ドリトル先生と奈良の三山
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第十幕その六
「よかったよ」
「そうよね」
「天理教のことも学べたし」
「この神殿にお邪魔して」
「そうしてね」
「そうだね、何ていうか」
また言った先生でした。
「僕は天理教の神様にここに連れて来てもらったのかな」
「だから天理に来てね」
「こうしてお参りもしたのね」
「そうかもっていうのね」
「そう思うよ。じゃあ参拝の後は」
靴を履いて階段を降りつつ言う先生でした。
「ラーメンを食べようか」
「あっ、天理ラーメンね」
「確か彩華っていうお店の」
「あのラーメン食べるのね」
「そうするのね」
「そうしよう、ちょっと晩御飯には早いけれど」
それでもというのです。
「食べようね」
「奈良は天理ラーメンも有名ね」
「今は奈良名物の一つって聞いてるよ」
「じゃあ皆でそのラーメン食べよう」
「今からね」
「そうしよう、辛くて美味しいよ」
その天理ラーメンのお店に行くことになりました、先生は皆と一緒に神殿を後にしてそうしてでした。
商店街に入りましたがその商店街を進んで皆また言いました。
「長くない?」
「結構以上にね」
「先が見えない感じで」
「こんな長い商店街そうそうないよ」
「ちょっとね」
「この商店街のことも聞いていたけれど」
先生も言います。
「実際に入るとね」
「凄いね」
「この長さは」
「何かお店の一つ一つが大きい感じがするし」
「そういえば小さなお店ないね」
「大きなお店ばかりよ」
普通の商店街に比べてです。
「ここは」
「天理教のものを売っているお店もあるし」
「本とか楽器をね」
「こうしたところで買って学べるのね」
「天理教のことを」
「そうだね、こうした本も持ってるけれど」
先生は八条学園で買っています、この学園の大学に宗教学部があるのでそこで購入出来るからです。
「ここに来るとね」
「何時でも買えるのね」
「それも色々な本がありそう」
「いい太鼓とか笛とか琴も売ってて」
「天理教のものなら何でも買えそう」
「それで揃えられるわね」
「そうだね、ここはね」
実際にと言った先生でした。
「まさに天理教の中心だから」
「商店街も天理教のものが多い」
「そうしたものを売っているお店も」
「まさに天理教の街ね」
「宗教の街ってことね」
「日本人は宗教への関心が薄いというけれど」
俗に言われる言葉ではあります。
「けれどね」
「あながちそうも言えない」
「そういうことね」
「少なくともここは違うわね」
「信仰心のある人が多くて」
「それでよね」
「日本人も信仰があるってこともわかるわね」
皆もわかりました、その言葉はあながち言えないということも。
「ここにいると」
「じゃあ今からね」
「天理ラーメンを食べに行こう」
「そうしよう」
こうお話してでした、そのうえで。
先生達はその天理ラーメンのお店に入りました、注文したラーメンは唐辛子等で辛く味付けされてです。
細めの麺の縮れた感じの麺に赤が入った茶色のスープ、お野菜とお肉が多めに入っています。皆はそのラーメンを見て言いました。
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