戦国異伝供書
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第六十六話 婚姻と元服その七
「近くて損である場合もあれば」
「遠くてでおじゃるな」
「その場合もあります、当家は何とかです」
「上洛出来るでおじゃるな」
「それが近いと言えまするが」
「これがでおじゃるな」
「関東や九州になりますと」
どうしてもというのだ。
「難しいです」
「左様でおじゃるな」
「遠い近いはその都度変わり」
「難しいものでおじゃるな」
「左様かと」
氏真にこうした話もした、そしてだった。
竹千代もまた元服となり義元から満面の笑顔で諱を授けられた、その諱はどういったものであったかというと。
「麿の字を一字取ってでおじゃる」
「殿のですか」
「左様、元康とでおじゃる」
この名でというのだ。
「名乗るといいでおじゃろう」
「松平元康ですか」
「そうでおじゃる」
「康は松平家の字で」
「そしてでおじゃる」
「元は殿のお名前」
「その二つの家を背負ってでおじゃる」
そうしてというのだ。
「これからは励むといいでおじゃる」
「それでは」
「さて、ではこれからのことは」
雪斎も元康に声をかけてきた、いつも以上に優しい目で。
「すぐに関口殿のな」
「はい、ご息女と」
「夫婦になってな」
「そうしてですな」
「今川家の政に入り」
「戦もですな」
「出てもらう、そなたには拙僧と共に先陣を頼むことが多いが」
ここで雪斎はこうも言った。
「くれぐれもな」
「無理は、ですか」
「うむ、せぬ様にな」
このことも言うのだった。
「決して」
「そのことはですな」
「左様、何があってもな」
このことはというのだ。
「命を粗末にするでない」
「戦の場で勇敢であっても」
「武士は死ぬもの、しかしな」
「命を粗末にすることは」
「決してあってはならぬ」
「だからですな」
「勇はあれども命を大事にせよ」
くれぐれもという言葉だった。
「よいな」
「それでは」
元康も素直に答えた、これは彼にとって大きな誓いであった。そうして元服の後ですぐにであった。
彼は実際に妻を迎えた、そうして築山と共に住む様になったが。
彼は自身の屋敷で築山にこんなことを言った。
「わしは果報者じゃ」
「それは何故でしょうか」
「よき主、よき師よき家臣達を持ち」
そうしてというのだ。
「よき妻を持っておるからな」
「だからですか」
「これ以上はないまでにじゃ」
まさにというのだ。
「果報者じゃ」
「そう言われますか」
「しかも助五郎殿というな」
「北条家の」
「うむ、あの方とも友であり」
さらに言うのだった。
「よき屋敷によき城も持っておる」
「岡崎に」
「しかも領地までよい」
その岡崎もというのだ。
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