ドリトル先生と和歌山の海と山
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第十二幕その二
「八十八ヶ所巡りもあるんだよ」
「そうでしたね」
「ああ、四国は前に行ったね」
ジップがここで言ってきました、勿論動物の皆も楽しく食べています。
「愛媛にね」
「あの時も色々あったね」
チーチーの口調はしみじみとしたものでした。
「坊ちゃんに狸さんにね」
「川獺さん達にね」
ガブガブも彼等を思い出しました。
「一杯色々なことがあったね」
「あちらは四国だし」
こう言ったのはホワイティでした。
「それで空海さんとも縁があるのね」
「そういえば八十八ヶ所の話あの時したかな」
「どうだったかな」
オシツオサレツはこのことはあまりはっきり覚えていませんでした。
「一体」
「松山のことはよく覚えてるんだけれどね」
「あの時は松山のことで頭が一杯でね」
老馬もその時のことを思い出します。
「そのことまで考えが行かなかったよ」
「空海さんのこともあの時はよく知らなかったわ」
ダブダブはこのことを残念に思いました。
「どうにもね」
「今回の旅で教えてもらったし」
今言ったのはポリネシアでした。
「八十八ヶ所のことも詳しく聞いたのは今回だしね」
「けれど次はね」
トートーはその時こそと思うのでした。
「そうしたことも頭に入れて四国に行きたいね」
「そうだね、八十八ヶ所巡りはお遍路といってね」
それでとです、先生は皆にお話しました。
「今も行われているよ」
「実際に八十八の場所を巡るの」
「そうしていくの」
「四国の中にある」
「そう、本当に八十八ヶ所あってね」
そうしてとお話する先生でした。
「四国を一周することになるんだ」
「お遍路として周りながら」
「そうしてなんだ」
「あちこちを巡って」
「そのうえで」
「そうだよ、そしてね」
そのうえでというのです。
「修行にもしているんだよ」
「ああ、歩いてだね」
「そうした場所を巡っていって」
「そうしてなんだ」
「修行にもなっているんだ」
「これもまた修行なんだ」
そうだというのです。
「真言宗のね」
「高野山に入るだけじゃないんだ」
「あそこで修業するだけじゃなくて」
「四国でお遍路をしてもなんだ」
「修行になるのね」
「そうなんだ」
まさにというのです。
「だからわざわざそれをする人もいるんだよ」
「今もなんだ」
「じゃあ四国に行けば」
「その時はだね」
「お遍路をしている人も見るんだ」
「そうなんだ」
「愛媛でもその人達はいたよ」
先生は覚えていて今お話しました。
「ちゃんとね」
「そうだったんだ」
「実は」
「愛媛にもいたの」
「お遍路の人達が」
「そうだよ、そしてね」
さらにお話する先生でした。
「愛媛から他の場所にも行くんだよ」
「そこからなんだ」
「さらになのね」
「愛媛以外の場所にも行って」
「八十八の場所を巡るの」
「そうなんだ、お遍路の人は独特の恰好をしていて」
先生はその人達の身なりのお話もしました。
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