整備員の約束
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4. 暮煙
俺が木曾とまるゆの艤装を整備するようになってしばらく経ったある日のことだった。
その日は木曾から『いつも最高の状態の艤装にしてくれている礼だ』といつもの小料理屋に呼び出され、奢りで(といってもタダで食べられる話だから、奢りというのもおかしな話だが……)呑んでいた。
「なぁ徳永」
「あ?」
いつものように、木曾とまるゆに挟まれる形でカウンター席に座り、いつものようにビールを煽る俺。今日のお通しは牛肉の時雨煮。提督さんのオリジナルらしいが、趣味レベルを超越した旨さだ。酒もよく進む。普段はあまり食べないまるゆも俺の皿からちょくちょくつまみ食いをしている。
「お前、ここんとこずっと忙しいのか?」
左隣の木曾がいつもの笑顔をニッと浮かべ、俺を見てそんなことを聞いてくる。まるゆはつまみ食いどころか俺のお通しの皿を自分の前に移動させて、時雨煮をもりもり食っていた。俺のお通しが無くなっていく悲しみが、胸を支配していく。
確かに俺はここ最近忙しい。おかげで髭を剃るのも少々めんどくさく、頬の全面に無精髭が伸びていた。
「なんでだ?」
「……いや、最近のお前、無精髭が伸びてるからな」
いつもの笑顔のまま、木曾が俺の顔に触れ、頬の無精髭をなでた。ザラザラとした感触が俺の頬にも伝わってくる。
「うるせえ。めんどくさいんだよ最近髭剃るのが」
「剃れよ無精してないで」
「まるゆも触っていいですか? ……いたっ」
挙げ句、反対側のまるゆも俺の頬の無精髭を右手でザラザラと撫でる。こいつらからしてみれば身近な男なんて、いつも綺麗に髭を剃ってる提督さんぐらいだ。だからこれだけの長さの無精髭は珍しいのかもしれない。
木曾が俺の頬から手を離し、今度は俺の髪をくしゃくしゃと撫でた。なんだか子供の頃に母親に乱暴に頭を撫でられているような、そんな不思議な感覚を覚えた。
俺の髪に触れる木曾の顔は、とても柔らかい。
「髪も伸びてるな。そろそろ切ったらどうだ?」
「うるせえな……切ってるヒマが今はないんだよ」
「情けない……身だしなみにもうちょい気を使えよ相棒」
そう言って木曾はクククと笑うが、そもそも俺が忙しい理由の一つが、こいつらが艤装の調整を俺に指名してるからだ。こいつらが俺以外のやつにも艤装の調整を許せば、俺も一日丸々休める日が出来るのに。それなのに他人事みたいに笑いやがる。
「そうですよ。そろそろ髪を切ってもいいタイミングなんじゃないですか?」
「んじゃお前が今から切ってくれよ小僧」
「ぇえー……しかも小僧じゃなくてまるゆなのに……」
まるゆまで俺の頭をくしゃくしゃとなでやがる。以前からこいつは俺に馴れ馴れしい気がしていたが、最近はそれに輪を掛けて馴れ馴れしい。親しき仲にも礼儀ありという言葉を、こいつにも教えてやりたい気分だ。
「まるゆにまで言われて形無しだなぁ徳永?」
木曾の手が俺の髪から離れた。そのまま目の前のおちょこを手に取り、静かにそれを煽る木曾の横顔は、眼帯のせいもあって中々に表情が読みづらい。
だがいつになく鮮やかに見えるこいつの唇は、いつものようにニッと笑っていた。
その翌日。俺の作業スペースにまるゆがやってきた。珍しく一人で、周囲を警戒しながらだが。
「おう小僧。どうした?」
「……」
「お前の艤装の調整は済んでるぞ。木曾のやつの調整も今終わるところだ」
ちょうどその時、俺は木曾の艤装の調整が終わりそうなところだった。これが終われば、次は金剛型のやつらの艤装の調整をしなきゃいかんわけだが……
眼の前のまるゆは、何やら落ち着きがなく、周囲をキョロキョロと警戒しながら立っている。両手を後ろに回していて、背後に何かを隠しているようにも見えるが……
「……よし。木曾さんはいない」
「ん?」
意を決したらしいまるゆが、自分の背後に隠していた一枚の紙を、俺の目の前につきつけた。
「? なんだこれ?」
「えっと……徳永さん」
「ん?」
「隊長からの命令ですっ」
「お、おう」
そんな不穏がセリフとまるゆの妙に鬼気迫る表情に押されつつ、俺はその紙切れを受け取った。
目を通すと、確かにそれは提督さんから俺に対する命令書だ。正式な書式に乗っ取ったそれは提督さんの署名捺印もあり、正規の命令書であることが見て取れる。
だが、肝心のその内容は、俺を困惑させた。
「……おい小僧」
「小僧じゃなくてまるゆですってば」
「お前、提督さんに何を言ったんだよ」
「秘密です」
俺の視界は命令書にフォーカスされているから、まるゆがどんな表情をしているのか、まったく見えなかった。
その命令書には、『本日、徳永吾郎は散髪し、髭と身だしなみを整えること』『そのため、木曾とまるゆの艤装の調整が終わり次第、鎮守府内美容院“サウダーデ”へと向かうこと』とあった。
「これで徳永さんも、仕事を気にせず髪を切れますね!」
「でも俺、美容院なんか行ったこと無いぞ。男の俺が行っても大丈夫なのか?」
「ぇえー……行ったこと無いんですか徳永さん……」
「いっつも床屋だったからな」
正規の命令書なんて出されてしまったら、髪を切らない訳にはいかない。仕方なく俺は、木曾の艤装の調整が終わったところで後の仕事を同僚に引き継ぎ、美容院へと向かう。
はじめて訪れる鎮守府内美容院は、とてもスッキリと落ち着いた店内で、いかにも女受けしそうな内装だ。立ち込める匂いは床屋にとても似ているが、もう少し華やいだ感じがした。
「……あ、徳永さんですか」
「はい。……なんか、提督さんからの命令で、ここで身だしなみを整えろと……」
「待ってました。提督さんから話は聞いてます。どうぞ」
話は美容院にも通してあったらしい。俺が到着するなり、美容師は俺を散髪台へと案内してくれた。美容院だから散髪台という呼び名で合っているのか分からないが……
姿見の鏡を見ながら、美容師は俺の頭をくしゃくしゃといじる。どうやら俺の髪は、男にしては随分と長い部類にまで伸び切っているらしい。
「ここまで伸びてるなら、長さはそのままで整えるって選択肢もありますけど、どうします?」
「んー……」
――髪も伸びてるな。そろそろ切ったらどうだ?
「……バッサリいく。あとはお任せでいいっすか。俺よくわかんないし」
「了解です。んじゃ短髪でカッコよく仕上げますよ」
「ついでに髭も……」
「うちは美容院なんで剃るのは出来ませんが……髪に合うように整えます」
「よろしく」
こうして、俺の美容院初体験は、幕を開けた。
初体験だからそう感じたのかもしれないが、この『美容院』てのは床屋と比べて、客といろいろとコミュニケーションを取らなきゃいけない場所なのだろうか……そう思えるほど、店主は俺との話に付き合ってくれた。
「艤装の調整を担当してるそうですけど……親しい子とかいるんですか?」
「俺達は特に接点ないんで。……あ、まって二人」
「誰と?」
「木曾と小僧……まるゆってやつです」
「ぁあー……重雷装巡洋艦の。彼女、カッコイイですよね。まるゆもなんだか健気な感じがしてかわいいし」
「美容師さんは?」
「川内型の子と親しいですよ」
「へー……一人、艤装でマイク持ってるでしょ」
「自称アイドルだそうですからね」
そんなとりとめのない話をしながら、美容師さんは俺の髪を切り、整えていく。ハサミを入れる瞬間のチョキチョキという感触が、とても心地よい。
話をしていてわかったのだが、特に木曾のやつは、この鎮守府の中でもかなり強い部類に入るらしい。美容師さん曰く、特に強いのは川内型の次女らしいのだが……その神通という子が『木曾さんは相当強い』と言っているのを、聞いたことがあるんだとか。
「本人に言ったらダメですよ? 口止めされてるんですから」
「なんで口止めされてるんすか?」
「……恥ずかしいんじゃないですかね。とにかく本人の耳には入れるな……と」
「親しいんですねぇ」
「……ええ。まぁ」
そう言って俺の髪をくいっと引っ張る美容師さんの頬が、少し赤くなったのがわかった。
それを見て思い出す。そういえば以前、小料理屋で三人の川内型がキャワキャワと騒いでいた。ということは、この美容師さんと川内型の次女、親しい関係なのかもしれない。
「……ニヤリ」
「? なんですか?」
「いや別に」
「でも、そういうあなたも木曾さんと親しいんでしょ?」
突然に意味の分からない指摘をされ、頭にはてなマークが浮かんだ。あの男みたいな女と自分が親しいなぞ、言われたことも考えたこともない。
「いや、特に親しくはありませんが」
「またまた……艤装の調整の指名なんてよほど親しい人じゃないと出来ないし、受けないでしょ。神通言ってましたよ。『最近の木曾さんは目覚ましい活躍をしてるし、本人もどこかのびのびしてる』って」
「そら艤装の調子がいいですからね」
「それ以上にあなたに艤装の調整を任せられてるのが、うれしいんじゃないですか?」
「想像したことないですわ」
ひとしきり俺の髪を切り終わった美容師さんは、ワゴンの上にハサミと櫛を置いた。そのワゴンから小さなバリカンを手に取り、それのスイッチを入れる。
しかし……あいつらの艦娘としての活躍の話なんてあまり聞かないから新鮮だ。まるゆから一度『木曾さんは強い』と聞いたことはあるが、まさか一目置かれる存在だったとは……
「ニヤニヤ」
「……なんすか」
「いえ、なんでも」
意味ありげな笑みを浮かべた美容師さんは、静かに動くバリカンを俺の頬に当て、伸び切った俺の無精髭を、短く整えていった。
思ったより早く髪を切るのが終わり、美容師さんから『頑張ってください』という意味がよくわかない激励を受け、俺は美容院を後にした。
終了時に『はい。かっこよくなりました』と姿見で散髪後の姿を見せられたのだが……確かにスッキリはしたものの、正直、それが自分に似合っているかどうかはよくわからない。だが、確かにスッキリはした。髭も整えられていて、無精髭というよりは、海外の俳優なんかがおしゃれで伸ばしてる感じに見える。
想像以上に早く終わってしまったため、俺は鎮守府内をぶらぶらとふらつくことにする。頭が軽く、頬も心なしか涼しい。切る前は『めんどくさい』と腰が重かったが、切ってしまえばやはり爽快だ。『髪を切ること』という提督さんからの命令にも、今なら素直に感謝ができる。時間が余ったから、久々に残り時間を休めるし。
敷地内をしばらくぶらぶらとふらついていたら、小高くなった丘を見つけた。丘の頂上には一本の大きな桜の木が生えている。特に用事はないが、少し足を伸ばしてみることにした。
丘の頂上の桜の木陰には、セーラー服を着た女が二人いた。一人は木陰に座り、眠りこけるもうひとりを膝枕しながら本を読んでいるようだ。
「……あ、こんにちは。整備員の方ですか?」
「ああ。お前らは昼休みか?」
「そうなんです。ここで寝るのが気持ちいいみたいで……」
恥ずかしそうにそう答えるその子は、左目が金色に輝いていた。
俺も木陰に座ることにする。そよそよと拭く風が心地よく、お日様の光がポカポカと温かい。確かに眠るにはちょうどいいのかもしれない。
「……確かに気持ちいい。眠くなる……」
「お疲れなら、少し眠ってもいいと思いますよ?」
「かも……しれない……」
髪を切ってまだ間もないのに、木陰で寝転んだ。途端に草の香りが鼻に届き、それがまた心地良い。全身を照らす陽の光がぽかぽかと心地いい。
「……あ」
「?」
「ヤバ……おち……」
「……おやすみなさい」
隣で本を読む女の子の、そんな優しい声が耳に届いた。次第に閉じていく視界に最後に写ったのは、桜の木の鮮やかな緑色。
あいつの髪の色と同じだが……もう少しだけ鮮やかな、陽の光に輝く、緑色だった。
………………
…………
……
……
…………
………………
「そろそろ起きろ徳永……もう夕方だぞ」
俺の耳に、聞き慣れた声が……でもいつもに比べ、少しだけ柔らかく耳に心地いい声が届き、俺の眠りは優しく中断された。
「……ぉお、おお」
「まったく……やっとお目覚めか」
少しずつ少しずつ、視界がクリアになってきた。木陰で寝転んだ俺は、そのまま熟睡してたらしい。クリアになってきた視界には、オレンジ色に近い青空と、桜の木が映っている。
「……今、何時だ……」
「もう夕方だ。晩飯の時間に近い」
頭の下に、やけに小高く、柔らかいものがあることに気付いた。自分は知らないうちにこれを枕にしていたようだ。確かに枕にするにはちょうどいい柔らかさと高さなのだが……
未だ寝転んだままの俺の頬を、誰かがさすり、そして頭の髪に触れた。
「髪切ったのか。さっぱりしたな」
「おお……まぁ……命令でな……」
「ククッ……なんだそりゃ……」
段々頭がはっきりしてきた。短髪になった俺の頭をくしゃくしゃとまさぐるそいつが、未だ寝転んでる俺の顔を覗き込んでくる。
そいつの顔は、俺がよく知っている笑顔を浮かべた。
「髭も綺麗に整ってるじゃんか」
「木曾か……」
「いいな。昨日の髪型よりもいい」
途端に頭がハッキリと覚醒し、今のこの状況を正確に理解することが出来た。木曾が俺の頭に、膝枕をしてくれていた。
「お前……寝てる俺に膝枕してたのか」
「ああ。俺で悪いな。でも何も無いよりマシだろ」
そういって木曾は、俺を見下ろしてニコッと笑う。
周囲を確かめる。さっきのセーラー服の女のように、足は正座していない。木曾は桜の木にもたれかかって両足を投げ出し、その右太ももに俺の頭を乗せてる感じだ。
「……ずいぶん男らしい膝枕をしてくれてるな。なんで俺がここにいるって分かった」
「俺に女らしさを求めるなよ。古鷹とまるゆに、お前がここで気持ちよさそうに昼寝してるって聞いてな」
「フルタカ?」
「今日、お前がここで会った姉妹の姉の方だ。んで来てみたら、枕もなく硬い草むらの上で、お前が馬鹿面下げて寝てやがったからさ」
「馬鹿面は余計だろうが」
「あの面は馬鹿面以外に言いようがない。んで、仕方なく俺が膝枕してやったんだよ」
「そうか……ありがとな」
「いや、逆に俺の膝枕でよかったのか疑問だったからな。悪くないならよかった」
軽口を叩きながらも、木曾は俺の頭を撫でる手を止めない。短髪になった髪をくしゃくしゃと乱し、時々髪をくりくりと指に巻きつけて遊んでいる。
「……なー木曾」
「ん?」
「もうしばらく、こうしてていいか」
「んー……」
くしゃくしゃに乱された髪は、美容院でセットしてきたものなのだが……まぁいい。整髪料はつけてないから、木曾の手も汚れはしないだろう。
それよりも、こいつの手と太ももの感触が心地いい。この男みたいな木曾にそんなことを考えてしまうのも、なんだか癪だが……
「まるゆが待ってるんだが……いいよ。もうしばらくこうしとけ」
「ありがと」
「俺も今日はもう出撃もないし。お前が馬鹿面ぶら下げて中々起きなかったことにしとこうか」
「うるせえ」
「だって馬鹿面はホントの事だしな」
そう答え、俺ではなく夕焼けの海を眺める木曾の眼差しは、とても綺麗に澄んでいる。
そんな木曾の静かな微笑みは、夕焼けに照らされ、薄いオレンジ色に染まっていた。
「……? 何こっち見てるんだ」
「……うるせえ」
「意味がわからん相棒だぜ……」
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