人理を守れ、エミヤさん!
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サドンデスだ士郎くん!
荒れ狂う大海を踏み躙り、森羅万象をも捩じ伏せんと軋む真紅の腕。それを基点に、日輪を想起させる稲光が閃き暴風雨が渦を巻く。
――彼の周りだけが不気味に凪ぎ、陸の平地を想わせる程に海は平らな足場となっている。それはあたかも大海原が単独の個に屈服したかのような、人智を超えた光景だった。
聳え立つ螺旋の水柱が、紅蓮に脈動する復讐者の豪腕へ圧縮されていく。
其れは天上へと牙を剥く水の龍。激発寸前の濁流の砲門、削岩の顎。大陸をも削り割らんと鳴動する力の束は、地殻変動に三倍するエネルギーを捻出していた。
『馬鹿な……』
呻いたのは、カルデアの管制室から現場を観測する『鉄』のアグラヴェインだった。
『魔力観測値2000000オーバーだと!? 最上級の宝具火力すら1000から3000でしかないというのにッ、陛下の聖剣、その通常火力すら比較にならん……! 奴は権能を掌握しているとでも云うのか!? 対軍、対城、対国の枠にすら留まらない、対界宝具だとでも……!』
『待つんだアグラヴェイン……これは権能なんかじゃない。魔力に物を言わせた反則だ! なんらかの、いや、アヴェンジャーは確実に聖杯のバックアップを受けている!』
「――聖杯だと? ……それがなんだ。レオナルド、狼狽えるんじゃない。……どんなものであれ、俺達は超えるしかないんだ」
悲鳴にも似た叫びに応える者が在る。黒髭の旗艦より姿を現し、船首より眼下の悪鬼を見下ろすのは、カルデアの主柱と目される歴戦無敗の鉄心・衛宮士郎である。
暗澹たる顔色だ。精魂尽き果てた、今にその生気が燃え尽きる寸前の面相である。蝋燭の火が、消える直前に燃え上がるように、爛々と琥珀色の瞳を燃やして赤黒い悪鬼を見据えていた。
その姿を視認した悪鬼が嗤った。やはり出てきたか、と。
歪んだ憎悪を燃やす羅刹は確信していたのだ。危機に陥れば、あの男ならばどんな状態であっても確実に出て来るであろう事が。
さあどうする。こちらは札を切ったぞ。こちらにだけ札を切らせ、そちらは何もなし等と虫のいい事をさせはしない。見せてみるがいい、お前が憎むに値する強者であるかを。蟻を踏み潰すかのような鏖殺を望んでいるのではない。驕り高ぶる力持つ暴君を、この腕で縊り殺したいのだ。――カルデアは……暴君か?
自問は溶けて消える。考え事をしている場合ではない。
「アーチャー、間に合わせよッ!」
「無茶を言ってくれる……!」
ネロが錬鉄の弓兵に指示を飛ばす。慌ただしく弓兵が船の後尾に回った。
「セイバー、やってくれるか」
――ここ一番の大事な局面で士郎が恃むのは、最も信を置く剣。騎士王アルトリア・ペンドラゴンである。星の内海で鍛えられた最強の聖剣を手に、壮絶な覇気を気炎として、劫々と燃える清冽な偉志が騎士の盟を謳っている。
その眼が告げていた。――お任せを。シロウの道に立ち塞がるあらゆる障害は、我が聖剣を以て打ち砕くが我が忠節。騎士の誉れは貴方と共にある。マスター、指示を。
衒いなき騎士王の信に、鉄心の男もまた揺るぎなき信で応えた。
「令呪起動。セイバー、お前の剣に、俺達の勝利の輝きを」
具体性の欠いた、抽象的な指令に蒼き騎士王は莞爾と笑む。言葉の裏に隠された祈りと信頼に、応えられずして何が騎士王、何がサーヴァント、何が愛する男の剣か。
敗着の運命など訪れない。この剣は未来を照らす希望の光。輝ける命の奔流。伝説に名高き騎士達の王は、今こそ聖剣の封を解く。
「十三拘束解放──円卓議決開始」
それはブリテンにて円卓を築いたアルトリアの戒め。『強すぎる兵器は、ここぞという時しか使用してはならない』というもの。特定の条件を半数クリアする事でその拘束が解かれるのだ。
アルトリアの脳裡に在りし日の戒めが過る――
『共に戦う者は勇者でなくてはならない』と、サー・グリフレットが忠告した。
『心の善い者に振るってはならない』とサー・ボールスは窘めた。
『是は生きる為の戦いであるか』と、 サー・ケイは糺した。
『是は己より強大な者との戦いであるか』と、サー・ベディヴィエールは諌めた。
『是は人道に背かぬ戦いであるか』とサー・ガヘリスに問われた。
『是は精霊との戦いではないか』とサー・ランスロットが念を押した。
『是は邪悪との戦いである事』を、モードレッドは王の在り方と共に確かめた。
『是は私欲なき戦いである』と聖杯に選ばれしギャラハッドは確かに認めた。
そして。
「是は――世界を救う戦いである」
解き放たれるは九つの封。星の鍛えた最強の幻想は、眩い黄金の燐光で周囲を照らす。おお……。信じがたいものを見たように、黒髭が眼を見開いている。
「『人の星、震撼せし万象』」
「『約束された――勝利の剣』ァッ!」
打ち出されるは二柱の水の龍。辺りの海水全てを巻き込み、膨大窮まる数千トンもの質量を無限に等しい魔力の猛りに後押しさせて束ねている。大陸を四つに引き裂く対界宝具が撃ち放たれ、震撼する大海の悲鳴が海底の土を露出させた。
潮流が大いに狂い足場となる船は掻き回され地に落ちるが摂理なれど、黒髭の船は宝具である。多量の魔力を燃焼させ――海賊船は「空を翔んだ」。
赤い弓兵によって投影された数十ものワイヤーに連結された『黄金の鹿号』もまた、引き摺られるようにして空を舞う。迫る恩讐の狂咆。迎え撃つは、不敗の男へ寄り添う常勝の王。彼と我が共にあるならば、万が一にも敗走など有り得ないと高らかに謳う。
禍々しく咆哮する、天昇る二柱の水龍。
只管に尊い黄金を煌めかせる、究極斬撃。
激突の瞬間、光が死に、音が絶える。刹那の拮抗は無限に等しく――果たして最強の幻想は、対界に至った暴龍の咆哮を蒸発させた。
周囲数百メートル四方もの海水と、天を覆わんとしていた暗雲を束ねた、対界宝具を根刮ぎ蒸発させたのだ。その極光は嘗てない煌めきを伴い、日輪の輝きにも劣らない燐光の雨が燦々と降り注ぐ。
「あ、姐さんっ、お、俺らの船が翔んでますぜ!?」
「黙ってな、舌噛むよ! ――にしても、ハハハハ! コイツはご機嫌だッ! 船で空を翔ぶなんてねぇ!」
海賊にとってこの貴き幻想の輝きよりも、自身の船が空に在る事の方が驚嘆に値するらしい。
大穴の空いた海を埋めんと、辺りから海水が押し寄せている。その流れの激しさは渦潮を無数に生み、大海嘯の轟音は世界の終わりを如実に物語る。
宝具同士の撃ち合いは、聖剣が上回った。その事実に、宝具を放った直後に跳躍していた大英雄は歓喜する。――それでこそ世界の救済者達。お前達ならばこの身を超える事も叶うだろう。
その称賛の念は翳る。潰れて消える。膨れ上がる憎しみの呻き。十二の栄光の内にある最大規模の試練が踏破され、純化していく復讐者は恍惚としていた。
「見事だ。――この賛辞を送るのはこれで幾度目だ? 楯の少女、カルデアのマスター、アイルランドの光の御子……そして誉れ高き聖剣の王。どれほど讃えてもまるで足りぬ、お前達は真実、無上の英雄達だ」
空に在る黒髭の旗艦、そのマストの上に、赤黒い復讐者が現れていた。
だがその様子がおかしい。その偉容に負の想念が無かった。今の彼は雄大な山脈のように雄々しく、広大な平原の如くに広く、無辺の大海原のように深い。爽快さすら感じる暗黒の波に呑まれ逝きながらも、高潔な英霊の霊基が微笑んでいたのだ。
「へ、ヘラクレス……?」
ネロが呆然と呟く。聖杯の支配、何者かの呪い――それすらも、大英雄を完全に支配し切れてはいないのだ。
だがその意志が表出するのは、これが最後なのかもしれない。華の皇帝の憧れた、驍勇無双の武人。その成れの果ては限界を越えていてなおも口惜しげに嘆いた。
「叶うならば本来の私として対峙したい所だったが、生憎とそうはいかん。警告しよう、人理の守護者達。なんとしても星の開拓者の船を護るがいい。さもなくば――」
遺志が途絶える。代わりに表れるは反転存在、無双の勲を打ち捨てる卑劣外道。
噴き出す邪悪な魔力の噴流が、夥しい呪詛の思念と共に嘲笑した。
「――ああ、貴様らの旅路を潰えさせてやろう」
「ッ、来るぞ!」
偉丈夫足るアルケイデスの身の丈ほどもある、長大な魔剣マルミアドワーズが現れる。
それを片腕に握り、もう一方の腕が虚空を鷲掴みにした。
「空を飛ぶ船、実に嬲り甲斐がある。だが忘れてはいまいな? 地の利は未だ私にある。貴様達の人の和で、果たしてどこまで持ちこたえられるか――見せてもらおう」
下方の海流が突如として噴き上がる。活火山の噴火にも似た濁流がそそり立った。真名解放ならざるその水柱を受けても、黒髭の『アン女王の復讐号』は健在だろう。
だがしかし、聖杯の所有者フランシス・ドレイクがいるとはいえ、宝具ならざる『黄金の鹿号』が耐えられる道理はない。なんとしても護れと大英雄は告げた。その意図は不可解で応じる理由はない。復讐者が卑劣にも大英雄を模して嘯いただけの可能性もある。現実的に言って信じる道理はなかった。
だが――英雄は英雄を知る。
「ランサー……!」
「応ッ! もうやってるぜ!」
先の警告を欠片も疑わず、クー・フーリンは即座に応じた。手持ちのルーン全てを投じ黒髭の旗艦とドレイクの愛船を囲い、上級宝具の一撃をも防ぐ防壁が展開される。
「キャス狐、この壁を更に堅牢に出来るか?」
「はい♪ コーンなの、朝御飯前ですっ」
ネロもまた抜け目がなかった。玉藻の前は軽く請け負って腕を振るい、評価規格外の規模を誇る呪術がクー・フーリンの防壁を更に固める。
それによって空中の二隻は、逃げ場のない牢獄と化した。大海がドーム状に形成されるも、外部よりの脅威を凌ぐ壁は、内部からの脱出すらも困難なものとしているのだ。
こうなると分かっていての一手。間断なく防壁を削る荒潮で、自身諸共に閉じ込めたアルケイデスは、圧倒的不利な状況でありながら不遜な笑みを絶やしていなかった。
寧ろ膨れ上がる暴威を漲らせ、品定めするように敵対者達を見渡す。
楯の少女、これは否。
聖剣の王ら、これらも否。
純白の女、これも否。
黒髭の巨漢、候補の一つだが宝具ならざる船が一隻健在な内は対象外。
和装の女、手に合わぬ故に否。
赤い弓兵、真価を発揮出来ぬ贋作ばかり、これも否。
獅子の狩人、否。
最大の脅威である光の御子――
「――往くぞ。此度の試練もまた、私は踏破してくれる」
にやりと嗤った復讐者が、襲い掛かる。
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