緋弾のアリア ──落花流水の二重奏《ビキニウム》──
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
最初の大舞台 Ⅱ
インカムで通信科から聞いた話によると、武偵高のバスは、いすゞ・エルガミオ。突如として男子寮前からどこの停留所にも停まらずに、暴走を始めたらしい。そうして、定員オーバーの60人を乗せたバスは学園島を1周したあと、青海南橋を渡って台場に入ったのだという。
……いやはや、何とも面倒だね──と嘆息しつつ、窓から見える武偵校舎、果ては学園島の全域を見下ろした。上昇を続けていくヘリの轟音の中で、アリアとインカムを通じて話す。
「……それで、武偵局と警察はどうしてるの?」
『動いてるけど、相手は走るバスよ? それなりの準備が必要だわ。だからアタシたちが動いた方が早いの』
「ふぅん、こちらの一番乗りってわけだね」
『当然でしょ。電波を掴んで、通報より先に準備を始めたんだもの』
得意げにそう言いながら、アリアは愛用らしいコルト・ガバメントのチェックを行っていた。あの銃は既に諸々の特許が切れているから、結構自由に改造がきく。
カスタムガンとして目立つのは、グリップについているピンク貝のカメオで、そこに浮き彫りにされた女性の顔は、どことなくアリアに似ている美人だった。家族だろうか。少し離れた親族だろうか。それは知る由もないが、血縁関係に当ることだけは、直感的に分かる。
『──見えました』
ヘッドホン越しに聴こえたレキの声に反応して、防弾窓に顔を寄せた。右側の窓からお台場の建物と湾岸道路、りんかい線が見える。……しかし、バスなんて何処にあるんだろうか。
しばらく窓硝子の向こうを凝視していると、目を細めている姿をレキに見られたのか、補足するかのように『彩斗さん、あそこです』と指で示して教えてくれた。
「あぁ、あれかぁ。ホテル日航の前を右折してるバスね。とはいっても、豆粒みたいな大きさだけど。よく見えるね」
『はい。窓に武偵高の生徒が見えます』
『よ、よく分かるわね……。レキ、視力いくつよ』
『左右共に6.0です』
『えっ』
「あはは、まぁ、初見だと驚くよねぇ……」
そんな会話をしている間にも、凄まじいローター音と共に、先ほどレキが言ったあたりにヘリが降下していく。バスは依然として他の車を追い越しながら、テレビ局の前を走っていた。運転手は恐らく一般人だろう。ともすれば、長引かせるのも危険だね。
これは恐らく、ここに居る全員が薄々勘づいてはいることだろう。だから、ヘリは速度を更に加速させていた。漂う雰囲気が、段々と張り詰めてきていた。
『空中からバスの屋上に移るわよ。アタシは外側をチェックするから、彩斗は車内で状況を確認でき次第、アタシに連絡して。レキはそのままヘリで、バスを追跡しながら待機ね』
「アリア、待って。それなら──」事前の作戦立案に割り込んだことに、だろうか。それとも徐に呼び止められたからだろうか、どちらかは分からないけれど、アリアは怪訝そうな顔をしていた。「もう少し安全な策があるよ」とだけ前置きしてから、二の句を次ぐ。
「こちらの陰陽術……《境界》で移動した方が安全だと思う。あれなら一瞬で車内に入れるよ」
『陰陽術、《境界》って……要するに空間移動の超能力みたいなもの?』
「認識が早くて助かるよ。それで、やる?」
『……そうね、やりましょ』
言い終えたところで、アリアがヘリの操縦士に何やら指示を出していた。そうして、開きかけていたヘリのドアが、再び閉じる。それが承諾の意であることは明々白々だった。
前衛の方針は決定したのだから、残るは後衛だ。とはいえ、レキが後衛を担う以上は、何らの杞憂すらも抱かなくて済む。これが彼女の実力で、そこから生まれた、信頼なのだ。
「レキ、後方支援は頼んだよ」
『分かりました』
レキにしては珍しく、意思を垣間見れる返答だった。もう杞憂も何も無いね、と判断してから──アリアを一瞥して、今いる場所とバスの内部とを、《境界》で繋ぐ。アリアにそこを入るように促してから、自分も後を続いた。そこはもう、バスの社内なのだ。
バスジャックされたことで、生徒たちはただでさえ混乱しているのだ。そんななかで、突如として2人の応援が来たならば──それも、ある種の変則的な方法で──この混乱は、動乱を招くことになる。言葉が四方八方に交錯しているから、何を言っているのかが碌に聞き取れない。ただ、その中で、かろうじて聞き慣れた声がした。力強い声だった。
「彩斗!」
声の主は、車輌科の武藤だった。いつもの磊落で諧謔的な調子とは遠い、焦燥に塗れた様だ。
「ちょっと話を聞いてやってくれ。あれだ。あの子」
駆け寄ってきた武藤が指をさす。その先は、運転席の傍らに立つ眼鏡の少女だった。
……見覚えがあるね。武藤と居る時にほんの少しだけ話したことがある、中等部の後輩だったか。そんな彼女は、携帯電話を両手に握りしめたまま、声を震わせて助けを求めてきた。
「大丈夫、落ち着いて。……どうしたの?」
「いつの間にか私の携帯がすり替わってたんですっ。そ、それが喋りだして……!」
『──速度を 落とすと 爆発 しやがります』
携帯電話のスピーカーから発される音声──その声色を聞いて、内心で合点がいく。確かに、アリアの言う犯人像と一緒だね。武偵殺しの模倣犯、と見ても良いだろう。
「アリアの言った通りだよ。このバスは遠隔操作されてる」
「やっぱりね。思った通りだわ」
アリアは得意げに笑みを浮かべているが──まだ、安堵してる場合じゃないだろう。アリアの言に従えば、このバスには爆弾が仕掛けられているのだから。ここから視認する限りでは、車内にも、その周囲にも、爆弾らしきものは見当たらない。ともすれば、死角にあるはずだ。
「レキ。そこから車体の下を覗けるかい? 何かがあると思うんだ」
『……はい、ありました。C4らしきものです』
「容量は?」
『目測ですが、3500立方センチほどはあるかと』
──3500立法センチ。その量に、アリアと顔を見合わせて動揺しているしかない。
裏を返せば、予想以上のことを、この騒動の主犯者は仕出かしてくれたのだ。流石に異常すぎる。爆発すれば、電車やバスなんて簡単に吹っ飛んでしまうだろう。
「まずいね……」
この状態から車体に張り付いて剥がすのは、正直なところ、危険だね。何故なら──
「レキ、そこから解体しろとは言わない。……剥がせるかな。君の、狙撃で」
『……分かりました』
「うん、頼んだよ」
──真っ赤なスポーツカーが、運転席にUZIを載せて、バスの後ろに追走しているのだから。
そうして、咆哮にも似たエンジン音と共に、そのスポーツカー──ルノー・スポール・スパイダーはバスと並走するような形に移動する。 同時に、UZIの銃口がこちらに狙いを向けた。引き金は既に半分が引かれているように見える。今から全員を伏せさせるのは間に合わないだろう。
それならば、こちらの方が、早い。一刹那にそう確信し、即座に掌を向けて横凪ぎに翳した。
「皆、伏せて!」
叫ぶと同時に、無数の銃弾が、バスの窓を標的にUZIの銃口から放たれていく。しかしそれらは全て、つい今しがた展開させた《境界》によって、跡形もなく消え失せていた。
しかし安堵する暇はまだ無い。ベレッタを抜きざまに、別に展開させた《境界》の中へと撃ち込む。その直後に爆発音を伴って、目の前のUZIは銃口ごと破壊された。
それでもまだ、安堵する暇は無い──が、ここでの最善手が、レキなのだ。
徐にイヤホンから聞こえてくるのは、乾いた銃声だった。それと同時に、レキが乗っているヘリからマズルフラッシュが焚かれたのが分かる。よく目を凝らして見ると、どうやら彼女は片膝立ちの状態から発砲したらしかった。あの不安定な、風の影響を満遍なく受けながら。
しかしルノーは唐突にその並走を止めると、その場で回転してしまった。先程の狙撃で、レキがタイヤに穴を開けたのだろう。何回転かするうちにはガードレールに衝突していた。
「……流石は神童だね」
『──有明 コロシアム の前を 右折 しやがれ です』
例の女子生徒が持っている携帯から、ボイスロイドの声が聞こえてきた。 運転手はそれに従うようにして、ハンドルを回す。依然として速度を落とさず、正確な運転を保ちながら。
早急に爆弾を剥がしてもらいたいところだが、往来には車通りも少なくはない。ここで敢行するというのも、文字通りの『敢行』になってしまうだろう。どうしたものか……。
「アリア、この先に開けた場所はある?」
「えっと──1つだけ。今、通信科から連絡がきたんだけど、レインボーブリッジ付近は通行止めになってるみたい。警視庁が手を回したのね」
「……そこが勝負だね。レキを信じるしかない」
今、この状態で民間人に対する防護壁となるものは、何一つとして絶無だ。だから、確実に決められるのは──そこだけだ。こればかりは本当に、レキを信じる他には無いのだから。
バスはそのまま予定通り、レインボーブリッジへと走らせていく。そうして、最初で最後の、絶好の狙撃ポイントを迎えていた。車内に居る全員が祈るようにして待機している中に、突如、声が聞こえてくる。これもまた、聞き慣れた──あまりにも有名な言葉が。
『──私は、1発の銃弾』
これは、レキが狙撃する時の癖だと言われている。
『銃弾は人の心を持たない。故に、何も考えない──』
狙撃の精度を高めるルーティーンだとも、また。
『──ただ目的に向かって、飛ぶだけ』
そんな詩のようなものを呟き終えた、直後だった。聞こえた銃声の後に、一拍遅れて、車体への着弾の衝撃が伝わってくる。何かが落ちる音も聞こえた。これが爆弾なのだろう。
次いで、甲高い音もこの一帯に反響した。銃弾が爆弾の部品か何かを掠めたのだろうか──そうして飛び跳ねた爆弾は、レインボーブリッジの中央分離帯、その更に下へと落ちていく。
水中に沈みこんだそれは、辺りの水を押し上げるようにして、轟音を伴って爆ぜた。水飛沫がバスの車体に飛び散っていく。それを合図にバスはだんだんと減速していき、遂には、レインボーブリッジの中間あたりで止まった。止まったと自覚したのは、周囲の歓喜を聞いてからだった。
「──っ、良かったな彩斗! お前たちのおかげだっ!」
その車輌科には似合わないほどに太い腕を、武藤は首に回してきた。焦燥も何も無い。いつもの磊落な調子に戻っていた。彼にはこれがいちばんお似合いだ。
「うん、良かったね」と軽く苦笑しつつ、周囲の歓喜に揉まれているアリアに視線を向けた。アリアもそれに気が付いたようで、何とも言えないような苦笑を返してくれる。
自分の言いたいことは煩い車内ではどうせ聞こえないだろうから、読唇してもらおう。
──ありがとう。
アリアの反応を確認せずに、レキと話をしようとしたのは、ちょっとした羞恥心から逃れたかったためなのだろう。我ながら素っ気ないなと思ってしまいながらも、口は開いてしまっていた。
「レキ、本当にありがとうね。君のおかげで助かったよ。後始末は鑑識科や探偵科に任せるから、君たちはもう引き上げてもらって構わないから。負傷者が出なかったのは幸いしたね」
『……分かりました。では』
短く言い残して、レキは通信を切った。ヘリも航路を引き返している。
大事にはならなくて良かったね──と、今度こそ本当の安堵に浸っている中に、誰かに指先を引っ張られたように感じた。何だろうかと視線を寄越せば、どうやらアリアらしい。
彼女はおよそ普通の女子高生のような仕草で、羞恥心を押し留めたように、人差し指で口元を示している。読唇したところ「口のところ見てて」と告げてきた。
「あのね──、ありがとう」
気恥しそうに笑みを零している様が、子供のようで可愛らしかった。
後書き
昨日更新できなくてごめんなさい。(白目)
ページ上へ戻る