ドリトル先生と日本の鉄道
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第九幕その四
「組み立てる時に動かす貨物列車とかクレーンのものも含めて八本も必要だったんだ」
「それ凄いね」
「八本ものレールが必要って」
「そういえば貨物列車とかクレーンもあったね」
「そっちの模型も再現していたね」
「本格的にね、まあ貨物列車は普通の場所も走っているけれど」
鉄道博物館のディオラマの上をです。
「色々なものを乗せたね」
「あれもいいよね」
「人を乗せる列車だけ走ってないってね」
「リアルさが出て」
「いいことだよ」
木や生きものを乗せたそれがです。
「そこまで考えているとか」
「素晴らしいよ」
「よく造られているよ」
「そのこともね」
「そう、そしてね」
さらにお話をする先生でした。
「ドーラはね」
「ああしてだね」
「実際にだね」
「八本のレールを使っていて」
「それも忠実に再現したんだね」
「そうだね、凄いことだよ」
先生も唸ることでした。
「本当にね」
「いや、レールが一本なのは」
それはと言ったガブガブでした。
「どの列車もって思っていたけれど」
「それは違うんだね」
ジップも言います。
「あまりにも大きいと何本も使うんだね」
「そんな列車もあるのね」
ポリネシアもドーラのことからお話します。
「あまりにも大きいと」
「新幹線も貨物列車もSLもレールは一本」
トートーも言います。
「けれど列車によっては何本も使うだね」
「列車があまりに大きいと」
チーチーもドーラを思い出しています。
「ああして何本も使うんだね」
「そんな列車もある」
「世の中にはね」
チープサイドの家族もお互いでお話をします。
「列車のレールは一本とは限らない」
「それは固定観念なんだね」
「そして一本だけしか使ってはいけないか」
ホワイティはチープサイドの家族の固定観念という言葉から述べました。
「そうでもないんだね」
「普通の列車はレールは一本でも」
こう言ったのは老馬でした。
「一本だけしか使っていいかというとそうでもない」
「必要なら何本でもいい」
「そういうことだね」
オシツオサレツもこの考えを受け入れることが出来ています。
「ドーラみたいに」
「そうしていいんだね」
「これも面白い考えね」
最後にダブダブが言いました。
「レールをどう使うかも」
「うん、どうしても普通に暮らしていたらね」
先生もこう言うのでした。
「列車のレールは一本って思うからね」
「それが複数でもいい」
「ドーラはドーラだけでも四本でね」
「合わせて八本も使っていたから」
「そうなってもいい」
「必要なら」
「そうだよ、まあ幾ら何でもドーラは特別だけれどね」
単独でも四本も使うそれはというのです。
「けれどね」
「レールは一本でなくてもいい」
「そのことも大事だよね」
「ドーラでそのこともわかるね」
「鉄道博物館に行けば」
「そうなるね、これは最初思わなかったよ」
先生にしてもです。
「ドーラがそうした列車砲だったことは知っていても」
「後で気付いたのね」
「先生にしても」
「そうなんだね」
「そうだよ、気付けばね」
本当にというのです。
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