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fate/vacant zero

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誇りの在り処




「……えーっと、だな。タバサ。いま、この人のこと、なんて呼んだ?」

「ウェールズ皇太子」


 そうか、ありがとう。

 俺の耳がおかしくなったわけじゃなかったんだな。

 俺の記憶が歪んでなけりゃ、確かルイズが手紙を届ける相手もウェールズ皇太子って言うんだったよな?


 そうかい、じゃあこの空賊のカシラさん(仮)がルイズの任務の目標か。



「ちょ、ちょっと待って、待って。
 ……タバサ、それ本当?」


 何故かルイズに肩を借りているキュルケが、慌ててタバサに訊ねた。



「面影がある」

「面影って……、会ったことあるの?」


 怪訝そうに、今度はルイズが訊ねた。



「昔」


「……人違いだ。お前さん、いったい誰なんだ?
 随分けったいな格好してやがるが」

「そういえば、何故きみは仮面なんかつけているんだい?」


 カシラ(仮)とギーシュが訊ねた。

 そういやなんで仮面つけたんだろうな、タバサ。

 ギーシュの救難信号受け取ってすぐに、念のためとか言ってかぶってたけど。


 今度はタバサは口をつぐみ、カシラ(仮)の方を向いて、仮面の鼻の部分をつまんで上に持ち上げた。

 タバサの顔を直視したカシラ(仮)は目を見開くと、完全に変わった口調でタバサに問いかけた。



「……彼らは、きみの信頼を置くに値する人物かい?」


 そう問われたタバサの仮面の下の視線は、俺を通り過ぎ、キュルケで一瞬止まり、ルイズを見て、ギーシュを眺めると、ワルドを刺した。

 そして、こくりと大きめに頷く。


 ……順番と時間になんか意図はあるんだろうか。

 妄想が暴走して勢いよくローテンションに沈みそうになったけど、カシラ(仮)が発言してくれたお蔭でそれは防がれた。



「――きみたちは、アルビオンの貴族派につくつもりは?」


 首を横に振ったり、両腕を前に突き出したり、両掌を空に向け肩の辺りまで持ち上げたりして、全員がそれを否定する。



「ならば、問題はあるまい。

 そちらの三人には、窮屈な思いをさせてしまい誠に失礼をいたした。
 外国に我々の・・・味方がいるなど、思いもよらなかったのでね。

 では、改めて名乗るとしよう」


 そう言うとカシラ(仮)は、己に残された最後の変装である眼帯を外す。

 甲板へと落ちる眼帯の下からは、力強い意志のこもった瞳が現れた。



「私はアルビオン王立空軍大将、本国艦隊司令長官。
 艦隊とはいっても、すでに本艦イーグル号しか存在しない無力なものと化しているがね。
 ま、そんな肩書きよりはこちらの響きの方が通りがいいだろう」


 カシラだった若者は、居住いを正して名乗る。



「いかにもこの身はアルビオン王国皇太子。ウェールズ・テューダーだ」


 ――マジに本物の王子サマらしい。


 本物の今を生きる王子サマって、海賊みたいなこともするんだネ。

 ボク、知らなかったヨ。

 こういうの、なんて言うんだっけ。


 霹靂へきれきの晴天?

 それとも、奇は小説よりも事実なり?



「どちらも諺ことわざそのものが間違ってる。
 この場合は『事実は小説よりも奇なり』」


 適切な回答をありがとうタバサ。

 ところでいま俺、声に出してたか?


「少し」


 そうか。









Fate/vacant Zero

第十七章 誇りの在り処







「なぜ空賊風情に身をやつしているのか?と聞きたそうな顔だね。
 いや、驚かせてしまったようですまない。

 敵の補給路を断つのは戦の基本なのだが、先ほども言ったように、いかんせん我が艦隊はイーグル号ただ一隻。
 堂々と王軍旗を掲げていては、ネズミの群れに餌を投げ込むようなものだ。
 まあ、空賊を装うのもいたしかたないだろう?」


 そう言ってイタズラっぽく笑う王子サマに、ワルドは優雅に頭を下げた。



「アンリエッタ姫殿下より、密書を言付ことづかって参りました」

「ほぅ、姫殿下とな。きみは?」


「トリステイン王国魔法衛士隊、獅鷲隊隊長、ジャン・ヴィコント・ド・ワルド」


 それからワルドは、皆を王子サマに紹介する。


「そしてこちらが、姫殿下より大使の大任を仰せ付かったラ・ヴァリエール嬢とギーシュ・ド・グラモン、フォン・ツェルプストー嬢。
 そちらにいるのがタバサ嬢と、ラ・ヴァリエール嬢の使い魔の少年にございます。殿下」


「なるほど!
 きみたちのような立派な貴族が我が親衛隊にもう少しでもいたら、このような惨みじめな今日を迎えることもなかったろうに!
 ……して、その密書とやらは?」


 今の今まで呆ほうけていたルイズは、慌てて胸のポケットから封書を取り出した。

 キュルケの身をギーシュに預けると、恭うやうやしく王子サマへと近づいていく。



「えっと……、皇太子、さま。……ですよね?」


 ん? と王子サマは首を傾げたが、その内に苦笑を一つした。



「まあ、先ほどまでの顔を見ているのだから無理もないか。
 では証拠をお見せしよう、大使どの」


 王子サマは自分の薬指に光っている指輪を外すと、ルイズの手を取って、その指に光る水のルビーへと近づけた。

 二つの宝石が触れ合うほどに近づいたとき、その間に虹色の光がふわりと浮かんだ。



「この指輪は、アルビオン王国に伝わる風のルビー。
 そしてきみが嵌はめているのは、アンリエッタの嵌はめていた水のルビーだ。
 そうだね?」


 ルイズがこくりと頷いた。



「水と風は、虹を生む。王家の間に渡された架け橋さ」

「大変、失礼をばいたしました。
 ――こちらです」


 ルイズは一礼すると、手紙を王子サマに手渡した。


 王子サマは熱っぽい瞳でその手紙を見つめると、花押に唇を落とした。

 慎重に封を割り、内に綴つづられた文章を読む。



 その間にタバサはキュルケへと近づき、肩の傷口へ杖を押し当てていた。


 ……あの怪我、いったいどうしたんだろうな。

 海賊モドキな空軍にやられたのか、それともフーケか。


 誰の仕業しわざなのかを考えていたら、キュルケが突然に杖を肩から外した。



「ありがと、タバサ。もう大丈夫よ」

「まだ、途中」

「いいから。

 ……ほら、足元ふらついてるじゃないの。
 そんな無理してくれなくたって、痛まなかったら怪我なんてないのと同じよ」


 ……やっぱ、無理させちまってたんだな。

 朝も治療してくれたし、さっきは殆どの船員任せしまってたし……、はぁ。


 なんとか、借りを返す方法ってないもんかね。

 このままじゃバツが悪いにも程があるぞ?



「姫は、結婚するのか?
 あの、可愛かわいらしいアンリエッタは。
 私の――――従妹いとこは」


 真剣な顔で手紙を読んでいた王子さまが、顔を上げて尋ねてきた。

 ワルドが無言で頷くことで、それを肯定する。

 王子さまはもう一度だけ手紙に目を通し、微笑みながら顔を上げた。


「了解した。
 何より大切な手紙ではあるが、姫があの手紙を返してほしいとこの私に言うのであれば、そのようにしよう。

 姫の望みは、私の望みなのだから」


 安堵の溜め息が、我知らず漏れていたらしい。

 皆もそれは同じようで、なんだか空気まで色が変わった気がする。

 雲の中だけどな。


 ん? ギーシュの奴だけ、なんか表情が――


「しかしながら、あの手紙は今、手元にはない。
 ニューカッスルの城にあるんだ。
 姫の手紙を、空賊凧くうぞくせんに連れてくるわけにはいかなかったのでね」


 ギーシュの眉尻が落ちてるように見えるんだが。

 あれ?



「多少の手間をかけるが、ニューカッスルはすぐそこだ。我らが居城までご足労願いたい」



 ……気になる。







 王子さまの言葉通り、本当にニューカッスルの城はすぐそこだったらしい。

 雲海の中を進むこと多分15分足らず。

 ジグザグした海岸線を進んでいると、大陸から大きく突き出した岬が正面に現れた。


 ニューカッスルとはこの岬の総称であり、城はその突端で、天高く聳そびえているそうだ。



「では、なぜこの凧フネは下に潜るのですか?」

「耳を澄ましてみるといい」


 ワルドが尋ねると、王子さまは片手を耳にそえた。

 そういえば、さっきから雲の中を重低音が響いてるような。



「これは……、砲撃音?」

「その通り。ちょうどこれから雲の薄い所に出る。
 岬の先端の方を見てみるといい」


 王子さまがそう言って指さした方を見れば、そぼろになった雲の隙間から、突端にそびえる流麗な城と、その傍に浮かぶ、城の半分はあろうかというほど巨大な凧フネがあった。



「あれが叛徒どもの戦艦フネ。
 かつての本国艦隊旗艦、ロイヤル・ソヴリン号だ。

 叛徒どもの手中に収まってからは、レキシントンと名を変えている。
 奴らが最初に我々から勝利をもぎとった戦地の名でね。よほど名誉に感じているらしい」


 遠く雲の切れ間に覗くその巨艦を、興味深く見つめる。


 ホントに、『デカい』としか表現しようが無いほどデカい。

 この凧フネの倍ぐらいは軽くありそうだ。

 おまけにその脇腹からは剣山みたいに大砲が突き出ていて、煙を吐いている。

 さっきの重低音はアレか。


 ついでに上空の方を何かハエみたいな何かが飛び交っているが、あれはなんだろうか?



「あの忌々しい艦は、空からニューカッスルを封鎖しているのだ。
 あのように、たまに下りてきては城に大砲をぶっ放していく。
 備砲は両舷合わせて百八門。おまけに竜騎兵まで積載可能だ。

 あの艦の反乱から、全てが始まった。因縁の艦だよ」


 そういう間にもイーグル号は雲を更に深く潜り、レキシントン号は雲の彼方へと隠されていった。



「そして、我々の凧フネがあんな化け物を相手に出来るわけもない。
 そこで雲中を通り、岬の付け根へ向かう。

 そこに港があるんだ。我々しか知らない、秘密の抜け穴さ」







 イーグル号が大陸の下に入ると、見る間に雲は色を失い、甲板は一気に暗闇に包まれた。

 舳先へさきや舷側げんそく、鐘楼しょうろうに立った兵たちがそれぞれ魔法を唱えて光源を作ってはいるものの、外に気付かれては元も子もないのであまり強い光ではない。


 とはいえ。



「地形図を頼りに測量と僅かな光源だけで航空することは、この通り、王立空軍の航空士にとっては造作も無いことなのだがね」


 視界はゼロに等しく、少し測量と確認を怠っただけでも簡単に頭上の大陸に座礁するため、叛乱軍の軍艦は大陸下へ侵入したがらないんだそうな。

 貴族派は所詮、その程度の空しか知らぬ無粋者だよ、と王子さまは笑って語った。





 そのまましばらく進んでいると、頬を撫でる雲が、冷たく涼しい雨みたいなものから、どこか湿り気を強く感じる仄温ほのぬるい蒸気みたいなものに変わった。


 なんだなんだときょろきょろ辺りを見回せば、王子さまが、興味深そうにこっちを見ていた。

 ルイズとキュルケ、ギーシュの三人は、不思議なものを見る目でこっちを見ていた。

 そして、ワルドとタバサの二人が、真上を見上げていた。


 上に何かあるのかと、顎を持ち上げて天を見上げてみる。



 雲が無かった。


 代わりに見えたものは、豆みたいに小さな白い光だ。

 そこに向かって伸びるかなり幅広の縦穴が、凧フネのあちこちから放たれている魔法の光に照らされ、闇の中にぼんやりと浮かび上がっているのがわかる。



「ひょっとして、これが……港?」


「その通りだ。
 といっても、ここは入り口でね。
 あのずっと上の方に見える光、あそこが『桟橋』さ……、一時停止!」

「一時停止、アイ・サー!」


 マストを操っていた水兵たちが、王子さまの命令を復唱する。

 暗闇の中でも普段の動作を失わない水兵たちによって、イーグル号は風に帆を逆らわせられて減速する。

 そうして帆は瞬く間に畳まれ、イーグル号はぴたりと穴のど真ん中で静止した。



「微速上昇」

「微速上昇、アイ・サー」


 ゆるゆるとイーグル号は縦穴を昇り始めた。

 その下には、イーグル号の航空士が乗り込み誘導するマリー・ガラント号が続いている。


 ふむ、とワルドが一頷きした。



「まるで空賊ですな、殿下」

「まさに空賊なのだよ、子爵」


 一番上に見えていた光がぐんぐんと大きく、眩しくなって、やがてそのあまりの眩さに、咄嗟に目を庇った。





 眩しさは光量の差による一過性のものだ。

 薄暗闇の中でじわりと目を開けてみれば、そこは既に『桟橋』だった。


 一面ぼんやりとした真白い光を放つコケに覆われていて、天井と床の間には真ん中がくびれた柱みたいな岩がある。

 どうやらここは、巨大な鍾乳洞しょうにゅうどうの中らしい。


 高さを合わせたイーグル号が岸壁から突き出た木製の桟橋へと近づくと、桟橋の上から一斉にもやいの縄が宙を舞った。

 水兵たちがその縄をイーグル号に結えつけると、岸壁にいた多くの水兵たちによって、イーグル号は引き寄せられた。


 車輪つきの木製のタラップがガラゴロと近づき、凧フネにぴったりと取りつけられる。

 イーグル号に続いて現れたマリー・ガラント号に縄が飛ぶ中、俺たちは王子さまに促され、イーグル号から降りた。

 すると一人の爺さんが近づいてきた。


 爺さんは二隻の凧フネの方を見ると顔を綻ほころばせ、王子さまの労をねぎらいだした。



「ほほ、これはまた大した戦果ですな。殿下」

「喜べ、パリー。中身は硫黄イオウだ!」


 辺りに集まっていた兵隊たちから、口々に大きな歓喜の声が上がる。



「おお! 硫黄ですと! 火の秘薬ではありませぬか!
 これなれば、我らの名誉も守りぬくことが出来ましょうぞ!」


 感極まりすぎたのか、パリーと呼ばれた爺さんは、おいおいと泣き始めた。



「先の陛下よりお仕えして六十年、これほど嬉しい日は初めてですぞ、殿下。
 叛乱よりこちら、我々は苦汁を舐めつづける毎日でしたが、これだけの硫黄があるのなら……」

「ああ。
 王家の誇りと名誉を叛徒どもに示しながら、敗北することが出来るだろう」


 王子さまは、笑ってそう言った。



 ……まて、いま何か文脈がおかしくなかったか?



「栄光ある敗北ですな!
 この老骨、武者震いがいたしますぞ。

 して、ご報告が一つございます。
 叛徒どもは明日正午より、攻城を開始するとの旨を伝えてまいりました。
 殿下が間に合って、よかったですわい」

「してみると間一髪とはまさにこのことか!
 戦に間に合わぬはこれ、武人の恥だからな!」


 王子さまたちは、心の底から、楽しそうに笑い合って。



 負けたがっていた。



 ……少なくとも、俺にはそう見えた。

 勝ちたくは、ないんだろうか?



「して、そちらの方たちは?」

「トリステインからの大使どのだ。重要な用件で、王国に参られたのだよ」


 パリーの爺さんは目を丸くして驚いた表情を見せたが、すぐに先ほどまでの様に表情を改めた。



「これはこれは大使殿。
 わたくし殿下の侍従を仰せつかっております、パリーでございまする。
 遠路遙々、ようこそアルビオン王国へ。

 戦時の身ゆえに大したおもてなしは出来ませぬが、今宵はささやかな祝宴が催されます。
 是非ともご出席くださいませ」









 王子さまに付き従って彼の居室へと向かったルイズたち――を見送った俺、タバサ、キュルケ。

 所謂いわゆる『詳細知らない組』は、パーティ会場となっている城のホールへと案内された。


 一段高くなったところに簡易な玉座が設けられ、円形の広々としたホールのあちこちには、これまた丸い円卓が据え置かれている。

 多くの給仕たちが両手に皿を持ち、てんやわんやと動き回っている。

 どうやら、今は準備中らしい。



「パーティの開始まで、しばし時間がございます。
 内輪の席ですゆえ窮屈なところもございましょうが、ごゆるりとお寛ぎくださいませ」


 俺たちを案内したパリー爺さんはそう言うと、何処かへ去っていった。

 タバサはパリー爺さんの去り際に何かを言付けていたが、今は相変わらずの怪しい格好で、いつものように本を読んでいた。


 だからどっから出したんだ、その本。


 キュルケは、タバサを挟んで反対側の壁に寄りかかって、血管の浮きまくっている素肌な俺の腕の辺りを見ていた。



「ねえ、ダーリン。その服どうしたの?
 肘から先が無くなっちゃってるみたいだけど」


 服の方だったか。



「ん、これ? いや、あの夜にちょっと色々あってさ。
 黒焦げになっちまったみたいで、治療の時にタバサが切り取ったんだ。
 布は再利用したけど」


 覆面スカーフにな。



「黒こげって。いったい誰と戦ったのよ?」

「フーケを脱獄させたヤツだ。今、タバサがつけてる仮面はそいつの落し物。
 使われた魔法は、『雷撃ライトニングクラウド』とかデルフが言ってたな」


「うそ、『雷撃ライトニングクラウド』?
 ホントに?」


 キュルケの目が、大きく見開かれた。



「ああ」


「よく腕だけで済んだわね、ダーリン。
 アレってば、確か生半可な魔法使いメイジなら一撃必殺ものよ?」

「それ、デルフからも聞いた。きっと、運が良かったんだよ」


 タバサがすぐに治療してくれてたらしいしな。

 さすがにもう一回アレを生身で喰らうのはぞっとしない。



「怪我といえば、キュルケも怪我してたよな。あれって、フーケか?」

「ええ、そうよ。
 あのオバサンったら、あの時にあたしが狙撃したの根に持ってたみたいでね。
 後ろから岩の矢でこう、ざっくり」


 うぇ、想像したくもねえな、それ。



「で、大丈夫なのか?」

「フーケならきっちり子爵が吹っ飛ばしたからね」


「いや、そうじゃねえって。ケガだよ、ケガ」

「もちろん、大丈夫よ? タバサに治療してもらったしね」


 どら。

 ポム、とその肩に手を置いてみた。



「~~~~~ッ!

 だ……、大丈夫よ?」

「どこがだ。やせ我慢なんてするもんじゃ――」


 コン、とキュルケの肩に乗せた腕を下から硬いもので叩かれた。

 タバサの杖だった。



「~~~~~~~~~~~~ッ!!

 た、タバサ!? いきなり何「あなたも」ぅ……」



 なんか、じろっと睨まれました。

 タバサにそんな視線向けられるのはケガの痛みよりこたえるんだが。


 ……あれ、俺いまひょっとして怒られてる?



「治療が必要」


「いや治療って……、タバサ、いま精神力切れてるだろ?」

「そうよ。タバサこそ、無理しちゃダ「その心配は必要無い」……え?」」


 いやでも、治療って魔法使うんじゃ?

 キュルケと顔を見合わせて?クエスチョンを飛ばしていると、手に深緑色のツボを下げたパリー爺さんが場に戻ってきた。



「タバサさま、例の物をお持ちいたしました」

「ありがとう」


 タバサがその壷を手ずから受け取ると、パリー爺さんは一礼してそのままホールのどこかへと紛れていった。


 ……で、だ。



「タバサ、その緑色のツボは何なんだ?」

「幻油げんゆ。水の魔法薬。
 幻獣"ポト"の分泌液を触媒にした、飲み薬」


 飲み薬かよ。

 ケガに効くのか? それ。



「効く。
 飲んでもいい。直接傷に塗りこんでもいい」


 便利だな。



「飲む場合、一度に盃一杯ほどで事足りる」


 だから飲んで、と。

 タバサが差し出してきた杯カップをするりと受け取ったのが拙かった。


 隣からのキュルケの好奇の視線に気付きもしなかったからな。



 くいっと杯を傾けて、一秒後に心底からの後悔に沈んだ。


 どろりとして舌にまとわりつく、冷たいくせに舌を熱くする液体ゾル。

 にがしょっぱいとしか表現しようのない濃ゆい味が、舌を裏表関係なく蹂躙していく。


 ていうか普通に喉を通らないんだが。

 へばりついて滴り落ちていくような感じ。


 気管に詰まったりしねえだろうな。

 治療薬で窒息死なんてシャレにならんぞ。



 ちらりと横を見てみたら、キュルケは何やら肩を震わせていた。

 笑いを堪えているらしい。

 知ってたんなら言ってくれればいいのに、楽しんでやがったなこんにゃろ。


 タバサにも視線を向けると、今度はいきなり視線がかち合った。

 いつもより幾分色の濃い目でじーっと俺の方を見ている。


 ……いかん、純粋に心配してくれてる目だ、こいつは。



 そんなもんだからこの粘ついた液体を吐き出すわけにもいかず、俺は息苦しさを相手に悪戦苦闘しながら、気合と根性で幻油とやらを呑み下した。

 これで効果が無かったりしたら涙目ものだがそんなことはなかったらしく、最後の一滴を呑みきった頃には、俺の腕はもう見た目的には完治してしまっていた。


 ずきずきと響く痛みはまだ若干残っていたが、それも大したことはない。

 ほっときゃ治るぐらいにしか思えない程度に落ち着いている。


 なるほど、確かにこりゃ『魔法』薬だ。



「どう?」

「ああ、もう大丈夫だ。
 すげえな、幻油って。怪我治す飲み薬なんて初めてだ」


 まだ不安そうなタバサに近づき、頭を撫でてやる。



「ありがとな。助かったよ」

「……いい」


 視界の端に幻油を飲み下して身動き無く悶絶しているキュルケが映ったが、同情する余地なんぞない。





「で、キュルケはどうだ? ケガの方は」


 頭から手を放して、軽く微笑みながら訊ねる。



「まだちょっと凝ってる感じはあるけど、概おおむね良好……なのかしら。
 痛みの方はそれほどでも――もう残ってないわね」


 途中、タバサの心配げな視線をくらったらしい。

 言い直したところな。



「ところで、サイト」

「ん? なんだ?」


 キュルケが、俺の耳に口を近づけてくる。

 なんだ、内緒話か?


「……あたしの親友に、ヘンなことはしてないでしょうね?
 一晩ほど二人きりだったわけだけど」



「んなっ、ばッ、そんなマネ出来るか!
 そもそも朝になるまで気絶してたっつの!」

「あ、そうだったわね。それじゃヘンなマネなんて出来っこないか。
 疑ってごめんなさいね」


 ったく。

 だいたい、タバサに手ぇ出したら犯罪じゃねえか。


「そうでもないわよ? あの子、あたしの二つ半下だもの」


 ほぉ。

 ちなみにキュルケは何歳?


「女にそういうことは訊くもんじゃないわよ?」


 了解したんでこっちに杖を向けるのは勘弁シテクダサイ。



 ……ふぅ。


 しかし、キュルケの二つ半下ね?

 キュルケがだいたい俺と同い年ぐらいだとすると……タバサはいま14か15か。



「……犯罪アウトじゃねえか?」

「大丈夫セーフよ。
 10歳差の夫婦なんてのも、珍しくないもの」


 や、そーいう域と比べちゃダメだと思うんだが。

 ていうかキュルケ。


「なぁに?」


「なんでキュルケがそこにこだわるんだ。普通、逆じゃないか?」


 なんか、嗾けしかけてるみたいに聞こえるんだけど。



「気のせいよ」



 俺の目を見て言ってみろ。

 説得力無いって。



「そんなことより」


 あ、話逸らしやがった。



「タバサ、なんで仮面なんかつけてるの?」


 なんでそこで俺を見て言うんだ。

 質問は相手を見ながらするもんだぞ?


 誰に宛てた質問だかは分からなかったけど、タバサは律儀りちぎに答えてくれた。



「秘密」



 答えてなかった。







 あれから少しの間、キュルケとタバサの間で応酬があったのだが、途中でルイズたちが戻ってきた(現れた?)ことでそのやりとりは中断された。



 今は、パーティの真っ最中である。


 先ほど見つけた玉座には、豪奢ごうしゃなガウンを羽織り、冠を白い頭に載せた、年老いた王さま――ジェームズ一世――が腰掛け、ホールに集まった臣下たちを、目を細めて柔らかく見守っていた。


 明日には我々は敗北すると、あの王子さまは言っていた。

 だのに、今のこのホールは、随分と煌きらびやかだ。

 王党派の貴族や将兵たちは、先日参加した舞踏会が児戯に思えるほど華々しく着飾っている。


 数多く並ぶ円卓には、篭城中とは思えぬほどの量のごちそうが並んでいる。

 俺たち大使組は、先ほどまで俺がタバサやキュルケともたれていた壁の辺りに佇み、一歩引いたところからこの祝宴しゅうえんを眺めていた。


 俺たちの衣装があんまりにも場にそぐわなすぎて、歩き回ったりする気にはなれなかったのだ。

 キュルケの制服のブラウスは左肩から先の袖が無いし、俺のパーカーは半袖になっちまって断面なんかよれよれだ。

 タバサに至ってはパジャマである。

 そぐうそぐわないってレベルじゃなかった。



「明日は決戦だって言うのに、えらく華やかだな」

「明日で終わりだからこそ、ああも明るく振舞っているのだ」


 俺が呟くと、ワルドがそう頷いて返してきた。

 つまり本当に、この人たちには勝つ気がないのだ。



 生き残るつもりが、ないのだ。



 平和な土地で暮らしてきた才人に、それがどんな心持ちなのかを悟る術はない。

 彼は自らの目で、自らの手で、"死"に触れたことが無かったのだから。



 俺とワルドが言葉を交わしてすぐ、王子さまは会場に姿を見せた。

 貴婦人たちのみならず、男の貴族や将たちからも歓声が飛ぶ辺りを見るに、若く凛々しい王子さまは、随分と好かれているようだ。

 彼は玉座に近づくと、王さまに何かを耳打ちした。

 王子さまが顔を上げると、王さまは力強く立ち上がった。


 のだが。


 王さまは少々勢いをつけすぎたのか、危うくそのまま前のめりに倒れかけた。

 見渡せる限りのあちこちから、嫌味の無い失笑が沸いた。



「陛下! お倒れになるのはまだ早いですぞ!」

「そうですとも、我らが旗頭!
 せめて明日まではお立ちになってもらわねば、我々が困る!」


 そんな野次も飛ぶ中、それを気にした様子も無い王さまは、にかっと口端を吊り上げた。



「あいや各々方。座っていて、ちと足が痺れただけじゃ」


 王子さまがそんな王様に寄り添い、体を支え、王さまは空咳を一つ。

 それだけで、ホール中の貴族、貴婦人、将兵たちの気配が変わり、全員が直立した。



「諸君。忠勇なる臣下の諸君。
 この無能な王に、諸君らはよく従い、よく戦ってくれた。
 その功労によって、いよいよ明日、我々は『叛乱軍』レコン・キスタの総攻撃を迎えるに至ったわけじゃ。

 しかしながら、これはもはや戦いではなく、一方的な虐殺となることは目に見えて明らかじゃ。
 朕は忠勇な諸君らが、そのような兇刃によって傷つき、斃たおれるのを見るに忍びない」


 王さまは居並ぶ臣下たちを慈しみの目で見渡しながらそう言い、また空咳を一つついて続ける。



「朕は、諸侯らに暇いとまを与える。
 この負け戦、よくぞこの王に付き従ってくれた。厚く礼を申そう。

 明朝、巡洋艦イーグル号は、女子供を乗せてここを離れる。
 諸君らはこの凧フネに乗り、これを護衛せよ」


 そう王さまが締めくくるが、その命令に諾だくを返すものは一人も居なかった。

 代わりに返されたのは、一人の年若い貴族の声。



「陛下! 我ら、今宵は美味い酒の所為で、いささか耳が遠くなっております!
 『進撃せよ! 進撃せよ! 進撃せよ!!』
 はて、それ以外の命令が耳に届きませぬ!」


 それに応えたのは、俺たち以外の、ホールに集まったアルビオンの人々たみ。



「おやおや。今の陛下のお言葉はどこの異国の呟きだ?」

「耄碌も-ろくするには早いですぞ! 陛下!」


 そんな勇ましくも不遜にして慇懃な叫びにつられ、ホール中がどっと笑い声に満たされた。

 王さまは彼らを眺めやり、目頭を軽く拭うと、再びにかっと、だが今度は覇気のある笑みを浮かべると、高く杖を掲げた。



「よかろう、死にたがりども! しからば、この王に続くがよい!

 諸君! 今宵は良き日なるかな!
 雲一つ無き空も、駆け抜ける風も、天に舞う二つの月も、始祖ブリミルよりの祝福の調しらべであるぞ!

 よく飲み、よく食べ、よく踊り! 今日という世界を楽しもうではないか!」


 辺りが、喧騒に包まれた。







 俺は、憂鬱だった。

 先ほどから俺たちの所には、代わる代わるアルビオンの貴族たちがやってくる。



「大使どの! このワインを試されなされ! お国のものより上等と思いますぞ!」


 と酒瓶掲げて酌をしてくる白の口ヒゲをたくわえたおっさんとか(ギーシュが現在進行形で潰されかかっている)、


「なに! いかん! そのような物をお出ししては、アルビオンの恥と申すもの!
 この蜜が塗られたトリを食してごらんなさい! 美味くて、頬が落ちますぞ!」


 と骨付き肉を大盛りにした大皿を抱えて迫ってくる若い貴族とか(試しにつまんでみたら、確かに独特の甘塩感が美味だった。何故かタマネギっぽい香りがしたけど)。



 その多くは、心の底から楽しそうに笑い、アルビオン万歳! と叫んで立ち去っていくのだ。

 ギーシュに絡んでいる人は別だが。


 彼らが悲嘆や愚痴の一つもこぼしてくれればまだよかっただろうに。

 彼らは皆、屈託も無く笑い合っているのだ。

 こんな団欒とした風景が、明日には二度と訪れなくなってしまうかもしれないのに。


 一度そう感じてしまうと、胸がやけに痛くなった。

 締め付けられるような痛みが、途絶えることなく良心を襲ってくる。


 ルイズはそんな痛みに耐え切れなかったのか、首を振って外へ出て行ってしまった。

 まあ、ワルドが追いかけていったから大丈夫だとは思うんだがな。


 キュルケは眉尻を落としながらではあるが、笑顔となんとか呼べそうな表情で歓談している。

 仮面をつけたままのタバサは、粛々とした様子で酌を受けている。うわばみなのか?

 ギーシュは相変わらず絡み酒の相手をして酌を受けている。意外としぶといな。

 俺はというと、相変わらず壁に寄りかかりながら、鬱々真っ盛りな内心を表に出さないよう精鋭の努力を総動員して、檸檬酒なるものを煽っている。


 今夜ばかりは、平民かつ使い魔という身分に感謝したかった。

 俺に話しかけてくる貴族がいない。

 余計なことを口走ってしまいそうだったので、それが実にありがたかった。



 とはいえ、レモン酒は度がゆるいのか、はたまた水で薄められているのかは知らないが、どうにも酔いは回ってくれなかった。

 そうして瓶一つを丸々干し、円卓に鎮座する次の酒瓶に手を伸ばした時。



「随分と呑んでいるね。酒はイケる口かい?」


 何故だか王子さまが貴族の輪から外れて、俺に話しかけてきた。

 ちょうど俺が手を伸ばした酒瓶を、片手で掻っ攫いつつ。



「いつもは、そうでもないんですけどね……。
 いいんですか? あっちの貴族たちほっぽってても」

「なに、気にすることはない。
 彼らとはいつでも話すことができるが、きみと話せるのは今、この時だけだろう。

 違うかい?」


 なるほど、と思わず納得してしまった。



「きみと一度、一対一サシで話をしたくなってね。

 イーグル号をわずか二人で制圧しかけたその片割れ。
 平民の身でありながらも風を読み、私を驚かせてくれたラ・ヴァリエール嬢の使い魔の少年よ。
 きみの名前を、教えてくれないか?」


 ……まさか、王子さま直々に名前を訊かれる日が来るとは思わなかった。

 ちょっと気になるとこはあったけど、名を尋ねられたからには答えないとだめか。



「才人サイト。平賀才人です」

「ふむ、人が使い魔というのも驚いたが、姓名もまた珍しいね。
 最近のトリステインでは、人を使い魔にするのが普通なのかい?」

「トリステインでも珍しいみたいですよ」


 俺以外の人間の使い魔の話なんて聞いたことないし、な。

 そう考えていたら、王子さまは心配そうに顔を覗きこんできた。



「浮かない顔だね。気分でも悪いのかな?」


 いえ、どっちかっていうと気分が悪いと言うよりは悲しくなってます。

 雰囲気にあてられたのかはわかりませんが。


 なんで思考言語が敬語になってますか俺。

 王子さま相手だからですかそうですか。



「……失礼ですけど、いくらか質問いいですか?」

「ん? ああ、なんなりと聞いてくれ」


 それはどうも。

 じゃあ、気になってたことからいきます。



「なぜ、あなたたちは負けたがっているんですか?」


 王子さまが、きょとんと目を瞬しばたいた。



「どういうことだい?」


「ここに着いた時、パリー爺さんと話してたじゃないですか。
 誇りと名誉を示して負けることが出来るって」

「ああ、アレかい。なに、簡単なことだよ。

 負けたがっているのではなく、単純に勝つことが出来ないだけだ」



「……どういうことです?」


「わが軍は300。対して、叛乱軍は50000。
 万に一つも勝ち目はないよ。
 我々に出来ることは、せいぜい勇敢な死に様を連中に見せ付けることだけだ」


「逃げるっていう、選択肢は」

「おや、私たちを案じてくれているのかい?
 きみは優しいな。きみの主人にも、同じことを言われたよ」


 ルイズも?

 ……なんとなくわかる気がする。

 あいつ、見捨てることが苦手みたいだしな。

 俺だって苦手だけど……っと、いかん脱線してた。


「死ぬのは、怖くないんですか?」


「そりゃあ怖いさ。死ぬのが怖くない人間がいたら、是非会ってみたいものだ。
 どうすれば怖くなくなるのか、その秘訣を訊いてみたいね」



「なら、どうして?」


「守るべきものがある。
 守りたいものが、そこにいるからだ。
 その重みこそが、一時ながらも死の恐怖を忘れさせてくれる」


 少し、どきりとした。


「……俺には、分かりませんよ」

「そうかい? 私は、きみは既にそれを理解していると思ったのだが」



 ……そうかもしれない。


 例えば四日前、ルイズを助けるため、ゴーレムの足の下へ滑り込んだ時。


 例えば昨日の夜、俺が二人を庇った時。


 自覚無しに体だけが動いた理由は、正にそれではなかっただろうか?



「なぜです?」

「目を見ればわかるさ」


 王子さまはそう言うと、遠くを見るような目で語り始めた。



「我々の敵である貴族派、『聖邦復興連盟レコン・キスタ』の目的を、きみは知っているかい?」


 首を横にふる。

 名前すら初耳です。



「かの大陸ハルケギニアの統一さ。
 その為に、『聖域』を取り戻すという理想おだいもくまで持ち出してな」


 ……えーと。



「要するに世界征服、ってことですか?」

「多少語弊はありそうだが、そんなようなものだろうね。
 私も、別にそんな理想を掲げること自体に文句は無い」


 じゃあ、どうして?



「あやつらは、連盟レコン・キスタは、そのために流される民草の血のことを考えぬ。
 荒廃を辿るであろう、国土のことを考えぬ。
 理想ばかりを見据え、己が何の上に立っているかを考えぬのだ」


「その為に、あなたたちは命を捨てるんですか?」

「その通り。少なくとも、私と父はそうなのだ。

 民を思い、民に尽つくす。
 それが、民に生かされる王家に生まれたものの宿星なのだ。

 此度のことも、内憂を払えぬ王族に、最後に課せられた義務なのだよ」



 ……わからない。


 それでは、まるで。

 王族が、奴隷のようではないか?

 王族とは、自分の幸せを願ってはいけないものなのか?


 なんだか、自分の中でいつの間にやら築かれていた"王族"への価値観が、がらがらと崩れていく。

 ――そんな崩れていくイメージの欠片の中に、あの夜のお姫さまの、悲しげで、それでいて朱く染まった貌があった。



 あれは、そういうことなのか?



「……俺にはわかりません。
 でも王子さまは……、あのお姫さまからの手紙を読んでも、それでも行くんですか?」


 ちょっと支離滅裂になったが、王子さまに言いたいことは伝わった。と思いたい。


 お姫さまからのあの手紙。

 王子さまの、それを見たときの表情と、不自然な間。

 そして旅立つ前日、お姫さまの漏らした一言。


 なら、あの手紙は。

 今回の、旅の目的は――



 王子さまが、軽く苦笑して口を開いた。



「参ったな、きみにも見抜かれてしまっていたか。

 ……答えは、是YESだ」



 ――お姫さまから王子さまへの、恋文ラブレターの回収。



「守りたいがために、知らぬ振りをせねばならぬ時がある。
 ――愛するが故に、身を引かねばならぬときがあるのだ」



「……でも。……それでも……」


 言葉が、上手く出てこない。視界が滲んできた。



「私がトリステインへと逃げ出してしまっては、奴らは勢いをそのままに、トリステインまで攻め込んでしまうだろう。
 無防備なトリステインへと。

 私は無辜の民を、それも他国の民を己が身勝手で死なせてしまうほど、愚かになりたくはない」



 王子さまには、愛する人がいる。

 その愛する人も、王子さまを愛している。


 でも。


 王子さまには、その人の為に生き残ることも許されないんだろうか。


 彼らの不幸の上に、見ず知らずの人の平和が。

 幸せが、遺される。


 そんな平和を、人々は……望むんだろうか。



 望んで、しまうんだろうか?



「いま言ったことは、アンリエッタには秘密にしておいてくれ。
 いらぬ心労は美貌を損ねるからな。

 ただ、こう伝えてくれればいい。
 『ウェールズは勇敢に戦い、勇敢に死んでいった』と」


 そう言ってレモン酒を一呷あおりした王子さまは、改めて俺の方を向き直った。



「さて、ここからは頼みごと……、というよりも、きみたちにちょっとした依頼があるんだ。受けてくれるかい?」


 潤んだ視界のまま、俺は大きく頷いた。

 今は、この死に征く王子さまの頼みごとなら、なんでも叶えてあげたい。そんな気分だった。


 ……って、きみたち・・?

 それってつまり、と王子さまの視線の先――俺の背後、というか隣というか、とにかく頭を160度ぐらい反転させて振り向いた。


 そこには、タバサが、キュルケが、ギーシュが居並んでこれまた大きく頷いていた。



 お前ら、立ち聞きは良くないことだって知ってるか?









 さて、ウェールズからの依頼を受けた才人たちだったが。

 ウェールズが依頼を伝え貴族たちの輪に戻った途端、タバサがフネを漕ぎはじめてしまった。


 まあ、無理もない話だ。


 タバサは昨夜、一度精神力を使い果たしているのである。

 一晩でそう易々と回復する量ではないのに、ラインスペルとはいえ今日も今日とて凧フネの上で魔法の乱れ撃ちである。

 今までぶっ倒れなかったのが不思議なほどに、タバサは疲弊ひへいしていた。


 仕方ないので、才人はその辺りをうろついていた給仕に寝室の場所を訊ねている。

 キュルケは、ふらつくタバサに肩を貸して支えている。

 こういう場合はおんぶかお姫さま抱っこがセオリーではなかろうか。



 ギーシュが多少焼けそうな胸を抑えながらそんなことを考えていると、突然肩に手を置かれた。



「も、もう酒は勘弁してください」

「何を言っているんだ? きみは」


「え?」


 くるりと振り返ると、そこにはワルド子爵が佇んで、こちらを見つめていた。



「まあいい。きみたちに言っておかなければならないことがある」

「なんでしょうか」


「明日、僕とルイズはここで結婚式を挙げる」


 言葉に詰まった。

 いきなり何を言い出すのかね、この人は。


 何と言っていいか悩んでいると、キュルケが声をあげた。



「……えらく急ですわね。こんな戦場で結婚式を?」

「僕たちの婚姻の媒酌を、是非ともあの勇敢なウェールズ皇太子にお願いしたくなってね。
 皇太子も、快く引き受けてくれた。決戦の前に、僕たちは式を挙げる」


 目の端、サイトが固まるのが見えた。

 無理もないかね。


 しかし、急にも限度っていうものはある。



「きみたちも出席するかね?」

「いえ、ぼくたちは「出席しますわ」ので、ってキュルケ?」


 怪訝な視線を向ける。



「きみ、皇太子からの依頼はどうするんだ?」

「あら、宿敵の結婚式なのよ?
 あたしが見に行かないわけがないじゃないの」


 そうさらりとのたまうキュルケ。

 まあ、それもそう……なのかね?



「ふむ。では、キュルケ以外は不参加かね?」

「あ、はい。皇太子からの依頼がありますので……」


「では、きみたちとはここで一度お別れだな。
 私たちは、獅鷲グリフォンで帰るよ」

「そうですか」


 なんとなくサイトの様子が気になり、横目を向けてみる。

 サイトは、熟睡し始めたタバサをキュルケから受け取り、横抱きにしていた。



 その表情はいつも通りのようで、それでいてどこか硬かった。







「なあ、サイト。本当にきみ、残らないでいいのか?」


 隣、蝋燭の燭台を持ったギーシュが、何度目だかの確認をしてくる。



「お前もいい加減しつこいなぁ……、いーんだよ。王子さまの依頼が先着だ」


 今は、ぐっすりと眠るタバサをお姫さま抱っこしながら、割り当てられた客室へと真っ暗な廊下を移動している最中だ。

 ……タバサって無茶苦茶軽いんだな。見た目以上だ。



「だいたい今の俺には、あいつを守ってやれるだけの知恵も知識も力もねえ。
 俺がそれだけの力を身につけるまでは、誰かあいつを護れる奴があいつには必要なんだ。
 それを買って出てくれるっていうんなら、今は任せるさ」


「そんなこと言ってる間に、お払い箱にされなけりゃいいんだがね」

「うるせえ」


 ちょっと自分でも思ったから言うんじゃねえよ。

 タバサぐらい強くなれたら、もう一辺決闘してやろうか。



「それは勘弁願いたいね……。

 おや? キュルケはどこかね?」

「へ?」


 くるりと後ろを振り返ってみた。



 ……いねえなぁ。真っ暗だ。



「まあいいや。部屋の位置は伝えたから、迷ったりはしねえだろ。
 タバサを寝かすのが先だ先」

「いいのかねぇ」


 気にすることなく、俺たちは部屋へ向かった。

 明日は早いしな。







「ところで堂々としてるから気にしなかったんだが、恥ずかしくないのかいその抱え方?」

「お前がいうな」


 ええ格好しいのレベルなら間違いなくお前が上だろが。







 キュルケは、廊下の途中、分かれ道になっているところで一団から離れていた。

 ここを通りかかった時、たまたま視線をやったバルコニーに誰かが佇んでいるのを見つけたからだ。


 キュルケは迷わず前を行く才人たちと別れ、そちらへ向かった。


 はたして、それはルイズであった。

 長いブロンドを風になびかせ、見上げる月からの光を弾きながら、涙を空へと落としている。


 ……なんで泣いてるのかしらね?



 不思議に思いながらガラス張りの扉を押し開くと、こちらに気付いたルイズが、ついと振り向いた。

 涙を拭うのも忘れて、こっちを呆然と見つめてくる辺り、どうも様子がおかしい。



「あなたらしくないわね、ヴァリエール。
 明日には花嫁になるっていうのに、何でそんなに哀しそうなの?」


 瞬間、ルイズの顔がふにゃりと崩れた。

 おまけに、あろうことかあたしの胸に飛び込んで、ぐりぐりと顔を押し付けてきた。


 ……ホントにらしくない。

 あなたがこんな調子じゃ、こっちまで調子狂っちゃうじゃないの。


 そう内心で一人ごち、肩と後ろ頭に手を回してゆるゆると撫でさする。

 しばらくの間それを続けると、やがてルイズはひっくひっくしゃくりあげながら、喋り始めた。



「どうして、どうしてあの人たちは、死を、選ぶの? ……わけわかんない。
 姫さまが、逃げてって、頼んでたのに……、恋人が、逃げてって頼んでたのに、どうして……」


「自分たちを慕したう平民たちのため、って言ってたわね」

「なによ、それ。愛する人より、平民の方が大事なの?」

「あたしに訊かないでよ。あたしは、王族じゃないんだから」


「わたし、説得する。もう一度、説得するわ」

「ムリよ」

「どうして?」

「男って、ワガママなものよ。
 一度自分でこうするって決めちゃったら、梃子てこでも動かなくなっちゃうもの。

 サイトの涙ながらの説得もダメだったしね」


 そう、とルイズが呟いた。


 相変わらず、頬には涙が伝ってる。

 あと、いい加減ブラウスの胸元もぐしょぐしょだったりする。

 そろそろ透けちゃわないか心配になってきた。



「早く、トリステインに帰りたい。
 この国、嫌い。誰も彼も、自分のことばっかり考えてるおバカさんばっかり。

 あの王子さまだってそう。
 後に遺される者のことなんか、ちっとも考えてないじゃない……」

「明日の式が終われば、帰れるわよ。それまで我慢なさいな。
 花嫁がそんな泣き顔見せてたんじゃ、あなたの王子さまに笑われちゃうわよ?」


 ルイズが、頭の上に?を浮かべた。ような気がする。

 涙は止まったらしく、こちらの顔を見上げてきている。



「ねえ、ツェルプストー」

「なによ、ヴァリエール」


「さっきからわたしのこと、なんで花嫁って呼ぶのよ?」







 は?



「あなた、なんにも聞いてないの?」

「だから、なにがよ?」


 眉根を寄せ、半眼になって睨んでくる様子は、いつものルイズそのものだった。

 とぼけている様子もない。


 どういうことなの?と疑問に思っていると、ルイズが急にはっと息を呑んで、なにやら捲くし立て始めた。



「あんたひょっとしてラ・ロシェールの宿でのこと盗み聞いてたの?
 確かに待っててとは言ったけど、まだ結婚なんか出来るわけないじゃない。
 立派な魔法使いメイジにはなれてないし、そもそもあいつを元のところに帰す方法だって……」



 後半以降を聞き流しながら、この奇妙な違和感について考えてみる。

 何かがおかしい。



 ルイズが待ってほしいと言った?



 でもワルド子爵は婚約者本人の嘆願にも関わらず、それを無視して、よりにもよってこの戦場のど真ん中になるニューカッスル城で結婚式を挙げる?



 それも、わざわざウェールズ皇太子に媒酌人をお願いして?



 ……この不自然さは、いったい何?

「…………ルケ」

 子爵は、いったい何をこんなに焦っているの?

「……キュルケ」

 子爵の狙いは……、何?





「キュルケ!」





 はたと我に帰ると、鳶色の瞳がドアップで見えた。

 近い近い。



「な、なによ?」

「急に黙り込んで、何考えてんのよ。
 いいから、いい加減にこの腕から解放してくれない?」


「……あら、ご挨拶ね。自分から飛び込んできておいて」


 ぼ、っとルイズが真っ赤に染まった。



「あなた、なかなか可愛い顔も出来るんじゃないの。
 いつもそれくらいしおらしくしてたら、あっという間に男が落とせるわよ?
 もったいないわね」

「お、大きなお世話よッ!!」


「大きなお世話ついでに、ちょっと宿敵として忠告しておくわ」

「なによ!」



「恋愛は感情によって、結婚は理性によって、って格言はご存知?
 この男になら、自分の一生を任せられる。
 そう理性で納得できないと、結婚したってろくなことにならないものよ」


「……? なんのことよ?」



つまりね、と前置きする。



「あなたが子爵に自分の人生を任せられないと思うのなら、明日の式ではっきり断っておあげなさい、ってことよ」



 ルイズは、顎を落として唖然としていた。

 こういう顔でも絵になるわね、この子。

 得よね。




 
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