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真田十勇士

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巻ノ百三十二 講和その十

「やはりな」
「はい、戦を続ければ」
「そうするしかないということか」
「そうかと」
「わかった、ではじゃ」
「大坂を出ずあくまで戦おうとうするならば」
「あの者達に花をやれ」
 武士のそれをというのだ。
「最高に華々しいものをな」
「そして我等も」
「無論じゃ、お主もわかっておろう」
「それがし三河武士でござる」
 これが大久保の返事だった、強いものだった。
「ならばでござる」
「そうじゃな、戦の場ではな」
「敵も味方も両方がでござる」
「花を手に入れる、だからじゃ」
「拙者も見事です」
「花を手に入れてみせるか」
「そう致します」
 こう家康に言った、もっと言えば言い切った。
「大御所様に敵の将達の首を持って来ましょうぞ」
「ははは、お主は変わらぬのう」
「槍一筋故」
 この考えが変わらないからだというのだ。
「それがし戦の場に生きそして」
「戦の場で死ぬか」
「それが本望です」
「三河武士としてじゃな」
「左様でありまする」
「そうか、しかし三河武士も変わってきたわ」
 家康は大久保の言葉を受けてここで少し遠い目になった、彼がこれまで戦ってきた数々の戦のことを思ってだ。
「四天王、十二神将とおってな」
「当家には」
「どの者も生真面目な武の者達でな」
 それでというのだ。
「槍働きを第一としておったな」
「左様でしたな、どの方も」
「田舎者ばかりで茶も雅も何もじゃ」
「知りませんでしたな」
「そうであった、三河の田舎で肩を寄せ合って暮らしておったな」
 当時の三河者達はというのだ、家康にとっては若き日々だ。
「岡崎でも浜松でも」
「左様でしたな」
「皆な、誰もが戦の場では命を賭けて戦ったわ」
 三方ヶ原では家康の為に多くの者が倒れている、家康は彼等のことを忘れたことは一度たりともにあ。
「不器用じゃが率直で飾らぬな」
「武辺者ばかりでしたな」
「傾きもせずな」
 そうした派手さとも無縁であった。
「しかしそれがじゃ」
「今はですな」
「江戸も徐々に開かれてきてじゃ」
「三河の趣も」
「次第に薄くなってきておるわ」
 それが今の徳川家だというのだ。
「幕府を開いてな」
「四天王も今は亡く」
 四人共だ、家康を支えた彼等も。
「そして十二神将もな」
「殆どですな」
「残っておらぬ、もう三河武士も色褪せてきたか」
「しかしわしはです」
「黄色の具足に旗にじゃな」
「この陣羽織です」
 黄色、徳川のそれだというのだ。
「これを着ております故」
「陣羽織に誓ってじゃな」
「思う存分戦い」
 そうしてというのだ。 
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