ソードアート・オンライン 宙と虹
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しかし、今この七十四層にいる以上、俺は戦うことを選んだ。理由は簡単だ。脱出するために出来ることをしようと思った。それだけだ。脱出して、現実世界に帰る。そして、末の妹に会うのだ。
この世界で脱出に直結する行為はただ一つ、迷宮を踏破しボスを倒すこと。ならばその最前線で戦う人間になれば、脱出までの道が近づく。いや、俺一人が増えたところで直接は何も変わりなどしないだろうけど、居ないよりはマシのはずだ。何せ攻略組内部でもトップクラスの筋力値を誇っているのだから。
キリトは、最初期からの攻略組ということもあってかかなり実力を高く買われている。事実、彼のレベルは攻略組の中でも上位に位置する。俺は、まあ平均より少し高い程度だ。それでもかなり高い方だろう、後からなったことを考えれば。
「ってか、Mob湧いてるぞ」
「サクサクッと行きますかね」
キリトが示した先には、丸い毛玉にコウモリ型の羽が生えたようなモンスターがいる。
抜刀して、キリトが先行して斬りかかる。弱攻撃から単発の片手剣ソードスキル《スラント》に繋げて、大きくノックバックさせる。
「スイッチ!」
「りょーかい!」
スイッチとは、単純に言えば戦闘中における交代行動だ。ソードスキルには大小様々だが技後硬直が設定されており、その間は無防備だ。その隙を埋めるためにスイッチというものが考案された……というか元々MMOにあった概念を取り入れた、の方が近いだろうか。まあMMOなのにスイッチが無い方がおかしいが。
モンスターがノックバックしたところでブラストを放つ。初級のソードスキルだが、鍛えられた筋力パラメータの補正によって、HPゲージは吹き飛び、ガラス片となって爆散した。
「ナイススイッチ」
「そっちも、相変わらずの筋力ステだよ」
苦笑交じりに、掲げてきた手に自分の手を叩き付ける。パァンと心地よい音が荒野に響き渡る。
「そろそろ主街区か。なーんか最初の方に比べると、迷宮区からの距離が短く感じるな」
「まあそれはそうだろ。先細りの形してるんだから」
俺たちプレイヤーは、当然のことながらゲームの舞台であるアインクラッドを直接外側から見たことはないが、ティザーPVなどでは何度となく見たことがある。そこに描かれている浮遊城は、いわゆる円錐の形に似ていた。
つまり上層に行けば行くほど層一つの面積は減っていくということになる。まあ当然上に行けば行くほど難易度は上がっていくわけなのだが。
「さて、と。さっさと店行って、肉売ろうぜ」
七十四層主街区、カームデット。痩せた山と岩に囲まれているのが特徴の、石造りの街だ。
二十分ほどかけて迷宮区から戻った俺たちは、当初の目的である、ラグー・ラビットの肉を売却するために、贔屓にしている商人プレイヤーのエギルの店を訪ねることにした。
彼の店は、五十層にあるので街の中心に設置されている転移門からテレポートする。
「「転移、アルゲード!」」
シュワアン……というテレポート音の後、目の前はごちゃごちゃとした色々な物を混ぜこぜにしたような街の風景に変わっていた。
五十層主街区、アルゲード。この街は、一言で言えば《猥雑》だ。街の中いっぱいに無数の細道裏路地が走っており、奥の方まで行くともうどうやって自分が現在位置にやってきたのか、分からないことの方が多い。
キリトなんかは、この街をホームにしており自宅まで持っているそうだが、彼からしてもこの街は複雑らしい。
むしろ迷わせるためにあるような街だ。まあNPCにコルを支払えば転移門広場まで案内してくれるのだが。
「ほんと、いつ来てもややこしい街だなー。よくここに住もうって思ったよなキリト」
「いや、なんか居心地良くてさ……」
「ま、電気街っぽいもんな」
キリトはそういうのじゃないんだけどなあと苦笑しながら、否定しているが、恐らく理由の何割かはそうだろう。ゲーマーなら確かに居心地がいいとも感じる。俺だって少し懐かしさというか望郷の念を感じるのだから。
しかしそれを口にするのはタブーという暗黙の了解がある。何故ならこの世界を仮想だと認識した時、心のどこかでやり直しが効くかもしれない、というゲームに対する感情が生まれてしまうからだ。
それはさておいて、俺たちは路地の奥にあるエギル氏の店へと向かった。
着いた時に、ちょうど彼の店からお客が出てきたところだった。気弱そうな槍使いの青年だった。肩を落としているところを見るに、例の半脅し商売法を喰らったのだろう。どうポジティブに捉えてもMMOでのプレイヤー取引に遠慮は無用、という教訓を得たっていう風にしか捉えられないな、と胸中で槍使いに黙とうを捧げる。
「うっす、相変わらず阿漕な商売やってるな」
「おいおい、ソイツは心外だなキリト。安く仕入れて安く提供するのが、うちのモットーなんだよ」
店主のエギルは、悪びれる様子など一切なくそうとぼける。彼、というか故買屋との商売では特に遠慮をしてはいけない。
その中でもこのエギルという人物の面相は、悪役レスラーもかくやと言わんばかりの蛮族系モンスターのような顔をしているのだ、先ほどの気弱そうなプレイヤーならそれに睨まれただけで簡単にどんな金額でも承諾してしまうだろう。
その上身長は百八十を超えているだろうし、がっちりとした筋肉と脂肪で包まれた体躯は、その顔にハマり過ぎており、ぱっと見は完全に悪人だろう、と初めて見た時は思ったものだ。
しかし、それでいて、笑うと実に愛嬌のある味な顔をするのだ。
「今の槍使いさん、すごい肩を落として帰っていったけど?」
一応せめてもの供養という訳ではないが、そう指摘してみる。
「さあな。ま、お二人さんはお得意様だしな、あくどい真似はしませんよっと」
しかし変わらず禿頭の巨漢はそううそぶくだけだった。その顔は、キリトが提示したトレードウィンドウを見た瞬間に驚きに変わる。
「お、おいおい……S級のレアアイテムじゃねえか。ラグー・ラビットの肉か、俺も現物見るのは初めてだな……金には困ってないんだろ?自分で食おうとは思わんのか?確かエネバは料理スキル上げてただろ?」
「確かに上げてるけど、コンプしてるわけじゃないし、九百代にも乗ってないからな……不安要素の方が大きいから売っちまおうって」
「そういうこと」
「なるほどな……」
腕を組んで唸るエギル。彼が答える前に、店の扉が開き新しい客がやってきた。
「キリト君」
女性の声だ。呼ばれたのはキリトだったが、返事をしたのは俺だった。
「や、アスナ」
「こんにちは、エネバ君」
その様子を見ていたキリトは、何かを思い出したかのように、アスナの手を握った。
「シェフ捕獲」
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