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ドリトル先生と奈良の三山

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第十幕その五

「天理教でもそうでね」
「こうして祀られていて」
「皆こちらにもお参りしているの」
「そうなのね」
「そうだよ」
 まさにというのです、ここでも人がお参りしています。
「それじゃあ僕達もね」
「うん、お参りしようね」
「この祖霊殿でもね」
「そうしてね」
「全部お参りして」
「回廊も一周しましょう」
「そうしましょう」
 皆も先生に賛成してそうしてでした。
 祖霊殿でもお参りをしてです、それを終えてから皆で靴脱ぎ場に戻っていきます。そうして一周しますと。
 皆ふとです、こう言いました。
「ううん、こうして一周したら」
「結構な距離あるわね」
「そうよね」
「一キロ近くある?」
「それ位は」
「長かったわね」
「運動と言ってもいい距離だったよ」
 こう言うのでした。皆で。
「それだけの距離で」
「歩いていてね」
「何か確かに心が清らかになって」
「参拝もさせてもらって」
「すっきりしたわ」
「距離も歩いて」
「そう、この神殿の通路は結構距離もあるんだ」
 先生もこうお話します。
「実際にね」
「一キロ近くあって」
「歩くと運動にもなる」
「そうした場所でもあるのね」
「回廊ひのきしんになると」
 それこそというのです。
「もうそれこそね」
「大変そうね」
「一周したら」
「廊下には段差もあるし」
「上がる時辛いわよ」
「そうよね」
「そうだね、けれどさせてもらっている人達を見ていると」
 特にお顔を、です。
「清々しくて明るいね」
「うん、とてもね」
「素晴らしいことをさせてもらってる感じね」
「スポーツをしているみたいな」
「そんな風ね」
「ひのきしんというけれど」
 そのひのきしんにも思う先生でした。
「かなり気持ちよく明るくさせてもらうものってことがね」
「よくわかるね」
「素晴らしいことをさせてもらっている」
「そういえば強制されてするものじゃないし」
「自分から進んでするものだから」
「明るくね」
「笑顔でさせもらってるのね」
「そうだね、神戸に帰ったら」
 その時のことをまた思う先生でした。
「天理教の教会にお邪魔してね」
「そうしてだね」
「天理教のことを聞かせてもらうのね」
「そうするのね」
「そうさせてもらうよ。お寺も神社もね」
 どちらもというのです。
「お邪魔して」
「そうしてね」
「お話を聞かせてもらうのね」
「仏教のことも神道のことも」
「奈良で学んだことから」
「そうさせてもらうよ、いや天理にも来て」
 そうした結果というのです。 
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