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人理を守れ、エミヤさん!

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睦まじきかな、盾の少女




「冗談だったのに……」

 まさか本当にドッグフードを出すわけもないのに、拳骨を貰う羽目になった俺は不貞腐れて食堂を後にした。

 しかしまあ、冷静になってみるとクー・フーリンという英雄にとって犬というものは色んな意味が付随するもの。過敏に反応して当たり前であり、冗談でも言って良いこと悪いことがあるのは社会では常識だ。その境界線を見誤ったこちらに落ち度がある。
 親しき仲にも礼儀あり。結束の固い主従であればこそ相手を思いやるべし。寧ろ拳骨一発で許してくれたクー・フーリンに感謝すべきだ。
 そうと弁え、反省し、後で改めて謝罪しに行くかと決めて、俺はマイルームに向かう。その途上、足許にすり寄ってきた小動物に気づいて俺は感心した。

「――っと。普通に気配を感じなかった。アサシン並みだなフォウ君」
「ふぉーう」

 白い毛むくじゃらな獣。手を腰にやると、それを取っ掛かりにフォウが肩まで登ってきた。

 フォウを君付けで呼び始めたのは最近だ。

 これは個人的な意見だが、無垢な動物というのは相対する者の鏡なのだと思っている。
 愛情を注げば素直な愛情を。憎悪を向ければ負の感情を還してくれるのだ。これほど分かりやすい指標があるだろうか?
 注ぐものが愛情であっても向け方や趣によって還ってくるものは違う。動物の人間への態度は、ある意味で自身への問いかけに近い。
 甘やかすだけが愛ではなく、愛玩するだけでは対等ではないと教えてくれる。人が人に接する時、相手にどう見えているかを示してくれるのならどうしてそれを邪険に出来る?
 故に、俺の動物への接し方は基本が人間と同じ。知能によって幼い子供と同じように接し、またフォウのように高い知能を持っていると判断した場合は相応に扱うことにしていた。

 それに、フォウは純粋に可愛らしい。些かの贔屓が出てしまうのも人情であろう。

「……そういえば菓子が余ってたな。後でマシュと一緒に食べるといい。他の奴等、特にアルトリアとオルタには絶対に秘密だぞ」
「ふぉう!」
「果物の方がいいのか? ちょっと贅沢覚えて来たなお前」

 愛らしいつぶらな瞳が間近でジッと見つめてきて、なんとなしに話しかけると短い前肢でテシ、と頬を小突かれる。
 それが彼なりの自己主張で、そうと意思を汲み取れるのはフォウをただの獣として見ていないからだ。
 彼は人の言葉を理解している節がある。時々知らんぷりする賢しさがあるが、その挙動を注意深く観察していればフォウがどう見ても人の言葉を解して行動しているのは読み取れた。
 人外の蔓延る世の中である。獣に人の言葉が分かるわけないと頭から決めつけたり出来ない身の上であるから、そういった機微にも気を付けていたら自然と察せられた。

 俺に要求を突きつけたフォウは、肩から飛び降りて忙しなく駆け去っていく。マシュを呼びに行くのだろう。
 俺のマイルームには冷蔵庫などの設備があるので、別に食堂にとって返す必要もない。小さな獣が駆ける様を微笑ましげに見送る。と、曲がり角の手前で急にフォウが立ち止まった。

「どうした?」

 声を掛けると、静かにしろとでも言うように視線を向けてくる。
 訝しげに眉を顰め、俺はフォウの止まった角から顔を出すと、そこにはマシュがいて、そしてアサシンのサーヴァントである切嗣がいた。

 意外な組み合わせである。

 切嗣はマシュを除き最初に召喚したサーヴァントで、その実力に大きな信頼を寄せている。だが他のサーヴァントとの相性を考慮してか、彼がコミュニケーションを取っている所を見たことがないのが懸念材料となっていた。
 そんな彼が、マシュと話しているのは本当に意外で、だからこそフォウも驚いたように立ち止まったのだろう。

 何を話しているのか、無粋ながら耳を傾けてみるも声はしない。怪訝に思い目を凝らすと、切嗣とマシュはハンドサインで会話していた。

「ああ……」

 そういえば、特異点Fか第一特異点のどちらかで、マシュが切嗣と俺がハンドサインでやり取りしているのを見て、自分もハンドサインを覚えたいと言っていたのを思い出した。
 自分にではなく、切嗣に教わっているのは何故か。それは切嗣と親しくなって信頼関係を構築する意味もあるのだろうが――

「……」

 一番の意味を察して、俺は苦笑して踵を返した。
 見なかったことにする。少女の影の努力を指摘するような無粋を、俺はする気がなかった。
 マシュの学習意欲と頭の回転、記憶力からすると僅かな学習のみでハンドサインをマスターしてしまえるだろう。ここまでに何度か学んでいた証として、今ちらりと見た感じだと殆ど詰まることなくやり取りが成立していたように思う。
 ゆっくりとお茶とフォウのミルクを用意し、林檎や葡萄などを小皿に盛って時を空けていると、控え目にノックと共に声がした。

『先輩、入室の許可を』

 マシュの声だ。心なし、溌剌とした声音に苦笑して招き入れる。

 サーヴァントとマスターは一心同体だ。主従であり、戦友であり、兄妹であり、変な意味ではなく恋人のようでもある。
 命運を同期させるとはそういうことだ。またそうでない者にどうして命を預けることが出来るというのか。当然の心構えであり、そうでなくても俺はマシュを妹のように可愛がっていた。
 ぷしゅ、と空気の抜ける音と共に扉がスライドし、淡い色彩の少女が入室してきた。

「マシュ。前にも勝手に入っていいって言ったろう? 俺の部屋はマシュの部屋でもあるんだから」
「ぁ、は、はい」
「ふぉうふぉーう!」

 マシュの肩から飛び降りたフォウが、テーブルの上に用意していた果物の盛り合わせの前に向かった。
 心得たもので一人で食べ始めたりしない。お行儀が悪いぞ、と以前指摘したことを覚えているのだ。

「先輩!」
「ん、なんだ?」
「見て欲しいものがあるんです、いいでしょうか!」
「いいぞ」

 矢鱈と力んでいるマシュの語意に、手にしていたカップをソーサーに置いて頷いた。
 むん、と鼻息荒く、やや緊張ぎみにマシュが小さくよし、と気合いを入れた。その様に、俺は微笑ましげに目を細める。
 ややあって、片手を胸の前にやり、一定の早さで手を動かす。そのサインを見て、俺はさも驚いたように声を上げマシュの送ってきたサインに応じた返事を返す。
 意味が通じた。マシュは嬉しそうに顔を輝かせ、頻りにサインを送ってくる。手話に近いが意味合いは異なるそれは、端から見ているとまるで意味が分からないだろう。

 どれほどそうしていたのか、興奮ぎみの少女の気が済むまで付き合う気でいたが、傍で眺めていたフォウが途中二人だけの空気に耐えかねて鳴き声をあげた。

「ふぉう! ふぉーう! ふぉーう!」
「ん?」
「あ、フォウさん。……むぅ、フォウさんを放って二人だけで話すのはいけなかったですか」
「フォウ君は構ってちゃんだからなぁ」

 俺がそういうと、後ろ足二本で立ったフォウが前肢で俺の肩を叩き遺憾の意を表明した。
 鼻を軽く押してひっくり返させ、その腹を撫でてやるとフォウは擽ったそうにもがく。ははは、と笑いながら擽り続けると、今度はマシュが手を伸ばして擽り始めた。

「ぶるふぉぉおお!」

 悲鳴をあげてなんとかフォウは飛び退いた。
 離れて睨み付けてくるも迫力はない。怒っているのではなく、照れ怒りのようなものだ。

「ふふふ」

 微笑むマシュに、俺も相好を崩す。どちらも可愛いものだ。
 マシュに飛び付いて仕返しのように懐に潜り込もうとするフォウをマシュは意外とあっさり捕まえた。

「先輩。私のサイン、どうでした?」
「完璧だな。言うことはない。切嗣に習ったんだな」
「はい! アサシンさんは、その、話しづらい方かと思ってましたけど、別にそんなことはなくて、教えを請いに行ったら丁寧に教えてくれました!」
「そっか。うん。そりゃよかった」
「あの! これで私、先輩のお役にもっと立てるようになったでしょうか!」
「ばか。最初から役に立ちっぱなしさ、マシュは」

 それに、役に立つ立たないで態度なんか変えない。そう思うも、言ってもマシュは変わらないだろう。そして、それでもいいと思う。
 マシュは今のままでいい。穢れは全て大人が担う。無垢でいて欲しいと、俺は思うのだ。まあ、独り善がりだと言われたらそれまでだが。大人のエゴとはそういうものだろう。

 嬉しげに、本当に心から喜んで微笑むことの出来る少女。彼女は思い付いたように言った。

「あの、折角なんでドクターにも教えてあげてはどうでしょうか。今度から一緒に旅をするんですし」
「――ん、いい案だ。ロマニもここに呼ぼう」
「はい!」

 魔術王としての力を使えば、初見でも応じて来るだろう。しかしそれを言うのは無粋で、ロマニも誘われれば喜ぶだろう。
 何せ指揮権をアグラヴェインに移譲し、今はゆっくり休まされて暇を持て余しているだろうから。

 ロマニにとり、マシュは保護すべき存在で。
 マシュにとり、ロマニは親代わりの存在だ。

 未来は決して明るくない。否、寧ろ未来なんて失われている。
 それでも人は前を向ける。やって来たロマニに、得意気にハンドサインを教授し始めたマシュを尻目に、俺は改めて決意した。

 正義は後付けで付いてくる。故に、俺の手の届く者全てに幸福を。
 曇りなく、思う。マシュを、ロマニを、そしてカルデアの善き人々を、決して損なわせはしない。





 ――その勘定に、衛宮士郎は自分を含める。

 しかし。

 その鍍金に、皹が入っていることに、彼は気づいていなかった。


 ふぉーう。


 獣の瞳が、それを見ている。







 
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