緑の楽園
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第三章
第28話 暗殺者
「こんにちは。また会えましたね」
――なぜこいつがここに。
その丁寧な口調も、恐怖にしか感じなかった。
暗殺者の男の手には、俺の首に当てられていたであろう短剣。
男は、自分から見て出入口側に立っている。
戦わずに逃げるのは不可能だ。
だが、クロはいない。カイルもいない。
一人で戦おうにも……この男はおそらく、戦闘員として専門の訓練を受けているだろう。
さっきも、背後を取られていたのに気配がまったくしなかった。俺の勝てる相手ではない。
どうする……。
俺はこの国の人間ではない。この国の中枢とは無関係だ。この前はたまたま国王に同行していただけだ――そう釈明して、命乞いすれば。
もしかすれば、この場は何とか…………
……なるはずはない。
この男は、遺跡で大一番の仕事に失敗した。それは決して小さな失敗ではなかったはずだ。原因はもちろん、俺にある。
そして今日、こちらが一人になるのを見計らって登場した。
逆恨みでの復讐。それくらいしか理由が見当たらない。
――やはり玉砕覚悟で戦うしかない。
震えの隠せない手で、腰の剣を抜こうとした。
それを見た男は、閉じていた口を開け、やや慌てたようなそぶりを見せた。
「落ち着いてください。僕は今すぐあなたと戦うつもりはありません」
そう言うと、足元に短剣を置き、両手を上げて戦意のないことを示してきた。
逆光なので表情はよく読み取れないが、声の調子は鋭くない。
「どういうことだ?」
「今日は、あなたにお願いがあって来ました」
――暗殺者が、俺と交渉?
意味があるのだろうか。俺は政治家でもないし軍人でもない。
「お願い? 俺は民間人だぞ」
「もちろん知っています。そのうえでのお願いです」
「……油断させておいて、拳銃で殺す気か」
「拳銃は持ってきていません」
「信用できない」
仕方ないですね――。男はそう言うと、ジャケットを脱いで床に置き、上半身はTシャツ一枚の恰好になった。
そしてズボンのポケットを引っ張り、外に出した。
確かに、拳銃は持ってきていないようだ。
「…………」
「どうですか? これで信用していただけましたね」
相手は丸腰だ。
俺はまだ帯剣している。
今、剣を抜いてこちらから仕掛ければ、逃げられるだろうか?
――いや、ダメだ。
気配を察知されて、相手が短剣を拾うほうが速いだろう。
次のチャンスを待ったほうが……。
だが、次のチャンスなんて訪れるのだろうか。
やはり無理してでもここで……。
「では、あなたも剣を置いていただけると――」
「ぅぇっ?」
……しまった。裏返った声が出てしまった。
大失策だ。今ので、頭の中で検討していた内容がバレた。
「もしかして……今、だまし討ちしようと考えていました?」
「えっ? まあ……」
あ。
ああ……。
混乱してミスがミスを……。
男が短剣を拾う。
今度こそ終わった。殺される。
「……」
「……」
「…………」
「…………」
男が息を吐きながら、頭を掻いた。
「剣を遠くに置いてください」
――ダメだ。言うとおりにしよう。
今どうにかできる可能性は、確実にゼロになった。
人通りが少ない場所とはいっても、誰かが偶然発見してくれる可能性もある。
その可能性をできるだけ上げる方針でいこう。
そのために、これからおこなわれるであろう話を、ひたすら引き延ばす。
それしかない。
俺は剣を壁際に置いた。そして元の場所に戻った。
それを見て、男も再度短剣を置いた。
「今のは聞かなかったことにします。さっき脅して無理矢理ここに連れ込んだのと差し引きゼロ。それでどうですか」
「あ、ああ。わかった」
「ではテーブルを用意します」
男は、部屋の端に立てかけてあった背の低いテーブルを、部屋の中央に置いた。
こたつのようなそのテーブルの前で、俺は正座をした。
男も正座をする。
お互い、武器は手の届かないところにある状態だ。
「僕はヤガミ・タケルという名前です。タケルと呼んでください」
「オオモリ・リクだ。もう名前は知っているんじゃないのか?」
お互い自己紹介する必要はあったのだろうか。
男も俺の名前はすでに知っていただろうし、俺としても暗殺者の名前など別に知りたいと思わない。
「あの犬に感づかれないよう人ごみに紛れ、あなたが一人になるのを待っていました」
「……」
少しだけ、気持ちが落ち着いてきた。
時間が経ったからというのもあるが、もうジタバタしても仕方がない気がしたというのもある。
とにかく時間を稼いで、誰かが気づいてくれるのを待とう。
「先ほど言いましたとおり、今日はあなたへお願いがあります」
「どんなお願いなんだ?」
「我々に力を貸していただきたいのです」
「は?」
いったい何を言っているのか――そう思った。
「そちらの、テロリストの仲間になれって? いったいなぜ?」
「我々はテロリストなどではありません」
「テロリストじゃなければ何なんだ?」
どんな組織なのかも知らないのに、仲間になどなれるわけはない。
まあ、この前の国王暗殺未遂を見るに、ロクな組織でないことは容易に想像できるわけだが……。
「聞く覚悟はあるのですか?」
「……? どういうことだ?」
「我々の情報を詳しくあなたに教えて、そのうえで、あなたがこちらの提案を拒否した場合は……」
「ああ、なるほど。それを教えることは可能だが、その場合は『仲間に入らなければ殺す』ということか」
「はい。そういうことになります。今お互い武器を置いていますが、恐らく素手同士で戦っても、僕はあなたを殺せると思います」
「まあ、そうだろうな」
「……」
「……」
「…………」
「…………」
タケルはまた、頭を掻いた。
「ええと。そのうえで、聞く覚悟はあるんですか?」
「ない」
「……」
少し、目が薄暗さに慣れてきた。
彼を見ると、困ったなというような顔をしている。
「そんな顔をされてもな。中身もわからない組織には入りたくないし、聞いたら選択肢が一択になってしまうことも聞きたくない。それは普通だろ」
「そうですね……」
「……」
「……」
また妙な間ができた。
「じゃあ、問題のない範囲で教えてもらうというのはどうだ?」
「いいでしょう。少しお話します」
このタケルという暗殺者は、戦闘は得意なのだろうが、話はあまり得意ではないのだろう。
話の進め方を知らない者同士が話し合っているので、お互い訳がわからなくなってきている感じがした。
「我々は『人間』なのです」
「そりゃ人間なのは見ればわかる」
「その意味の人間ではありません。この世界の、人間を称する者たちとは違う『本当の意味での人間』ということです」
「本当の意味での人間?」
「そうです。そしてあなたも人間。つまり我々は同志というわけです」
「……? さっぱり意味がわからない。もう少し補足をしてほしい」
話の内容は、まったく要領を得ない。
本当の意味での人間などと言われても、新手の中二病としか思えなかった。
「少しわかりづらかったですか。ではそれも説明させてもらいます」
いや少しどころじゃねえよ、と突っ込みを心の中で入れる。
今度は、ボロッと口から漏れてしまうことはなかった。だいぶ落ち着いてきた証拠だ。
「あなたは、遥か昔から来た古代人ですよね」
「何でそれを知っている? お前に言った覚えはないぞ」
「それは今言えません」
「なぜ……いや、いい。続けてくれ」
突っ込んで聞こうと思ったが、少し思い当たるところはあった。
話を続けるよう促す。
「我々は、あなたの時代の流れを直接くんでいます」
タケルの表情が、気のせいか若干誇らしげになったように見えた。
「あなたはこの時代に来て、文明のレベルが妙に低いと思いませんでしたか?」
「ああ、思った。何があってこうなったのだろう、とね」
もちろん、僕もその時代を生きていたわけではありませんが――そう前置きして彼は続けた。
「あなた方の文明は、一度崩壊しています」
「……!」
「そして、あなた方の時代の文明を引き継いだのは我々です。今のこの世界の自称人間たちではありません」
「な、何だと……?」
「我々が拳銃を持っていることがよい証拠です。この国の者たちは持っていないでしょう?」
「……」
「我々の組織こそが人類の歴史では本流で、今この世界にいる自称人間は亜流なのです。亜人と言ってもよいのです。
我々は高度な文明を持つ真の人間として、同種であるあなたをお迎えしたいのです」
……。
この世界の文明のレベルが高くない。
その理由について、『一度文明が崩壊した』というのは、今までまったく考えたことがなかったわけではない。
だが……。
なぜ崩壊したのか、なぜこいつのグループだけは文明を引き継げたのか、今のこの世界はなぜ文明の発達が妙にゆるやかなのか……等々、とにかく謎が多い。
謎はそのままで、結果だけを今知らされても、混乱が増すばかりだ。
「す、すまん、ちょっと頭が整理できない……」
「そうですか……」
またタケルのほうは困り顔だ。
どうしたものかという感じなのだろう。
「話にならんな」
突然、目の前のタケルとは違う声。
その声は、彼の背後から聞こえてきた。
はっきりと聞き覚えのあるものだ。
彼の背後の壁。この部屋に入ったときは薄暗くて気づかなかったが、片引き戸があったようだ。
それがスッと開いた。
「タケル、やはりお前では無理だ。ここから先は私が代わる」
「……」
あらわれた男は、予想どおりだった。
俺の素性を知っていて、そして俺が今日神社に行くことも知っている人物――。
筆頭参謀のヤハラだった。
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