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兄のこと

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第一章

               兄のこと
 この時ルクレツィア=ボルジアは自身の屋敷の中でくつろいでいた、整った緑と薔薇が豊かな庭の中にだ。
 席を出させて菓子とコーヒーを楽しんでいた、その周りにいる侍女達と共に歌手の歌も聴いていた。
 その歌が終わってからだ、ふとだった。
 若い侍女の一人が上等の菓子を食べているルクレツィアの表情を見て彼女に尋ねた。
「奥様、どうされたのですか」
「どうかとは」
 ルクレツィアはその整った、幼い頃からこれ以上はないまでだと言われていた美貌の顔をその侍女に向けて言葉を返した。
「何か」
「はい、何かもの想いに耽っておられる様な」
 侍女はルクレツィアにさらに言った、金髪はまるでこの時の絵の女神の様であり青い瞳も同じだ。身体も非常に整い美麗な刺繍と宝石で飾られた絹の服をより際立たせている。
 その彼女にだ、侍女は言うのだった。
「そう見えましたので」
「ええ、それはね」
「では」
「少しね」
「お考えでしたか」
「ふとお兄様のことを考えたわ」 
 菓子を食べる手を止めて言うのだった。
「あの方のことをね」
「お兄様といいますと」
「わかるわね」
「チェーザレ様ですか」
「ええ」
 そうだとだ、ルクレツィアは侍女そして今自分の周りにいる者達に答えた。
「歌手の歌が終わって」
「その時にですか」
「ふと思い出して」
 ものの弾みの様にというのだ。
「それでね」
「もの想いにですか」
「入ったわ、貴女達はお兄様のことを知ってるわね」
 ルクレツィアには兄弟が多い、兄は三人いて弟が一人いる。皆教皇アレクサンドル六世の子である。
 その中で最も有名であるのがチェーザレ=ボルジアだ。ルクレツィアの兄といえば大抵はこの者のことを思い出す。
 戦争と謀略を駆使してイタリアの統一を目指していた。英雄と言うよりは梟雄として知られる美貌の男だった。
 侍女達もそれで彼女の兄と言えば彼のことを思い出した、それで彼の名前を出してルクレツィアもその通りだと認めて言うのだった。
「そうね」
「はい、やはり」
「あの方のことは有名ですから」
「この半島で知らぬ人はいないかと」
「それこそ」
「その方のことを想っていたの。お亡くなりになったけれど」
 戦争に明け暮れ遂に戦場に倒れた、父である教皇の後ろ盾がなくなると凋落したがそれでもイタリアの統一を目指して戦っていたのだ。
 だが遂に倒れた、それで言うのだった。
「まだね」
「覚えておられますか」
「左様ですか」
「そして思い出されて」
「今考えておられましたか」
「ええ、貴女達が思っている通りにね」
 まさにとだ、ルクレツィアはさらに言った。
「とても悪い人だったわ」
「それは」
「言う必要はないわ」
 ルクレツィアは侍女達に微笑んでそこから先は言わせなかった。
「それはね」
「そうですか」
「ええ、私もそう思っているから」
 それ故にというのだ。 
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