ドリトル先生と奈良の三山
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第十幕その九
「東京のラーメンはお醤油ね」
「結構シンプルなラーメンみたいね」
「私達東京には縁が薄いけれど」
「どうにも」
「そう、僕もあまりね」
先生にしてもです、東京については。
「縁がないね」
「愛媛も北海道も沖縄も行ってて」
「関西はしょっちゅうだけれどね」
「それでもよね」
「こと東京については」
「関東自体について」
「そう、だからラーメンもね」
東京のそちらもです。
「あまり知らないね」
「うん、ちょっとね」
「具体的にどんなのか」
「東京自体に縁が薄くて」
「しかも当時のラーメンは」
明治の頃はです。
「百年以上昔だしね」
「調味料とか調理器具も違うし」
「もっと言えば食材も」
「だったらね」
「もう全然違うラーメンね」
「それこそ」
「そうだよ、漱石さんは絶対にこのラーメンも知らなかったし」
先生はここで一杯目を食べ終えました、そして二杯目となりました。
「九州のラーメンも北海道のラーメンも」
「ご存知なかった」
「食べたことがなかったのね」
「そうだったんだね」
「うん、ある筈がないよ」
到底というのです。
「残念ながらね、北海道にもいたことがあるけれど」
「あの北海道にも行ってたの」
「それでおられたことがあったの」
「色々行ってる人ね」
「まあ結構波乱万丈な人生だったかな」
漱石さんについてこうも言った先生でした。
「結核で苦しんだり被害妄想に悩んだり胃潰瘍にもなったりしてね」
「本当に色々だったのね」
「あの人は」
「平穏無事な人生だったかというと」
「違ったのね」
「そう、それで小説だけじゃなくて」
小説家として有名な人でもです。
「俳句とか漢詩も書いているから」
「あれっ、俳人でもあったんだ」
「漢詩っていうと詩人でもあったの」
「そうだったの」
「そうだよ、元々先生でイギリス留学までさせてもらっていた有望な知識人だったからね」
それが漱石さんだったというのです。
「俳句も漢詩もね」
「どちらも出来ていて」
「詠んでおられたの」
「そうした方だったの」
「そうだったんだ、まあ奈良とはあまり縁がない人だね」
愛媛や北海道、イギリスはともかくとしてです。
「一度志賀直哉さんが住んでいたけれどね」
「あっ、城の崎にての」
「あの作品の人ね」
「あの人が奈良にいたことがあるって」
「先生前にお話してたね」
「そうだったんだ、まあラーメンにも漱石さんにもね」
どちらにもというのです。
「歴史があるんだ」
「そういうことだね」
「奈良県は歴史の宝庫で」
「ラーメンにも歴史があって」
「漱石さんもなのね」
「そうだよ、このラーメンにしてもそうで」
二杯目も美味しく食べる先生でした。
「そうしたことを調べて学ぶのも楽しいね」
「全くだね」
「じゃあ夜は奈良に戻って」
「そうしてよね」
「飲みましょう」
「またね」
「そうしようね、しかし奈良はね」
また言った先生でした。
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