カラミティ・ハーツ 心の魔物
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Ep5 醜いままで、悪魔のままで
〈Ep5 醜いままで、悪魔のままで〉
◆
「リュクシオン=モンスターッ! 貴様の命をこの僕が頂くッ!」
閃(はし)る、銀色の剣光。月を宿した銀の髪、凍てつき澄みわたる青の瞳。
「彼」はまだ力を手に入れてはいなかったけれど。大召喚師のなれの果て、リュクシオン=モンスターに見つかって攻撃を仕掛けられた。ならば受けるしかないだろうと銀色の彼は思い、これまでの想いを全て力に変えて剣を振る。月の光に照らされる大地の中、彼の銀の髪は美しく照り映えた。その中で冴えわたる剣の腕。
「僕は、僕は、僕はッ!」
一撃ごとに溢れ返る感情。それは彼の全身から闇として滲みだして、彼にさらなる力を与える。彼はかつて、王国で一番の剣の腕を持つと言われていた。夜を切り裂く剣光は苛烈で、その素早さたるや、まるで何本もの銀の光が躍っているかのようでもあった。
しかしリュクシオン=モンスターも、当然ながらただやられるに任せているわけではない。
咆哮。至近距離で放たれた音の衝撃波は銀色の彼の聴力を奪い、彼の頭に殴られたような衝撃を与えた。
「く……ッ!?」
呻く銀色。生まれる致命的な隙。その隙に魔物は迫り、その腕が銀色の彼の脇腹を貫いた。飛び散る赤い液体。それは大地に広がっていき、触れるものを赤に染め上げた。銀色の彼はくずおれる。
「……リュクシオン=モンスター……ッ!」
脇腹を貫かれた痛みに顔をゆがめながらも、彼は憎悪に満ちた目で魔物を睨む。魔物はしばらくそんな彼を見つめていたが、やがて何も手出しをせずにその場を去った。銀色の彼は呻きながらもその背に声を投げる。
「殺せよ、化け物。僕を、殺せよ……!」
こんな惨めな生を送るくらいならば、殺された方がましだと彼は叫んだ。しかしその声は魔物には届かない。彼は自らの流した血の海に倒れながらも、怨嗟の言葉を吐き続けた。
そんな彼を嘲笑うように、月に影がかかっていった。
「あなたをたすけてあげる」
甘いささやきが、彼の心を満たす。
「ほら、わたしがほしいでしょう? 大丈夫、すぐにあげるからね」
どうしてだろう、と彼は思った。どうして自分はこんなところにいるのだろう。
強くなりたいと思った彼は、大召喚師のなれの果てに弱いままで戦って敗北して、それで。
大怪我を負い、助けられて。今は女性の胸に抱かれている。
女性の濡れて上気した肌が、蟲惑的な香りを放つ。その甘ったるい香りが彼の思考力を奪う。これまでの目的も、何もかも。
「あなたのなまえはなんて言うの? だいじょうぶ、こわくないから」
「……******・*******」
彼は問われるがままに、名を答えた。言ってはならなかったはずなのに。言ったらお終いって、わかっていたはずなのに。
彼は逆らえなかった。催眠に掛けられたような心地が、彼の心を支配した。
彼女は彼を抱き、言うのだ。
「なら、すべてわすれてしまいなさい。つらいことがあったのでしょう。わたしがなまえをあげるから」
彼女は彼の唇を優しくついばみ、甘い声で言う。
「あなたの名はゼロよ。そして、わたし以外の人を知らない」
催眠術にかかったように、彼はうなずいて。
そして、全てを失った。
――僕は、だれ? 名前は、ゼロ。あの人は、だれ? お母さん。
忘れちゃいけないことがあった。なのに。
わずかに残った記憶が彼に訊ねる。
お母さん、お母さん。
――リュクシオン=モンスターって、一体なに……?
◆
「花の都フロイラインという町が、ずっとずっと北にある。そこに例の話が眠っているんだ」
翌日。回復したフィオルが、リクシアにそう説明した。
「僕は文献でしか読んだことがないし、花の都の正確な位置もわからない。ただ、北へ。そんな曖昧な情報しかないけれど、それでも行くの? 花の都そのものだって、そもそも夢物語みたいな存在なんだ」
「ちなみにそれでも正真正銘の実例と言えるのは、そこに行って帰ってきた旅人の証言があるからだ。その旅人はたくさんの手記を残していて、そこには旅してまわった各地の話が書かれている。その話のどれもが非常に正確だったから、花の都についての情報も信憑性があると言える」
フィオルの言葉をアーヴェイが補足した。
当然よとリクシアは頷く。
「言ったでしょ、夢物語でも構わないって。夢物語上等よ。ならば私が直接その町を訪れて、夢じゃないって証明してやるんだから。私は決めたの。もう下がらない、退かないわ」
そんなわけで、一同は北へ向かうことになった。
花の都フロイラインに向かって、旅を始めて一週間。リクシアが新しい仲間に慣れ、旅のノウハウを少しずつ吸収してきた頃、それは起きた。
一行がちょうど、両側が崖になった道を通っている時のことだった。
「いたぞ! あの娘だ!」
声がして、崖から人が降ってきた。
「殺さず捕らえよ! 他の者の生死は知らず。あの娘のみを捕らえよ!」
アーヴェイは軽く舌打ちした。すかさず魔法の用意を始めたリクシアに、叫ぶ。
「貴様は逃げろ! フィオルもだ!」
「!」
その言葉に、両者が反論する。
「私だって戦える!」
「……アーヴェイ。もしもアレをやるつもりなら……もう、やめてほしい。一緒にいる」
「……アレって?」
リクシアの疑問は、剣を抜く音によって相殺される。
アーヴェイが、剣を抜いていた。
二本。禍々しい装飾の、赤と黒の剣。
それが、敵にではなく、リクシアとフィオルに突き付けられていた。
「アーヴェイ!」
リクシアが驚いて叫ぶと、アーヴェイは鋭い口調で返してきた。
「魔物よりも、生きている人間のほうが厄介なことがある。リクシア、貴様はこの狭い道で、味方に当てず敵のみに魔法を当てられるのかッ! あとフィオル! 気遣いは無用、オレはこれでやってきた!」
その、有無を言わさぬ空気に。
「……わかったわ。でも、必ず後で合流するから!」
「無理しないでね」
何を言っても無駄だと悟り、二人は来た道を引き返す。
二人は願わずにはいられない。
――どうか、無事でいて――!
「……ほう、仲間を逃がすか。美しいものだな」
それを見つつも、額に禍々しい烙印のある少年が、前の道からやってきた。
アーヴェイは無言で双剣を薙ぐ。少年はひらりとよけると、言った。
「戦闘開始だ」
途端、アーヴェイの中で力が膨れ上がり、心の中で声がする。
『ぎゃははははは! やっとのお呼び!』
『今夜は挽肉パーティーだ!』
アーヴェイの双剣、『アバ=ドン』には、人格があった。快楽的で、享楽的な、狂ったような双子の人格が。普段、アーヴェイはその剣を抜かない。なぜなら。
――抜いたその時点で双子が目覚め、身体を乗っ取られることだって少なくはないからだ――。
今、アーヴェイは戦っている。襲い来る人と双子の意思に。
彼の身に宿した悪魔の血が、血の匂いに狂喜する。
狂いそうな思考の中、意思を保つのは至難の業で。彼の身体は今、悪魔のような異形と化していた。
アーヴェイは、人と悪魔のハーフなのだ。
アバ=ドンが血を求める。悪魔の血脈が彼の思考力を奪う。
彼はこうなるとわかってはいた。けれど、こうでもしないと守れないのだ。
――フィオルとリクシアが戦うには、この敵は強すぎる。
だから。異形と呼ばれたって、化け物と呼ばれたって。
彼には守るべきものがあったから。弟みたいなフィオルと、偶然出会ったリクシア。
アーヴェイは、呟く。
「――オレは、これで、いい」
それを聞いて、烙印の少年は嘲笑を浮かべる。
「悪魔だ! 悪魔が本性を見せた!」
その言葉になんて一切構わず、アーヴェイは烙印の少年に斬りかかる!
悪魔のままで、怪物のままで、醜いままで、異形のままで。
魔物と化した大切な人。悪魔になれば、助けられたのに。
嫌われるのを恐れ、何もできなかった。結局彼の大切な人は、魔物となって人々を襲う。
でも、今は違うから。
「――オレはッ! これでッ! いいッッッ!!」
思いを込めて、振り上げた刃。双の剣がブゥンとうなる。
しかしその刃は、少年の命には届かなかった。
「私のゼロに、なんてことしてくれるの」
彼は熱い感触を腹に感じた。死角から突きだされた剣が、彼の腹を貫いていた。
「貴……様……」
くずおれるアーヴェイ。
美しい女性が烙印の少年を抱き、アーヴェイを貫いた剣を引き戻す。剣に内蔵が掻き回されて、アーヴィは苦悶の声を上げる。
「ぐ……ああ……あ……!」
そんな彼を、汚いものでも見るかのような顔で、女が顔をゆがめていた。
「醜いこと。悪魔のくせして私のゼロを傷つけようとするなんて」
アーヴェイの視界がゆがむ。その身体が崩れ落ちる。
「これはもらっていくわね」
女の、声。奪われた『アバ=ドン』。アーヴェイは悔しさにその身を震わせた。
またしても勝てなかった。守ろうとして傷ついて、奪われて。
「さようなら」
烙印の少年を伴い、去っていく女性。
暗転する視界。
旅はまだ始まったばかりなのに。
――フィオル、済まない――。
零れていく血液が、大地を赤く赤く染め上げる。
彼は意識を手放した。
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