ソードアート・オンライン‐黒の幻影‐
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2部 Aincrad:
第3章 儚想のエレジー 2024/10
25話 行動開始
神妙と形容するにはやや憚られるほどに強く額を地面に押し付けたキバオウを椅子に座らせる。
彼の算段としては、自分が無知であると偽って、状況が後に退けない段階まで付き合わせてから軍の解体を打診するというシナリオだったらしく、勘付かれるのは想定していなかったのだろう。まどろっこしい手段や腹芸には向かない性格だからこそ罪悪感にも苛まれているのか、明らかに憔悴したキバオウの表情は弱々しいものだった。
だが、俺自身を顧みてもキバオウがいきなり自ら旗揚げしたALSを潰したいという申し出に二つ返事で協力したかというと、それも考えられない。どのみち選択の余地のないまま縋りつかれたのならば、突き離してしまうのもなんだか後味が悪い。どうにも主体性のないまま流されていただろうが、だからといって目標を達するビジョンも全く見えない。全く予想だにしていない乗っ退きならぬ状況は脳に鈍痛の波を絶え間なく寄せている。
「………今の《軍》は、おかしくなってもうた」
静寂のなかでポツリと、一滴が落ちたような声でキバオウが言う。
誰も何も言わず、アルゴすらもその後に続く言葉を待った。
「こんなはずやなかった………あん時まで、二十五層のボス戦まで、わいらは………」
弱々しい言葉は震え、湿り気を帯び、俯いたキバオウの目線の先にあったテーブルの天板に幾滴も雫が零れた。彼が溜めた悔悟の一角が表出したような、悲痛な告白の皮切りを遮れる者もこの場には居なかったのだ。そして責められる者も居なかった。
二十五層ボス攻略の際に《ALS》は多数の犠牲者を出した。辛くも攻略を果たしたアインクラッド初のクォーターポイントで、当時の攻略組はその一翼を担うギルドを前線から失うという手痛い代償を負った。心情面に沿うならば、同志を喪ったキバオウの傷は想像し難いほどに深かったに違いない。
組織として致命的な損亡を受け、その傷が膿んで今に至るならば、その責任は確かにキバオウに帰せられるべきであろうが、あまりにも無情に過ぎる。手に負えないと分かっている課題を前に、俺は辞退するために言葉を練ることを思い至らなかった。
「本来なら内輪でケジメとる話や。せやけど今のわいにそんな力も、協力者を見つけて綿密に行動するような時間もあらへん。周りに迷惑を掛けとるし、もう遅すぎる。放っとけば何しでかすか分からん」
幾許かの沈黙の後、涙を拭ったキバオウが言う。
俯いていた視線も漸く此方へ向けられる。先程までの、どこか萎えた印象の弱々しい雰囲気のそれではなかった。話す言葉にも、これまでの歯切れの悪さはない。
俺の目には、在りし日の《ALS》を率いていた彼の片鱗が見えたように思えた。
「在るべき姿から逸脱したから、終わらせるのか?」
「それ以外に選択肢はあらへん。わいらはプレイヤーを開放するために立ち上がったんや。それやのに弱いもんを力で抑え付けて支配するんは絶対に間違うとる」
組織の解体以外に過ちを糾せない段階まで、腐敗は進行している。
キバオウの認識は恐らく正しいだろう。残酷ではあるが、その腐敗は修正し得ない。
この場に立ち会ってしまったことを不運とするか、不幸とするかは情報量が過大で脳が理解を拒否しているが、その中でも俺の中では答えが定まりつつあった。同時にその選択が後に後悔することになることもおおよそ推察出来ていた。
にも拘らず、だというのに、こういう時に限って、俺はどうにも貧乏籤を好んで選ぶ習性があるようだ。
「そうか」
「すまんかったな。せやからここからは―――」
食い気味に割って入るキバオウの言葉を最後まで聞くことはなかった。大方巻き込まないようにするために何かしらの言葉を述べようとしたのだろう。
そもそもこの発言は彼に向けてのものではなく、どこか悲観的に、それでも自分を受け入れて腹を括る為の儀式に近い。
「じゃあ作戦会議だ」
キバオウは呆気にとられた顔で俺を見る。
もし俺が俺の目の前に居たら、多分キバオウと同じ表情をするだろう。
要するに放っておけなかったのだ。アインクラッドにて最大人員を誇る大所帯の中枢にいながら、それでいて立つ瀬も寄る辺もないこの男が、どこか自分と重なってしまったのだろう。彼が独りで破滅していくのを黙って静観してしまうと、それが自分の行く末のように思えてしまったのだから。
「心情的なものだ。気にするな」
端から聞けば意味不明な前置きにも呆けた表情を向けるキバオウと俺を見ながら、アルゴはどこか笑っているようだった。何が楽しいのやら。
とはいえ、感慨に浸るなんて偉い立場でもない。止まれば動けなくなるような、惰性で動き続けていられるようなか細い存在だ。心情的には相対的に助けるつもりだが、精神的には縋る藁にもなりはしない。こんなことを俯瞰しているあたり、それなりに俺は終わりかけなのだろうな。
「それで、どうするんダ? 明確にボスモンスターを倒せば解決するような話でも無いんだロ?」
会議開始。
口火を切ったのは傍観者となっていたと思われていたアルゴだった。
方向性のない無軌道な会議になるようなことにならないだろうが、会議に参加するとなるとアルゴも他人事で済ませるつもりはないということになる。なんというか、こうして手を貸してくれるのは心強い。
「それについてなんだが、先に達成条件を整理していきたい。《軍》を潰すって一言で言ったところであまりにも抽象的すぎる」
潰す、という言葉で連想するものは数通りある。
《軍》という組織の解体、分かりやすいが犯罪行為を行っていたプレイヤーが野放しとなるだろう。
ならば犯罪行為をしたプレイヤーのみの拘留を達成条件とするにも、どのプレイヤーが該当するかは不明。武装したまま第一層に潜って非戦闘プレイヤーを恐喝していたとはいったものの、刑法に照らし合わせれば立派な犯罪なのだろうが、ここを統治する法は日本国のそれではなく、カーディナルによって与えられたものだ。頭上のカーソルが変色しなければ恐喝も交換譲渡の交渉手段にしかならないのだ。
「アルゴ、第一層近辺で恐喝を繰り返してる《軍》のプレイヤーの情報は」
「オイラはいじめ相談室でも電話帳でもないゾ」
そりゃそうだ、と溜め息交じりに肩を竦めた。
《軍》全員の素行を調査済みであったならば、それはもう情報屋ではなく探偵事務所だ。
それにアルゴなら、販売可能な情報は在庫を提示してくるだろう。流石に便利に考え過ぎた。
「そうすると地道に情報は足で稼ぐべきかな。いや、下手すりゃ適当に一人捕まえれば芋づる式に……」
「仲間内の信頼関係とか報復とかで話したがらない可能性もあるけどナ」
「まあそうなるか」
道理だ。
むしろ口を割ったとして得られた情報が真実という確証もない。
だが、そうなると堂々巡りに陥るわけで、進展はなくなる。
「達成条件は犯罪行為を行ったプレイヤーへの制裁、その上で《軍》の解体か。字面だけ見ればギルドが連合組んで実行するような規模だぞ」
「そして大人数での行動は避けるべき、ってことカ。高難易度ってレベルじゃねーナ!」
楽しそうに笑いながら、想定以上に会議の根幹を為すアルゴを見る。
俺はこれまでの他のプレイヤーが抱くような銭ゲバ像をアルゴに見出してはいない。しかし、無条件に行動するほど直情的な人物でないことも同時に理解している。心強いのは確かだ。だからこそこういう時に何かしら無理を強いているのではないかと勘繰ってしまう。
「それじゃとりあえず、聞き込み的な地道な情報収集はオネーサンの専売特許ってコトで」
時間が勿体ないとばかりにアルゴは席を立つ。
店の出口の木戸に手を掛けながら、振り返ることもなく情報屋は言葉を投げかけた。
「リンちゃん、あまり一人で抱え込むなヨ?」
言い残し、微かに口角が嬉しそうに上がっていたアルゴは凄まじい敏捷性で跳躍しては去っていく。
店内に残された三人は一先ず顔を見合わせた。聞き込みはアルゴが引き受けてくれたのだ。本当ならば金銭を支払って、この件についてはきちんと清算しておきたかったのだかそれは叶わないらしい。ならば俺達は俺達に出来ることをするしかないか。
それにしても、一人で抱え込むな、か。
今更頼ろうとしても、その資格はあるのだろうか。
「それじゃあ行くか」
「行くって、どこに行くっちゅうんや?」
「私にもお手伝いできることはありますか?」
ようやく会話に参加したキバオウとティルネルを見遣り、一言。
正直なところ、打てる手段は限られている。確率や安全性を考慮に入れなければ今のところこの手段しかない。
「俺が《軍》に入る」
会議の場は静まり返り、次の瞬間にはキバオウから罵詈雑言が向けられたのは言うまでもない。
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