッドはなにも言わず、ただ少し意外そうな表情でアオイを見ていた。その沈黙を、このままでは承諾してもらえないという風に取ったのか、アオイはまた口を開く。
「……ツグミは」
自分の名前が出てきたので、私はより一層耳を傾けた。なにを言われるんだろう。少し緊張しながら次の言葉を待つ。
アオイはゆっくりと顔を上げると、意を決したようにこちらを真っ直ぐに見つめた。
「ツグミは……可愛い!」
「は!?」
アオイの言葉に、私は思わず大きな声をあげてしまった。なんの冗談だ。
私ほどではないけれど、怪盗キッドもこれは予想外だったのか、少し驚いた顔をしていた。唖然としている私たちを置いて、アオイはあくまで真剣に、強い声で言葉を続ける。
「ツグミは可愛い。それに、綺麗で……笑顔が、まるで花みたいだ。誰にでも分け隔てなく優しい。一緒にいると、こっちまで優しくなれる」
アオイの口から溢れ出る褒め言葉に、私の顔はじわじわと熱くなってきた。すごく恥ずかしい。恥ずかしすぎて、なんだか居たたまれなくなってくる。
一方で、それでも私は、とてつもない嬉しさを感じていた。その声や様子から、アオイが言っていることは冗談なんかじゃないとわかった。
「彼女は、綺麗な宝石と同じくらい魅力的だ。お前が連れ去ろうとする理由もわかる。でも……俺にとっても、世界でたったひとつの宝石なんだ」
アオイはそう言って、真剣な眼差しでこちらを見つめた。といっても、私ではなく怪盗キッドの方だ。怪盗キッドに目を向けると、依然としてとても驚いた顔をしていた。
「だから、頼む。今回は、手を引いてくれ!」
再び深々と頭を下げたアオイは、少し震えているようだった。緊張が伝わってくる。対して私は、嬉しいのか恥ずかしいのか、なんだかよくわからないけど、心臓が激しく脈打って胸が潰れそうだった。
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