渦巻く滄海 紅き空 【下】
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
二十七 的
風がざわめいている。
びょうびょうと吹き抜ける風に煽られ、木の葉が数枚飛び去ってゆく。
激しい風が唸る朱色の橋。
深く切り立った崖の上に架けられた天地橋を遠くから窺っていた彼は眼を細めた。
木陰から遠目で位置を確認する。
目的の人物はまだ来ていない。
彼は得物の刃先を再度確かめた。
捻じ曲がった刃先は橋から遠く離れた場所からでも木に邪魔されずに目標を射抜くだろう。
大木の幹を貫通するほどの威力があるソレを掲げ、彼は息を詰めた。
既に冷汗が流れていたが、深呼吸をして落ち着くと、己の気配を極限まで消す。
幸い、橋の上では強風が吹き荒れている。音も匂いも風が飛ばしてくれるに加え、これだけ離れた距離からなら気配を悟られることもない。
だが、念には念を入れなければ。
何故なら己の得物を射る的は────。
葉の擦れる音がカウントダウンのようにさわさわと頭上で絶え間なく聞こえてくる。
約束の時間まであと少し。
「────天地橋周辺に人の気配はない、か」
天地橋の手前にある奥深い林。
その中から橋の様子を窺っていたヤマトは、他の面々に目配せした。
彼らが意識を向けているのは、『暁』のサソリと、大蛇丸の許に潜るサソリのスパイが落ち合う手筈となっている天地橋。
実際に大蛇丸の下に潜り込んでいる木ノ葉のスパイたるサスケからの情報で、天地橋に来る相手がカブトだと綱手から聞いているシカマルは、ヤマトの視線を受けて、もっともらしく頷いた。
ヤマトはカブトが来るとは綱手から聞いていない。サスケからの情報だとバレてはいけないからだ。
サスケが木ノ葉のスパイだという真実を知っているのは、現時点では五代目火影の綱手と風影の我愛羅、そしてシカマルのみ。
たとえ元暗部であっても、サスケが木ノ葉のスパイという事実は極力秘密裏にしておきたい綱手からの指示で、現在シカマルはこの任務に就いている。
即ち、仮に天地橋にサスケが現れた場合、彼がスパイだとバレないように、真実を知っているシカマルが上手く誘導する必要があるのだ。
(藪をつついて蛇を出す結果にならなければいいけどな…)
大蛇丸の圧倒的な存在が一瞬脳裏に過る。
顔を険しくさせたシカマルは、己の緊張を解そうと軽く頭を振った。
ふと、傍らで、カリ、と兵糧丸を口に含んだ左近と鬼童丸に眼を留める。
「お前ら、その兵糧丸、しょっちゅう食っているな」
思い返せば、鬼童丸と左近が兵糧丸らしいモノを口にしている光景を、シカマルはよく見かけている。
奈良一族は薬剤を調合し、薬の成分と効果をよく調べている。よって薬に関しては木ノ葉の忍びの中では豊富な知識を持っていると言っても過言ではない。
兵糧丸についてもそれなりに詳しい。秋道一族の兵糧丸である丸薬も調合できるほどだ。
もっともあの兵糧丸はカロリーコントロールを得意とする秋道一族しか使用できないため、調合法を知っていても、その丸薬でシカマルが強くなることはできない。
だが、薬や兵糧丸に詳しいシカマルでさえも、鬼童丸と左近が口にしている兵糧丸は見覚えのないモノだった。
シカマルの視線の先に気づいたのか、鬼童丸がカリ、と兵糧丸を噛みしめ、口角を吊り上げた。
「コイツは特別製ぜよ」
どこか誇らしげに答えた鬼童丸にシカマルが問うよりも先に、ヤマトがその場の空気を引き締めるように手をぱんぱんっと打ち鳴らす。
「さて。それでは予定通りに行動しよう」
「────来た」
風が強い天地橋の端。向こう側から来る人影を認める。
ごくり、と唾を呑み込んだナルの隣で、シカマルは双眸を細めた。
『暁』のサソリに唯一会ったナルの指導で、サソリの声色を再現したヤマトは木遁変化でサソリに化けている。
サソリに化けたヤマトが、約束の天地橋へ向かうのを、ナル・シカマル・鬼童丸・左近達は後方から距離を取って見守っていた。
約束の時間の正午。
橋の向こうから現れた相手の姿を、サソリに扮したヤマト、そして後方で待機しているナル・シカマル・鬼童丸・左近/右近は凝視する。
フードを被り、顔が窺えない相手。
今の段階ではサスケではないと判断はできない。
なんせ、サスケと以前会ったのは彼が木ノ葉を抜けた時。今はシカマル達と同じく、背も伸びているだろう。
ちりん、と鈴の音色が風に乗って聞こえてくる。
サソリに化けたヤマトが天地橋を一歩一歩ゆっくり、だが着実に渡っている。
目深に被った笠に結わえられた鈴が、橋の上を吹き抜ける強風で鋭く鳴り続けている。
それはどこか、相手に近づくなという警告音のようだった。
天地橋の中心で待っているフードを被った人物に、サソリに扮したヤマトが近寄る。
目深に被った笠の陰から、ヤマトはサソリの部下らしき人物の顔を窺った。
「お久しぶりです、サソリさま────五年ぶりですね」
ゆったりとした動作で、相手がフードを脱ぐ。強風に煽られ、フードがバサリとサソリの部下の顔を露わにさせた。
その顔を見て、シカマル以外が息を呑む。
(──薬師…カブト…)
大蛇丸の許でスパイをしているサスケから綱手に流された情報。
それを事前に知っていたシカマルは、顔を顰めるナルを横目でチラッと窺った。
木ノ葉中忍試験、そして綱手を木ノ葉の里へ連れ帰る際にもカブトとは会っているナルは複雑な表情を浮かべている。
無理もない、とシカマルは思う。
中忍試験でカブトにもっとも懐いていたのは、ナルだった。
あの時の好青年がこうして次から次へと、彼女の前に立ちはだかるのはどこか因縁めいたモノさえ感じられる。
サソリに扮したヤマトが、カブトにいくつか質問する様子が遠目から窺えた。
何を話しているかは強風で聞こえないが、大方、大蛇丸のアジトの場所とうちはサスケ・春野サクラに関する情報だろう。
木ノ葉の里を抜け、大蛇丸の下へ向かったサスケとサクラの奪還がこの任務の最大の目的だからだ。
実際のところサスケは木ノ葉のスパイなのだが、サクラがサスケを追い駆けて大蛇丸の許へ向かったのも事実。
綱手がこの任をシカマルに命じたのは、サスケがスパイだと悟られない配慮だが、サクラを連れ戻す事が出来ればそれに越したことはない。七班のふたりを一気に失ったナルの悲しい顔を見るのはシカマルとしても辛い。
この任務で、少しでも彼女が明るくなれれば良いのだが、と知らず肩に力が入っていたシカマルを、左近が咎めた。
「少し、肩の力を抜け」
「気配を悟られるぜよ」
小声で左近と鬼童丸が注意してくる。シカマルは気まずげに「わかってるよ」と気を静めた。
元音の五人衆からの忠告は的を射ている。
だがその忠告はシカマルに対する言葉ではなく、どうやらナルへの発言だったらしい。
感情が聊か昂っているナルの頭を、シカマルは軽く手の甲で叩いた。天地橋のほうに注意を向けていたナルがシカマルへ顔を向ける。
大きく深呼吸したナルは熱くなっていた自分を静めてくれたシカマルに、「ありがとだってばよ」と小さくお礼を述べた。
自分も気を静めてもらった身なので、曖昧に苦笑したシカマルは、左近と鬼童丸に視線を投げた。
相変わらず眠っているらしい右近を背にする左近・鬼童丸は天地橋のカブトの動向をじっと観察している。
その動作がどこか似通っていて、同じ音の五人衆だと、こうも似た感じになるのだろうか、とシカマルは若干違和感を覚えた。
その左近と鬼童丸が、ピクリと身構える。
彼らの視線の先を追ったシカマルは、何やらハッと顔を引き締めたカブトを認めて、警戒心を強めた。
(気づかれたか…!?)
シカマル達と同じく身構えたヤマトは、カブトの視線が別方向を向いていることにホッと安堵する。
茂みからひょっこり現れた野兎に、カブトの強張っていた肩の力が抜けてゆく。
「野兎か…」
ガサリ、と揺れた茂みを一瞥したカブトは、改めてサソリ扮するヤマトと向き合った。
その様子を木陰から見ていた彼は、爬虫類のような瞳をゆるゆると細める。
天地橋を俯瞰できる場所で、野兎を一呑みにした蛇を従え、ゆっくりと斜面を下りてゆく。
ずるり、と斜面を滑るように、彼は天地橋へと近づいていった。
(潮時か…?)
カブトと会話を続けていたヤマトは、サソリの顔の下で冷汗を掻いていた。
あまり会話を長引かせるとボロが出る。もう少し粘りたいところだが、慎重すぎると返って相手を取り逃がしてしまう可能性が高い。
内心、どうするか考えあぐねていると、カブトが違和感を覚えるような表情を浮かべた。
怪訝な視線を受け、ヤマトは裾の内に忍ばせたクナイを握りしめる。
「────面白そうな話ね…」
不意に、割り込んできた声に、ヤマトはクナイを振りかぶるタイミングを誤った。
同時に、大蛇丸の蛇に巻き付かれたカブトが顔を引き攣らせる。
「私も混ぜてくれない?」
フードつきの衣をそのままに、蛇からなんとか脱したカブトがヤマトの隣に並ぶ。
クナイを手にしたままのカブトをチラリと見やり、「サソリ様がクナイを出さなければ逃げ遅れるところでした」と謝礼を述べた。
自分と同じく、大蛇丸に対して警戒態勢を取るカブトを横目に、ヤマトはサソリの姿のまま、大蛇丸を睨み据える。
その心の内は、焦燥感に駆られていた。
(綱手様の推測が当たったな…)
五代目火影たる綱手に今回の任務に就く際、「思い過ごしなら良いが、大蛇丸と対峙する可能性もあるから覚悟しておいてくれ」と前以て伝えられていたヤマトは彼女の推測通りの展開に、サソリの顔の下で唇を噛みしめた。
(思い過ごし…のままで済みませんでしたよ、綱手様)
心の中で火影に呟きつつ、ヤマトはこれからどうするか算段をつける。
幸いなことに、カブトはヤマトがクナイを取り出したことを、大蛇丸に警戒しての行為だと勘違いしてくれている。
だからと言って、このままカブトと協力して大蛇丸と闘った場合、戦闘スタイルが本来のサソリと違うとすぐにバレてしまう。
しかしながら、ナル・シカマル・鬼童丸・左近達を呼べば、こちらの素性がバレてしまう。
どちらにしても手詰まりだ。
「その『暁』の装束…懐かしいわね」
「カブトを尾行してきたのか?」
「なァに。少し礼を言おうと思ってね…貴方が送り込んできたこの子────すごく重宝したわ」
自分のことを話している大蛇丸を、カブトはじっと見据えた。己の構えた手にチャクラを宿す。
青いチャクラに包まれた手はそのまま、考え事をしていたヤマトへ振り落とされた。
「なに…!?」
笠が飛ぶ。
首を狙った手刀に、ヤマトはたまらずサソリの変化を解いた。
カブトと、そして大蛇丸から距離を取る。
「サソリ…かと思ったら────誰だ、アンタ?」
つい先ほどまで、サソリ様と仰いでいたカブトの変わり様に、変化を解いて素顔に戻ったヤマトは問い質した。
「カブト…お前こそ、サソリの部下だったんじゃないのか?『暁』のスパイとしてサソリに術をかけられて、」
ヤマトの詰問を、カブトは鼻で嗤う。それだけで、既にサソリの術は解けていたことが窺えた。
おそらく大蛇丸に解いてもらったのだろう、と見当をつけたヤマトは「大蛇丸に寝返っていたとはな」とカブトを非難する。主人をすぐに裏切ることを咎められたカブトは、ふ、と口許に笑みを湛えた。
「僕はこれでも一途だよ」
「どの口が言うんだか」
カブトとヤマトの会話を愉快げに眺めていた大蛇丸は「楽しそうにお話しているところ、悪いけど」と口を挟む。
「後ろの子ネズミちゃんを私に紹介してくれるかしら?」
背後で待機しているナル・シカマル・鬼童丸・左近達を示している大蛇丸に、ヤマトは瞠目する。
「全てお見通しってわけか…」
つい、と視線を背後の茂みに向ける大蛇丸を前にして、ヤマトは観念して合図を送った。
瞬間、ヤマトの合図でナル・シカマル・鬼童丸・左近が天地橋の上へ飛び出す。
眠る右近を背にする左近と鬼童丸に眼を留めた大蛇丸の片眉がついと上がった。
「まさか…生きていたとはねぇ…」
聊か驚愕の色が雑じる大蛇丸の声を久しぶりに耳にして、鬼童丸と左近の顔に汗が浮かぶ。
音の五人衆。
君麻呂・右近/左近・鬼童丸・多由也・次郎坊は、サスケが木ノ葉の里を抜ける際、死んだはずだった。
実際はナルトの許へ向かう為のカモフラージュとして死を偽装しようという目論見だったが、上手く成功したのは君麻呂・多由也・次郎坊のみ。
鬼童丸と右近/左近は、ダンゾウ率いる『根』に捕らわれ、いいように使われている始末。
よって、大蛇丸の前に顔を出すなど、自殺に等しいのに、こうして顔を見合わせる羽目に陥っている。
「裏切りか…」
「アンタにゃ言われたくないぜよ、カブトさん…」
顔を歪めるカブトに、せめてもの虚勢を張った鬼童丸を眼にして、大蛇丸は一瞬、不思議そうに眼を細めた。
今にも戦闘が始まる間際の天地橋。
空気が張り詰め、緊張に満ちたその光景を遠く離れた場所から窺っていた彼は、口に得物をしっかと咥えた。
巨木に伸ばした蜘蛛の糸を張り巡らせ、己の八肢で巨大な弓を振り絞る。
空気に触れた途端に硬質・金属化する粘液【蜘蛛粘金】。
それによって作った強靭な弓矢【蜘蛛戦弓・凄裂】をしなやかに引く。
引き伸ばされた弓につがえられた黄金の矢。
刃先が捻じ曲がり、大木の幹をも抉る破壊力を秘めたソレを、引き締める。
「────命中精度120%…」
狙いはただ一点。
チャクラを通わせた蜘蛛の糸を結わえることで命中精度が高まる矢がギリギリと狙いを定める。
「破壊力、超…最大…!!」
刹那、彼は────鬼童丸は矢を解き放った。
強風が吹き荒れる天地橋。
橋の中心で悠然と佇む────大蛇丸目掛けて。
後書き
鬼童丸がふたり出てきていますが、その理由は次回にて。
更新がいつも遅くて申し訳ありません!展開はそろそろ進むと思いますので、これからもよろしくお願いします!!
ページ上へ戻る