魔法使いへ到る道
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4.歩くのはそんなに好きじゃない
抜けるような青空。ぽつぽつと浮かぶ積雲。五月晴れの気持ちのいいこの日、私立聖祥大附属小学校一年生はぞろぞろと行列を作って行軍していた。
そう、遠足である。
目的地は小さな山の上に作られたキャンプ施設。夏にでもなれば多くの家族がテントを張ってにぎわうことになるのだろが、今はまだそんな季節ではない。
いつもより早めに登校しグラウンドに集合。規定のスクールバッグでなく各自で用意したリュックサックを背負い、バスに乗り込んで出発したのが約二時間前。
一学年全員を乗せた数台のバスはそのまま県境を越え、目的地のすこし前で停車した。そこでバスから降りるように指示される。ここから先は歩けということである。
生徒たちは事前に数人のグループを作り、その中で決められた班長にはここらの地図が配布されている。小学生にも分かりやすいように易しい文章で説明が入れられているし、道中には数人の先生が見張りに立っているので安全は保障されているのだと言う。
一番にキャンプ場に着こうとするグループ。他のところと合体してより大きくなるグループ。バラバラになりそうなのを必死で班長が押しとどめているグループ。いろんな光景が展開されていた。
「ケンジくーん、私たちもいこうよ」
わいわいと騒ぎながら進んでいく子どもたちを優しい目で見つめていた俺は、後ろからかけられる声に振り返った。そこには同じグループのメンバーである件の三人娘がいた。
実はグループ決めの際、俺をどこに入れるのかでクラス内で論争になったのだ。別に俺が最後まであぶれて押し付けられるとかではなく、むしろ誘いが多すぎて困っちゃうくらいだったのである。いやー、モテモテで参っちゃうなー。なんつって。
最終的に見るに見かねた担任の先生が提案したあみだくじにおいて、見事俺の所有権を勝ちとったのはわれらがアリサお嬢様だったという訳だ。
おう、と軽い調子で答えながら背負ったリュックを背負いなおす。中身は弁当と水筒とタオルと何かあった時のための着替えである。三百円までのお菓子はバスの中で食べちゃったぜ。
「まったく、勝手にフラフラしないでよ。この班の班長はアタシなんだから、ちゃんと指示に従いなさいよね」
地図を見ながら顔をしかめていたアリサが文句を言ってくる。見方が分からなくてイライラしているのだろうか?そんなの見なくても前方に同じ場所へ向かうやつらがぞろぞろいると思うのだが。
「それにしても、いい天気でよかったねー!」
にぱにぱと快活に笑いながら、何が楽しいのかその場で突然くるくる回りだすなのは。前日てるてる坊主にお願いする、と息巻いていたから嬉しさも一押しなのだろう。
「もう、みんな。おしゃべりも良いけど、とりあえず行こ?ここのままじゃ私たちいちばん最後になっちゃうよ」
アリサの隣で困ったような表情をしていたすずかの発言に、ぎょっとして周囲を見回す。マジで誰もいなかった。先行している彼らの背中もいつの間にか小さくなっている。
「やべ、急ぐぞ!」
バカの一つ覚えみたいに回り続けていたなのはの手を掴み、唸りながら尚も地図とにらめっこをしていたアリサから地図を奪い一瞬だけ確認して大まかな内容を把握。折りたたんでアリサのワンちゃん柄のリュックにねじ込んで手を掴む。すずかに一声かけてから、二人を引っ張って歩き出した。
別に順位を競っているわけではないが、俺の中の男の子が最下位になることを拒んでいるのだよ。
今日登る山は別に勾配が急なわけでも標高が高いわけでもない。傾斜は緩やかであり、登るにつれて普段は見ることのできない高所からの町並みを思い切り楽しむことができる、比較的楽なコースだ。
楽なコース……のはずだったんだけど。
「ひぃ……ひぃ……ふぅ…」
脇道に特攻して入手した長めの木の枝を杖代わりに、ひいこらひいこら足を引き摺って進む少女が一人。
なのはちゃんであった。
まさか…運動オンチなのは知っていたけれど、ここまで体力が無いとは思わなかった。家が道場なのになんだこの貧弱な子は。
「おーい。置いてくぞー」
「ま、待っ……てぇ…」
息も絶え絶えな様相で、よろよろと手を伸ばすなのは。オラ、足が止まってんぞ。
「…ねぇ、ケンジくん。ちょっと休憩しようよ。休ませてあげないとなのはちゃんたおれちゃうよ」
はらはらと心配そうにゾンビ状態の親友を眺めていたすずかが提案する。ちなみにリーダーの方はというと、腕組みをしていかにも待ってますよ的な雰囲気を出しているが、しかしさっきからチラチラと労わる様な目でゾンビを見ている。素直じゃないなぁ。
別に俺は休憩しても構わないの無いのだが、一方でそれを渋る面もある。
俺たちのグループはすでに最下位。おまけに前のグループとは大きく差が開いている。まあそれはいいのだ。問題は、目的地であるキャンプ場に到着していなければいけない制限時間が設定されているのだ。
今ここで少し休憩しても、歩き出せばまたすぐなのははバテるだろう。そしてまた休憩。またゾンビ化。そうこうしているうちに時間は過ぎてしまうのだ。時間内にたどり着けなかったグループには特別課題が出されると事前に通告されている。面倒くさいので勘弁願いたい。
以上の理由から俺は休憩をとるか否かを迷っているのだ。決してヘロヘロななのはが可愛いとか思ったりしていないぞ。
「なのは、辛い時はな、楽しいことを考えるんだ」
適当にそんなことを言ってみる。おしゃべりで気を紛らわせて疲労を忘れさせる作戦だ。
「…たの、しい、こと?」
「そうだ。ほら、『ここからの景色きれいだなー』とか『お弁当の中身はなんだろうなー』とかさ」
「おべんとう……あ、そうだ。お母さんが『みんなで食べなさい』っていってシュークリーム用意してくれたんだ。お昼ごはんのときに食べよ?」
「まじか。やったね」
美味しさには定評のある翠屋のスウィーツだ。これは期待できるぞ。
「お昼ごはん……キャンプ場……お山のてっぺん……まだまだ遠い…………うぅ」
しまった!ちょっと目を離した隙になのはが意気消沈している。くっ…作戦失敗か。
「は…ぁ、はっ、はぁ…」
息切れしすぎ。体力が無いにもほどがあるだろう。
…まったく、仕方ないな。
やれやれと思いつつ、なのはに歩み寄る。リョックをいったん背中から降ろし、体の前に持ってくる。状況が飲み込めていないなのはの前で背中を向けて屈みこむ。
「ほれ、乗れ」
「え…い、いいよ。ケンジくんに、迷惑が…」
「今のままでも十分に迷惑だ。時間がもったいないからさっさと乗れ」
「うぅ、ごめんなさい。それと、ありがと」
申し訳なさそうにおずおずと、なのはは覆いかぶさってくる。その体は疲労からか熱を持っている。春のさわやかな風が熱を冷ましていくのが分かった。
「やさしいね、ケンジくん」
「カッコつけちゃって。疲れても知らないわよ」
「なめんな。こんなチビ一人背負ったところで大して変わらん」
「ち、ちびぃ!?ケンジくんひどい!」
なんだよお前元気じゃねえか。なら降ろすぞ。
しかし負担がないと言うのは本当だ。例え体は小さくとも女の子一人くらいは軽いものだ。あとは徐々に積み重なっていく疲労を面に出さない我慢強さだな。
居心地悪そうに体を動かすなのはを無視しながら、今までよりも重い足を動かした。
そして目的地に到着した。規定時間の十分前に。当然だが一番最後だったが、しかしそれを残念に思う気持ちよりも達成感のほうが上回ってしまった。
結局俺は終始なのはを背負っていた。遠目にキャンプ場が見え始めたあたりで降りたいというから降ろしたが、誤差の範囲だろう。さすがのなのはもラスト二百メートル前後の途中でへばったりはしなかった。
現在十一時後五十分。集合時間は十二時で、つまりはお弁当の時間である。
先に到着していた同級生たちは広い草原を走り回るか、シートを広げて今か今かと弁当を楽しみにしているかのどちらかだ。俺たちは後者のグループに入ることにする。
弁当の中身はなんだろう、と三人と話しているとすぐに十二時になった。先生方が総出で散らばった生徒をかき集めている。全員いるか点呼をした後、拡声器を使った学年主任の挨拶に合わせ、
『いただきます!』
ようやくご飯である。はらへったー。
ランチボックスをオープン。おにぎり、タコさんウィンナー、鳥のから揚げ、玉子焼き。うむうむ。やはりこういうときのお弁当はがっつりしたものがいいよね。
おにぎり(鮭)を頬張りながらお嬢様方のお弁当を見てみる。
なのははいなり寿司がメイン。アリサとすずかはサンドウィッチ系統のものだった。俺とは違いサイドメニューは野菜などが主である。
ふむ。どれも彩り豊かで美味しそうである。……あ、いや、決して俺の弁当に文句があるわけじゃないんですよ。ウチの弁当いつも美味しいし。母さんありがとう、愛してるよ。
「みんなで食べなさい、ってお母さんが多めに作っちゃったんだ。よかったらたべてね」
なのはが弁当のふたの上においなりさんを何個か移動する。おお。これはありがたい。
せっせとおにぎり(昆布)を飲み込み、一息つく暇も無くお稲荷さんに手を伸ばす。
「もう。ケンジくん、そんなに慌てなくてもごはんは逃げないよ」
「まったく、はしたないわね」
何とでも言え。以前から常々なのはの弁当をつまんでいる俺は桃子さんのつくる和食のうまさを知っているのだ。お嬢様方には分かるまい。食わないと損だぜ。
子ども用にやや通常より小さめに包まれているいなり寿司を半分までパクリ。うん、うーまーいーぞー。
一口目を即座に飲み込み、残りも咀嚼。最速で十分に味わった後、二つ目に手を伸ばした。
「あ、コラ。あんたばっかり食べてどうすんのよ。それに、まだ自分のお弁当のこってるでしょ。それ食べてからにしなさい」
まさに正論。ぐうの音も出ない。ぎゃふん、くらいなら言える。
おにぎり(塩)をパクリ。パクリ。ウィンナーパクリ。パクリ。から揚げパクリ。パクリ。玉子焼きは自分ルールでラストなんです。
「これなら文句無いだろう」
「はやっ。そんなにおなかへってたの?……んー、よかったら食べる?」
餓鬼の如き勢いで弁当のスペースを空けた俺を見て、アリサはサンドウィッチを一切れ差し出してきた。
「マジで?いいの?」
「ウソついてどうするのよ。もともとちょっと多いかな、って思ってたし。で、食べる?」
「もらうもらう。嬉しいなー」
「あ、ケンジくん。じゃあ私のもあげる」
「いやっほい」
すずかからもサンドウィッチ貰った。スゴイ。今日はなんか豪華だ。すごく嬉しい。食物を恵んでくれたこいつらに感謝感謝。今ならこの子らの下僕になっても良いくらいだわ。
右手にサンド。左手にいなりの構えをとる。どっちもうまー。
いやー、この後は桃子さんのシュークリームも待ってるし、ウッハウハだなー。
……と思っていた時期が、僕にもありました。
今回の敗因は、俺自身の腹の容量を見誤ったこと。今のマイボディは小学校一年生なんだから、そんなに量は食えないのだよ。
そしてもう一つ。恐るべきはあの高町桃子だよ。
なにあのシュークリーム。ものっそい美味しいんですけど。手が止まらないんですけど。食いすぎたからちょっと自重しようと思ってたのが一口目で吹っ飛んでいったよ。
んでまぁ、結果として
「うぐぐ…」
おなかいたい。
我慢できないほどじゃないから問題ない。ちょっと気を抜いたらリバースカードがオープンされる程度だ。大事無い。
横になれば楽になるだろうということでシートの上にゴロン。牛になっても構うものか。
昼飯を終えたら後は帰る時間になるまで自由時間。キャンプ場の敷地内から出ず、危ないところへいかなければ何をしていてもいいと言われている。
同級生が次々と駆け出し草原を縦横無尽に駆け回るのを耳で聞きながら、俺はうだうだと寝転がる。山の風が心地いい。おなかも一杯でだんだん眠くなってきた。もう寝てしまおう。
周りではふざけて俺のまねをして寝転がっていたなのはたちがすやすやと眠っている。上から見たら『川』の字ではなく『卍』の字に見えることだろう。嘘だけど。
ああ、マジで眠くなってきた。
帰って親に遠足の感想とか聞かれたら
「なのはおぶって、いっぱいご飯食べて、いっぱい寝た」
としか言えないじゃないか…………zzz。
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