ある晴れた日に
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481部分:歌に生き愛に生きその三
歌に生き愛に生きその三
「けれど。心は」
「そうですか」
「そのままよ。動くことはないわ」
「けれど耳は大丈夫なんですね」
「ええ」
それは間違いないというのだった。確かに。
「それはね。大丈夫よ」
「そうですか。だったら」
晴美が出してきたその席に座る。そしてそのうえでギターを取り出して抱えるようにして持つ。そのうえでギターの曲を奏ではじめるのだった。
「その曲は」
「あいつが好きな曲の一つです」
こう隣に座る晴美に答えるのだった。二人は今未晴の枕元に座っている。そこでギターを奏でている正道であった。
「知ってますよね」
「小さい秋見つけたよね」
「ええ、それです」
あまりにも有名な曲であった。未晴はそれが好きだった。だからあえてここでその曲を奏でる正道だった。
「それで演奏してみてるんですけれど」
「有り難う」
晴美の声はもう泣きそうなものであった。
「未晴。きっと聴いてくれているわ」
「そうですか」
「きっと」
晴美はその泣きそうな声で続ける。
「聴いてくれているわ」
「そうですね」
そして正道も彼女の今の言葉に頷くのだった。
聴いているかどうかという反応はない。しかしそれでもだった。彼は聴いていると確信した。これは晴美の言葉からそう受けたのではなかった。
「聴いてくれていますね。こいつも」
「そうよ。絶対にね」
こうも言う晴美であった。
「だから」
「また来ていいですか」
「ええ。何時でも来て」
これが彼女の言葉であり心であった。
「それで未晴をね」
「わかりました。それじゃあ」
「未晴」
晴美は今度は娘に声をかけた。相変わらず上体を起こしたまま口には酸素マスクがあり視線が虚ろになったままのその娘に対して。
「きっと元に戻るから」
だが彼女から返事はない。
「きっとよ。だから頑張ってね」
「明日も来ます」
正道はその横で晴美に言ってきた。
「明日も。それでそれからも」
「御願いするわね」
「今もまだ奏でますから」
そして今もだというのだった。
「それでいいですよね」
「有り難う」
それを受けての晴美の返事だった。
「まだ奏でてくれるのね」
「今度はこの曲でいいですか」
今度は二年程前の曲だった。晴美はその曲を聴いて言った。
「ライフね」
「ええ。中島美嘉の」
それであった。彼が今度奏でた曲は。
「こいつこの曲も好きでしたから」
「そう。この曲も好きだったの」
「何か前に向かえるような曲だって言っていました」
「前にね」
その言葉を聞いて遠くを見るような顔になる晴美だった。
「そんなことを言っていたの」
「ええ。そうなんですよ」
「じゃあ今の未晴も」
その何の反応も見せなくなってしまった娘をここでまた見る。やはり彼女は何も言わないし身動き一つしない。耳も聴こえているのかいないのかであり目も同じだ。完全に植物と同じ有様であった。
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