整備員の約束
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3. 人煙
「徳永。ちょっといいか」
川内型の主機の整備をしていた、ある日の昼。艤装を装備した木曾とまるゆが整備場にやってきて、俺の仕事スペースの前に立ち塞がってきた。
「なんだ? どうかしたか?」
まるゆもいたから慌ててタバコの火を消し、灰皿にそれを投げ捨てる。まるゆは申し訳なさそうにビクビクとこっちを上目使いで見つめ、木曾は座っている俺を見下していた。その澄んだ目には、初めて会ったときのような、妙な威圧感があった。
「あ、あの……徳永さん」
「おう」
「気のせいかもしれないんですけど……私の主機、ちょっとおかしいんです」
「おかしい?」
「はい。妙に動きが硬いというか……」
もじもじとそう話すまるゆは、本当に申し訳なさそうに見える。まるで艤装の不調を訴えるのが重犯罪であるかのような怯えっぷりだ。
一方で……
「俺の魚雷発射管も妙だ。このままじゃ出撃出来ない」
「お前のもか?」
「ああ。俺のも見てくれ」
「つってもお前、全部で4基つけてるだろ。全部か?」
「全部だ」
同じく艤装の不調を訴える木曾の目は鋭くて冷たく、高圧的ですらある。口調と声色こそ穏やかだが、腹の中では怒りが爆発しているに違いない。
早速二人に艤装を外してもらい、まずはまるゆの艤装から見てみることにする。
「う……」
「どうした?」
この調整は酷い。まるゆが違和感を覚えるのも理解出来る。まるで『ボルトとナットなんて力いっぱい締めときゃいいんだろ』とでも言わんばかりに、すべてのネジが力いっぱい締められていた。遊びがまったくないし、これじゃあ動きが硬くなるに決まってる。
「木曾の艤装も先に見せてくれるか」
まるゆの主機をもう一度調整する前に、木曾の魚雷発射管も確認してみたが……こちらも酷い。こちらもガンガンにボルトとナットが絞められている上、潤滑油もさされてない……担当はどいつだ。あとで調べて説教しなけりゃならんレベルだ。
「……すまん。完全にこちらの失態だ」
「……」
「俺が責任を持って調整する。出撃は待てるか?」
俺は立ち上がり、二人に頭を下げた。たとえ担当が誰であれ、これは俺たち整備担当の失態だ。これは俺が頭を下げるべき事態だ。二人には迷惑をかけた……。
「よかった。じゃあ急いで調整をお願いしますね」
まるゆはホッとため息をついたあと、朗らかな笑顔でそう言ってくれたが、その隣にいる木曾は、奥歯をギリギリと噛み締め、握り拳に力を込めていた。全身を怒りで震わせ、緑色の髪が逆立っているようにすら見えた。
「……おい徳永」
「あ?」
木曾の口から発せられた声には、こいつ自身がなんとか押し殺している、激しい怒りが込められているように感じた。
「俺たちはな。文字通り命をかけてるんだ。分かるか」
「……分かる」
「お前らが調整したこの艤装に、俺達は命を預けてる」
「ああ」
「その艤装を調整するお前らは、いわば俺たちの命を握ってる」
「……」
「お前らが半端な仕事しかしなかったら、俺達は死ぬんだ」
「……」
「それだけはわかってくれ」
返す言葉もない……こいつらは命をかけて海の怪物と戦っている。そのギリギリの一線……生きるか死ぬかの瀬戸際の部分で、最後にこいつらの生死を分けるのは、艤装の調子だ。
もし、ギリギリのその瞬間、主機が整備不良で止まったとしたら……魚雷を発射するその一瞬のタイミングで、魚雷を発射することが出来なければ……そして取り逃したバケモノが主砲を発射してきたら……こいつらは意外と簡単に沈むが、その原因を作ったのは俺たち整備班……いわば俺たちが、コイツらを殺したことと同義となる。
「……すまん。すぐ調整する」
「ああ。今度はしっかり頼むぜ。……まるゆはみんなのところに行って、出撃は遅れるって行って来い。あと提督にも報告を頼む」
「分かりました。木曾さんは?」
「俺はこいつの調整が終わるまで待つ」
木曾から指示を受けたまるゆは、ピシッとかわいい敬礼をしたあと、整備場からトテトテと走って行った。やっぱり陸の上では主機は無いほうが走りやすいらしく、来たときと比べると幾分足が軽やかに見えた。
「さて……今度は頼むぜ徳永」
残った木曾は俺をジッと見て、そう口ずさみながら、俺のそばの椅子に腰を下ろした。その澄んだ眼差しに、さっきまでの怒りの色はない。
「……任せろ。最高の状態にして返すのが俺の仕事だ」
そう言って、作業着の袖をまくった俺は、まずはまるゆの主機の調整から取り掛かることにした。道具箱からレンチを一本取り出し、それでボルトを一本ずつ、緩めていった。
………………
…………
……
調整が済んだ後は、木曾とまるゆはいつものように出撃していった。
「……いいな。いつもより動かしやすい」
「ホントだ。なんか軽い感じがしますね!」
これは、俺の調整が終わった艤装を装着した時の、二人の反応だ。かなり丁寧に調整をしたから、そらぁ二人からしてみれば動きも軽く、扱いやすい調整になってるだろう。俺からしてみれば、すぐそばにいる木曾に睨まれながらの調整だったから、まさしく蛇に睨まれた蛙のように、恐れおののいた状態での生きた心地がしない仕事だったわけだが……
ともあれそれで機嫌がよくなった木曾から、「今晩もどうだ?」と誘われ、俺は今、いつもの小料理屋『鳳翔』のカウンター席で、二人を待ちながらビールを飲んでいる。今日のお通しはニラのおひたし。湯通ししたニラに卵の黄身をまぶした、とてもうまい逸品だ。
ちなみにタバコは吸ってない。なんせまるゆが来やがるからな。
「あいつら遅いな……自分から誘っといて……」
「キソーとまるゆなら、もうしばらくしたら来るよ」
俺のボヤキが聞こえていたのか、提督さんからそんな風に俺をたしなめた。店内は俺ひとりだけだから静かなもんだ。鳳翔とかいう艦娘の、包丁の音だけがトントンと響く。
「やっと来れた! 徳永さんおまたせしました!」
「よう徳永。待たせたな」
提督さんの言葉は意外と外れではなかった。言葉通り、ほどなくして引き戸がガラッと開き、まるゆと木曾が店内に足を踏み入れた。
「待ったぜ。おせえよ」
「そう言うなよ。これでも今日、敵艦隊を3つ潰してきたんだ」
「木曾さんすごかったですよ? 敵艦を6隻ぐらい撃沈したんですから!」
途端に賑やかになる室内。店内の明かりが少しだけ明るくなり、クリーム色に染まった気がした。
俺の両サイドに陣取った二人は、そのまま提督と鳳翔に『いつもの』と注文していた。ほどなくして出されたものは、木曾の前には徳利とおちょこ。まるゆの前にはコップ一杯の牛乳と大皿いっぱいのポテトチップスだ。
「これから晩飯だろ? なんでポテチなんだよ」
「これ美味しいんですよ? ポテチには牛乳です」
「だってよ。試してみろよ徳永」
「いらねー……木曾こそ試してやれよ」
「遠慮しとくよ。これから飯だろ?」
「二人ともひどい……」
言葉の割にさほどショックを受けてない様子のまるゆと、おちょこに日本酒を注いだ木曾と三人で、乾杯を交わす。おちょことビールと牛乳で乾杯……なんておかしな乾杯だ。
その後、今日の出撃時の話を聞かされたのだが……やはり俺が調整した艤装は調子がよく、そのおかげもあって、いつもよりも多く敵艦隊を殲滅出来たとのことだ。
「お前、腕がいいんだなぁ徳永」
「腕っつーか、これが本来の整備員の仕事だろ。元がダメダメだったんだよ」
「いや、実際にお前が調整してくれた艤装は他のやつに比べて動きやすい。出撃前はあんな偉そうなことを言ったが……改めてお前らの重要性が分かったよ」
「……そうか」
「まるゆも今日は全然怪我しませんでしたよ? こう……シュバババ! って感じで相手の爆雷を避けられました」
「よかったなー小僧〜」
「まるゆは小僧じゃないです……でもホント、調子良かったですよ!」
「ああまったくだ。ホント、徳永さまさまだな」
いつの間にか自分の前に置かれたニラのおひたしに箸を伸ばし、木曾はそれを口に運んでいた。その横顔は、どこか楽しそうだ。
俺と木曾の前に、なんかの魚の刺し身が乗った皿ががコトリと置かれたときだった。木曾はこちらを振り返り、いつものニヤッとした笑顔を浮かべ、俺の顔を真っ直ぐに見つめた。
「なぁ徳永。これから俺たちの艤装は、お前に整備と調整を頼むよ」
「は? 指名なんて出来るのか?」
整備員の指名なんて出来るのか? 俺達はいつも割り振られた艤装をただ機械的に調整していくだけだ。ここに勤めて俺も長いが、俺自身、艦娘から指名なんてされたこともなければ、指名された奴の話も……そもそも出来るなんて話も、聞いたことがない。
「木曾さん、そんなこと出来るんですか?」
それはまるゆも同じだったようで、口に牛乳の白ひげをつけたまま、不思議そうに木曾にそう問いただす。
「……俺も知らないし聞いたこともないけどな……でも」
俺とまるゆの視線を受けながら、木曾はククッと笑い、そして……。
「どこかの優しい提督なら、それぐらいやってくれるんじゃねーかな? なぁ提督?」
と、意地悪そうな笑みを浮かべ、今俺たちの目の前で鳳翔から手ほどきを受け、何かをコトコトと煮付けている提督さんに話を振った。
「んん!?」
これは提督さんも予想外だったらしく、木曾にそう話を振られるなり、提督さんは素っ頓狂な声を上げた。その途端に隣の鳳翔から「提督、鍋から目を離さないで下さい」と優しく静かに注意をされたのが、提督さんらしくてどうにも可笑しい。
「なぁ提督? アンタなら、それぐらいの融通は効かせてくれるよな?」
そんな提督さんに、さらに追い打ちをかける非道な女、木曾。『相手が忙しい時を狙え』という、人に物事を頼む時のコツをしっかり理解してやがる。
しかし、そういう無理なわがままを楽しそうに訴えられるあたり、こいつら艦娘がどれだけこの提督さんを信頼しているかがよく分かる。料理が趣味だなんてずいぶん腑抜けた軍人だとも思ったが、人に好かれる優しいタイプなんだろうな、この人は。
「どうなんだ? 俺たちの戦績をもっと伸ばすチャンスだぜ?」
「んー……」
「……それとも、不十分な調整をされた艤装で、俺達の活躍の邪魔をするのか?」
鍋から目を離さず、考え込む提督さんに対し、木曾は容赦なく追撃をかけていく。提督さんを見るまるゆの眼差しにも、次第に期待がこもり始めた。
やがて観念したのか、提督さんは鍋を見つめたまま苦笑いを浮かべ……
「……わかった。二人の艤装は、徳永さんが調整するように手はずを整えとくよ」
と呆れたように言い放った。
提督さんの言葉を聞いたまるゆは『やったー!』と両手を広げてバンザイしやがった。木曾は木曾で提督の言葉を聞くなり、俺の方を振り返ってニッと笑い、
「だそうだ。これからよろしく頼むぜ徳永?」
と俺に念を押してきやがった。こいつら……余計な仕事を増やしやがって……
しかし、不思議と悪い気はしない。
こいつらが俺のことを指名する。……つまり、俺の腕を認めてくれているということだ。昼間の木曾の言葉をそっくりそのまま流用すれば、こいつらは俺に対して、『命を預けても良い』と思っているということになる。
逆に言えば、俺はこれからの仕事で、ミスが許されない、気が抜けない立場になったというわけだ。こいつらの命は、俺の腕にかかっている……。
「しゃーない……お前らの艤装は、俺に任せろ」
「わーい! ありがとうございます徳永さん!」
「口に牛乳ついてんぞ小僧」
「だからまるゆですって……」
「……ありがとな、徳永」
「おう任せろ。今日みたいなことには、もうならねーよ」
「ああ。お前が調整してくれてるってだけで、安心して出撃出来るぜ」
両手を上げてはしゃぐまるゆに比べ、木曾の喜び方は静かだった。
だが喜びは本当らしく、木曾はいつも笑顔をニッと浮かべた後、自分が持つ酒が注がれたおちょこを、俺が持つコップにチンと軽くぶつけてきた。
「……」
「……ん? どうした徳永?」
「……いや」
その音は、俺の耳には、妙に美しく響いた。
翌日、俺がいつものように整備場の自分の作業スペースに出勤したら、見慣れた艤装が2つ、置いてあった。
「……?」
荷物をおろし、椅子に腰を下ろして2つの艤装を確認する。……まるゆと木曾の艤装だった。
「よっ。お前ご指名らしいな」
同僚の一人が、すれ違いざまにニヤニヤと笑いながらそう言い放っていく。それぞれの艤装には、一枚ずつ紙切れが貼り付けてある。それをペリッとはがし、目を通した。
「……ぷっ」
目を通し終わった後、その手紙を壁に貼り付け画鋲で固定した。
貼り付けたそれらをひとしきり眺めた後、今日の仕事の準備を始める。軽くストレッチをした後、工具箱からレンチを一本取り出した。サイズは13ミリ。
まずはまるゆの主機からだ。2つの艤装のうちまるゆの主機を手にとって、俺は丁寧にボルトの一本をゆっくりと緩め始めた。
――今日からよろしくおねがいします まるゆ
――主砲の照準が少しだがずれてる気がする よろしく頼む 木曾
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