外伝・少年少女の戦極時代
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
斬月編・バロン編リメイク
常若の実で焼いたパイ
咲(体はヘキサ)は戒斗によってヘキサ(体は咲)と揃って救出されてから、光実と貴虎が待つ部屋に帰った。
本当はヘキサと戒斗と一緒に逃げるつもりだったが、ヘキサに「戻って兄さんたちを安心させてあげて」と頼まれたので、渋々戻った次第である。
ヘキサの頼みだからそうしたのであって、そも咲には、光実にも貴虎にも立てる義理はない。
貴虎はもちろん、今や光実でさえ、スカラーシステムなどという代物のスイッチを握る側であるユグドラシルの人間なのだ。
おかえり、と笑顔で迎えた光実も。
一瞥をくれただけで何も言わない貴虎も。
咲が部屋に戻ってしばらく、相手方から会見を中止してほしいとの旨が伝えられた(使者が来た時はソファーの後ろに隠れてやり過ごした)。
そのため、咲は二人の「兄」と共に呉島邸にまっすぐ帰宅となった。
屋敷に入るなり、咲は階段に向かった。
「ごめんね。ちょっと、部屋で休ませて」
「具合悪いの?」
「疲れただけ。夕飯には下りてくるから」
2階に上がり、ヘキサの私室に入る。
クローゼットを開けた。咲からすればどれも高級な服ばかりの中から、辛うじて部屋着になりそうなオフショルダーニットを選び、それに着替えた。
ぼっふん。スプリングの利いたベッドに勢いよく体を投げ出した。
(ヘキサ、だいじょうぶかな。ごはんとか、ちゃんと食べれてたらいいんだけど。ウチのメンバーとか絋汰くんならともかく、いっしょにいるのが戒斗くんだしなあ)
つらつらと考えていると、ドアのノック音がした。咲はつい寝転んだまま「どーぞー」と答えた。
ドアが開いた。入って来たのは光実でも貴虎でもなく、藤果だった。
「失礼します。――お休み中でしたか?」
「ううん。へーき。ところでそれ、なぁに?」
藤果が押して来たのは、電車の車内販売でよく見るワゴンのクラシカル版とでも表現すればいいのか。ワゴンの一番上には小皿とフォークとグラスと、切り分けたパイが載せてあった。
「これって」
「私が焼きました。朝も昼もあまり召し上がっていないと聞きましたので」
朝食はかく言う藤果が作った料理で、昼食は何と小学校でビュッフェだった。どちらも庶民の咲の舌には難しい味で、箸が進まなかったのだ(どれもナイフとフォークで食べるメニューだったので進める箸もなかったが)。
「食事の前に甘いものは、本当は良くないんですけど。お兄様方には内緒ですよ?」
「うんっ。えへへ」
藤果は慣れた手つきでパイを小皿に載せて、フォークと一緒に咲に差し出した。パイの断面を見て初めて、それがアップルパイなのだと分かった。
フォークで少し多めにパイを切り分けて頬張った。
「あむ、んぐ――、――ん」
「どうなさいました?」
咲は無言で、今度は少なめにパイを切ってフォークの先に刺した。
「おねーさん。あーんして」
「はい?」
「あーん」
藤果は困惑した顔で口を開け、フォークの先のパイを食べた。
「……美味しくないですね」
「うん。まずいかもだ」
言って、咲はフォークでパイをまた一切れ、食べた。
「あの、お嬢様? 無理して食べなくてもいいんですよ?」
「やだ。おいしくなくても、食べる」
――会ってまだ1日程度なのに、藤果は自分の食欲がないことを見抜いてくれて、しかも手作りでアップルパイなどという手の込んだ料理を作ってくれた。
美味しくないとしても捨てたくなかった。食材も、藤果の思いやりも。
料理は愛情、とは作る側に限った話ではないのだ。
「……飲み物。紅茶とミルクを用意しましたけれど」
「じゃあ、ミルクがいい」
「はい。お嬢様」
藤果の笑顔が、なんだか照れくさくて。咲は小皿の上のアップルパイに視線を落とした。
後書き
リンゴを使った焼き菓子は難しいと経験者が偉そうに語ってみたり。
ページ上へ戻る