儚き想い、されど永遠の想い
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89部分:第八話 進むだけその六
第八話 進むだけその六
そのことについてだ。義正は話すのだった。
「文もまた必要です」
「武だけでなくですね」
「軍人の方もです」
そのだ。帝国陸海軍の軍人達もだというのだ。
「武だけではありませんし」
「そうですね。どの方も非常に立派な教養を持たれているとか」
「正直驚きました」
義正は実際にそうだとも話した。
「古典に通じ他国の文学にも通じています」
「そして音楽にも」
「はい、通じています」
そうだというのだ。
「無論漢籍もです」
「漢詩を書ける方も多いのですか」
「多いです。非常に見事な漢詩を書かれます」
あの山県有朋にしてもだ。詩においても非常に優れたものと残しているのだ。彼はこの頃でもとかく評判の悪い人物ではあったがだ・
「そのことにも驚きました」
「軍人の方でも」
「武ですね。あの方は」
「はい、私もそう思います」
「ですが武だけではないのです」
「文もですか」
「そしてその中にある優美や雅も解されます」
そこが凄かったのである。当時の軍人達は武のみではなかったのだ。それと共にだ。非常に深い教養も身に着けていたのである。
義正は彼らと交流する機会もあった。それで知ったのである。そのことをだ。
「ああした方々になりたいものです」
「そうですね。非常に立派な方に」
「それでなのです」
義正は真理に顔を向けてだ。言葉を変えてきた。
そうしてだ。こんなことも言うのだった。
「私も本を読みます」
「文学のものを」
「偏っていますがね」
少し自嘲めかした笑みをだ。見せもするのだった。
「どうしても」
「そうなのですか?」
「私は文学やそうした己の興味のあるものにしか目を通しません」
そうだというのだ。彼自身でだ。
「理系にはです」
「そちらはですか」
「はい、どうも」
興味がなくてだ。それでだというのだ。
「文学や音楽、それに哲学には興味がありますが」
「哲学もですか」
「最近ではショーペンハウアーを読みました」
「ショーペンハウアーといいますと」
「独逸の哲学者です」
十九世紀の独逸哲学における巨人の一人だ。所謂厭世哲学で知られている。森鴎外も彼の書を読み影響を受けたことで知られている。
「その彼の書を読みました」
「独逸の書を」
「独逸は確かに敗れました」
第一次世界大戦だ。それが終わって日本は多くのものを得た。しかし独逸はだ。敗れそのうえで多くのものを失ってしまっていたのだ。
「ですがその文学や哲学は残っています」
「そうしたものは」
「そうです、残っています」
こう話すのである。
「独逸の心はです」
「それは健在なのですね」
「それを読みました」
義正はまた話した。
「その書を読んでいるとです」
「どうなのでしょうか」
「不思議と。森の中にいるように思えました」
「森の中に」
「そうです。とはいっても我が国の森とは違います」
真理の知っているだ。その森ではないというのだ。
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