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カラミティ・ハーツ 心の魔物

作者:流沢藍蓮
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プロローグ 心の魔物

 
前書き
 新しいシリーズ。一体何本書くのかって? さあねぇ。
 この話は、去年の八月ごろに書いていた駄作を、設定がもったいなかったので大幅リメイクしたものです。キャラとか良かったんですけれど、文章の構成力が足りなくて挫折。でももう一度書きたかったので今に至ります。
 全体的に暗い話が多いです。 

 
――人は、心を闇に食われたら、魔物になる――。
 それでも、だからこそ。
 この厳しい世界で、手を取り合って笑い合いながら、
――生きていくんだ。

  ◆

「魔導士部隊、位置に着け!」
高らかに響くラッパの音。リュクシオン・エルフェゴールは隣を見た。
「ついに来ましたね、この時が」
「ついに来たな、総力戦が」
 彼の隣に立っているのは、この国の王。王は難しい顔をして、リュクシオンに言った。
「リューク、いけるな?」
「はい、あと少しで準備ができます。しばしお待ち下さい」
「頼りにしてる」
 戦が始まった。国を懸けた戦いが、始まった。逃れられない戦いが、大切なものを守るための防衛戦が、始まった。始まってしまった。一方的に。防衛側のことなんて露ほども考えられずに。――侵略する側というのはそういうものだ。
 この国、ウィンチェバル王国は小さい割には資源が豊富である。そのためこれまで多くの国々から狙われ、侵略されてきた。それをすべて退けられたのは、ひとえにこの国の魔導士部隊のおかげである。それなりの侵略ならこれまで何度かあったが、今回のは規模が違う。攻めてきたのはローヴァンディア、ウィンチェバル王国の西に位置する大帝国で、その武力は世界の中でも随一を誇る。
 リュクシオン・エルフェゴールは目を細める。自軍は四千、敵軍は一万。あまりにも圧倒的すぎる戦力差に、思わず膝を屈したくなる。それでも彼はぐっとこらえ、己の中で、三日三晩不眠不休で練り上げてきた魔力の蓮度をさらに高める。敵が来るのはわかっていた。だから彼は、この日のために――。
風が吹き、彼の茶色の髪を揺らす。その下で、空色の瞳が、疲れたような色を見せながらも力強く輝いた。彼の髪を揺らした風は、彼の羽織った薄青の外套によって、服の中への侵入を阻まれる。空から雪がはらりと落ちて、彼の茶の革靴の上に落ちて融け消えた。今は冬、寒い季節だ。彼の細いその首には、藍色のマフラーが巻かれていた。
 彼ことリュクシオン・エルフェゴールは召喚師だ。この世とは違う世界に呼び掛けて、その世界の存在を言葉によって縛りつけ、使役する。それが召喚師の御業。召喚師というのは才能で、生まれつき「違う世界」を認識できる者の中でもごく一握り、「縛りの言葉」を感覚によって体得し、呼び出した対象によって臨機応変に「言葉」を使い分けられる者だけが召喚師になれる。それなりの魔力を持っていることも召喚師であることの必須条件である。召喚師は魔力を消費して「違う世界」に呼び掛けるのだ。彼らはこの国ウィンチェバル王国にはほとんどいないが、最も召喚師の排出率が高いとされる国でもその割合は全人口の零点一パーセント程度と、絶対数は非常に少ない。
 リュクシオン・エルフェゴールは、そんな召喚師の一員だ。しかし彼の場合は生まれつき召喚師ではなかった非常に稀有な例である。彼の召喚の才能は後天的だ。後天的召喚師なんて、歴史書に二人しか見つからない。彼はそれほど希少な存在だった。
昔、無力だった彼は「力を」と願った。状況すべてを打破する力が欲しいと。彼は弱すぎる魔法の才能しか持っていなくて、そんな自分が嫌で嫌でたまらなかった。当時王国は内乱によって疲弊し、一刻も早くそれを収める優秀な人間が必要だった。彼は強い愛国心の持ち主で、何の役にも立たない我が身が大嫌いだった。その思いは日増しに強くなり、内側から彼を苛み続けた。
 そしてその願いは、ある時叶った。理由はわからない。ただ、その時から急に、彼は召喚術が使えるようになったのだ。消えたのはちっぽけな魔法の才。それと引き換えに彼は、これまで己の知覚できなかった「別の世界」をはじめて知覚することができるようになり、それを自覚すると同時に、彼の頭の中に沢山の「縛りの言葉」が浮かんできたのだ。ここに新しい召喚師は誕生した。その後の彼は召喚師として一気に成長して目覚ましい功績を上げるようになり、自分のコンプレックスとなっていた劣等感から解放された。彼は国のために役に立てるという喜びを、全身で味わうようになった。それは彼が最も理想とする未来。そんな未来への切符をその日、彼は手にしたのだった。そして彼は国のために粉骨砕身し、自分のことをまるで省みないようになった。
 リュクシオンは神を信じない。信じても無駄、助けは来ない、そんな世界に生きてきた。しかし彼に起きた奇跡は、何もできなかった彼が急に「力」を手に入れた理由は。神の御業であるとしか、彼は考えられなかった。歴史書の二人も「奇跡によって」「神によって」、後天的な召喚師の力を手にしたという発言があった、との記録がある。神はいない、いるとしても童話の中だけだ、そう信じられている世界だけれども、彼の全てが変わったあの日、彼は明らかにこの世のものではない不思議な声を聞いたのだ。
 リュクシオン・エルフェゴールはその力を使って、今まさに彼の愛する国を奪おうとしている侵略者たちから国を守ろうとしている最中だ。そのためにずっと魔力を練って、「ある存在」を召還した際に、「それ」がこの世界へ来るときの道を作っているのだ。道がなくては応じたくても応じられない。彼が呼び出すのは相当に強い力の存在だから、その分道を大きく強くしなければならず、だから三日三晩も寝ずに作業をしているのである。
 そして今、彼はここにいる。その力を見初められ、王の側近として、ここにいる。力がなければ、決して昇りえぬ地位に。望んでこそいなかったが、決して悪くは無い地位に。
 リュクシオンは、疲れた顔の上に不敵な笑みを浮かべた。
――だから、利用させてもらうよ。
 この状況を打破できる、唯一無二の召喚術。国を守るために過去の文献をあさり、そして見つけた、とある天使の召喚呪文。リュクシオンしか見つけられず、リュクシオンにしか「縛りの言葉」がわからなかった。それの発動には、長い長い準備が要った。やがてリュクシオンが寝る間も惜しんで準備し続けた術の完成が、迫る。リュクシオンは強く思った。
――国を守りたい。思いはただ、それだけなんだ。
 そして。
 太陽が、月に食われた。
 日食だ。しかも皆既日食だ。昼の雪原はあっという間に闇に閉ざされ、凍える寒さが人々を打つ。不安げな声がざわめきとなって雪原を揺らしていく。
「――今だ!」
 リュクシオンは声を上げた。突き出した手に、集まる魔力。皆の視線が、彼に集中する。
「光の彼方、天空の向こう、万物に公平なる平等の母! ここに我、リュクシオン・エルフェゴールはあなたを呼ぶ。我に力を貸し給(たま)え。現れよ――日食の熾天使、ヴヴェルテューレ!」
 神の域にさえ達したとされる究極の天使が今、リュクシオンの「仕掛け」に導かれ、彼の敵を滅ぼすため、外へと飛び出す。
 が。

 崩壊は、一瞬だった。

「あれ……嘘だろ……?」
 白い、白い光が視界を埋め尽くした。天使はこの世に顕現した。そこまでは構わない。だとしても。
 光が晴れたとき、リュクシオンは天使のもたらした結果に身も心も凍りついた。
 辺りに転がるは死屍累々。光に貫かれて焼き焦がされて。死んでいるのは敵ばかりではなくて、リュクシオンのよく知った顔も紛れている。見知った顔。あれは魔道師のアミーだ。あっちは同僚であり、友人であるルーク。そして彼は、さらに驚くべき人物の死体を見る。その人物とは、
――さっきまで隣にいた、リュクシオンの王様。
 敵味方の区別なく、みんなみんな死んでいた。リュクシオン以外皆殺しだった。死んだその目には恐怖の色があった。恐怖を感じる暇はあったということだ。
 リュクシオンは、動かない、動けない。ただただ呆然として、己のもたらした惨状を眺めていた。彼の全ての思考が停止した。先程まで一万四千もの人間が戦っていた戦場で、立っているのはリュクシオンだけだった。
 中に浮かぶ日食の熾天使が、これで良かったのだろうとリュクシオンに笑いかける。
「……違うよ、ヴヴェルテューレ」
 リュクシオンは、放心したままで呟いた。
「僕が望んだのは、僕があなたに願ったのは、こんな、こんな結末じゃないッ!」
 国が、滅んだ。守ろうと、彼があれほど力を尽くした国が。リュクシオンの王国が。守りたかった全てが。王様が、友人が、死んだ。滅び、壊れ、崩れ落ちた。
 リュクシオンの、積み重ねてきたすべてが。
 存在意義が。
「……あ……嗚呼……ぁぁぁぁ嗚呼ああ嗚呼あ!」
 リュクシオンは地にくずおれ、獣のように咆哮を上げる。
 天使は、破壊神だった。
 確かに相手も全滅したが、彼が望んだのはこんなことじゃない。こんなことなんかじゃ、ない。
 平和を。愛する国に平和を。そう、彼は心から思っていた。だからこそ、力を望んだ。愛するものを、国を、守る力を。力があれば、大切なものが傷付くさまを見ないで済むからと。
――コンナコトジャナカッタ。
 絶望に染まる召喚師の頬を、涙が伝った。赤い、紅い、赫(あか)い。血の色をした、絶望の涙が。暗い、昏(くら)い、冥(くら)い、原初の無よりもなお深い色の絶望が、彼の胸の内を吹き荒れる。
「ア……アア……ァァァアアアアアアアアアア!」
 壊れた機械のような声とともに、彼の世界は崩壊した。
「ァ……ァぁ……ァぁァぁァぁァぁァぁァ…………」
 その身体が、闇色の光とともに、変化していく。
「ァ……ぁ……」
 背は、こぶのように盛り上がり、体中から毛を生やしたそれは、もはや人間ではなかった。
「……ァ……」
 幽鬼のようにのっそりと動き出したそれは、魔物そのものだった。
 その瞳に、意思は無い。理性も無い、何も無い。人間らしさなんてたった一欠片も無い。
 その虚ろな姿は、大召喚師と呼ばれた男ののなれの果て……。

――人は、心を闇に食われたら、魔物になる――。

 王も貴族も召喚師も。なんびとたりとも例外は無い。
 ひとたび心が闇に落ちれば、一瞬にして、魔の手は伸びる。
 そして魔物となった者は、己の死以外ではその状態を解除できない。
 これまでもそんな悲劇はたくさんあった。魔物となった大切な人を、自ら手に掛ける人たちの物語が。
 悲劇でしかない、ただ悲劇でしかない、この世界の絶対法則。それを端的に人はこう言い表す。
 いわく、

――人は、心を闇に食われたら、魔物になる――。
 
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