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水の国の王は転生者

作者:Dellas
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第五十話 父と子

 王都トリスタニアに在るとある花屋。その店はアニエスの養母が営んでいた。
 養女のアニエスは、ここ数年、新宮殿で寝泊りしていて、週に一回の割合で、実家とも言えるこの花屋に帰っていた。

「た、ただいま」

「おかえり、アニエス」

 店先で養母のマノンが、笑顔でアニエスを出迎えた。

「洗濯物、持って帰ってきたんでしょ?」

「いつもすみません」

「いいのよ、親子なんだから」

 アニエスが週に一度、帰ってくるたびに下着などの洗濯物を持って帰ってきていた。

『新宮殿で洗濯してもらえばいいのに』

 と、同僚に言われたが、実家から足が遠のくのが嫌で実家に帰る口実にこういった処置をしたのだった。

「おばさん、後で話があるんだけど」

「話? 店があるから、終わったら聞くわ。そう言えば、近所に公衆浴場が出来たそうよ。疲れているでしょうから、入ってきなさい」

「うん」

 アニエスは、溜まりに溜まった洗濯物を洗濯場に置くと花屋を出て行った。

 ……

 その夜、養父のミランが珍しく帰ってきて三人でテーブルを囲って夕食を楽しんだ。
 養父のミランとの関係も修復し、少しづつであったが親子らしい会話もするようになっていた。

「その、おばさん、おじさん。聞いて欲しいことがあるんだ」

「そういえば昼間に、何か話があるって聞いたけど、その事?」

「実は……」

 アニエスは、スプーンを置いてマノンとミランを交互に見た。

「王太子殿下のアトラス計画に、コマンド隊も派遣される事になって、私も参加する事になったんだ……」

「待て、アトラス計画への参加は志願制と聞いたぞ」

 と、ミランが口を挟んだ。
 前人未到の海原を行く大冒険の為、参加者は原則、志願しなければならないはずだった。

「私……志願したんだ」

「どうして志願なんて、今の暮らしに不満があるのか?」

 ハルケギニアの人々にとって、海とはエルフと同等か、それ以上に恐怖の対象であり、無意識に避けていた。
 その為、海を渡る、という行為に恐れを抱く者や、遠く故郷を離れる為にホームシックに掛かって、本来の能力が発揮できない場合を踏まえ、能力以外にも心身ともに強い者を選定する為にマクシミリアンは志願制にした。

「不満は無いよ。けど、海の向こうに行ってみたいんだ」

「行ってみたいって。ピクニックに行く訳じゃないぞ?」

「分かってるよ」

「ううむ」

 ミランは、言葉につまった。
 ようやく、ちゃんとした会話が出来るようになって、ミランは公私共に充実していた時期だっただけに、アニエスが遠くへ行ってしまう事が怖かった。

「アトラス計画って、なぁに?」

 一人、蚊帳の外だったマノンが、二人に聞いてきた。
 庶民はこの計画の事を知らない。諸外国はアトラス計画はフネの海上運用法の実験航海と、諜報部がニセの情報を掴ませていた。
 庶民に真実を知らせないのは、庶民に広がった噂がロマリアに飛び、『布教したいから、同行させろ』と言う無理難題を吹っかけられるのを防ぐ為だ。
 
「それは……悪いがマノン。機密で詳細は言えないんだ」

「……まあ、お上のやる事に口出しするつもりも無いけど。最低限、相談して欲しいわ」

「すまないな、マノン」

「いいわよ。それで、アニエスの事だけど……」

 マノンはアニエスを見た。
 アニエスは、濡れそぼった猫の様に、心配そうにミランとマノンを交互に見ていた。
 その様子をも見て、マノンの脳裏には、アニエスがアトラス計画に、何故、参加しようとしたのか真相が見えた。

(海の向こうに行って見たい。と言ったけど、それは嘘のようね)

 そして、マノンが導き出した答え……それは『恋』だった。

(気になる人が、その計画に参加するから自分も着いて行きたいのね)

 マノンは、ホッと胸を撫で下ろしたい気分になった。
 コマンド隊に配属され数年。男所帯の職場に押し込まれ、『年頃の少女から懸け離れた性格になるのでは?』と心配していただけに、同じ女として、何より養女のアニエスの恋を応援したくなった。

「おばさん……」

「そうね、私は賛成という事にしておこうかしら」

「いいのか?」

「本人が行きたいと言ってるんだから」

「ありがとう、おばさん!」

「代わりに、私達のことを、お父さん、お母さんと言いなさい、ね?」

 マノンは、アニエスにウィンクをした。

「え、えええっ!?」

「早く早く!」

「ううう」

 アタフタとするアニエスに、マノンは更に迫った。

「さあさあ!」

「その……ありがとうございます。お養父さん(とう)、お養母さん(かあ)」

 アニエスは、顔を真っ赤にして言った。

「合格点には物足りない所だけど、、まあ十分ね。」

 マノンは満足したように、にっこりと微笑んだ。

「それじゃあ……!」

「いいわよ、行ってらっしゃいアニエス」

「おいおい、俺をほったらかしにして話を進めないでくれ」

 今度は、自分が蚊帳の外にされたミランが口を挟んだ。

「あら、いいじゃない。『可愛い子には旅をさせろ』と昔から言うじゃないの」

「少なくとも、私は聞いたことが無い」

 ミランは難色を示した。
 アニエスは、養父をどう説得するか、思案に移ろうとすると、マノンが耳打ちをしてきた。

「なんだ一体、何か悪巧みをしているのか?」

 ミランは、警戒しつつ二人を見た。

「あの、その、お養父さん、お願い行かせて下さい」

 アニエスは、両手を組み神に祈るようにしてミランに懇願した。
 その声色は、凛々しい雰囲気のアニエスとは真逆の、花も恥らう乙女を連想させた。

「うっうおっ、アニエス……何て可愛らしい……」

 親バカな所のあるミランには、効果はバツグンだ!

「う、うぉっほん! 仕方ないな、参加を許そう」

「ありがとう、お養父さん!」

 なし崩し的に折れたミランにアニエスは抱きついた。

(二人とも仲良くなれて本当に良かったわ……)

 マノンは、じゃれ合う二人を見てホッと胸を撫で下ろした。
 こうして、アニエスは養父母にアトラス計画参加を許されることになった。
 
 ちなみに、養母マノンはアニエスの想い人を聞こうと思ったが、野暮と思い聞く事が出来なかった。







                      ☆        ☆        ☆





 ……所変わって王宮では。

 マクシミリアンは、所用で応急に出向き、エドゥアール王の執務室で談笑をしていた。話の内容はマクシミリアンとカトレアとのちょっとした夫婦喧嘩の事だ。

「……と、いう事がありましてね、カトレアに泣かれてしまいました」

「そう言われて始めて気が付いた。幼い頃からお前を働かせてばかりだったな」

「僕は好きでやってる事なんですがね」

「いくら、王太子が、次期国王が私事(わたくしごと)を捨て、王国に尽くさねばならないとは言え、10も満たない歳から政治に参加させている事を許容したのは、大人として、何より父としての無能を痛感している」

 と、エドゥアール王は自嘲した。

「そう言わないで下さい。僕としては、好きにやらせてくれた事に感謝してますよ。自惚れるつもりはありませんが、そのお陰でトリステインは持ち直し、列強への階段を順調に上っています」

「そう言ってくれるか、マクシミリアン」

「歴史は父上を中興の(ちゅうこうのそ)を称えるでしょう」

「その名声は、お前にこそ、相応しいと思うが……」

「……?」

 妙に元気の無い父王に、マクシミリアンは気が付いた。

「父上、何処かお身体が悪いのですか?」

「ん? どうしてだ?」

「覇気と言いましょうか。とにかく生命力が薄く感じるのです」

「ハハハ、何だそれは。マクシミリアンよく見ろ、こうして父は生きているぞ?」

 エドゥアール王は、右腕で大して大きくもない力瘤(ちからこぶ)を作った。

「そうですか……とりあえず、滋養強壮の秘薬を出して置きますから、後で飲んで下さいね」

「分かった分かった」

 ……

 時は経ち、執務室の窓から西日が差し始めた。

「……さあ。出来たぞ」

「ありがとうございます」

 マクシミリアンが受け取った物。それは、新大陸が発見された場合に現地での、政治、軍事、外交と執り行うの全権委任状だった。
 言わば、マクシミリアンは新大陸の初代総督に任命された事になった。

「しかし、海の向こうに大陸があるのだろうか?」

「それは、何とも言えませんが、無ければ我がトリステイン王国は逃げ場を失います」

「大地の大隆起か……いつ聞いても眉唾物だな」

「大隆起の研究は、ワルド子爵の母君が責任者となって、日々研究を行っている所ですが、発生条件など、未だに分かっていません」

「そうか……とにかく無事に帰ってきてくれ」

「分かっていますよ。カトレアを早々に未亡人にするつもりはありません」

 マクシミリアンは力強く言った。
 
「……所で、出発は来週だったか。今日はどうするんだ。泊まって行くか?」」

「カトレアは居ませんし、一家団欒というのも悪くないですね」

「そうか、アンリエッタとマリアンヌも喜ぶだろう」

「一晩泊まって、明日、ヴァールダムへ発ち、出航まで、かの地で過ごします」

「では、今日明日でお前の顔も見納めか」

「母上やアンリエッタも大事ですが、僕は父上からアドバイスを頂けたら、大変助かります。新大陸を発見した場合に、総督として、何かと決断しなければならない事もあるでしょうしね」

「大したアドバイスは出来ないだろうが、私の経験談でよければ聞かせよう」

「ありがとうございます、父上」

 マクシミリアンとエドゥアール王は深夜まで語り合った。その間、アンリエッタとマリアンヌが、かまって欲しそうに、ちょっかいを掛けて来て、その度、中断してしまったが、父と子の語らいでマクシミリアンは多くのことを学んだ。






                      ☆        ☆        ☆





 そして次の日、マクシミリアンはトリスタニアを離れ、フネの待つヴァールダムへと発つ。
 一週間ほど、ヴァールダムで最後の調整をしてから、新大陸探索の旅へ出発するスケジュールだ。

「父上、母上、それにアンリエッタ、お元気で」

「達者でな、マクシミリアン」

「元気でね、危なくなったらすぐに帰ってくるのよ?」

 エドゥアール王をマリアンヌが別れの言葉をマクシミリアンに掛けた。特にマリアンヌは名残惜しそうにマクシミリアンの手を掴んで離さない。

「お兄様……」

「アンリエッタも、僕が居なくてもしっかりと勉強をして、僕が帰って来たら立派になった姿を見せて欲しい」

「……はい」

 目じりに涙と溜めたアンリエッタに、キスをしようとしたがマリアンヌが離してくれない。

「ちょ、母上離して」

「私にもキスして」

「ふぇっ!?」

 マリアンヌの言葉に、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

「じゃないと離さないから」

「ぐぬぬ……」

 アンリエッタの方を見ると、今にも涙がこぼれそうで、早く慰めないとと気が(はや)る。
 続けて、エドゥアール王の方を見ると、苦笑いをしていてマリアンヌを止める気配は無い。

(仕方ない)

 マクシミリアンは、マリアンヌに掴まれた手を口元まで持って行き、マリアンヌの手の甲に軽くキスをした。

「頬が良かったのに……」

「贅沢を言わないで下さい」

 マクシミリアンは掴まれた手をやんわりと解いた。

「さ、アンリエッタ」

 マクシミリアンは片膝を付いてアンリエッタを抱き寄せた。

「お兄様……」

「よしよし……アンリエッタ。別れが悲しいのは分かるけど、泣いてしまったら、せっかくの可愛い顔を台無しだぞ?」

「でもでも、ずっと会えなくなるなんて……」

「永遠に会えなくなる訳じゃないよ。精々、一年か二年か……とにかく、絶対帰ってくるから。それまで父上と母上を困らせるような事はしないように、な?」

「……はい、お兄様、アンリエッタは良い子にしています」

 何とか、愚図るアンリエッタを説得したマクシミリアン。

「では、改めて父上、母上、アンリエッタ、言って来ます」

 そう言ってマクシミリアンは竜籠に飛び乗った。

「達者でな、マクシミリアン」

「父上も。執務室に強壮の秘薬を置いておきましたので、、後で飲んでくださいね」

「心配かけてすまなかったな」

「父上も、ご自愛を……」

 ゆっくりと浮かぶ竜籠に多くの家臣たちが手を振って見送った。
 マクシミリアンも手を振り返し、やがて竜籠は空の彼方へと消えていった。

 これが父と子、二人の永遠の別れである事など誰も知るよしはない。

 
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